2015-05-04(Mon)

戦後70年 憲法記念日 (2) 平和主義の原点 今こそ

平和国家の歩みを続けよう 平和や自由が揺らいでないか 変わる自衛隊 9条の防波堤が崩れる

<各紙社説>
河北新報)揺らぐ最高法規/今こそ憲法に向き合いたい(5/3)
福島民報)【被災地支援】憲法の精神かみしめよ(5/3)
信濃毎日新聞)危機の憲法 変わる自衛隊 9条の防波堤が崩れる(5/3)
信濃毎日新聞)危機の憲法 首相の手法 空洞化させるあざとさ(5/2)
福井新聞)戦後70年の憲法記念日 無関心な姿勢を改めたい(5/3)
京都新聞)憲法記念日に  平和国家の歩みを続けよう(5/3)
神戸新聞)憲法記念日に/平和や自由が揺らいでないか(5/3)
山陰中央新報)憲法記念日/根幹の議論が残っている(5/3)
山陽新聞)憲法記念日 「地方のかたち」にも目を(5/3)
中国新聞)憲法審査会 改正の是非 徹底議論を(5/3
中国新聞)あす憲法記念日 平和主義の原点 今こそ(5/2)




以下引用



河北新報 2015年05月03日日曜日
社説:揺らぐ最高法規/今こそ憲法に向き合いたい


 国の最高法規、憲法が揺らいでいる。改正のための国民投票法改正で大半の与野党が合意し早晩、改憲に向けた制度面の環境が整う見通しだ。
 揺らいでいるという意味は、それだけではない。実質的な「改憲」が進んでいる実態にこそある。改憲の動き自体、憲法を重くみる故の対応にもかかわらず、憲法を軽視する流れが強まっているような危うさを感じる。
 戦後70年。今こそ、普段あまり意識することのない憲法に向き合う時と受け止めたい。
 改正は2016年の参院選後にも予想される。もっとも、肝心の各党の立ち位置はまちまち。発議に必要な衆参両院での「3分の2以上」の議席の確保が前提であり、問うべき項目の調整も見通せず、改憲は容易ではあるまい。
 主権者として、その推移に無関心ではいられないが、現実は憲法と社会の関わりを問うてみるよう求めている。改正の是非を論議する前に、政治が憲法の理念を踏まえた政策を実行し、暮らしの支えとしているかということだ。
 例えば、「国民の知る権利」との関係が曖昧な特定秘密保護法の制定、「平和憲法」を逸脱したかのような解釈見直しによる集団的自衛権行使容認の閣議決定。憲法の規定に合致しているだろうか。
 政権与党によるメディアけん制の動きが目立ち、民主主義を守り育む報道や表現の自由が揺らいでもいる。
 例えば、沖縄県にある米軍普天間飛行場の移設問題。名護市辺野古への受け入れを、民意が4度も拒否しているにもかかわらず、政府は「唯一の解決策」と譲らない。
 主権回復が大きく遅れ、大戦のつけを一人負わされる形で、過剰な基地負担に苦しむ沖縄の意思を軽んじ続けるならば、戦後民主主義の空洞化と言わずして何と言おう。
 例えば、生存権に深く関わる生活保護など弱者への目配りを後退させる政治の現状。厳しい財政事情が背景にあるにしても「自己責任」の風を吹かせ過ぎてはいまいか。
 現憲法の三原則、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」の理念を、ないがしろにする動きが強まっている印象を拭えない。
 権利ばかりで義務の視点が弱い、と現憲法を問題視する自民党の改憲草案は「国防軍の保持」をうたい、「公益」「公の秩序」といった国家優先的な文言を躍らせる。
 そもそも憲法は国民ではなく、暴走しがちな国家権力を縛るもの。世界で受け入れられている立憲主義の根幹だ。
 国民が憲法に不都合を感じ、改正を強く望んでいるのであれば、応えるのは当然だ。ただ、世論誘導的な振る舞いは本末転倒というほかない。現実との乖離(かいり)があるのなら、詰める手だてを尽くすのが先決で、掲げた「理想」を放棄する前に、まずは憲法を生かすことに心を砕くべきだ。
 押しつけ憲法との指摘もあるが、受け入れたのは国民であり、戦後の平和と繁栄の支柱となった事実も重い。
 現憲法は戦争への反省を踏まえた「国際公約」としての性格も帯び、改憲には広範な説明責任を伴う。そのことも忘れてはならない。



福島民報 2015/05/02 09:06
論説:【被災地支援】憲法の精神かみしめよ(5月2日)


 東日本大震災と東京電力福島第一原発事故から5年目に入った。県内には明るい兆しが見え始めているものの、なお課題は多く、県民は厳しい闘いを強いられている。あす3日は「憲法記念日」だ。施行から68年となる。国には基本的人権を尊重する憲法の精神をあらためてかみしめ、被災者を思い、被災地の目線に立った支援策を講じるよう求めたい。
 原発事故に伴う避難生活の長期化などで体調を崩し、亡くなる震災(原発事故)関連死は今も後を絶たない。5月1日現在の県内の原発事故関連死は1894人を数え、地震や津波で犠牲になった直接死の1604人を上回っている。昨年5月1日の段階では関連死が1699人、直接死は1603人だった。直接死は行方不明者1人が遺体で見つかったため人数が変動した。関連死は1年で200人近く増えた。
 関連死の大幅増は極めて深刻な問題だ。老朽化が進む仮設住宅の劣悪な居住環境、家族や地域のつながりを断ち切られた寂しさ、なかなか見通せない帰還…。さまざまな不条理が避難している人たちの心と体を傷付けている。避難している県民を対象にした県の平成26年度意向調査によると、心身の不調を訴える家族がいる世帯は66・3%で、全体の3分の2に上っている。
 現在も11万人以上の県民が県内外に避難し、仮設住宅には2月末時点で2万3794人が暮らしている。これらの住民に対する心身のケアと居住環境改善などの対応が不十分だと、関連死はさらに増える恐れがある。国の責任は重大だ。
 憲法は一三条で「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とし、二五条では「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」と定めている。多くが心身の不調を抱える避難者の生活は、憲法が保障する幸福追求権、生存権を享受しているとは言い難い状況にある。
 国は27年度までの集中復興期間終了後も、被災者の心のケアに関する費用は全額国費負担を継続する見通しだ。当然だ。復興には被災者の心と生活上の諸問題への対応が欠かせない。国家の財政事情を理由に、関わり方や支援の在り方を変えていいはずがない。憲法の精神を忘れることなく、今後も国の責任で誠実に被災地に向き合い続けるべきだ。(佐藤 研一)



信濃毎日新聞 2015年05月03日(日)
社説:危機の憲法 変わる自衛隊 9条の防波堤が崩れる


 「自衛隊を今後とも軍隊と呼称することはない」。佐藤栄作首相が国会で表明したのは1967年だ。
 それから半世紀近くたつ。過去の答弁など関係ないということか。安倍晋三首相は3月、国会で自衛隊を「わが軍」と呼んだ。
 菅義偉官房長官は「自国防衛を主な任務とする組織を軍隊と呼ぶのであれば、自衛隊も軍隊だ」などと擁護している。
 政府は、「国際法上、一般的には軍隊として取り扱われるものと考える」との答弁書も閣議決定した。開き直りのような対応だ。
   <軍隊との違いは>
 警察予備隊、保安隊を経て自衛隊が発足したのは、敗戦から9年後の54年だ。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」とする憲法9条との関係は、保安隊のころから論点になっていた。
 現憲法の下、なぜ自衛隊を保持できるのか。
 「自衛のための必要最小限度の実力組織」であり、9条のいう戦力には当たらない―。政府は、そう主張してきた。
 元内閣法制局長官の阪田雅裕さんによると、政府の9条解釈は長らく2点を根幹としてきた。
 (1)必要最小限度の実力組織である自衛隊は9条に違反しない(2)日本への武力攻撃を排除するために個別的自衛権を行使する場合を除き、武力行使は許されない
 国会で積み重ねた解釈は9条と自衛隊を結ぶ糸だった。それを安倍政権は集団的自衛権の行使を容認する解釈変更で断ち切った。
 自衛隊は専守防衛に徹する。それが多くの国民の合意であり、9条がその盾にもなってきた。
 自衛隊を変質させつつある中での「わが軍」発言である。
   <政府の判断次第で>
 歴代の政府は9条の解釈に基づき、自衛隊の海外での武力行使を禁じてきた。さらに、他国と一緒に戦闘していると取られる活動も認めていない。「他国の武力行使との一体化」という考え方だ。
 新たな安全保障法制は、9条の縛りを次々に外す。
 集団的自衛権を行使するための法律が整えば、海外で武力行使できるようになる。安倍首相は、中東のホルムズ海峡で停戦前の機雷掃海も行えるとの考えを示す。機雷掃海は、改定した日米防衛協力指針(ガイドライン)で日米協力の具体例にも挙げた。
 「一体化」を避けるため、海外での活動を「非戦闘地域」などに限定してきた考え方も捨てる。政府は、戦闘が起こり得る場所でも現に行われていなければ支援できるよう解釈を変えた。弾薬の提供も解禁する方向だ。
 後方支援はただでさえ、戦闘行為と明確に切り離せるのか疑問がある。弾薬も運べるとなれば、境界線はなお曖昧になる。敵対する相手は、戦闘の一部を担う部隊として攻撃対象と見なすだろう。
 「海外派兵は一般に許されないという従来の原則は一切、変わりない」「かつての湾岸戦争やイラク戦争での戦闘に参加するようなことは決してない」。首相の発言を額面通りには受け取れない。
 憲法の縛りがなくなれば、やるやらないは政府次第だ。理屈さえ付けば、自衛隊を海外に派遣できる。武力行使にも踏み切れる。今はやる気がないとしても、そのまま続くとは限らない。国際情勢の変化などを理由に方針はいくらでも変えられる。
 政府は「日米同盟」の強化を表明している。安保法制が整い、米国から自衛隊の派遣を求められたとき、拒めるとは思えない。できるのに「やらない」では、米国を失望させる。かえって日米関係にマイナスになる。
   <必要最小限度か>
 地球規模での協力をうたった新ガイドラインによって自衛隊と米軍の一体化が進む。任務の一部を肩代わりするために人員や装備の増強が必要になり、コストも膨らむだろう。
 人道復興支援など非軍事分野の貢献によって得てきた国際社会からの評価を損なうことにもなりかねない。
 政府は、国連平和維持活動(PKO)など紛争後の自衛隊の任務も広げようとしている。欧州連合(EU)による停戦監視といった国連が統括しない活動に随時、参加できるようにする考えだ。武器使用を前提に治安維持も担えるようにする。
 自衛隊の海外展開では、見過ごせない動きがある。政府が第2次大戦後、初めて海外に「基地」を設けたことだ。ソマリア沖の海賊対策で隣国ジブチに構えた拠点の維持、活用を考えている。
 海外で当たり前に活動する自衛隊は、「自衛のための必要最小限度の実力組織」と言い難い。「外征」できる軍隊そのものではないか。あらためて憲法との整合性を問う必要がある。9条を空文化する安保法制を政府の思うままに整えさせるわけにはいかない。



信濃毎日新聞 2015年05月02日(土)
社説:危機の憲法 首相の手法 空洞化させるあざとさ


 安倍晋三政権によって、憲法の原則の一つである戦後日本の「平和主義」が、骨抜きにされつつある。
 首相は第2次政権発足後、わずか2年余りの間に、国家安全保障会議(NSC)の創設、特定秘密保護法の制定、武器禁輸政策の転換などを強引に進めてきた。
 そして、集団的自衛権の行使を含む安全保障法制の整備をこの夏までに終えようとしている。日本が世界の紛争や戦争に加担する恐れが一気に強まる。
<目に余る国民軽視>
 まず、問題なのは首相の政治手法だ。憲法との整合性に関する論議は脇に置き、国民の懸念や批判は意に介しない。
 安保関連法案が国会に提出されていないのに、首相は先日の米連邦議会での演説で「この夏までに必ず実現する」と、一方的に国際公約にしてしまった。
 このようなやり方は今回が初めてではない。集団的自衛権の行使容認を閣議決定する前の昨年春にも同じことがあった。
 行使容認について国民に詳しく説明していない段階である。日米首脳会談ではオバマ米大統領から支持を取り付けたと表明。続く欧州歴訪でも北大西洋条約機構(NATO)の理事会で演説し、理解が得られたと語った。
 既定路線であるかのように海外で語り、既成事実化を進める。新たな安保法制も国会審議が始まれば、数の力で押し切るかもしれない。首相自身が重視する政治テーマは国民からすべて信任されていると言わんばかりの姿勢だ。国会と国民をあまりにないがしろにしていないか。
 さらに問題なのは、憲法解釈を変えたり、下位の法律を駆使したりして憲法を空洞化させていることだ。事実上の改憲が始まっていることを意味する。
 集団的自衛権の行使容認では憲法に照らして歴代政権が禁じてきたのに、都合よく変えた。秘密法は憲法が保障する国民の「知る権利」を狭める。新たな安保法制は9条を形骸化させる恐れが拭えない。平和主義、基本的人権の尊重、国民主権。憲法の基本原則が掘り崩される懸念が募る。
 その原動力の一つとなっているのが安倍首相の国家観や政治信条である。「強い日本を取り戻す」「美しい日本」「誇りある国」などと国家を強調し、国民の感情に訴える言葉も多用する。
<国家重視が鮮明に>
 首相の目的ははっきりしている。「戦後レジーム(体制)からの脱却」だ。首相にとって戦後体制の象徴が現憲法である。「現行憲法は占領時代につくられた仕組みだ。真の独立を取り戻すため、私たち自身で基本的な枠組みを作り直す必要がある」。2年前の国会答弁でこう語っている。
 日本は「真の独立」を果たしておらず、自主憲法を制定してこそ独立が達成できる、との認識を持っているようだ。とりわけ、軍隊を持たないとした9条は邪魔と考えているのではないか。
 安倍政権は実質改憲を進める一方で、明文改憲への環境整備も着々と進めている。自民党は今のところ、来年夏の参院選に勝利し、17年の通常国会で憲法改定を発議して国民投票を行うスケジュールを描いているとされる。
 自民の憲法改正推進本部は3年前に改憲草案を決定した。今後、項目の絞り込みを本格化させる構えを見せている。
 草案の中でも、9条への国防軍創設の明記や、有事の際に首相の権限を強化し国民の権利を制限することができる緊急事態条項の新設などを、改憲の重要項目に位置付けている。
 中でも見過ごせないのは、基本的人権は「現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利」と規定した97条を草案が削除したことだ。基本的人権は人類の長年にわたる自由獲得の努力の成果であり、世界史にかんがみて普遍的なものだとする内容だ。現行憲法の柱の一つといえる。
 97条の削除は安倍政権が目指す改憲の本質を示しているのではないか。国民より国家のため、との思惑が透けて見える。草案通りの改憲が行われれば、国による統制色が濃くなる。国家が上で、国民が下。関係の逆転が起きる恐れが否定できない。
 戦後70年、辛うじて守ってきた平和国家の歩みを捨てる理由があるのだろうか。個人の権利や自由が脅かされるかもしれないのに黙っていてもいいのだろうか。
<掘り崩しを拒む>
 私たちの社会や暮らしのありようまでもが分岐点を迎えている現実を見据えねばなるまい。日本の針路を安倍首相任せにしておくわけにはいかない。
 施行から68年を迎える憲法は空文化の危機にある。国民の声を置き去りに整備が進められる安保法制を軸に、3回続きで改憲をめぐる問題点を掘り下げる。



福井新聞(2015年5月3日午前7時30分)
論説:戦後70年憲法記念日 無関心な姿勢を改めたい


 集団的自衛権と「ノンアルコールビール」は同類の問題―。意表を突く着眼の憲法論で異彩を放つのは、木村草太・首都大東京准教授である。情緒的な議論を離れた実務面から、集団的自衛権の行使は憲法違反だと明快に言い切っている(大澤真幸共著「憲法の条件 戦後70年から考える」NHK出版新書)。
 昨夏、安倍政権は集団的自衛権の行使容認を閣議決定した。行使のため安全保障法制の整備を急ぐが、この新たな指摘にどう正当性を説明するのだろう。
 きょうは戦後70年憲法記念日。いま注目される新進気鋭の学者の論理を追いながら、憲法を考えてみたい。
 ■戦争状態に介入する権利■
 一般のノンアルコールビールは、名前とは裏腹にアルコールを含む。その量はわずかとはいえ、たくさん飲めば酔う。つまり、もともと危険性を持つ。集団的自衛権の行使も「必要最小限ならいい」というような、程度問題ではない。これが木村氏の論旨である。
 国際司法裁判所が1986年に重要な判決を出している。「ニカラグア事件判決」と呼ばれるもので、集団的自衛権を行使できるのは組織的・計画的な武力攻撃があった場合であり、ゲリラに武器を支援した程度では許されないとの判断を示した。
 氏によれば、集団的自衛権は国際法上「すでに戦争状態になっている場所に介入していく権利」。だから「全面的に行使するかしないかのどちらかしかない」。安倍政権は昨年7月の閣議決定の際、行使する限定的な範囲を例示した。日本人を乗せた米艦船が攻撃を受けたようなケースを挙げたが、ニカラグア事件判決を順守するなら、単発的な攻撃程度だと行使可能な範囲ではなくなる。
 憲法との兼ね合いにとらわれ国際法をよく検討していないのではないか。あるいは集団的自衛権を故意に軽く見せる方向へ誘導しているのではないか。そんな疑念が湧く。きちんと説明できなければ、閣議決定も安保法制も宙に浮くことになる。
 ■73条に違反■
 一方、木村氏は集団的自衛権の行使を違憲と断言している。根拠は憲法73条である。
 内閣の権限を示した条文で、「一般行政事務」のほかに「外交」「条約締結」などを挙げている。一般的な主権国家が持つ「軍事」権はこの中になく、そのため集団的自衛権を行使すれば違憲になると指摘している。
 安倍内閣の閣議決定に対しては、すでに津市などの男性が東京地裁に無効確認を求める訴訟を起こしている。憲法9条や立憲主義などに反しているとの訴えである。
 木村氏は護憲、改憲両派の従来の主張とは一線を画し、法の運用を熟知した憲法学者として独自の視点を提起した形だ。この指摘にも安倍政権は答えるべきである。
 ■国民置き去り■
 新たな安保法制をめぐり、自衛隊法改正や新規立法の国際平和支援法案11本が今月中旬に国会提出される。
 また、先に日米防衛協力指針(ガイドライン)が改定された。自民党内では、16年夏の参院選までに衆参の憲法審査会で改憲原案を取りまとめ、17年にも国民投票という日程が語られている。最終的な狙いは9条改正である。
 慌ただしい動きの中で、われわれ国民は置き去りにされた感が強い。このまま改憲だけを突きつけられてはたまらない。安倍政権には丁寧な説明を強く求めたい。同時に、最も大事な憲法に無関心だった自身の姿勢を改めたい。そのためには一般にも分かりやすく、具体的に憲法問題を語る木村氏のような専門家の声に耳を傾けることも必要だ。



[京都新聞 2015年05月03日掲載]
社説:憲法記念日に  平和国家の歩みを続けよう


 1947年5月3日。本紙の社説は、この日施行された新憲法についてこう記す。
 「われわれは今、日本の歴史にかつてみない更衣(こうい)を行って、思うさま四肢を伸ばしてかっ歩しようとしている。(中略)『人類普遍の原理』を実現して外には平和国家、文化国家として世界の進展に寄与し、内には自由と個人の尊厳を確保する真剣な努力を払おうとする建設の喜びこそ、今日の喜びの中核ともなるべきものなのである」
 新時代の幕開けへの高揚した気分がにじむ一文だ。そこに記された「平和国家として世界の進展に寄与する」道を、戦後の日本は踏み外すことがなかったといっていい。「必要最小限度の実力組織」として自衛隊を持ち、米国や国際社会の要請でアフガニスタン戦争やイラク戦争へ派遣してきた事実はあるが、そのつど特別措置法を制定し、派遣場所も「非戦闘地域」に限定するなど抑制的に対応してきたのが日本の歩みだった。
9条が守った一線
 その歯止めが憲法9条であったことは言うまでもない。戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認をうたい、理想と現実のギャップを抱えつつも、日本の政治を非軍事的な平和や安全保障へと方向づける大事な役割を担ってきた。自衛隊員が戦闘で1人も殺し殺されることがなかったのは、平和憲法の下で海外での武力行使はしないという一線を守ってきたからだ。
 だが、安倍政権は積極的平和主義の名の下に9条のハードルを下げ、従来の抑制的な安保政策を大きく変えようとしている。集団的自衛権行使を含め、自衛隊の任務を大幅に拡大する安全保障関連法案を今月中旬の国会に提出する予定だ。成立すれば、海外での武力行使に道を開くことになる。
 4月末、日米防衛協力指針(ガイドライン)が法案を先取りする形で18年ぶりに改定された。「切れ目のない」共同対応を掲げ、事実上、日本周辺に限られていた協力範囲を地球規模に広げて、自衛隊と米軍の一体化を一段と進める内容だ。日本側からの提案で改定されたというが、国内議論を経ずに、これほど大きな変更を行うのはあまりにも乱暴だ。
防波堤を失うリスク
 首相が日米同盟の強化に走る背景には、海洋進出を強める中国への危機感がある。日米の緊密化で抑止力を高めるのが狙いだ。だが財政難に苦しむ米政府は、法改正を利用して国際戦略を日本に肩代わりさせ、軍事的要求を強める可能性が高い。
 実際、外交防衛政策に影響力を持つ米上院軍事委員会のマケイン委員長(共和党)は、自衛隊による中東・ホルムズ海峡での機雷掃海活動や南シナ海での哨戒活動に早くも期待を表明している。
 戦後日本が掲げてきた平和主義は、単に理想を語る看板ではなく、米国の軍事的な要求を断る現実的な防波堤としての役割も担ってきた。日本が従来の9条の制約を踏み越え、米軍の補完的役割を担おうとすれば、中国や北朝鮮と向き合う以上に大きなリスクを背負うことにもなりかねない。
 これまでの平和国家の道を変える必要が本当にあるのか。国民一人一人がよく考えてみる必要がある。従来の個別的自衛権と日米安全保障条約の枠組みで平和は維持できないのか。他国の戦争に巻き込まれる恐れのある集団的自衛権にあえて踏み込む必要はあるのか。そういう根本の議論が十分になされないまま「積極的平和主義」が一人歩きしている。
 安倍首相は第1次政権以来、日米同盟強化に向け、前のめりな姿勢を続けてきた。
 歴代政権は、他国を守る集団的自衛権行使を憲法上許されないとしてきたが、憲法改正の手続きを踏まずに解釈変更で昨年7月、強引に容認した。指針改定の際には文案調整する防衛省幹部を官邸に呼び、「日本として行けるところまで行け」と指示したという。
対等な日米同盟の夢
 首相が集団的自衛権に積極的になる根底には、祖父・岸信介元首相から受け継いだ「対等な日米同盟」をめざす政治信条がある。岸氏は、米軍の日本防衛義務が明記されずに片務的とされていた旧安保条約の改定に踏み切った。その姿に自らを重ね、集団的自衛権行使容認も「歴史の評価に十分に耐え得る」と、かつて講演で語ったという。
 だが、海外での武力行使に道を開くことになれば、自衛隊はリスクの高い任務が増え、戦死の恐れも強まる。そのことに国民的な合意があるとは思えない。平和国家を大きく変質させる法案である。国会は責任の重さを自覚し、議論を尽くしてほしい。共同通信が4月末に実施した世論調査では、今国会での法案成立に48・4%が反対し、賛成を13ポイント上回った。
 「対等な日米同盟」へ安倍政権は憲法改正も視野に入れる。首相は自民党幹事長代理だった2005年、雑誌の対談で「憲法を全面的に見直すことなくしては、占領軍による付与のものである戦後体制を自ら変えることはできない」と強調した。その中核には、9条改正による国防軍の保持がある。



神戸新聞 2015/05/03
社説:憲法記念日に/平和や自由が揺らいでないか


 「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する」
 憲法前文は英文を直訳したような表現が多いと言われる。それは否めないにしても、平和や国民主権、人権の尊重を掲げ再出発を表明する内容が国民に希望を与えたことは確かだ。戦後の歩みを振り返るとき、あらためて存在の大きさを感じる。
 だが、憲法への風圧は今、かつてないほど強い。
        ◇
 改正について、国会発議は来年夏の参院選後というスケジュールが語られ、もはや抽象的な論議ではなくなってきた。一方、昨年7月の閣議決定では憲法9条の解釈を変更して集団的自衛権の行使が容認された。それを受けた安全保障法制の関連法案は自衛隊の任務を一挙に拡大する内容だ。9条の歯止めを外すという憲法の空洞化が進む。
【「由らしむべし」】
 安全保障関係とともに見逃せないのは、言論・表現の自由を危うくする動きが続いていることだ。
 反対の声を押し切る形で成立した特定秘密保護法。その運用状況を監視する衆参両院の情報監視審査会が今年3月末にようやく始動した。政府外からチェックする唯一の機関で勧告権を持つが、強制的に秘密指定の解除はできず、どれだけ機能するかは心もとない。会合は開催日時や場所も明かさない秘密主義で、活動内容を知ることも難しい。
 国民にとって必要な情報が政府の都合によって隠され、「知る権利」が侵害されないか。監視機能が不十分なままでは懸念は消えない。
 「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」。国民はただ従わせ、説明する必要はない。そんな世の中に逆戻りすれば、国民主権が脅かされる。
 秘密保護法制定の過程で浮かび上がってきたのは自由や人権より国権を優先する考え方だ。それは安倍政権によるメディアへのけん制という形でも表面化している。
 とりわけ問題なのはNHKの「独立性」が揺らいでいることだ。
 公共放送であるNHKは自主性を保つため、受信料で運営されている。その最高意思決定機関である経営委員会の人事で2013年11月、安倍晋三首相と個人的に親交の深いメンバーが選ばれた。
 そして経営委員会が選んだ会長の籾井(もみい)勝人氏は就任会見で「政府が右と言うものをわれわれが左と言うわけにいかない」と述べ、その後も政治的中立性を損ないかねない発言を続ける。こうしたトップの姿勢が報道現場に影響すれば公共放送の信頼に関わる。「恣意(しい)的な人事」が危うい状況を招いたといえる。
 4月にはやらせが指摘されたNHKと、出演者が官邸批判をしたテレビ朝日の幹部を自民党が事情聴取した。昨年の衆院選前には在京各局に選挙報道で「公平中立」を求める文書を送っている。
 放送法の「事実をまげない」「政治的公平」などの規定を持ち出し、報道番組をけん制することは牽強(けんきょう)付会と呼ぶしかない。
 放送法はその目的を記す第1条に「放送の不偏不党、真実及び自律を保障することによって、放送による表現の自由を確保すること」と定める。「放送は政府のもの」という戦前を反省し、権力から独立した「自主・自律」が放送局に求められた。政権与党が圧力をかけるような行為こそ、放送法の趣旨に反する。
 「異論を許さない」「政府にとって都合の悪い情報は隠す」。知る権利や表現の自由が侵害されれば民主主義そのものが危うくなる。
 政権のおごりとも言うべき動きが進む中、安倍首相は憲法改正への積極姿勢をあらためて見せ始めた。
【改正へ前のめり】
 衆院選公示前の昨年11月には「憲法改正の機運が国民の中で盛り上がっていない」と慎重だったが、自民党が大勝すると改憲への流れは一挙に加速した。安倍首相は今年2月の国会答弁で、改憲手続きを確定させる改正国民投票法の施行などを挙げて「いよいよ(改憲の)条件が整ってきた。どういう条項で国民投票にかけるか、発議するかに至る最後の過程にある」との認識を示した。
 権力を縛るのが憲法の本来の役割である。権力側が前のめりで改正を語ることには警戒が必要だ。まして自由や人権を制約するような最近の動きは立憲主義に反する。
 憲法を「不磨の大典」のように扱うべきではない。だが、国民の間で機運が盛り上がっていないのに、「改正しやすい項目から」など耳を疑うような発言も出ている。
 戦後70年。日本は平和と経済発展の道を歩んできた。その基本となってきた憲法の精神をしっかり見据え、これからの国の在り方を議論したい。主役はあくまで国民



山陰中央新報 '15/05/03
論説 : 憲法記念日/根幹の議論が残っている


 68回目の憲法記念日が巡ってきた。今年は、安倍晋三首相が掲げる「積極的平和主義」の下で集団的自衛権行使を容認し、自衛隊派遣を拡大する安全保障法制の整備が進んでいる。先行して改定された日米防衛協力指針(ガイドライン)では「地球規模の協力」もうたわれた。いずれも憲法の根幹に関わる議論が残されており、国会だけでなく国民的議論が必要だ。
 憲法9条の改正に前向きな安倍首相は2013年、衆参両院の総議員の3分の2以上による賛成という改憲発議の要件(96条)緩和を提起。「立憲主義に反する」と批判があり断念した。その後、憲法解釈の変更に取り組み、昨年7月、集団的自衛権の行使を可能にする閣議決定にこぎつけた。
 以来、自民、公明両党は与党協議を重ね、5月中旬に関連法案の全条文について正式合意する予定だ。これにより、やっと本格的な国会論戦が始まる。さらに連休明けの7日には衆院の憲法審査会で各党が今後議論すべき内容をめぐって見解を表明する。
 自民党内では、衆参の憲法審査会で16年夏の参院選までに改憲原案を取りまとめ、国民への発議を経て17年にも国民投票―という日程が語られている。首相や自民幹部はこれまで何度も「国民の生命と財産を守るため」と繰り返したが、議論の過程を見るとまだまだ不十分な面が目立つ。
 戦後、自衛隊は「戦争放棄」と「戦力不保持」を定めた9条の下で警察予備隊として発足した。このとき部隊編成を担当したのが、後の副総理後藤田正晴氏だった。朝鮮戦争をきっかけにして、日本の再軍備を考えていた米側から提示された編成表には「冷凍中隊」があった。戦死者の遺体を冷凍して本国に送るのが役目である。
 この時後藤田氏は「朝鮮には行かない」と編成表から中隊名を削ったという。それが自衛隊の当初の姿であり、冷戦終結後の1992年に国連平和維持活動(PKO)協力法ができるまで海外に出ることはなかった。
 それ以降も、自衛隊の活動は戦闘現場から離れた「非戦闘地域」に限られ、武器使用も厳しく制限された。安保法制は現実的な対応を優先して、自衛隊をより前線に近づけることになる。さらに自国防衛のみで許された武力行使を集団的自衛権の行使によって他国防衛にも広げることで、日本への敵対心が拡大する恐れも指摘されている。
 日本の存立が脅かされる明白な危険(存立危機事態)という要件はあるが、例えば中東のホルムズ海峡での機雷掃海をめぐり「できる」(自民)と「できない」(公明)の隔たりは埋まっていない。もう一度、自衛隊が原点について振り返る必要がある。
 一方、自民は憲法審査会で、大災害や武力攻撃の際に個人の権利を一定程度制限するなど特例的な対応を可能にする緊急事態条項や、良好な環境を享受する環境権の新設などから議論を進めようとしている。まず改憲の実績をつくるのが目的だろう。
 衆参で発議要件である3分の2以上を確保するのは容易なことではない。しかし、国の根本に関わる議論であり、駆け引きばかりに腐心するのではなく、国民を含めた議論の努力を求めたい。



山陽新聞(2015年05月03日 09時12分 更新)
社説:憲法記念日 「地方のかたち」にも目を


 日本国憲法を変えるべきか否か。変えるのであればどこをどう改めるべきか。国民が具体的な選択を迫られる日が近づいている。
 憲法はきょう、施行から68年を迎えた。昨年6月、投票権年齢などを定めた憲法改正の国民投票法が改正され、手続きは整った。改正や新設する項目に関する議論も具体化している。重大な政治テーマがこれまでになく現実味を帯びる中で迎えた憲法記念日である。
 自民党が特に重要視するのは、戦争放棄や戦力不保持をうたった9条だろう。だが、世論を二分するテーマだけに事を急がず、まずは環境権や、財政の健全性を明記する財政規律条項、大災害などに備えた緊急事態条項などを優先する構えのようだ。衆参両院それぞれ3分の2以上の賛成で改正を発議して、2017年に初の国民投票を実施する日程を描いている。
 何かと9条改正が取り沙汰されるが、憲法が規定するのは「国のかたち」そのものであり、論点は多い。地方自治も重要なテーマだ。「地方自治」には1章が割かれ、計4条を定めているが、議会の設置や首長・議員を直接選挙で選ぶことを定めるなど内容はいたって大まかなものにとどまっている。
 地方が国に求めてきた地方分権は、これまで必ずしも十分に進んではこなかった。中央集権から地方分権へという方向性や、国と地方の役割分担などをどう規定するのが望ましいか、議論を深めるべきである。
 維新の党は、道州制導入といった統治機構改革を改憲によって実現すべきだと主張している。与野党の踏み込んだ討議が聞きたい。
 「1票の格差」をめぐり、違憲判決が相次いでいる選挙制度に関して、自民党改憲草案は「人口を基本とし、行政区画、地勢等を総合的に勘案して」選挙区を定めるとしている。人口だけを基準にして議席配分をする考え方とは異なる価値観を示したものであり、議席が減って人口の少ない地方の声が国政に届きにくくなりかねない今の状況を考慮すれば、検討に値しよう。
 参院に地方代表的な性格を持たせてはどうかという意見もある。米上院で、州の人口とは関係なく50州に2議席ずつ割り振っているのと同じような考え方である。
 かつての衆参ねじれ国会で、重要法案が政争の具となって政治が機能不全に陥ったのは記憶に新しい。衆院が可決した法案を参院が否決した場合、衆院の再可決に3分の2の賛成を要する規定が壁になって“強すぎる参院”になっているからだ。改憲で参院の権限を縮小したり、一院制に変えるべきだという指摘もなされてきた。
 連休明けの7日、衆院憲法審査会が開かれ、与野党が改憲問題を討議する。議論を深め、論点を分かりやすく国民に示してもらいたい。



中国新聞 2015/5/3
社説:憲法審査会 改正の是非 徹底議論を


 憲法が施行されてきょうで68年。国会での改正論議はかつてないほど具体性を帯びる。昨年6月に憲法改正手続きを定めた改正国民投票法が成立し、連休明けの7日から、衆院の憲法審査会が再び動きだす。
 安倍晋三首相は改憲に意欲を示す。昨年末の衆院選では自民党が大勝した。こうした政治状況の下で、与野党ともこの問題に正面から向き合わざるを得ないのは確かであろう。
 自民が重要項目とするのは9条への国防軍創設明記、そして憲法改正の発議要件を各議院の定数の3分の2以上と定める96条の変更などである。
 しかし実際は異論が強い9条の改正は後回しにし、多くの党が賛同して改正しやすい項目から手を付ける「段階的改憲」を描いているようだ。1回目の国民投票で何らかの改正が実現すれば国民が慣れる―。あまりにこずるいやり方ではないのか。
 スケジュールが先に語られているのも見過ごせない。自民が改正の照準を合わせるのは来年夏の参院選を経て、2017年とされる。自公両党は衆院で定数の3分の2を超えるが、参院は発議に必要な162議席に対し135議席しかない。選挙の結果次第で何とかなる、と考えているのだろう。
 自民の思惑に対し、連立を組む公明党が「期限ありきではない」とけん制していることは重い意味を持ってこよう。
 野党側はどうか。衆参とも第2党の民主党は安倍政権のスタンスは批判しつつ改憲と護憲の両派の意見が混在し、まとまっていない。衆院で第3党の維新の党は首相公選制の導入を含めて改憲に前向きである。
 憲法の在り方について自由な議論はあっていい。だが本筋でいえば改正しやすいかどうかは判断基準になるまい。「改める」ことにこだわり、中身の議論をおろそかにしてはならない。
 象徴的なのは現行憲法にない「緊急事態条項」である。自民が段階的改憲の1回目として有力視している。大規模な災害や武力攻撃の際の緊急対応を定めるものであり、私権の一部制限や国会議員の任期延長などが、これまでの議論で挙がる。
 東日本大震災のがれき処理などに支障が出たのが契機となったようだ。ただ現行憲法の原則である基本的人権の尊重との整合性が当然、問われてくる。
 公明がかねて掲げてきた環境権も、今の憲法で十分に確保できるとの意見がある。少なくともいえるのは、どのテーマを扱うにしても相当な議論が必要になることだ。
 もう一つ考えておきたいのは憲法の理念に社会の現実がそぐわないとしても、安易な改憲では解決しないことである。
 例えば福島第1原発の事故から4年以上たっても、福島の11万人以上が県内外の仮設住宅などで避難生活を送る。これは健康で文化的な最低限度の生活を営む権利をうたう憲法25条に明らかに反していよう。
 変えるべきは憲法ではなく被災者の生活環境である。自民の側は、こうした状況も「緊急でやむを得ないこと」に該当させるつもりなのだろうか。
 審査会ではまず何を論じるかの考えを各党が示す。憲法と日本が抱えるさまざまな問題を丁寧に照らし合わせ、徹底的に議論することこそ求められる。



中国新聞 2015/5/2
社説:あす憲法記念日 平和主義の原点 今こそ


 戦後70年、まさに日本は大きな転換期を迎えていよう。世界の情勢が変わり、国際社会での立ち位置が問い直されている。内にあっては社会のさまざまなひずみが是正されないまま繁栄の夢を再び追いかけようとしているように映る。
 その中で私たちがよって立つべきは何か。戦争で国土が焦土と化し、幾多の命を失った経験から生まれた日本国憲法であることに変わりはあるまい。
 ▽理念見つめ直せ
 あすは68回目の憲法記念日である。現実の政治課題として国会における憲法改正の動きが加速しようとしている段階だからこそ、原点である憲法の理念を見つめ直したい。
 とりわけ議論を尽くしたいのは国民主権、基本的人権の尊重とともに最も重んじるべき平和主義を、本当の意味で貫いていけるかどうかであろう。
 政府の行為によって再び戦争の惨禍が起きることがないように―。憲法の前文から読み解くと、平和を強く渇望していた国民の願いが結実したものであることをあらためて教えられる。その上に武力行使を放棄し、戦力を保持しないとした9条1項と2項がある。
 しかし現在の政治状況はどうなのか。その理想を強引に解釈によって変えていく動きが集団的自衛権の行使容認であり、国会提出が連休明けに迫った安全保障関連法案であろう。日米両政府が合意したばかりの新しい日米防衛協力指針(ガイドライン)と、密接にリンクしていることは言うまでもない。
 こうした前のめりな動きが本来の立憲主義とそぐうものなのか。強い疑問を抱く。
 ▽なし崩しの拡大
 むろん戦後の自衛隊の歩みが9条に即していたかどうかは激論があった。少なくとも今は国民の大多数に支持され、災害派遣も含めて頼れる存在になっていよう。
 とはいえ、その行動に関しては常に憲法との整合性が問われてきたのも事実である。専守防衛を掲げつつ、海外派遣がどこまで許されるのか。その議論の転機が1991年の掃海艇のペルシャ湾派遣であり、あるいは翌年にできた国連平和維持活動(PKO)協力法であったのは間違いない。
 なし崩しともいえる活動拡大との批判も強い中で、わが国が誇るべきは平和憲法の下で他国の戦争に巻き込まれず、自衛隊から一人の「戦死者」も出さなかったことだ。日米安保体制に組み込まれながらも時に米国と一線を画してきたことが、中東などにおける日本の存在感につながってきた意味は重い。
 集団的自衛権の行使に加え、日米同盟強化の名のもとに後方支援とはいえ地球の裏側にまで米軍への協力範囲を拡大するならば、これまで以上に9条との乖離(かいり)が顕著になろう。
 「戦争に巻き込まれるという批判の荒唐無稽は、70年の歴史が証明している」。安倍晋三首相が今春の防衛大の卒業訓示で述べた言葉である。本当にそうなのか。後方支援も「敵」から見れば軍事作戦の一端にほかならない。交戦状態に巻き込まれて相手を傷つけ、傷つけられる。最悪の場合には命まで落とす。そのリスクについて政府も与党もあいまいにしている。
 このままでいいはずはない。ここに至っては道は二つある。一つはいっそ9条を改正することだろう。もう一つは廃虚の不戦の誓いを忘れず、9条を堅持して現行憲法の理念に沿うよう自衛隊の活動に国民が歯止めをかける余地を残すことだ。
 ▽被爆地の願いを
 私たちは当然、後者を選ぶべきだと考える。被爆地広島の人たちは人類史上、例のない惨禍を経験し、戦後も恒久平和を切に願い続けてきた。その思いをあらためて共有すべきだ。
 1月に亡くなった憲法研究者の奥平康弘東京大名誉教授はこんな言葉を残した。「平和というのは戦争に対峙(たいじ)して断固として戦わないこと、戦争の準備をしないこと」。何をきれいごとをと鼻白む向きもあろう。それでも憲法9条こそ安全保障だとする主張に耳を傾けたい。

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