2015-06-20(Sat)

戦争法案 「違憲」法制 (5)立憲主義に従い撤回を 150613-14

砂川事件判決 合憲の根拠にはならぬ 曲解省み安保法案撤回すべきだ 終盤国会 安保法案を引っ込めよ

<各紙社説>
朝日新聞)資源と安保―自衛隊より調達努力(6/13) 
東京新聞)安保法制「反対」 「戦争世代」の声も聞け(6/13)
北海道新聞)新安保法制 砂川事件判決 合憲の根拠にはならぬ(6/13)
信濃毎日新聞)終盤国会 安保法案を引っ込めよ(6/13)
神戸新聞)安保法案/無理のある砂川判決援用(6/13)
愛媛新聞)「砂川判決」再び援用 曲解省み安保法案撤回すべきだ (6/14)
西日本新聞)安全保障法制 切れ目ない対話外交こそ(6/14)
琉球新報)安保法案 立憲主義に従い撤回を(6/14)




以下引用



朝日新聞 2015年6月13日(土)付
社説:資源と安保―自衛隊より調達努力 


昨年の原油生産量で米国がサウジアラビアを抜き、39年ぶりに世界最大の産油国となった。米国では近年、新しい技術を用いてシェールオイル、シェールガスの開発が盛んだ。これまで技術的に採取が不可能だった地層からも生産できるようになった原油や天然ガスである。
 長く原油の最大生産地は中東だった。しかし、産油国としての米国の台頭は今後も続くとみられる。1バレルあたり100ドルを大きく超えていた原油価格は、米国の台頭などで昨夏から下落し、いま60ドルほど。原油市場の構図は様変わりしている。
 にもかかわらず、日本のエネルギー安全保障論議は、中東、ホルムズ海峡に偏り、今国会で審議されている安全保障関連法案でも、大きな狙いとしてホルムズ海峡の機雷除去の必要性をあげている。調達先の多様化など、原油地図の激変を踏まえた取り組みこそがエネルギー安全保障につながるのではないか。
 現在の日本は、中東に原油を依存した状態を続けている。湾岸戦争のあった1990年代初頭まで7割ほどだった依存度は、その後むしろ高まり、8割以上で高止まりしている。
 やむをえない事情もあった。日本が期待した東南アジアの産油国が経済成長とともに国内需要を増やし、輸出量が増えなくなった。政府も産業界も、結局は安価で大量調達できる中東原油に頼んでしまった。
 しかし、いま中東情勢で調達リスクは再び高まっている。リビアなどの大産油国も原油の安定生産ができない状態だ。
 これに対し、日本政府が打ち出すのは日本と中東を結ぶシーレーン(海上交通路)防衛だ。中東に自衛隊を派遣することが焦点となっている。
 石油の大消費国でもある米国は、いまは原則として原油輸出を禁じている。だが、今後生産量が増えれば、輸出国に転じるだろうとみられている。日本企業も近く米国の天然ガスの輸入を始める。政府は原油輸出についても解禁を働きかけることができるはずだ。
 2040年までの世界の原油需要を見ると、最も需要が膨らむのは、アジア、中でも中国である。原油輸入国として日本と利害が一致する構造が続く。調達先の多様化など中国と協力できることがあるはずで、国会論議のような対中脅威で原油市場は染まらない。
 戦争に巻き込まれるリスクをとって中東原油を自衛隊が守ることばかりをなぜ、考えるのか。外交努力の余地がいま、広がっている。



東京新聞 2015年6月13日
【社説】安保法制「反対」 「戦争世代」の声も聞け


 安全保障法制をこのまま成立させてはいけない。自民党OBの元衆院議員らが声を上げた。自らの戦争体験に基づく切実な思いである。現に政治にたずさわる者はこうした声にも耳を傾けるべきだ。
 古巣の振る舞いに、やむにやまれぬ気持ちで立ち上がったのだろう。かつて自民党に所属した現・元衆院議員四人が日本記者クラブで緊急に記者会見を行った。
 幹事長や副総裁を歴任した山崎拓氏(78)、政調会長を務め、現在は無所属の亀井静香衆院議員(78)、新党さきがけ代表に転じ、細川内閣の官房長官だった武村正義氏(80)、同内閣で蔵相、民主党政権では財務相を務めた藤井裕久氏(82)の四氏。いずれも戦前生まれの「戦争体験世代」である。
 防衛庁長官も経験した山崎氏は安倍内閣が政府の憲法解釈を変更して、集団的自衛権の行使を認めたことについて「歴代政権が踏襲してきた憲法解釈を一内閣の恣意(しい)によって変更することは認めがたい」と批判した。
 ほかの三氏も、集団的自衛権の行使に道を開く安倍内閣の安全保障法制が成立すれば、日本の将来に「大きな禍根を残す」と口々に指摘した。
 四氏に共通するのは、安保法制が戦後日本の平和国家としての歩みを傷つけかねないとの危機感である。戦中戦後の苦しい時代を生き抜いた世代だからこそ、日本を再び戦争ができる国にはしたくないとの思いが強いのだろう。
 武村氏は「日本は専守防衛を貫くことで世界の国々から高い信頼を得てきた。専守防衛こそ最大の抑止力だ」と述べた。自民党議員として、また同党を離れてからも政権で要職を担った人たちの重い指摘である。全く同感だ。
 しかし、安保法制を「違憲」と断じた憲法学者を「自衛の措置が何であるかを考え抜くのは憲法学者でなく政治家だ」と切り捨てる現在の自民党である。党OBの諫言(かんげん)も耳障りに違いない。
 安保法制の廃案を求める憲法研究者が二百人以上になろうとも、世論調査で安保法制に反対する人が半数を超えようとも、聞く耳を持たないのだろう。選挙で勝ち、白紙委任されたかのような振る舞いは、あまりにも傲慢(ごうまん)だ。
 亀井氏は「戦争に負けて以来、最大の危機だ。我々がじじいだからといって、黙っているわけにはいかない」と語気を強めた。安保法制に疑問を持つ人は大いに声を出してほしい。危機感を共有し、民意のうねりをつくりたい。



北海道新聞 2015/06/13 08:55
社説:新安保法制 砂川事件判決 合憲の根拠にはならぬ


 集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案が憲法学者から違憲と批判され、苦境に陥った政府・自民党が、1959年の最高裁砂川事件判決を再び持ち出してきた。
 安倍晋三首相は先の記者会見で砂川判決に触れ、法案は合憲と訴えた。自民党の高村正彦副総裁も11日の衆院憲法審査会で「憲法の番人は最高裁であり、憲法学者ではない」と強調した。
 憲法学者の指摘に理屈で反論できなくなったため、最高裁の権威に寄り掛かろうというのだろう。
 砂川判決は集団的自衛権行使の是非が争われた裁判の判決ではない。明らかに無理筋である。
 砂川事件は東京都砂川町(現在の立川市)の米軍基地拡張に反対し基地内に入ったデモ隊が起訴された事件だ。憲法9条の下で米軍駐留が認められるかが問われた。
 最高裁判決は駐留米軍を憲法に反しないと判示し、傍論部分で「日本の存立を全うするために必要な自衛のための措置を取り得ることは国家固有の権能」とした。
 高村氏は憲法審で「判決は必要な自衛の措置のうち個別的自衛権、集団的自衛権の区別をしていない」とし、限定的な集団的自衛権の行使は容認されると説明した。
 しかしこの判決当時は政府の集団的自衛権の定義さえ定まっていなかった。政府は72年と81年に集団的自衛権の行使は「憲法上許されない」との見解を示している。
 高村氏が言うように、判決から行使容認を導くことができるのなら、判決後も政府が一貫して行使を憲法上許されないとしてきたことをどう説明するのか。
 砂川判決を憲法解釈変更の根拠とすることは、集団的自衛権行使を容認した昨年7月の閣議決定前に政府・自民党内で検討された。
 だが公明党が「裁判で集団的自衛権は問題になっていない」と批判したため、やむを得ず72年政府見解を持ち出し、「行使は許されない」とした結論を「許容される」と正反対に変えた経緯がある。
 民主党の枝野幸男幹事長が「憲法解釈を一方的に都合良く変更する姿勢は、首相が強調する法の支配とは対極だ」と批判したのは当然だ。法案は撤回が妥当である。
 衆院特別委員会はきのう、労働者派遣法改正案をめぐる与野党対立激化を理由に民主、共産両党が欠席する中、強引に安保関連法案の審議を進めた。政府・与党の焦りの表れだろう。これでは国民の法案への疑念は強まる一方だ。



信濃毎日新聞 2015年06月13日(土)
社説:終盤国会 安保法案を引っ込めよ


 国会の会期末が24日に迫る中、政府・与党は会期延長の本格的な検討に入った。
 集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法案の成立を確実にするためという。
 衆院憲法審査会で3人の憲法学者から法案が憲法違反だと指摘されたことが大きく影響した。政府側の姿勢や発言も首尾一貫しないところが多く、安倍晋三政権が考えていた日程通りには国会審議が進まなくなった。
 憲法解釈を変更して集団的自衛権の行使を容認した昨年の閣議決定も含め、国民の懸念を置き去りに、安倍政権はスケジュールありきで突っ走ってきた。問題が噴出するのは当然である。
 そもそも、戦後の安保政策を大転換させる法案だ。一つの国会で成立させることに無理がある。反対する国民は多い。広く支持が得られない法案を成立させることを許すわけにはいかない。
 「(憲法が禁じる)外国の武力行使と一体化する恐れが極めて強い」「9条は海外で軍事活動する法的資格を与えていない」
 先週の衆院憲法審査会で安保法案を違憲とした憲法学者の指摘は明快だった。自衛隊のリスクが増すかどうかが焦点だった国会審議の流れを変えた。
 政府・与党は反論に躍起だ。1959年の砂川事件の最高裁判決を根拠に合憲と主張。「わが国が存立を全うするために必要な自衛のための措置を取り得る」とした部分に着目、集団的自衛権の行使は認められるとしている。
 安倍首相は「法整備の基本的論理は、砂川事件最高裁判決と軌を一にする」と訴えた。
 安保法制に関わってきた自民党の高村正彦副総裁もこの判決を根拠に正当性を強調している。一昨日の憲法審査会では「憲法の番人は最高裁であって、憲法学者ではない」と言い放った。
 しかし、政府側の言い分は説得力に欠ける。例えば、横畠裕介内閣法制局長官は「(砂川)判決は集団的自衛権について触れているわけではない」と述べた。安倍政権が昨年、判決を行使容認の根拠にしようとしたが、前面に出すのをやめたのはこのためだ。説明のちぐはぐさが目立つ。
 野党が矛盾や問題点をただしても、政府・与党は同じ説明を繰り返すだけだ。揚げ句、数の力に頼るかもしれない。合憲性が厳しく問われている以上、政府は安保法案を引っ込めるべきだ。法案を押し通すために国会の会期延長をすることは認められない。



神戸新聞 2015/06/13
社説:安保法案/無理のある砂川判決援用


 安全保障関連法案の審議は衆院憲法審査会で参考人の憲法学者3人全員が「違憲」とし、合憲性という「そもそも論」に戻った印象だ。
 安倍晋三首相らは砂川事件をめぐる1959年の最高裁判決を根拠に「合憲」とするが、無理のある主張というしかない。
 安倍首相はサミット後の会見で、安保法案には「憲法の基本的な論理は貫かれていると確信している」とし、判決を引用する形で「自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛の措置を取り得ることは国家固有の権能の行使として当然のことだ」と説明した。
 「合憲」とする学者が「たくさんいる」と発言した菅義偉官房長官はその名前を多くは挙げられず、「(学者の)数じゃない。憲法の番人は最高裁だ」と強調した。乱暴な答弁で結局、「合憲」の判断は砂川判決に依拠するしかないのだろう。
 判決を根拠に持ち出したのは昨春のことだ。自民党の高村正彦副総裁が、判決は自衛権行使について個別的、集団的を区別しておらず、「必要最小限度」の集団的自衛権の行使もここに含まれるとした。
 だが、砂川事件で争点となったのは駐留米軍の合憲性である。当時、集団的自衛権は国内で大きな議論になっていなかった。裁判の争点でなく、判決後も歴代の自民党政権は集団的自衛権は認められないとしてきたのに、突然、行使容認の論拠とするのは我田引水に過ぎる。
 さらに、最高裁判決が出るまでの経緯を見ると、判決の正当性そのものにも疑問符がつく。
 砂川事件では、駐留米軍は憲法9条違反とした一審判決に驚いた駐日米大使が当時の藤山愛一郎外相に「判決を正すため迅速な行動をとる」よう訴えた。高裁への控訴ではなく、即座に最高裁に上告する「跳躍上告」を勧めた。2008年、米公文書で明らかになったことだ。
 判決を前に大使館側と密談した最高裁長官が「世論を揺さぶる少数意見を回避するやり方で評議が進むことを願う」と述べたことも分かっている。一審破棄を念頭に置いた発言とみられる。司法の独立性、公正さを裏切る形で判決は出された。戦後史の闇というべきであろう。
 そんな判決を援用して法案は「合憲」と言い張るようでは国民の理解は得られない。



愛媛新聞 2015年06月14日(日)
社説:「砂川判決」再び援用 曲解省み安保法案撤回すべきだ


 さすがに無理筋と自省し、引っ込めた理論ではなかったか。
 集団的自衛権行使を可能にする安全保障関連法案をめぐり、自民党が再び砂川事件最高裁判決を持ち出して「合憲」と主張し始めた。自民推薦を含む憲法学者3人が、憲法審査会で法案をそろって違憲と断じたことが影響したのは想像に難くない。
 この判決を自民が初めて引用したのは昨年3月だった。「わが国の存立を全うするために必要な自衛の措置を取り得る」とのくだりが「個別的か集団的かの区別をしていない」から、集団的自衛権も限定的な行使なら可能と導いた。
 公明党に「判決が認めたのは個別的自衛権だ」と一蹴され、議論のテーブルから降ろした経緯を忘れてはなるまい。内閣法制局も「集団的自衛権に触れているわけではない」と認める。違憲論の高まりに焦り、連立を組む友党さえ同調しない詭弁(きべん)を弄(ろう)するようでは、法案の正当性を自ら否定したに等しい。速やかに法案を撤回すべきだ。
 判決が出た1959年当時、集団的自衛権の定義は定まっていなかった。区別して論じていないことを「否定していない」と都合よくすり替えるなど、許されるはずがない。「集団的自衛権は有するが、行使はできない」との解釈は、歴代内閣がこの判決を踏まえた上で積み上げてきたということを、安倍政権は直視してもらいたい。
 そもそも砂川事件で争われたのは自衛権ではない。事件は57年、東京都砂川町(現立川市)の米軍基地拡張計画に反対するデモ隊が、基地に立ち入ったとして起訴された。争点は、駐留米軍が憲法9条の「戦力」に当たるかどうかだったのだ。
 再び判決を持ち出した背景には、合憲か違憲かを判断するのは憲法学者ではないと国民に訴える意図がうかがえる。与党協議を主導し、法案をまとめた高村正彦自民副総裁は「憲法の番人は最高裁であって、学者ではない」と語気を強めた。しかし「1票の格差」是正を先送りし続けるなど、最高裁軽視ともいえる態度を取っているのはほかならぬ国会だ。言動の不一致を猛省しなければなるまい。
 政府は法案が憲法に違反しないとする見解を、文書で野党に示した。憲法解釈を変えた昨年7月の閣議決定を踏襲し、「これまでの解釈との論理的整合性や法的安定性は保たれている」と強調する。集団的自衛権行使を「できない」としていた72年の政府見解を根拠としながら、安保環境の変容という曖昧な理由で結論だけを「できる」へと転換しておいて、整合性を唱えられても納得できない。
 しかも、内容は従来の説明の焼き直しにとどまる。政府与党は見解を示したことで審議を加速する狙いがあるのだろうが、平和国家の土台が揺らぎ、戦争に巻き込まれかねないとの国民の懸念に応えたものとは到底言えない。集団的自衛権の行使容認に、あらためて反対する。



=2015/06/14付 西日本新聞朝刊=
社説:安全保障法制 切れ目ない対話外交こそ


 そもそも無理筋ではなかったのか。安倍晋三政権が打ち出した新たな安全保障関連法案は、従来の憲法解釈との整合性という土台部分で危うさを露呈した。早期成立はもはや見通せない状況にある。
 先の衆院憲法審査会で憲法学者が口をそろえた「違憲」の指摘は重い。同時に国民の間でも法案への賛同、理解が進んでいない実態が各種世論調査であぶり出されている。当然の成り行きであろう。
 ▼論拠が見えない
 安倍政権の「無理」は昨年7月の閣議決定に始まる。平和憲法の根幹である9条の解釈を一内閣の判断で覆し、集団的自衛権の行使を容認した。さらに国会での承認を後回しにして、米国との間で防衛協力の枠を広げる約束を交わした。立法府の存在を軽視した独断的な外交と言わざるを得ない。
 「違憲」の指摘に対する安倍政権の反論は、閣議決定時の論理構成の繰り返しで説得力に乏しい。簡単に言えば、憲法は一切の武力行使を禁じているわけではなく、自国の平和と安全を維持し存立を全うするために必要な自衛の措置を取ることは例外的に認められている‐という解釈だ。
 政府は、その論拠として、駐留米軍の存在が9条の「戦力」には当たらず合憲とした1959年の砂川事件最高裁判決と、自衛のための必要最小限の武力行使は容認されるとした72年の政府見解を挙げている。今回の解釈は、これらの延長線上にあり、整合性がある、という主張である。
 ところが、砂川判決は集団的自衛権そのものを認めたわけではなく、日米安保条約の是非については高度の政治性を帯びるとして憲法判断を避けている。72年の政府見解は必要最小限の自衛措置を認めつつ、集団的自衛権の行使は許されない、と結論付けている。
 どこに整合性があるのか。ここにも「無理」がある。他国への攻撃を自国への攻撃、脅威とみなして武力を行使する。限定的な措置であっても、それを許すことは安保政策の大転換にほかならない。自衛隊による他国軍の後方支援活動を恒久法で定め、地理的制約をなくすことなども大変革である。
 そうした新たな法制の必要性について、政府と与党内で認識が共有されているのか。それ自体も疑わしい。国会審議では閣僚らのちぐはぐな答弁が目立つ。与党内でも慎重な審議を求める空気がじわじわと広がってきた。
 大きな論点として、国会が見極めるべき問題はもう一つある。日本を取り巻く安全保障環境が根本的に変容した‐と安倍政権が声高に主張している点である。
 東アジア情勢でみれば、北朝鮮は不穏な国である。中国や韓国は歴史問題で譲らない。経済発展の著しい中国に至っては海洋進出を軸とした軍拡路線で近隣諸国との摩擦を繰り返している。その横暴ぶりは目に余る。首相はこれらの国々の動きが「もはや看過できない」という姿勢のようである。
 しかし、隣国との紛争は基本的に個別的自衛権の行使に関わる問題である。日米連携の緊密化は当然としても、集団的自衛権を前面に押し出す必要があるのか。
 ▼立法府の正念場
 北朝鮮の動きに対し、日米はミサイル防衛システムの構築を進めている。交渉は中断しているものの、6カ国協議という枠組みで国際社会の圧力も行使してきた。中国とは78年の平和友好条約で「不戦の誓い」を交わしている。
 それらが実効性を失っているとして、安保法制の転換に踏み切ることは、相互不信を助長し、むしろ東アジアの緊張を高めるリスクもはらんでいる。中東のホルムズ海峡に目を向けるよりも、一触即発の恐れがある隣国との関係修復を軸に日本外交の足場を固める。その方策こそが急務であろう。
 戦後70年を経て安全保障環境が変容したことは間違いない。他方で日本や国際社会が粘り強く対応策を模索してきたことも事実である。ここは熟考が必要である。
 「切れ目のない安保政策」と言えば聞こえはいいが、それによって外交対話に切れ目が生じれば元も子もない。首相は謙虚な姿勢で国民の不安や隣国の懸念に耳を傾けるべきだ。
 そして、国会こそが「抑止力」を発揮すべき局面である。国権の最高機関が存在意義を失うことは立憲主義の死を意味する。



琉球新報 2015年6月14日 6:02
<社説>安保法案 立憲主義に従い撤回を


 集団的自衛権の行使に法的根拠を与える安全保障関連法案をめぐり、反対論が高まっている。
 国会で与野党が合意して招致した憲法学者3人が、全員「憲法違反」との認識を表明した。この指摘は重い。かつて自民党に所属した議員ら与野党の重鎮4人も法案の成立に反対した。自民党の元閣僚も反対している。しかし、安倍政権はこうした意見に耳を傾けようとしない。
 法案が憲法違反であることは明らかだ。集団的自衛権が一内閣の憲法解釈変更によって可能になるということ自体、憲法破壊行為である。安倍内閣は直ちに法案を撤回すべきだ。
 中谷元・防衛相は集団的自衛権が「違憲」と指摘されると「憲法解釈の変更は政府の裁量の範囲内」「憲法違反であるとは思っていない」と答弁した。しかし、歴代の自民党政権や内閣法制局長官は「集団的自衛権は憲法上行使できない」と説明してきた。驚くことに将来、安保環境が変われば解釈が再変更される可能性にも言及した。
 政府の「裁量」で憲法解釈を次々に変更する行為は、憲法によって国家権力を縛る立憲主義に反する。
 安倍晋三首相は3学者の違憲発言について、最高裁の砂川事件判決を再び持ち出して集団的自衛権行使容認の根拠とした。昨年、与党公明党にも批判された主張だ。この訴訟では、日本が集団的自衛権を行使できるのかという問題は、まったく論議されなかった。判決時の弁護団が主張するように「国民を惑わすだけの強弁」にすぎない。
 安倍首相は、戦後首相になった石橋湛山(たんざん)の発言を重く受け止めるべきだ。石橋は2・26事件後、軍国主義が強まる中で次のように発言した。「今日の我が政治の悩みは、決して軍人が政治に干与することではない。逆に政治が、軍人の干与を許すが如きものであることだ」。政治が軍の暴走に手を貸した結果、無謀な戦争を引き起こしたという教訓だ。
 戦後、政府が反対を押し切って自衛隊を発足させるとき、同様の事態を招かないように「文民統制」の原則を採用した。しかし安倍政権は、数の力で文民統制を取り払ってしまった。石橋の指摘通り「政治が軍の干与を許すが如き」行為ではないか。歴史に学ばない政権は危険極まりない。

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