2015-06-25(Thu)

沖縄戦70年 慰霊の日 辺野古やめ沖縄に未来を

基地がなければ、戦争は来ない。戦争は私たちでたくさん」 

<各紙社説・主張>
朝日新聞)戦後70年の慰霊の日―辺野古やめ沖縄に未来を(6/24)
毎日新聞)慰霊の日と首相 沖縄の声は聞こえたか(6/24)
毎日新聞)沖縄戦70年 「隔たりの海」を越えて(6/23)
日本経済新聞)沖縄の基地負担を全国で分かち合おう (6/22)
読売新聞)首相沖縄訪問 現実的な基地負担軽減を図れ(6/24)
産経新聞)沖縄戦70年 「悲劇」繰り返さぬ努力を(6/24)
東京新聞)沖縄戦終結70年 語り継ぐ、平和の未来へ(6/24)




以下引用



朝日新聞 2015年6月24日(水)付
社説:戦後70年慰霊の日辺野古やめ沖縄に未来を


 沖縄はきのう、「慰霊の日」を迎えた。
 住民を巻き込み、20万人余が犠牲となった沖縄戦から70年米軍普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古への移設計画をめぐって、政府と沖縄県の対立が激しさを増すなかで迎えた慰霊の日である。
 翁長雄志知事は追悼式での平和宣言で、政府に作業の中止を決断するよう求めた。沖縄にとって特別な日に発せられた知事の言葉を、日米両政府は重く受け止める必要がある。
■残る戦場の現実感
 移設に反対する市民は、昨年7月以来、辺野古米軍キャンプ・シュワブゲート前にテントを張って、24時間態勢で座り込みを続けている。
 工事車両が出入りするたびに、地元や県内各地、さらに全国から集まった人々が抗議の声を上げる。
 その中の一人、辺野古に住む島袋文子さん(86)は「基地がなければ、戦争は来ない。戦争は私たちでたくさん」と話す。
 15歳で沖縄戦に巻き込まれた。壕(ごう)に潜んでいる時、米兵の火炎放射を浴びて左半身にやけどを負った。「私は死んだ人間がつかっている泥水を飲んで生き延びた。生きている限り、戦争と基地に反対する」
 戦場のリアリティーが沖縄には強く残る。その感覚を、翁長知事は平和宣言で「私たち沖縄県民が、その目や耳、肌に戦(いくさ)のもたらす悲惨さを鮮明に記憶している」と言い表した。
 市街地にあって「世界一危険」と言われる普天間飛行場を一刻も早く閉鎖するのは当然である。しかし、その移設先がなぜ、県内の辺野古でなくてはならないのか。
■捨て石の思い、再び
 菅官房長官や中谷防衛相は翁長知事と会談した際に、尖閣諸島周辺で中国公船の領海侵入が急増したことなどを例に、「わが国を取り巻く安全保障環境は極めて厳しい」「日米同盟の抑止力の維持、(普天間の)危険除去を考えると、辺野古移設は唯一の解決策」と繰り返した。
 対中国抑止力の強化をめざす政府は、様々な局面で安全保障政策を転換させようとしている。安倍首相はいま、辺野古移設を進めることが日本の安全保障に米国を引きつける大事な要素だと考えているようだ。
 集団的自衛権の行使を容認する昨年7月の閣議決定に続き、今春の「2プラス2」と「新ガイドライン」、日米首脳会談、そして安保関連法案の国会審議と、政府は自衛隊と米軍の「一体化」による日米同盟深化の道を進む。
 法整備により「日本の抑止力は高まり、国民のリスクが下がる」と安倍首相は言う。
 だが、沖縄からは逆にしか見えない。
 米軍とともに自衛隊が武力行使すれば、日本が直接攻撃を受けるリスクは増す。まして日本国内の米軍専用施設の74%を抱える沖縄は、他地域よりはるかに「戦争」に近づく。
 沖縄にとっては再び最前線へと押しやられ、捨て石にされるとの思いが拭えない。
 県民が沖縄戦の記憶を呼び覚まし、辺野古移設を新基地建設だとして反発するのも当然なことである。外交努力による緊張緩和ではなく、中国脅威論を叫んで緊張を高めるやり方は、沖縄にとって最悪の選択だ。
■立ち止まって考える
 翁長知事は先ごろ訪米し、米国務、国防両省担当者に辺野古の新基地建設反対を伝えた。
 反応は冷たいものだった。「辺野古移設が唯一の解決策」「日米合意は揺るぎない」と、日本政府と同様の言葉が返ってくるだけだった。
 それでも、落胆する必要はなかろう。翁長知事の発言を聞けば、移設計画が簡単に進められないことに、米政府関係者も気付いたはずだ。
 前米国務次官補のカート・キャンベル氏は朝日新聞の取材に、「どんな合意でも、沖縄県や県民の支持がなければならないと思う。このような反対意見が出ていることは、我々にとって立ち止まり、考えさせられる状況だ」と答えている。
 日米両政府は再三、民主主義や自由、基本的人権、法の支配という「普遍的価値」を共有していると強調する。
 沖縄では昨年、名護市長選、県知事選、衆院選と、いずれも辺野古移設反対を訴える候補が当選した。選挙結果をことごとく無視して作業を続けることは、普遍的価値に反しないのか。再考すべきだ。
 平和宣言で翁長知事は「アジアの国々をつなぐ架け橋として活躍した先人たちの『万国津梁(しんりょう)』の精神を胸に刻み、アジア・太平洋地域の発展と平和の実現に努力する」と述べた。
 日米両政府、そして国民を挙げて、この沖縄の未来に協力しなければならない。本土防衛の捨て石にされ、非業の死を遂げた多くの沖縄戦の犠牲者を忘れることなく。



毎日新聞 2015年06月24日 02時40分
社説:慰霊の日と首相 沖縄の声は聞こえたか


 沖縄の「慰霊の日」、沖縄県糸満市で開かれた追悼式に出席した安倍晋三首相と翁長雄志(おなが・たけし)知事の「すれ違い」は、政府と沖縄の深い溝を改めて印象づけた。
 安倍首相はあいさつで「引き続き沖縄の基地負担軽減に全力を尽くす」と強調した。
 翁長知事は、普天間飛行場の名護市辺野古への移設作業を中止するよう求め、「嫌なら沖縄が代替案を出しなさいとの考えは、許容できない。自由、平等、人権、民主主義が等しく保障されずして、平和の礎(いしずえ)を築くことはできない」と訴えた。
 基地のあり方を抜本的に見直さない限り、政府が負担軽減策をどんなに語っても、沖縄との距離は縮まらない。
 翁長知事は今春、菅義偉官房長官と会談した際「沖縄では『話のごちそう』というのがあって、いい話をして局面を乗り越えれば知らんふり。それが戦後70年の沖縄の基地問題だった」と批判した。
 一時的に基地負担が軽減されても、いつの間にか別の負担が加わっていた、という経験を沖縄県民は何度もしてきた。米軍基地の整理・縮小も、多くは県内移設が前提となっているため、全体として沖縄県内の基地面積はたいして減らない。
 沖縄からすれば「話のごちそう」はもういらない、ということだ。
 日本の安全保障は国民全体で負担すべきであり、沖縄だけが過重な基地負担を背負わされ続けるのはおかしい。昨年の一連の選挙で、辺野古移設反対の民意がはっきりと示された以上、政府は移設作業を中止し、計画を白紙に戻し、米政府と再交渉すべきだと私たちは考える。
 ただ、現実には一足飛びに、ことは進まないだろう。まず政府は沖縄の声に耳を傾け、溝を埋めることから始めるべきだ。話し合いを避けていては、解決策は生まれない。
 戦後70年という節目の慰霊の日に、首相は1年ぶりに沖縄を訪れた。それにもかかわらず、追悼式が終わると、まっすぐ東京へ戻った。一昨年と昨年は、当時の仲井真弘多(ひろかず)知事と昼食をともにしながら会談したが、今回は那覇空港に見送りに来た翁長知事と、観光など経済問題を5分程度話しただけだった。
 首相は今春、翁長知事と会談した際「これからも丁寧に説明しながら理解を得る努力を続けていきたい」と語った。今回は絶好の機会だったのではないか。知事だけでなく、幅広く沖縄の声を聴いてほしかった。
 これでは今春の知事との会談は、訪米でオバマ大統領と会談するのを前に、政府が沖縄と対話していることを見せるアリバイ作りだったと疑われても仕方なかろう。



毎日新聞 2015年06月23日 02時30分(最終更新 06月23日 11時38分)
社説:沖縄戦70年 「隔たりの海」を越えて



戦後70年の沖縄「慰霊の日」に、戦没者の名前が刻まれた「平和の礎」の前で冥福を祈る人たち=沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園で2015年6月23日午前7時9分、野田武撮影
 沖縄はきょう、「慰霊の日」を迎えた。「あらゆる地獄を集めた」「鉄の暴風」と表現された沖縄戦から70年。遠い過去ではない。今なお続く過重な基地負担など、現在の沖縄の苦難の原点にこの戦争がある。
 沖縄をめぐる諸課題に向き合う時、それを忘れてはならない。
 1945年4月1日、沖縄本島に上陸した米軍は、首里を拠点とする沖縄守備軍と激しく交戦した。
 5月には守備軍は首里を放棄し、本島南部に下がって持久戦を続ける。過程で多くの住民が戦闘に巻き込まれ、軍に壕(ごう)を追い出されたり、集団自決に追い込まれたりする悲劇も起きた。
 ◇「捨て石」の持久戦
 学徒隊の10代の少年少女らも銃火にさらされた。
 日米双方の死者約20万人。うち住民は約9万4000人に上った。
 本土決戦準備の時を稼ぐ「捨て石」とされた沖縄の持久戦である。
 それがいかに過酷だったか。
 2年前、沖縄戦を体験した高齢者が対象の聞き取り調査で、4割が心的外傷後ストレス障害(PTSD)の可能性が高いという結果が出た。身近な人らが危険な目に遭うのを目撃した人ほど高い傾向がある。
 今も収容しきれない遺骨、発見・処理にまだ半世紀以上かかるともいわれる不発弾。戦野の傷痕も深い。
 米軍は沖縄を占領すると、ただちに基地用地を確保。50年代には「銃剣とブルドーザー」による強権手法で広げた。これに対し住民は「島ぐるみ闘争」という抵抗運動を展開した。こうしたあつれきの中で、住民たちの本土復帰熱は高まった。
 「日本の戦後70年」と言う時、そのうち沖縄には米統治27年間という「空白」が含まれている。
 日本国憲法に守られることなく、軍用地収用、米兵の事件事故での泣き寝入りなどが日常的に繰り返されてきた。米統治下、甲子園から持ち帰った土が「外国の土」として植物検疫法に触れ、海に捨てざるをえなかった球児たちの無念も象徴的だ。
 27年間にそうしたことが積み重ねられてきた。
 今、翁長雄志知事はしばしば「アイデンティティー」(存在証明)という言葉を使う。自分たちは何者なのか。それは本土への呼びかけでもあるかもしれない。沖縄にとってあなたたちは何者かと。
 2年前、沖縄県内の全市町村長らが新型輸送機オスプレイ配備撤回を政府に求めて上京、銀座をデモ行進した。「日本から出て行け」などと「ヘイトスピーチ」が浴びせられたという。デモの訴えに多くの買い物客たちは関心なさそうだった。
 こうした光景も沖縄と本土の「隔絶感」を物語っている。
 沖縄が体験したこと、向き合っている現実を本土はあまりにも知らず、無関心でこなかったか。
 4月、米軍普天間飛行場の辺野古移設問題をめぐってのことだ。菅義偉官房長官と会談した翁長知事が、民意を無視するような政府の強引な姿勢を批判し、「キャラウェイに重なり合う」と皮肉った。
 キャラウェイ米陸軍中将は、沖縄統治の最高権力者だった6代の高等弁務官の一人である。圧政者のイメージを残す。63年には、機運が高まっていた沖縄の自治について公の場で「神話にすぎない」とスピーチ、深い失望と反発を広げた。こうした状況にも本土は無関心だった。
 ◇本土の無関心今も
 一方で沖縄の人々の本土復帰への期待は高かった。72年、実現したが、基地もほとんど旧態依然で残ったことへの失意や落胆も大きかった。
 基地問題をめぐり、沖縄の声を聞く時は、戦争以降、人々が曲折の中で味わい、体験したことに思いを致す必要がある。
 端的にいえば、戦争以来、沖縄は、自分たちの共同体のありようを、自ら決定する権利を奪われてきた。とりわけ基地問題ではそうだ。国が頭越しで決する。
 70年の年月は、戦争体験の継承という、切実さを増した課題も突きつけている。
 中山きくさん、86歳。沖縄戦の女子学徒隊の一つ「白梅学徒隊」に属し、野戦病院の手術場を担当した。傷ついた人々の惨状は忘れようがない。最後は戦場をさまよった。
 戦後、小学校教員になったが、体験を話すことはなかった。戦死した同級生らを思い出し、彼女らが今生きていたらと考え、生き残っている自分をすまなく感じたからだ。
 本土復帰後、夫の転勤で偶然に広島と長崎に住んだのが転機になる。そこで知る原爆被爆者の体験などに自分や仲間たちが重なった。
 語り部として請われればどこでも行く。人間を滅ぼす戦争の実相を次世代に継がなければ、と思う。
 県外の大学生らとも交流は長い。ともに戦跡を歩き、語らう。その若者たちは礼儀正しく、「知ろう」とする真剣さを中山さんは感じているという。広がりを期待したい。
 沖縄と本土の隔たりは地理だけではない。豊かな歴史と文化を抱く地域が「中央」に失望と不安、不信を抱く。そうした状態は脱したい。
 これは「沖縄の問題」ではなく、「日本の問題」なのだ。



日本経済新聞 2015/6/22付
社説:沖縄の基地負担を全国で分かち合おう


 70年前、沖縄では激しい地上戦が展開され、日米両軍にとどまらず、一般住民にも多くの犠牲者を出した。その痛みは沖縄の人々の心になお残っている。どうすれば本土と沖縄の感情的なしこりを解きほぐせるのか。あすの沖縄慰霊の日を前に考えたい。
 沖縄戦の20万を超える戦没者の約6割が県民である。その半数近くが最後の3週間で亡くなった。守備隊の牛島満大将が首里の司令部での玉砕でなく、多くの一般住民が避難していた沖縄本島南部での戦闘継続を選択した結果だ。
 中国の海洋進出によって、沖縄はいま日本の安全保障の最前線に立たされているが、沖縄には県民が再び捨て石にされると危惧する人が少なくない。頭ごなしに抑止力強化を説くのでなく、人命軽視だった旧日本軍の失敗を繰り返さない姿勢を示すことが大事だ。
 沖縄も防衛力増強の必要性を認識していないわけではない。日本の最西端にある与那国島で今年あった住民投票で自衛隊の常駐受け入れ賛成が過半数を占めた。
 だが、そうだとしても在日米軍専用施設の74%が沖縄にある必要があるのか。これが騒音・振動、大気汚染、米軍人犯罪に長年悩まされてきた基地周辺住民の偽らざる心境だ。こうした声には真摯に耳を傾けたい。
 沖縄の普天間基地に常駐していたKC130空中給油機15機が昨年、山口県の岩国基地に移り、普天間の騒音はやや軽減された。
 こうした事例を積み重ねていけば、「政府は沖縄の痛みをわかってくれている」と感じる県民が増えるはずだ。普天間基地の名護市辺野古への移設を円滑に進めるには地道な努力によって県民感情を徐々に変えていくしかない。
 安倍政権は米軍とまずよく協議し、何が沖縄に必要で、何は本土でも困らないのか、などをきちんと仕分けすべきだ。
 本土側の移駐先探しも重要だ。進んで米軍基地や部隊を受け入れる自治体はまずない。空中給油機の移駐は日米が合意してから完了まで20年近くかかった。
 何よりも日本国民一人ひとりが日本の安保環境をよく理解し、基地負担を全国で分かち合う意識を持ってもらいたい。
 沖縄には琉球王朝時代に交易などで関係が深かった中国に親近感を抱く人が少なくない。本土と沖縄の溝をこれ以上深めてよいことは何もない。



読売新聞 2015年06月24日 01時20分
社説:首相沖縄訪問 現実的な基地負担軽減を図れ


 平和の確保へ、日米同盟の抑止力を維持する。過重な米軍基地負担を減らす。この二つの目標を両立する現実的な方策を選択し、着実に前に進めることが、政治の責任だろう。
 太平洋戦争の沖縄戦で組織的な戦闘が終結したとされる「慰霊の日」の23日、沖縄全戦没者追悼式が沖縄県糸満市で開かれた。
 安倍首相はあいさつで、「この70年間、戦争を憎み、ひたすら平和の道を歩んできた」と力説し、「これからも世界平和の確立に向け、不断の努力を行う」と訴えた。沖縄の基地負担の軽減に全力を挙げる考えも改めて表明した。
 翁長雄志知事は平和宣言で、米軍普天間飛行場の辺野古移設について「選挙で反対の民意が示されており、困難だ」と述べ、中止を求めた。「沖縄が(辺野古移設の)代替案を出しなさいとの考えは到底許容できない」とも語った。
 普天間問題への言及は全体の半分近くを占めた。
 犠牲者に哀悼を捧げ、平和への誓いを新たにする場を利用し、自らの政治的主張を前面に出したことには、違和感を禁じ得ない。政府との対決姿勢を強調するだけでは、この複雑で困難な基地問題を解決することはできまい。
 首相と翁長氏の正式な会談は見送られた。具体的成果が見込めないとの判断もあったのだろうが、残念な対応である。首相と翁長氏は、様々な機会をとらえて、建設的な対話を重ねてもらいたい。
 終戦の年から米軍が使用する普天間飛行場は、宜野湾市中心部にある。重大事故の危険性に加え、市の発展の障害となってきた。
 この現状を打開するための実現可能な選択肢は、辺野古移設しかない。普天間飛行場は在沖縄米軍基地の象徴的存在でもある。移設が実現すれば、政府と地元関係者が長年、多大な努力を重ねてきた米軍再編の重要な成果となる。
 疑問なのは、社民、共産など翁長県政与党が、環境対策として、埋め立て工事に使用する県外からの土砂や石材搬入を規制する条例案を県議会に提出したことだ。
 可決されれば、辺野古移設だけでなく、那覇空港第2滑走路整備の工事も遅延しかねない。滑走路整備は、沖縄経済の活性化と空港の過密解消が目的で、地元が強く要望していた。経済界からも条例案へ懸念の声が出ている。
 そもそも、同じ国内の土砂などの規制にどんな環境面の効果があるのか、理解に苦しむ。ご都合主義であり、いたずらに政府との対立を深めるだけではないか。



産経新聞 2015.6.24 05:04
【主張】沖縄戦70年 「悲劇」繰り返さぬ努力を


 沖縄戦の終結から70年の慰霊の日を迎えた。最後の激戦地となった沖縄県糸満市摩文仁の平和祈念公園では、全戦没者追悼式が営まれた。
 大戦末期(昭和20年4~6月)、沖縄本島に上陸してきた米軍を迎え撃った戦いは、凄惨(せいさん)を極めた。沖縄戦とは、国民が決して忘れてはならない「日本の悲劇」である。謹んで哀悼の意をささげたい。
 日本の軍民は、18万8千人が亡くなった。旧制中学、師範学校などの生徒による鉄血勤皇隊や高等女学校の女生徒によるひめゆり部隊の戦死者が含まれる。米軍の戦死者1万2千人を合わせ、日米で20万人以上が命を落とした。
 沖縄を守ろうと、若者らが操縦する陸海軍の特攻機2571機が出撃した。最大の戦艦「大和」も沖縄へ向かったが、米軍の猛攻撃で鹿児島・坊ノ岬沖で沈み、多くの乗組員が戦死した。
 安倍晋三首相は追悼式のあいさつで「沖縄が忍んだあまりにおびただしい犠牲、この地に倒れた人々の血や涙に思いを致し、悲痛の念とともに静かに頭(こうべ)を垂れたい」と述べ、「国際平和の確立に向けて不断の努力を行う」と決意を表明した。
 70年前を振り返り、今、もっとも大切なことは何か。それは、あの悲劇を繰り返してはならないという決意であり、行動である。それこそ、今に生きる日本人すべての責務である。沖縄をはじめとする日本に、二度と戦火が及んではならない。
 中国公船は尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺で領海への侵入を繰り返している。軍拡も著しく、南シナ海での勢力拡張も急だ。
 こうした環境下、安倍政権は安全保障関連法制の整備、日米防衛協力の新指針(ガイドライン)の制定、米軍普天間飛行場の辺野古移設などを進めている。
 翁長雄志(たけし)沖縄県知事は追悼式の平和宣言で政府に、移設作業の中止を求めた。しかし辺野古移設こそが、普天間の危険性を除去しつつ、日米同盟の抑止力を保つ方策であることを理解してほしい。
 沖縄の重い米軍基地負担を国民が認識し、深く感謝すべきであることは当然だ。一方で、沖縄を含む日本の安全保障に責任を持つのは政府である。
 真の平和と安定のために必要なことは何か。日本国民全員が真剣に考えなくてはならない。



東京新聞 2015年6月24日
【社説】沖縄戦終結70年 語り継ぐ、平和の未来へ


 沖縄で苛烈な地上戦が終結して七十年がたちました。惨禍を繰り返さないためにも、戦争の記憶をしっかりと語り継ぐ。今を生きる私たちの責任です。
 日米両軍が沖縄戦の最後に激しい戦火を交わした沖縄本島南部の糸満市摩文仁(まぶに)。その戦跡に広がる平和祈念公園できのう全戦没者追悼式が営まれ、安倍晋三首相、ケネディ駐日米大使らも参列して犠牲者に祈りをささげました。
 沖縄戦は日本国内で唯一、住民を巻き込んだ大規模地上戦です。一九四五年六月二十三日、日本軍の組織的戦闘が終わりますが、約六十万県民の四分の一が亡くなったとされる激烈な戦いでした。
◆戦争の痕跡が身近に
 沖縄県選出の参院議員である糸数慶子さん(沖縄社会大衆党委員長)は戦後の四七年に生まれ、読谷(よみたん)村で育ちました。戦時中、日本軍の飛行場があり、米軍が沖縄本島で最初に上陸した場所です。
 糸数さんは子どものころ、祖母から寝物語に戦争の話を聞かされたそうです。食料が乏しく辛(つら)い思いをしたこと、避難していた壕(ごう)を友軍であるはずの日本軍に追い出されたこと、など。
 戦争が終わっていても近くの畑からは遺骨や不発弾が見つかる日常です。戦争は身近に感じる、怖い存在だったといいます。ただ、沖縄戦が家族にもたらした本当の残酷さを知ったのは母親を亡くした後、祖母や親類から聞いた母親自身の体験でした。
 身重だった糸数さんの母親は祖母、叔母、二人の姉や兄と本島北部に疎開していました。
 激しくなった戦火を逃れてさまよい、四五年六月、避難壕の中で女の子を出産しますが、生後一週間ほどで亡くなり、後を追うように、当時三歳だった兄も栄養失調で亡くなってしまいました。
◆母親の辛い戦場体験
 子どもの死を受け入れられない母親。亡くなった兄を遺体の腐乱が進んでも離そうとせず、生きているかのように語りかけていた、といいます。最後は、無理やり引き離して埋葬したそうです。
 母親本人はこのことを決して語らなかったといいます。戦後の明るい振る舞いからは想像もできない悲しみを体験していたのです。
 沖縄戦犠牲者の無念さは言うまでもありませんが、砲火をくぐり抜け、家族や親類、友人ら親しい人を亡くした辛い体験は生き延びた人の数だけあるはずです。
 自らの体験を語り継がなければと、悲しみを胸に証言した人、長い歳月をかけて、ようやく重い口を開いた人、糸数さんの母親のように、辛すぎて、語れなかった人もいるに違いありません。
 沖縄では県をはじめ自治体や研究者、メディアによって沖縄戦体験者からの聞き取り調査が続けられてきました。得られた証言は、住民を巻き込んだ戦闘の実相を知る上で、貴重な資料です。
 ただ残念なのは、沖縄戦の体験者が時の流れとともに徐々に少なくなり、語り継いできた人も高齢になっていることです。
 糸満市の「ひめゆり平和祈念資料館」で続いてきた「ひめゆり学徒隊」自身による団体向けの講話は、語り部の高齢化で今年三月で幕を閉じた、といいます。
 時の運命は残酷だからこそ、今を生きる私たちが、戦争体験を後世に伝えなければなりません。
 人類は、殺し、殺されという歴史を繰り返してきました。兵器の破壊力が極限まで達した今、本格的な戦争が始まれば人類は破滅の道をたどります。沖縄に限らず、戦争の辛い体験を後世に語り継いでこそ、二度と戦争はしないという「抑止力」になるはずです。それは人類が命をつなぐための英知とも言えます。
 沖縄の地元紙、琉球新報などによる県民対象の世論調査では戦争体験を「もっと語り継ぐべきだ」との答えは75%に達し、「現在の程度で語り継げばよい」(19%)を合わせて戦争体験を継承すべきだとの答えは94%に上りました。
 県民の九割近くが戦後生まれとなり、薄れゆく戦争体験を語り継ぐ大切さは、より増しています。
◆攻撃対象に、との不安
 平和バスガイドとして沖縄戦の惨禍を伝えてきた糸数さんは、再び戦争に巻き込まれるとの不安が沖縄で今、増していると話します。
 他国同士の戦争に加わる「集団的自衛権の行使」に道を開く安全保障法制関連法案が審議され、在日米軍基地の約74%が集中する狭隘(きょうあい)な島に、また新たな基地を造ろうとしています。戦争になれば、基地は真っ先に攻撃対象です。
 戦争を語り継いできた県民が肌で感じる危機感を、すべての国民が共有できているのでしょうか。
 再び戦争の過ちを起こさず、沖縄県民の過重な基地負担を減らすためにもまず、本土に住む私たちが沖縄の戦禍を知り、未来へ語り継ぐことが大切なのです。


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