2015-03-11(Wed)

3・11東日本大震災4年 (1) 復興に関わり続けよう

福島復興―住民の選択いかす政策を 原発のまちに未来図を 福島の苦しみ正面から

<各紙社説・主張>
朝日新聞)福島の復興―住民の選択いかす政策を(3/11)
読売新聞)大震災4年 優先度を見極めて復興進めよ(3/11)
毎日新聞)東日本大震災4年 復興に関わり続けよう(3/11)
日本経済新聞)被災者自立へ細やかな復興支援を(3/11)
産経新聞)大震災4年 鎮魂と我が命守るために 被災の記憶を心に刻もう(3/11)
東京新聞)東日本大震災4年 原発のまちに未来図を(3/11)
東京新聞)東日本大震災4年 「命山」で命を守る(3/10)
東京新聞)東日本大震災4年 福島の苦しみ正面から(3/9)




以下引用



朝日新聞 2015年3月11日(水)付
社説:福島復興―住民の選択いかす政策を


 東日本大震災福島第一原発の事故から丸4年が経った。政府は26兆円に及ぶ復興予算を組み、今月1日には首都圏と被災地を結ぶ常磐自動車道が全線開通した。インフラの復旧は着実に進んでいる。
 しかし、原発事故収束のめどはたたず、福島県では今も約12万人が県内外に避難している。約2万4千人が暮らす県内の仮設住宅は、避難の長期化で傷みも目立ち始めた。復興公営住宅は用地の造成などに手間取り、建設が遅れている。5万人近くは県外で暮らす。
 原発から20キロ圏内では昨年から、線量の比較的低い地域で避難指定の解除が進む。約7500人の町民ほぼ全員が避難した楢葉町も、近々、解除を決める見通しだ。
 だが、住民の帰還は進まない。復興庁が3月に発表した調査でも、原発の立地・周辺4町の住民で「戻りたい」という世帯は、1~2割にとどまる。反対に「戻らない」は半数前後を占める。避難区域外に住宅を買い、移住を決める人も増えた。
■人々をつなぐ機能
 戻らないことが故郷との絶縁を意味するわけではない。
 全町避難が続く浪江町は今年1月から全国に散った住民に無償でタブレットを配り始めた。町からの情報発信に加え、町民同士で近況をやりとりできる。町内の放射線量が詳しくわかるアプリも載せる予定だ。
 3月初めに東京都内で開いたタブレット講習会には、100人を超える人が集まった。千葉、神奈川、埼玉、栃木と現住所は様々。見知った顔を会場で見つけては笑みがこぼれ、おしゃべりがはずんだ。
 江東区の仮住まいから夫婦で参加した女性(42)は、津波で家を失ったこともあって「もう浪江には戻らない」と決めている。それでも、タブレットを通じて町の様子や知り合いの近況が知りたいという。
 あなたにとって町は? そう問うと、しばらく考えてから、
こう答えた。「生まれ育った景色、近所の人との関係、自分の日常、中心にあるもの。別の土地に移り住んだとしても、ずっと関わっていたい」
 復興は、町村を元の姿にもどすことではない。
 福島県立「ふたば未来学園高校」が4月に浪江や楢葉と同じ双葉郡の広野町に開校する。寮を完備し、県内外に避難する子供たちも通える学校になる。自宅生だけでは存立が難しくても、こういう形なら学びの場を新設できる。これも一つの復興の形だろう。
■早期帰還に焦りも
 一方、自治体側には早期帰還への焦りも生まれている。
 大熊町は、町内の復興拠点とする大川原地区での居住再開を2018年度中とする方針を固めた。これまで帰還のめどは必ずしも明確にしてこなかったが、具体的な時期を示さないと帰還をあきらめる人が増えるとの危機感からだ。
 別の町の幹部は「周辺で避難解除が進むと『うちだけ遅れている』と見られる」とこぼす。
 たとえ少なくても「戻りたい」住民のために行政が手を尽くすのは当然だ。除染はもちろん、インフラ整備や商業施設、雇用先の確保など、国の支援も含めて急ぐ必要がある。
 一方で、戻らないと決めても元の町とつながっていたいと考える人や、迷っている人もいる。帰還だけを優先させれば、そうした人たちへの支援がおろそかになりかねない。
 住民本位の復興は、柔軟でいい。住民が避難先で新生活を築きながら、故郷の町とも関わり続ける。そんな仕組みができないか。
■自治の形を柔軟に
 日本学術会議が昨年9月に発表した提言は、一つのヒントになるだろう。
 帰還か移住かの選択肢に加えて「避難継続」という第三の道を用意し、「二重の住民登録」制度の導入を検討するよう言及したのだ。
 早くから二重住民登録の必要性を提唱してきた福島大学の今井照教授によれば、国土のすべてがどこかの自治体に属し、市町村が土地の線引きによって人を管理するようになったのは明治以降だという。
 「もともとは人の集合体が村の原点。飢饉(ききん)などがあると土地を移動した」。土地に縛られない、つながり重視の発想だ。
 震災と原発事故があった福島には課題が山積している。第一原発は雨が降れば汚染水が流れ、壊れた核燃料の取り出しもこれからだ。避難元の町は、放射線量が高くて数十年戻れないところもある。復興は、世代にまたがる取り組みになる。
 この4年間、賠償や放射線問題を巡って住民の意見が割れることもあった。再生は容易ではない。それでも、政府や自治体は住民ニーズに目をこらし、柔軟に応じてほしい。事故が真に収束するまで、行政全体に課せられた責務である。




読売新聞 2015年03月11日 01時11分
社説:大震災4年 優先度を見極めて復興進めよ


 ◆住まいの再建へ支援が必要だ
 1万8000人を超える死者・行方不明者が出た東日本大震災の発生から4年を迎えた。
 犠牲者の冥福を改めて祈りたい。
 大津波は、岩手、宮城、福島3県の沿岸部を破壊した。多くの人々が生活の基盤を失った。
 現在も約8万人がプレハブの応急仮設住宅で暮らす。手狭なうえに、防音面などでプライバシーを保ちにくい。
 被災者の住環境の向上は、今なお最優先の課題である。
 今年から来年にかけ、住宅再建が本格化する。新たな生活拠点の創生は、地域再生へ向けた確かな一歩となろう。
 ◆コミュニティー再生を
 仙台空港の南に位置する宮城県岩沼市に、1000人が暮らせる街が生まれた。市が海から3キロの土地を2メートルほどかさ上げし、この1年で約180戸の復興住宅の建設を進めてきた。自ら家を建てる人のための宅地も造成された。
 水田だった土地に真新しい家が整然と並ぶ。公園も整備された。夏にはスーパーが開業する。仮設住宅暮らしを余儀なくされていた人たちの入居が始まっている。
 3県を合わせると、今月末までに1万戸近い復興住宅の完成が予定される。1年後には約2万戸にまで増える見通しだ。
 用地取得のため、各自治体の職員が人海戦術で地権者と交渉を重ねた。3県の自治体の4割余で、2015年度中の事業終了が見込まれる。この流れを減速させないことが大切だ。
 住宅整備の遅れが目立つ自治体も少なくない。平地の少ない三陸沿岸部などでは、事業終了までに3年以上かかる地域がある。
 丘陵を切り崩すなど、大規模な工事を要する例が多い。建設資材の高騰も、工事の進捗(しんちょく)を阻む。
 政府は、資材の逼迫(ひっぱく)に対応するため、岩手県内に生コンクリートの製造プラントを建設した。こうした取り組みを充実させ、住宅整備を後押しすることが重要だ。
 住まいの復興が進んだ後は、移転先でのコミュニティーの形成が大きな課題になる。
 阪神大震災では、仮設住宅から復興住宅に引っ越した高齢者の孤独死が相次いだ。この教訓を踏まえた対策が求められる。
 ◆自立をいかに助けるか
 体操などの交流イベントで住民同士のつながりを強める。自治体などの見守り活動で、高齢者の異変を察知する。仮設住宅で行われてきた取り組みを継続して、住民の孤立を防ぎたい。
 家賃負担が生じる復興住宅への転居には、二の足を踏む被災者もいる。仮設住宅に残る人たちへの目配りは当分の間、欠かせまい。経済的な自立をいかに助けるかは、今後の重いテーマである。
 3月1日には、東北の太平洋岸と首都圏を結ぶ常磐自動車道が、全線で開通した。物流の活発化が期待される。不通になっていた鉄道の復旧も進む。
 病院や学校の復旧率は、被災地全体で90%を超えている。
 インフラ整備など、ハード面の復興には一定のメドがついた分野が多い、との声が政府内にある。確かに、被災地の復興は、ソフト面に重点を移す段階に差し掛かっていると言えよう。
 病院の再開を控える沿岸部では、医師や看護師を十分に確保できるのかという不安は拭えない。不登校が増加する中、子供の心のケアも急がねばならない。
 ◆集中期間の終了見据え
 15年度は、政府が掲げる5年間の集中復興期間の最終年度だ。事業費は計26・3兆円に上る。
 宮城、岩手両県の18市町村の首長らは先月、竹下復興相に期間延長を要望した。ほとんどの自治体で、復興事業は16年度以降も続く。3県の試算では、さらに8兆円超が必要だという。
 安倍首相は記者会見で、新たな5年間の復興支援の枠組みを今夏に策定する方針を表明した。
 住宅再建など、被災者の生活基盤に関わる事業への国費投入は、引き続き必要である。
 ただ、26・3兆円は、所得税の特別増税などで、ようやく確保した財源だ。集中期間終了後に、全体として支援規模が縮小していくのは、やむを得ないだろう。
 復興を成し遂げるために何が必要か。それを精査し、優先度の高い事業に、重点的に財源を充てるなど、メリハリをつけた支援が、より重要になってくる。
 首相は「被災者に寄り添いながら、復興に全力を挙げていく」と語った。国民全体で被災地を支えることを再確認したい。



毎日新聞 2015年03月11日
<社説>東日本大震災4年 復興に関わり続けよう


 東日本大震災の発生からきょうで4年を迎えた。約23万人がなお避難生活を送り、そのうち8万1730人はプレハブ仮設住宅での暮らしが続く。家族らが犠牲となり、住居を失った多くの人たちにとって、時計の針は止まったままだ。
 集団移転や復興住宅の建設は時間との闘いが続く。住まいの整備を急ぐとともに、被災した人たちの生活を安定させ、暮らしを再建することがこれからは一層、大切な段階に入る。力を合わせ、岐路に立つ復興を支えたい。
 ◇生活再建の正念場に
 JR石巻駅からバスで1時間の沿岸にある宮城県石巻市桃浦(もものうら)地区。早春の午後、作業場でパートの主婦たちが手際よくカキの殻むきを進めていた。一見、他の漁村と変わらぬ光景だが、漁師が漁協に漁場使用料を払ってカキを取り、漁協に販売を委託する通常のシステムと大きく異なる。15人の地元漁師は震災後に設立した合同会社(代表社員・大山勝幸さん)の社員となり「サラリーマン漁師」として給与で収入を得ている。
 震災で桃浦地区はカキ養殖施設を失った。沿岸はがれきで埋もれ、漁師の大山さんらは漁業をあきらめかけた。だが、普通なら漁協が独占する漁業権を企業が取得して生産から販売まで行える復興特区制度ができると聞き、思い切って手を挙げた。
 漁業権取得への県漁協の反発を受けながら五里霧中の船出だったが、品質を評価した流通業界の反応は早かった。水揚げは今シーズンから本格化しており、大手外食チェーンと提携するなど販路を拡大している。「震災前からカキ養殖業は値崩れで疲弊していた。漁協を通さず流通できるから桃浦ブランドで勝負できる」と大山さんは手ごたえを語る。
 地域主導の取り組みはむろん、産業分野に限らない。高台や内陸部などに被災者が集団移転するいくつかの自治体では移住する人たちが行政と連携し、まちづくりを計画段階から何度も話し合い、合意形成を進めてきた。さまざまな試みが芽生え、育ち始めている。
 一方で、生活再建の土台となる住居建設が全体的に遅れている厳しい現実がある。高台などに集団移転するための住宅や、賃貸の復興住宅の完成率は来春時点でそれぞれ48%、65%にとどまる。用地買収が難航したり、資材や人件費の高騰で入札が難しくなったりしているためだ。
 中心市街地が津波で壊滅した岩手県陸前高田市や大槌町などいくつかの自治体の住まい再建はこれから本格化する。高台移転の予定が被災地全体で当初より7000戸も減ったのは、事業が長期化し、住宅再建をあきらめた人が多い実態を物語る。
 総額25兆円の財源を確保した国の5年間の集中復興期間は来春終了する。政府は国による費用の全額負担を見直し、住宅や堤防建設など本体と位置づける事業以外での地元負担を検討している。
 だが、25兆円のうち9兆円近くは事業の遅れなどから使われていない。しかも、少なからぬ財源は被災地以外で流用されていた。被災自治体が集中期間の延長を強く求めるのは、住宅や公共施設の整備以外にもまちづくりに必須な支援事業があり、新たな需要への対応を迫られる可能性もあるためだ。公共事業重視の復興予算のあり方を点検すると同時に、地元負担に慎重に対応することを政府に求めたい。
 ◇重み増す「共助」の役割
 復興で生活再建の比重が増すと、行政だけで対応しきれない課題もこれからは増えてくる。
 毎日新聞の調査では復興住宅に入居する住民の高齢化率は36%にのぼる。今後さらに進む高齢化に対応するため見守りの徹底や地域共同体の維持など、孤立化の防止が欠かせない。きめ細かく住民の相談に応じるなど、民間やNPOとも連携した「共助」が重みを増してくるだろう。
 安定した雇用の確保が生活安定のカギを握る。公共事業を中心とする復興需要はあと数年で必ず終わりが訪れる。付け焼き刃でない持続可能な地域づくりが問われている。
 第1次産業の再興、急速な高齢化と人口減少、地域共同体の維持など被災地が向き合う問題は決して特殊なものではない。むしろ、日本の社会全体が直面する課題の縮図だ。被災地で苦闘する人たちの姿は、明日の私たちの姿でもある。
 東京電力福島第1原発事故に伴い12万人がなお避難する福島の苦悩は、大都市圏の電力供給を地方に立地した原発が担ういびつな構図から生み出された。だとすれば、生活を再建していく責任を国民全体が分かち合わねばなるまい。
 桃浦の会社では最近、希望を感じさせる出来事があった。千葉県など首都圏に住む若者2人が事業に関心を持ち、入社したのだ。震災前には考えられなかった都会からの人材の参入である。
 復興の道は長く険しい。それでもかつて多くの人がボランティアとして現地で復旧作業に参加したように国民一人一人が被災地に関心を持ち続け、できる限りの協力を惜しまないことが自立への大きな力となるはずだ。4回目の「3・11」にあたり、その思いを共有したい。



日本経済新聞 2015/3/11付
社説:被災者自立へ細やかな復興支援を


 仙台空港に近い宮城県岩沼市の玉浦西地区。広がる約20ヘクタールの土地に真新しい住宅が並ぶ。津波で被災した沿岸部の6集落の住民が集団で移転する宅地だ。すでに入居が始まっており、最終的には1千人が暮らす街になる。
 東日本大震災から4年がたち、岩手、宮城、福島の被災3県の各地で街づくりが本格化している。ただ、岩沼のように完成のめどがたったところは多くない。
■公営住宅まだ3割強
 被災者が集団移転する宅地のうち、3月末までに工事を終えるのは計画の2割にとどまる。災害公営住宅も予定の3割強しか完成しない。仮設住宅などで暮らす人々は今も約23万人。建設資材や人手の確保はなお欠かせない。
 住宅の再建が本格化する時期は被災者のケアも大切になる。仮設住宅で生まれたコミュニティーが再び壊れるからだ。高齢者らが心身の健康を保てるよう、専門家らがしっかりと見守り続けなければならない。
 住宅をめぐっては、自治体の多くが被災者の意向確認に手間取ってもいる。岩手県大槌町では集団移転のために用意した区画の3割以上が空きかねない。自力で住宅を建てようという人が年々減っているためだ。
 被災者の悩みは住宅問題に限らない。健康の相談から仕事のあっせんまで、一人ひとりに寄り添う取り組みが今こそ求められる。
 産業の再生は道半ばといっていい。政府の補助金を受けて立地する企業はおよそ900社に達し、被災3県の生産水準は震災前に戻りつつある半面、業種ごとの違いが目立ってきた。
 水産業や食品加工業などでは生産や売り上げがなかなか回復しない。販売の支援や風評被害の払拭に、政府はさらに力を入れるべきだ。こうした産業では人手の確保も課題となっている。
 東京電力・福島第1原子力発電所の事故の影響は今も深刻だ。
 福島県では昨年4月に田村市、同10月に川内村の一部で避難指示が解かれ住民が戻れるようになった。県東部の大動脈である国道6号線や常磐自動車道の開通で南北の分断が解消された。だが、これらは「線」の復旧にすぎない。
 原発に近い11市町村では今も約8万人が避難生活を余儀なくされている。国による除染が始まったばかりの地域も多い。
 まず原発事故を完全に収束させねばならない。汚染水対策では決め手を欠いているうえに、情報公開に前向きでない東京電力の姿勢が改めて問題になっている。
 除染はメリハリをつけて加速するときだ。政府は住宅地の除染を優先する計画を立て、川俣町や葛尾村ではほぼ完了した。これを農地などにも広げ、住民が帰還したときの被曝(ひばく)をいかに抑えるかが今後の問題になる。国と自治体が協力して、除染計画をつくり直してもらいたい。
 住民が戻れるようになっても生活の再建には時間がかかる。帰還した住民が将来の夢を描けるよう街や地域産業の未来図が要る。
 事故直後の放射線量が高く「5年以上は帰還が困難」とされた地域を今後どうするか。大熊町、双葉町、浪江町の多くの地域が指定され、除染も手つかずになっている。避けて通れない問題であり、正面から向き合うときだろう。
■福島復旧を線から面へ
 事故から4年たち、帰還困難区域でも地域によって放射線量にはばらつきがある。一律に帰還困難とするのではなく、線量に応じて区域の見直しを検討すべきだ。福島の復旧を「面」へと広げたい。
 震災から5年間の「集中復興期間」は2015年度で終わる。復興増税などであらかじめ手当てした資金はもうなくなる。今後も計画的に復興を進めるには新たな財源の確保が求められる。
 まず、これまでの取り組みを検証し、これから必要な事業を精査する必要がある。復興に名を借りた無駄な事業が忍び込まないよう、今後の事業はすべて被災地向けに限定すべきだろう。
 従来は国が実質的に事業費の全額を負担してきた。住宅再建が終わって復興が新たな段階に入る地域では、地元の自治体に一部負担を求めることもあり得よう。被災自治体の財政事情も勘案し、慎重に判断してもらいたい。
 これから被災地ごとの復興の状況にはますます差が出てくるだろう。被災者が抱える事情や取り巻く環境は様々だ。被災者一人ひとりが苦難を乗り越え、自立した生活を取り戻せるように、これまで以上に国や自治体のきめ細かな支援策が要る。



産経新聞 2015.3.11 05:03
【主張】:大震災4年 鎮魂と我が命守るために 被災の記憶を心に刻もう


 4年前の3月11日、東北を中心とする東日本は激しく揺れ、広く太平洋岸を襲った大津波は多くの人をのんだ。東日本大震災による死者・行方不明者は1万8千人を超える。肉親や友人、知人を亡くしたその何倍もの人々が、今も悲しみ、苦しんでいる。
 改めてこの日を鎮魂の日と心に刻み、犠牲者の冥福を祈りたい。歳月が気持ちを癒やすとはかぎらない。より孤独感、孤立感を強めている被災者もいる。被災地は忘れられている。そう思えてならないのだと多くの被災者が話す。
 彼らのためにも、自分のためにも、あの日を忘れてはならない。「3・11」は、記憶を喚起するための日でもある。
 《「韋駄天競走」を全国に》
 震災の直後に足を踏み入れ、津波被害のあまりの悲惨、広大さに足がすくんだ岩手県陸前高田市では、大規模なかさ上げ工事が行われている。頭上には山から市街地に土を運ぶ巨大なベルトコンベヤーが何本も走る。
 何台もの工事車両を動物に見立て、地元の女性は「動いているのは、キリンさんだけだ」と自嘲気味に話した。
道路沿いでは、4階までのバルコニーや窓がすべて津波に破壊された集合住宅が無残な姿をさらしている。4年の歳月を経て、これが被災地の現実か。復興の歩みは遅いと実感せざるを得ない。
 同県釜石市の高台にある仙寿院には震災当時、700人以上の住民が本堂や境内に避難した。そのまま151日間の長きにわたって避難所として運営された。
 多くの遺体や遺骨を預かり、祈りを捧(ささ)げる日々も続いた。住職の芝崎恵應さんは震災の3カ月後に体調を崩し、心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。3年半後も倒れて意識を失った。やはり診断はPTSDだった。
 被災者のストレスを受け止め続けた結果だろう。それほど過酷な日々だった。
 身元が分からず、引き取り手のない遺骨に手を合わす毎朝の祈りは、今も続いている。その度、「時は止まったままだ」と感じるのだという。同時に「時を進めなくてはならない」とも話す。
 2月1日、節分行事に合わせ、市街地から高低差30メートルの仙寿院を目指して老若の男女59人が急坂を駆け上がった。男女など分野別の優勝者には西宮神社ゆかりの「えびす像」が贈られ、参加者全員で海に向かって黙祷(もくとう)した。
 俊足で知られるバラモン教の神の名を冠した「韋駄天(いだてん)競走」は今年が2回目の実施だった。「揺れたら高台に逃げる」ことを忘れず、後世に伝えるために始めたものだ。時を前に進めるために考えられた行事でもある。
 地震が来たら各自で逃げろという「津波てんでんこ」の教えが徹底された釜石では、震災時に小中学校に登校していた約3千人の児童生徒全員が生存した。「釜石の奇跡」として広く国内外に報じられ、語り継ぐべき事実として、本紙でも何度も紹介した。
 だが今、釜石では「奇跡」とは呼ばない。市内で千人以上の犠牲者が出ており、学校職員も亡くなっていることがその理由の一つ。もう一つは「奇跡とは、たまたま起きたことで、これが当たり前のことでなくてはならないのです」と芝崎さんは話した。
 《釜石の奇跡とは呼ぶな》
 揺れたら高台に逃げる。意識の徹底のための韋駄天競走は県内に広まりつつあり、全国からの問い合わせも増えているという。
 東海、東南海、南海地震の予測もあるなか、地震国日本の沿岸部全域に住む人が自らの命を守るため、心に刻むべき記憶である。それを被災地が発信している。
 本来、被災者はつらい記憶を忘れようにも忘れられない。震災時のできごとや被災地への思いを忘れぬよう努力するのは、被災を免れた人々の側であろう。
 今もなお、約22万9千人が避難生活を送っている。約8万人が暮らす仮設住宅の東北の冬は寒い。災害公営住宅への入居や自宅再建も順調に進んでいるとはいえない。原発事故の影響を受けた福島県では復興の緒にすらつけない地域がある。被災地で震災は、今も進行形の惨事である。
 復興や防災に政府や自治体が全力を挙げるのは当然のこと、国民一人一人が何をできるか、常に考える必要がある。震災の記憶を風化させるわけにはいかない。



東京新聞 2015年3月11日
【社説】東日本大震災4年 原発のまちに未来図を


 あの日から四年。福島の傷はまだ癒やされない。だからこそ、原発に依存しない地域の未来図を、描き始めてもいいころだ。私たちも、原発のある町も。
 四年前のきょう、元福井県美浜町議の松下照幸さん(66)は、東日本大震災の映像を見て「福島原発が大変なことになるぞ」と直感したという。
 原発銀座と呼ばれる福井県若狭地方で、反原発を唱え続ける少数派。「原発は地震に弱いと常々思っていたが、想像を絶する事故が起きた」と振り返る。
◆ふるさとはどうなるの
 「地震にやられたら、おしまいや」という近所の声を、松下さんもしばしば聞いている。
 「いつかあること」。原発のある町で暮らす人なら、そんな不安にとらわれることがあるはずだ。予感は現実になったのだ。
 福島原発の被災者は、放射能でふるさとさえも失った。あまりに過酷な現実の渦中にある。再び原発と共存できるとは思うまい。 
 他の原発立地地域にも、もはや原発の安全神話を信じる人はいないだろう。
 だが、原発がなくなれば、仕事は、暮らしはどうなるの。
 過疎化する町は、老後は、どうなってしまうのか。
 「原発がある不安」と「原発がなくなる不安」のはざまで、住民は今も揺れ続けている。
 松下さんは、かつては原発推進派に身を置いた。しかし、一九八六年のチェルノブイリ原発事故を境に、考えを改めた。
 そして三年前の九月、欧州視察の成果を踏まえ、美浜町長に宛てた脱原発の提言書をしたためた。その中で次のように書いている。
 <都市部の多くの人たちは、『危険な原発は止めればよい』という思いなのでしょうが、私にはそうはいきません。原子力発電所で働いている人たちの生活があります。自治体の財政問題もあります。それらを解決しようとせずにただ『止めればよい』と言うのであれば、私は都市部の人たちに反旗を翻さざるを得ません>
 立地地域の暮らしの不安を解消できないうちは、大手を振って脱原発とは言い難い。
 電力事業者は、原発再稼働の勢いに乗り、老朽化した小型原発を廃炉にし、大型に建て替える計画を進めている。
 ところが、3・11以降、世界的にも原発の安全基準が厳格化され、建て替えの費用もかさむ。原発大国フランスさえ、新設に二の足を踏むような状況だ。
◆キーワードは地消地産
 少なくとも先進国では、原発は割に合わないという認識が進んでいる。四十年という原子炉の法定寿命が守られる限り、近い将来、国内の原発はゼロになる。
 原発に代わる産業、雇用、財源をどうするか。
 たとえ今ある原発の再稼働がスムーズに進んでも、立地自治体が早晩直面する課題である。
 廃炉や核のごみの中間貯蔵を受け入れて、一時的に雇用を生み出すことはできるだろう。しかしそれでは、放射能の不安から逃れることはできないし、大企業の下請け的体質から抜け出せない。
 松下さんは、脱原発依存のキーワードとして、「地産地消」ではなく、「地消地産」を提唱する。地域で消費するものを地域で自給することから始めよう、という考え方だ。
 人口約一万人の美浜町全体の光熱費は、年間五十億円に上るという試算がある。そのエネルギーは町外から買っている。
 新築の住宅は、大手のハウスメーカーなどが建てている。町内に豊富な森林資源が活用できていない。
 たとえば、木材のかけらや廃棄物(バイオマス)を燃やして沸かしたお湯を送り込む事業を起こす。ドイツでは総発電量の7%をバイオマスで賄っている。
 百世帯に一社の割合で、そのような熱供給の会社ができれば、エネルギーとお金が地域で回る。送電網の必要な発電事業とは違い、給湯の配管網なら地元で無理なくインフラも整えられる。
 過疎地にある原発で大量につくった電気を、はるかな都会に送り込むのとは、正反対の考え方だ。
 近々、同じ若狭のおおい町で、木材チップと太陽熱のハイブリッド(併用)による熱供給のモデルづくりに着手する計画という。
◆真の地方創生モデル
 大切なのは、小さな成功例を積み上げて、地域が自信を持つことだ。大都市本位で原発を推進してきた国は、結果として立地地域の自立の芽を摘んできた。その反省を踏まえ、「地消地産」の活動に支援を惜しむべきではない。
 大企業の恩恵に頼らない、地域にあるものを生かした地域のための産業おこし、これこそ本物の「地方創生」なのである。



東京新聞 2015年3月10日
【社説】東日本大震災4年 「命山」で命を守る


 津波から命を守る「命山(いのちやま)」を築こうという動きが広まってきた。東日本大震災を機に見直された先人たちの知恵である。その動きを、もっと広めたい。
 静岡県袋井市湊(みなと)に古墳のような人工の丘「湊命山」が完成したのは二〇一三年十二月である。高さ七・二メートル。公園として市民に開放されている頂上からは、周囲に広がる集落や田園風景を、空気の澄んでいる日には富士山も見渡すことができる。
 遠州灘に面する袋井市は、南海トラフ地震で最大一〇メートルの津波が想定されている。海岸から一キロほどの湊地区一帯は、海抜二~三メートルしかない。それでも、津波の危険が迫れば、その頂上部に千三百人が避難できるようになった。
 命山の造営は、東日本大震災の後、津波への危機感を強めた地元自治会連合会が市に要望し、実現した。発想の原点は、この地に残る江戸時代の命山だった。
 延宝八年、つまり一六八〇年の台風は、この一帯に大きな被害をもたらした。高波、高潮で六千軒余の家屋が流され、三百人余が命を落とした、と伝えられる。
 生き残った村人たちは、悲劇を繰り返さぬよう集落の中に築山(つきやま)を造った。その後、幾度も高潮や洪水が来襲したが、そのたびに多くの住民が築山に避難して命を守ることができた。その築山は、いつしか「命山」と呼ばれるようになった、という。
◆よみがえる先人の知恵
 三百年以上たった今も高さ五メートルの中新田命山、三・五メートルの大野命山(ともに静岡県指定文化財)が残り、先人たちの知恵を伝えていた。東日本大震災は、その知恵に再び光を当てたのである。
 命山は、津波に有効か。
 東日本大震災で津波に襲われた岩手県山田町では、町中心部の御蔵山に三十人余の住民が避難して助かっている。
 御蔵山は、慶長三陸地震(一六一一年)を教訓に、山を削って高台を造り、津波から年貢米を守る米蔵を建てた場所。四百年の時を経て人々の命を救ったのである。
 仙台市・荒浜の海岸公園も、取り囲む広大な防災林ごとすべて津波に押し流された。その中で、冒険広場と呼ばれる高台だけが浸水を免れた。登った公園スタッフ二人、近くの一家三人と犬、猫各一匹は、その日のうちにヘリコプターで救助されている。
 高さ十三メートルの冒険広場は、実は、覆土して整備された昭和期のごみ捨て場だった。
 津波から身を守る鉄則は、迷わず安定した高い場所へ、である。
 津波が来ることのない場所で暮らす、つまり高台移転が一番確実だろうが、そうできないところもある。辺りが平たんでは難しい。とすれば、いつでも逃げ込める高い場所が欠かせない。
 巨大な防潮堤を築く、つまり自然の猛威を力ずくで抑え込もうという考え方もある。数百年に一度ともいう巨大地震を想定すれば、長大なコンクリートの壁となる。海との共存、海岸線の環境や景観は損なわれてしまう。
 それを思えば、先人の知恵、命山は理にかない、しかも、人にも環境にも優しい。
 同じ狙いの津波避難タワーは、維持費がかさむ上、鉄の劣化などで耐用年数は五十年ほど。命山は広い敷地が必要だが、何百年も風雪に耐えることは歴史が示す通り。収容人数はタワーより多く、平時は住民の憩いの場に利用できる。車いすなどもスロープで上がりやすい。
 実際、命山を造る動きは各地で起きている。浜松市など静岡県の各地で、愛知県の田原市や蟹江町で、三重県の津市で…。仙台の海岸公園も命山を四つに増やして再興を目指す。
◆人にも環境にも優しく
 その動きを、もっともっと広めたい。無論、用地確保や盛り土の確保は容易ではないだろう。ならば、知恵を出し合わねば。
 例えば、リニア中央新幹線のトンネル工事で今後、膨大な建設残土が発生する。運搬に支障がなければ、その土を命山に生かすことはできないか。実際、東京の夢の島は、ごみだけでなく地下鉄工事の土で丘のように築かれている。
 新たな命山は、やがて緑に覆われて日本の風土に溶け込み、人々に憩いと安心を提供するはずだ。
 大津波は日本への大きな試練だった。何百年後の人々の命も守れるよう、私たちは、大きな構えで乗り越えていかねばなるまい。



東京新聞 2015年3月9日
【社説】東日本大震災4年 福島の苦しみ正面から


 原発事故という未曽有の災禍によって日常を壊された福島の人に十分な賠償や支援がされてきたとは言い難い。福島の苦悩を忘れてしまってはいないか。
 原発事故収束のメドすら立たない福島県では、いまだ十二万人が県内外での避難生活を余儀なくされている。五年で二六・三兆円の復興予算の多くは道路や港湾などのインフラ整備が中心だ。目に見える部分の復興は進んでも、肝心な人々の生活の復興・再建は大幅に遅れている。
◆賠償責任果たす義務
 古里に帰れず、先の暮らしを見通せない人々の苦悩は、時の経過とともに逆に深まっている。
 新たな土地で生活の基盤を築くにはきちんとした賠償が必要となる。しかし、東京電力はこの間、賠償に誠実だったとは言えない。国の指導もしかりだ。
 町の大半が帰還困難区域に指定された浪江町では二〇一三年春、町民一万五千人が月十万円の精神的慰謝料の増額を求める集団申し立てを原発ADR(裁判外紛争解決手続き)で行い、一律五万円増の和解案が示された。だが和解案には強制力がなく、東電は受け入れを拒み続けている。
 申立人には高齢者も多く、すでに大勢の人が亡くなっている。
 原発ADRは被災者に裁判という重い負担を負わせず、早期に賠償問題を解決するために導入されたものだ。その趣旨に照らして出された和解案だ。東電はこれ以上解決を遅らせてはならないし、国はADRの仲介に強制力を持たせる仕組みを作るべきだ。
 ADRだけでは金銭賠償の解決が期待できないと、裁判所に訴える動きも相次ぐようになった。
 「生業(なりわい)訴訟」と呼ばれる集団訴訟がそのひとつ。「故郷を返せ!生活を返せ!」と、北海道から福岡まで十七地裁・支部で精神的慰謝料の支払いが訴えられている。
◆広がる生業訴訟
 「かながわ訴訟」の原告は、南相馬市小高区から横浜に避難した村田弘団長(72)ら百七十四人。七割は国が避難指示区域に指定した地域の人だが、三割は福島市や郡山市など避難指示区域外からの、いわゆる「自主避難者」だ。
 国の線引きによらず、自らの判断で避難を決めたこの人たちには、たとえ被害の実態が同じでも避難指示区域の人に支払われる精神的慰謝料はない。避難生活費は自己負担、夫は福島に残り妻子が避難する二重生活者が多い。
 賠償も慰謝料もなく、経済的に追い詰められる人々を「自らの選択だ」といって放置していいのか。村田さんらは自主避難者も含めた一律賠償を求めている。
 「原発事故の時、どこに住んでいたかで国は賠償に差をつけた。でも日常生活や地域のつながりを突然奪われた痛みはみな同じ。被災者を分断してはならない」
 国が定めた五年の集中復興期間の終了に歩調を合わせるように、東電は商工業者に対して支払う営業損害賠償も来年二月に打ち切る方針を示した。だが、避難指示区域にある事業者のうち、業務再開できたのは約半分。事故前の水準に戻ったのは皆無だ。原発禍からの回復の困難さは想像を絶する。
 国や東電は一刻も早く賠償を終わらせ、復興の実績を作りたいようだが、一定の時間がたったというだけで賠償を打ち切るのは、現実を見ていない。被災者の切り捨てというほかない。
 復興庁が発表した住民意向調査では、大熊、双葉、富岡、浪江の原発周辺四町で、避難指示解除後に「地元に戻りたい」と考えている人は一~二割にとどまった。飯舘村でも三割だ。
 古里に帰りたいと願う高齢者の思いは尊重すべきでも、除染に限界があることもわかった。放射線量はどこまで下がるのか。仕事はあるのか。人口減少した町で経済、医療、教育は成り立つのか。不安な場に戻ることは、子育て世代には考えられなくなってもいる。「帰還ありき」の復興計画にこだわるには無理がある。
 今立ち返るべきなのは、大震災の一年後に全国会議員の賛成で成立した「子ども・被災者支援法」の理念だ。
◆「避難する権利」こそ
 チェルノブイリ法をお手本にした同法は「避難する権利」を認めていた。地元を離れて移住した人にも、個別のニーズに沿って、生活や医療、教育、就労などの支援を行うことを求めていた。
 仕事がなくて働く意欲を失ったり、妻子との別居で夫婦の不仲や離婚に直面する人も多い。子どもの心も傷ついている。
 苦境を乗り越え、みんなが安心して暮らせるようになった日が福島の復興の日だ。一人一人の生活再建を息長く見守る覚悟がいる。私たちはそのことを忘れてはならないはずだ。

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