2015-01-18(Sun)

阪神大震災20年 被災者に寄り添い続けてこそ (1)

防災の日常化を進めよう 忘れまい復興の光と影 都市型震災と復興の教訓を語り継ごう

<各紙社説・主張>
朝日新聞)阪神大震災20年―防災の日常化を進めよう(1/17)
読売新聞)阪神大震災20年 復興の成果と教訓生かしたい(1/17)
毎日新聞)阪神大震災20年 減災に地域社会の力を(1/17)
日本経済新聞)都市型震災と復興の教訓を語り継ごう(1/17)
産経新聞)阪神大震災20年 教訓生かし防災先進国に 自主、共助が復興早めた(1/17)
東京新聞)阪神大震災20年 忘れまい復興の光と影(1/17)
しんぶん赤旗)「阪神・淡路」20年 被災者に寄り添い続けてこそ(1/17)




以下引用



朝日新聞 2015年1月17日(土)付
社説:阪神大震災20年防災の日常化を進めよう


 6434人の命を奪った阪神・淡路大震災から今日で20年。
 この間、町は生まれ変わり、神戸市の人口は震災前を上回った。かつてのにぎわいが戻らない地域もあるが、人々の営みは息を吹き返したようにみえる。
 だが、記憶が遠くなるにつれ、少しずつ「慢心」が忍び寄ってはいないだろうか。
■風化を防ぐ
 神戸市では、震災後に誕生・転入した人が、住民の4割を超えた。兵庫県民2200人を対象にした昨年の県の調査によると、住んでいる地域が「安全」だと思う人は7割近くに達し、約65%が「地域の防災訓練に参加したことがない」と答えた。
 東日本大震災を経てもなお、「阪神」の被災地でさえ、災害への構えが緩みつつある。
 風化を防ぐにはどうすればいいのか。ヒントになりそうな地域が神戸市にある。
 東灘区魚崎地区。昔ながらの人情が残るところだ。
 先週土曜日、寒風が吹きつけるなか、200人近い住民が小学校の運動場に集まった。Tシャツや毛布で作った簡易担架でけが人に見立てた人を運んだり、消防署の職員から消火器の使い方を学んだり。
 魚崎地区では震災の2年後から、ほぼ2カ月に1度、こうした訓練を重ねている。なぜ息長く続けられるのだろう。
 地区のリーダー役、清原孝重さん(65)の答えは明快だ。
 「次の災害への危機感です」
■土手の花見
 兵庫県の想定では、南海トラフ巨大地震があれば、魚崎地区のある東灘区には最短110分で最大3・3メートルの津波が到達するとされる。具体的な災害が迫っているという意識の共有が防災活動の原動力だというのだ。
 「阪神」では、がれきの中から助けられた人の約8割が家族や近所の人によるものだった。消防は同時多発する火災や救助要請で大混乱し、道路も寸断されて身動きがとれなかった。「公助」の限界である。
 清原さん自身、全壊した家の下敷きになり、近くの人に救われた。「結局、頼りになるのは『ご近所力』」。経験に裏打ちされた清原さんの言葉は重い。
 とはいえ、災害に備え続けるのは容易ではない。ならば普段の生活や地域活動の中に防災を組み入れてはどうだろう。
 「土手の花見の防災」という言葉がある。こんな逸話がもとになっている。
 ――むかしあるところに、決壊を繰り返す川があった。いくら工事の必要性を訴えても村人は集まらない。そこで、知恵者が土手にたくさんの桜を植えた。春になり、大勢の花見客が土手を踏み固めることで、堤防の強化につながった……。
 魚崎地区では、訓練のたびに炊き出しをして交流を深めてきた。毎年2月には餅つきをし、体の不自由な人やお年寄りの家を回って餅を配る。その際「お変わりありませんか」と声をかけ、「要援護者リスト」を更新している。町おこしを防災につなげている好例といえよう。
■学校の役割
 日本は世界でもまれな災害大国である。
 文部科学省の地震調査研究推進本部によると、今後30年以内にマグニチュード(M)8~9級の南海トラフ地震が発生する確率は約70%。首都圏に甚大な被害をもたらす恐れのあるM8級の相模トラフ沿いの地震も、今後30年以内に最大で5%、M7程度なら約70%の確率で起きると予測されている。
 地震だけではない。噴火、台風、土砂崩れ。災害はいつ、どこで起きてもおかしくない。
 ハードで守るには限界がある。それは「想定外」の津波が堤防を乗り越え、町をのみ込んでいった東日本大震災の例を見ても明らかだ。
 やはり「防災力」を高めるしかあるまい。
 重要なのは、学校の役割だ。
 大津波に襲われた岩手県釜石市の小中学生は率先して高台に逃げ、約3千人のほとんどが助かった。「釜石の奇跡」と呼ばれるこの結果は、「被害想定を過信するな」という事前学習のたまものだった。
 防災は、社会や理科などで触れるよう学習指導要領で定められている。だが、何をどう教えるか、中身は体系的に整理されているとは言いがたい。
 「命を守る」を原点に、住んでいる地域が経験した災害の歴史やリスクに触れてみる。すべての子がこうしたことを学べば、家庭で話題になり、共に考えるきっかけにもなる。
 地域の拠点として、学校を機能させることも大切だ。
 少子化がすすみ、空き教室を抱える学校は多い。たとえばこうした場を活用し、普段から学校が地域の「たまり場」になれば、人と人とのつながりも生まれやすくなるだろう。
 災害に強い国にするために、準備を急ぎたい。被害をゼロにはできない。しかし「減災」ならすぐにでも始められる。



読売新聞 2015年01月17日 01時31分
社説:阪神大震災20年 復興の成果と教訓生かしたい


 阪神大震災から、17日で20年を迎えた。6434人の犠牲者を悼むとともに、防災の重要性を再認識する日としたい。
 横倒しになった高速道路の橋脚、街中のあちこちで上がる炎――。大震災の惨状が、改めて思い出される。
 壊滅的被害を受けた神戸市などの被災地は、復興を遂げた。惨禍の痕を見つけるのも難しい。
 神戸市が、街並みを元通りにするのではなく、災害に強い街づくりを進めてきたことは、他の自治体の参考になろう。
 被害が大きかった地域には、再開発に合わせて防災公園を設けた。住民の避難場所となるだけでなく、広い空間を設けることで、火災の延焼を防ぐ狙いがある。
 老朽家屋を撤去した跡地を更地のまま残す「まちなか防災空地」を増やしているのも、同じ目的からだ。市が、固定資産税を免除して、土地を借り受け、自治会などに管理を委ねている。
 緊急車両の通行を想定した道路拡幅、生活用水確保のための水道管の耐震化にも力を入れた。
 阪神大震災を契機に、地域住民が助け合う「共助」の大切さが注目されたことも忘れてはならない。倒壊した家屋から救助された生存者の約8割が、家族や近隣住民によって助け出された。
 神戸市は震災後、自主防災組織の活性化に取り組んだ。地域住民が防災訓練を企画したり、地域を巡回して高齢者宅を把握したりと、様々な活動を続ける。住民同士の普段のつながりが、災害時の助け合いに生きるはずだ。
 被災地には1年間で100万人以上のボランティアが駆けつけ、がれき処理などを行った。「ボランティア元年」と言われる。
 今や、災害現場でボランティアの存在は欠かせない。東日本大震災の被災地でも、高齢者の見守りなどで被災者を支えている。参加した若者が次代のリーダーとなることを期待したい。
 教訓もある。神戸市長田区の駅前商店街では、行政主導の再開発により高層ビルを建設し、新住民を呼び込んだ結果、コミュニティーが崩れたという。
 商店街の理事長は、東日本大震災の被災地を訪れ、「住民自らが街づくりを考えないと、本当の復興にならない」と訴えている。
 都市部が被害に見舞われた阪神大震災と、過疎地での被害が甚大だった東日本大震災では、復興の道程も異なるだろう。しかし、住民が主体となった地域再建が重要であることに、変わりはない。



毎日新聞 2015年01月17日 02時30分
社説:阪神大震災20年 減災に地域社会の力を


 阪神大震災から20年を迎えた。兵庫県芦屋市の西法寺(さいほうじ)では発生の時刻、ドラム缶の釣り鐘を鳴らして犠牲者を悼む。たき火で暖を取り、湯を沸かし、被災者の冷え切った心と体を温めたドラム缶は、復興のシンボルでもある。
 6434人の命を奪い、高速道路や駅の倒壊、ライフラインの断絶、広域火災などで9.9兆円に上る甚大な被害をもたらした戦後最大の都市災害は、「減災」という考え方の大切さを私たちに提起した。
 地震や洪水など自然の猛威による災害を、人間が完全に防ぐことはできない。だが、あらかじめ被害を想定し、日ごろから備えることで被害を最小限に抑えることはできる。
 ◇社会的弱者をどう守る
 この考え方に基づいて国の中央防災会議は2005年、近い将来起こりうる大規模地震で想定被害を半減させるという数値目標を初めて示した。その後、各自治体は地域住民による自主防災組織の設立、被害想定地域の地図作製、救助・救急医療の体制整備を進めているが、解決すべき課題もある。
 災害は高齢者や障害者ら社会的弱者をより追い込む。阪神大震災では高齢者の死者が多く、仮設住宅や復興住宅での孤独死が相次いだ。
 震災後、災害ボランティアに身を投じた看護師の黒田裕子さんは、仮設住宅で24時間の見守り支援を続けた。高齢化率が5割のところもあり、一人一人にきめ細かなケアが必要だと痛感した。避難所では被災者が支え合う自治組織を作らせた。
 「避難所となる学校の和式便器はお年寄りに使いにくい。住民が負担し合ってポータブル便器を買い、学校に預ける。それだけで安全を守ることができる」
 昨年9月に亡くなった黒田さんは、こんな具体的な注意点をいくつも言い残している。
 この20年で一段と高齢化が進み、自力で避難するのが難しい高齢者らをどう守るかは喫緊の問題となった。災害対策基本法が改正され、市町村にこうした要援護者の名簿作成を義務付けたのは、地域団体や消防と情報を共有し、地域ぐるみで災害弱者一人一人を支える仕組みを整えることを求めたものだ。
 阪神の被災地では約3万5000人が建物の下から助け出され、約8割が近隣住民らによる救助とされる。バケツリレーで火災の拡大を食い止めたり、円滑な避難所運営につながったりした地域もあった。



日本経済新聞 2015/1/17付
社説:都市型震災と復興の教訓を語り継ごう


 6434人が犠牲になった阪神大震災からきょうで20年になる。被災地の再建は進んだが、被災者の心になお深い傷を残す。復興の過程で様々な課題も浮かび上がった。都市型震災への備えを進め、復興の教訓も語り継ぎたい。
 人口密集地を震度7の揺れが襲った阪神大震災は、現代の都市が直下地震にいかに無防備かを見せつけた。25万棟の住宅が全半壊し、多くの人が下敷きになった。同時多発した火災が燃え広がり、高速道路の安全神話も崩れた。
 その後、日本の都市は地震へのもろさを克服できたのか。4年前の東日本大震災で、私たちは津波を伴う巨大地震の恐ろしさをかみしめた。だが大都市を襲う直下地震は阪神以降なく、想定外の被害が生じないか、なお不安が残る。
 列島には2千を超える活断層があるとされ、どこで地震が起きてもおかしくない。それを念頭に、対策を怠りなく進めたい。
 まず古い住宅の補強は急務だ。1981年以前の古い耐震基準に基づく住宅は全国に1千万棟以上あり、それ以降でも耐震性の低いものがある。補強には数百万円の費用がかかり、所得が少ない高齢者らにとって負担が重いことが、改修が進まない主因だ。
 一方で、壁の一部だけ取り換えて耐震性を高めるなど安価な工法が登場し、自治体が費用を補助する仕組みも広がった。それらをうまく活用したい。自治体は費用補助に加え、安価な工法を紹介する取り組みにも力を入れるべきだ。
 高層へ、地下へと広がった大都市で、予期せぬ被害が生じる恐れはないか。とくに、経済や政治の機能が集まっている東京で大地震が起きても、国の中枢機能を保てるのか。死角がないか徹底的に洗い出す必要がある。
 阪神大震災の被災地では、被災者向けの災害復興住宅の建設や街区の再建は早かった。だが、もとの暮らしを取り戻せない被災者もいる。年月とともに復興住宅の入居者が高齢化し、孤独死や心の病に悩む人も増えている。
 復興住宅を地域的に分散させたり、被災者のほか様々な世代を受け入れたりして、コミュニティーをどう再建するか。これは復興の過程で明らかになった課題だ。
 東日本大震災の復興はこれから本格化する。阪神大震災の被災地の自治体や住民は、復興の反省点についても積極的に発信し、東日本の被災地で役立ててほしい。



産経新聞 2015.1.17 05:02
【主張】阪神大震災20年 教訓生かし防災先進国に 自主、共助が復興早めた


 「この度は違いました。真っ暗な闇の中で、大地の悪魔は、突然家を持ち上げたたきつけ、それでも気が済まず、両手で家を引き裂こうとしました。本気で殺しに来ている! 何故だ」
 阪神大震災で亡くなった学生の葬儀で、恩師が読んだ弔辞の一節である。
 20年前を思い出すと、決して大げさな表現ではない。
 神戸の空を黒煙が覆った長田区の大火、数百メートルにわたって横倒しになった高架の阪神高速道路、いたるところでビルや民家が倒壊した。それは戦時中の空襲を体験した人々でなければ、見たことのない光景だった。
 「この度は違いました」というのは、誰も予想していなかったからだ。SF作家の小松左京さんは、昭和40年代にベストセラーになった「日本沈没」を書くために歴史上の大地震や地殻変動を調べ尽くしたが、関西では文禄5(1596)年の伏見大地震が記録に残る程度で、阪神間をこのような直下型の大地震が襲うとは思ってもみなかった。
 最大震度7。死者6434人、建物の全半壊24万9180棟、被害総額約10兆円。その時点で戦後最大の自然災害だった。
 大きな犠牲の上の教訓を忘れてはならない。
 ≪「官に頼まず」の精神で≫
 神戸の街を歩いた。倒壊したビルは建て替えられ、焼け跡は区画整理されて新しい建物が並ぶ。慰霊碑やモニュメントはあるが、外見上、震災の爪痕はもうない。
 昨年11月、震災当時の兵庫県知事だった貝原俊民さんが不慮の交通事故で亡くなった。県庁への登庁に時間がかかり、地震発生から4時間もたっての自衛隊への派遣要請の遅れが、助かる命を救えなかったと非難された。長年、自衛隊を憲法違反としてきた社会党の委員長だった当時の村山富市首相も、同様の批判を浴びた。
 災害時において、訓練された人員、装備を有する自衛隊ほど頼もしい存在はない。東日本大震災や昨年の御嶽山噴火などでのめざましい活動は記憶に新しい。阪神大震災以降、もはや自衛隊の出動をためらうことはありえない。
 一方で、復興の先頭に立った貝原さんのリーダーシップには評価が高い。震災前に戻すのではなく、それを上回る新しいまちづくりをめざして「創造的復興」を掲げた。政府内には「焼け太りは認められない」との声もあったが、政府主導ではなく地元中心の復興を主張して押し切った。
 被災地のニーズをくみ上げての復興計画には、各地にできた「まちづくり協議会」など住民組織が果たした役割も大きかった。「官に頼まず」は関西人の伝統的精神でもある。
 まもなく4年を迎える東日本大震災は、福島第1原発の事故があり、災害の形態、広がりも大きく異なるが、復興のスピードは遅い。何より、被災地の未来像が見えにくい。阪神大震災を参考にすべきだ。
 ≪記憶に墨を入れよう≫
 阪神大震災では、家屋に閉じ込められて助かった約16万4000人のうち、自力脱出が8割近い約12万9000人、家族や隣人、友人らに救出されたのが16・5%に当たる約2万7100人、消防、警察、自衛隊など公的機関による救出は5%未満の約7900人というデータがある。
 時間との闘いという面もあるが、河田恵昭関西大教授によると、過去の大災害でもほぼ同じ傾向という。昨年11月の長野県北部の地震でも、近隣住民の助け合いによって死者が出なかった。
 「自助」「共助」が防災の基本であることを心したい。
 南海トラフ巨大地震は、東日本大震災を上回る被害が想定されている。常に備えを怠ってはならない。さらに、地震国であり、阪神大震災、東日本大震災を体験した日本は、防災先進国としての役割が期待される。
 大阪市の木津川に架かる大正橋のたもとに、安政南海地震(1854年)の慰霊碑がある。石碑には津波によって多数の犠牲者を出した様子が細かに刻まれ、末尾にこう書かれている。
 「願わくは心あらん人、年々文字よみ安きやう墨を入れたまふべし」
 阪神大震災から20年は、あの体験を風化させないよう墨を入れるときだ。



東京新聞 2015年1月17日
【社説】阪神大震災20年 忘れまい復興の光と影


 悲しみを乗り越えて街の姿は蘇(よみがえ)ったが、なお、生活を取り戻せぬ被災者も少なくはない。阪神大震災から二十年。復興の教訓を風化させてはならない。
 一九九五年一月十七日朝に起きた阪神大震災は淡路島北部を震源地とする直下型地震だった。神戸市を中心に死者六千四百人以上、住家の全半壊は約二十四万九千棟に及び、道路、鉄道、あらゆるライフラインが崩壊した。
 廃虚同然となった被災地には二十年後の今、新たなビルが立ち並び、街の姿は、以前にも増して華やかに見えもする。すでに神戸市では、震災を体験していない世代や転入者が人口の四割を超えている。
◆遠かった生活の再建
 都市崩壊の生々しい記憶が薄れていくことは復興の一つの証しかもしれないが、大きな悲しみを乗り越える中で学んだ教訓まで薄れさせてはなるまい。
 阪神大震災の復興は「創造的復興」を掲げて進められた。
 創造的復興とは、当時の貝原俊民兵庫県知事が用いた言葉で、単に震災前の街の姿に戻すのではなく、二十一世紀の成熟社会にふさわしい姿に復興する、という考え方だった。
 高速道路や鉄道、港湾施設などのインフラの復旧は総じて早かった。土地区画整理事業、市街地再開発なども次々進められた。街の再建が目に見えて進んでいくことが人々を大いに勇気づけたのは間違いないだろう。
 その一方、いくら行政主導で創造的復興が進んでも、住民が家を再建し、安らかな生活を取り戻す「人間の復興」は順調に進んだとは言えない。
 例えば、都市計画や住宅政策が専門の塩崎賢明・神戸大名誉教授は「巨大再開発という復興施策がもたらす『復興災害』がいまなお進行中だ」と指摘している。
◆住民戻れぬ再開発
 火災で全焼した神戸市長田区の新長田駅南地区は、商店街が縦横に広がる住宅・商業・工業の混合地域だった。そこでは、壊滅した地区内のすべての土地を神戸市が買収し、四十四棟のビルを建設する再開発事業が進められた。
 しかし、完成したビルの商業・業務区画の売却・賃貸は進まず、地下や二階は今も軒並みシャッターが下りたままである。
 再開発ビルの住宅も、分譲価格が従前権利の評価額より総じて高くなった。追加資金を持たない人の入居は難しく、震災前の住民の45%が地区外に転出したとの調査結果もある。
 再開発事業が都市計画決定されたのは震災からわずか二カ月後。その日その日を生きるのが精いっぱいだった被災住民の声をきちんと聞いた形跡はない。
 コミュニティー復興への目配りが欠けていたのである。
 千七百戸の仮設住宅が並ぶ神戸市西区にプレハブの仮設診療所を開設して被災者を支援し、二〇一二年に亡くなった額田勲医師も、著書『孤独死』(岩波書店)で「人間の復興はあまりにも遅々としている。見果てぬ夢を追いながら、仮設住宅で生を終えた人たちは、おびただしい数に上るはずである」と振り返っている。
 復興は、建物や道路を取り戻せば終わりではない。暮らしやコミュニティーをいかに復興するか。
 現在進行中の東日本大震災からの復興のみならず、南海トラフ巨大地震や首都直下地震も想定し、阪神の教訓を考えねばなるまい。
 生かすべき経験は、もちろん、影の部分ばかりではない。
 阪神大震災では百六十七万人がボランティアとして活動した。試行錯誤の連続で、事がスムーズに運んだわけではない。善意の空回りもあったが、ボランティアの心は社会に根付き、九五年は「ボランティア元年」と呼ばれることになった。
 阪神での経験を契機に、九八年には特定非営利活動促進法(NPO法)が施行された。今や、大災害のたびに各地からボランティアが集まり、行政が進める事業よりも柔軟に支援活動を展開するのが普通の光景になってきた。
 日本でも無論、古くから相互扶助が行われてきた。結(ゆい)、講…。つまり、血縁社会、地縁社会の中で機能していた仕組みである。
◆助け合い、参加する
 ボランティア活動は、地縁、血縁による助け合いに代わる新しい社会の相互扶助の仕組みである。日本社会の高齢化、人口減が進む中、その重みは増す一方である。
 法人税減税の財源をめぐり、昨年、NPO法人の優遇税制を見直す動きもあったが、社会貢献活動の普及に水を差す逆戻りなど、もっての外である。
 大きな悲しみをきっかけにわたしたちの社会に現れてきた助け合いの心、参加する気持ちである。より大きく育てていかねば。



しんぶん赤旗 2015年1月17日(土)
主張:「阪神・淡路」20年 被災者に寄り添い続けてこそ


 兵庫県淡路島を震源に神戸市とその周辺に大きな被害を及ぼした阪神・淡路大震災から20年になります。震災発生の年に生まれた人たちは今年成人です。新成人の輝くような笑顔の一方、大震災で肉親を亡くし住まいを奪われた人たちの傷は、いまだ癒やされていません。借り上げ復興公営住宅からの追い出し、災害援護資金の返済問題など、新たな問題が次つぎ起きています。この20年にも、新潟県中越や能登半島沖での地震や東日本大震災などが続きました。国民が安心して暮らせるよう、被災者に寄り添い支援を続けることが不可欠です。
政治が被害を拡大した
 1995年1月17日の未明に発生したマグニチュード(M)7・3の大地震で大地は引き裂かれ、高速道路も鉄道も寸断されて、ペシャンコに崩れ落ちた住宅を真っ赤な炎がのみ込みました。亡くなった人だけでも6434人、大火災の赤々とした炎と、電気もガスも途絶え雪が舞った被災地の冷え込みはいまも記憶に鮮明です。
 家も財産も失い、肉親さえ奪われた被災者を苦しめたのは、自然の厳しさだけではありません。かつてない災害の規模に追いつかない行政の対応が苦しみに拍車をかけました。避難所となった学校の体育館などにはまともな寝具もなく、配られるのは冷たい弁当や菓子パン…。見るに見かねて全国から駆けつけたボランティアが被災者の心の支えでした。
 被災者が避難所から仮設住宅に移っても、苦しみは続きます。住み慣れた場所から離れた郊外につくられた仮設では隣近所の付き合いもなく、通院していた医療機関も遠くなりました。体調を悪化させ、誰にもみとられず亡くなる「孤独死」が相次ぎました。「孤独死」は被災者が仮設を出て、多くが高層で隣近所との行き来も難しい復興公営住宅に移ってからもあとを絶ちません。仮設と復興住宅での「孤独死」は昨年までで1100人近くにのぼります。
 被害を拡大した政治の責任はこれだけではありません。大きな被害を受けた被災者に、当時の政府も自治体も、個人の財産被害は補償できないと、個人補償を拒否したのです。被災者が20年たっても住宅ローンや借金返済に苦しむ元凶です。しかも当時の兵庫県や神戸市は「創造的復興」の名で、被災者の生活再建よりも震災前から計画していた都市再開発や高速道路、神戸空港の建設を優先させました。建物はきれいになっても買い物客が減ってしまった商店街の姿は、「復興」のゆがみを象徴しています。まさに「復興災害」です。
被災者が政治を動かす
 国や自治体に公的支援を求め、神戸空港などの建設強行に反対し、政治を突き動かしてきたのは被災者自身のたたかいです。この20年、政治の壁を少しずつ崩し、自然災害の被災者を支援する「被災者生活再建支援法」も、広範な市民と日本共産党などの運動のなかで実現しました。支援法は阪神・淡路大震災の被災者には適用されないなど問題を残しましたが、2回の改正を経て、東日本大震災などその後の災害に生かされています。
 自然の災害は防げなくても、政治の力で被害を減らすことはできます。大震災から20年、被災者に寄り添い、被災者を中心にすえた政治がいよいよ求められます。

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