2016-03-12(Sat)

3・11東日本大震災・福島原発事故5年 各紙社説等(1)

慰霊の日 教訓を防災につなごう 津波被災地 生活再建に力点移そう 福島の現実 向き合い、そして前へ

<各紙社説>
朝日新聞)震災から5年 「創造的復興」が問うこと(3/12)
朝日新聞)震災から5年 心は一つ、じゃない世界で(3/11)
毎日新聞)大震災から5年 慰霊の日 教訓を防災につなごう(3/12)
毎日新聞)大震災から5年 福島の現実 向き合い、そして前へ(3/11)
毎日新聞)大震災から5年 津波被災地 生活再建に力点移そう(3/9)

毎日新聞)大震災から5年 自治体の支援 人は今も不足している(3/8)
毎日新聞)大震災から5年 原発事故 日本は何を学んだのか(3/7)
毎日新聞)大震災から5年 緊急事態条項 まずは必要性の検証を(3/6)
毎日新聞)大震災から5年 中小企業支援 事業の持続力高めよう(3/4)
毎日新聞)大震災から5年 忘れない 一人一人の交流を力に(3/1)




以下引用



朝日新聞 2016年3月12日(土)付
社説:震災から5年 「創造的復興」が問うこと


津波被災地を、歩く。
 大船渡、陸前高田、気仙沼、南三陸、女川……。無機質で巨大な土木工事が目に飛び込む。
 真新しいコンクリートの壁が海沿いにそびえる。防潮堤だ。旧市街地では最大で10メートルに達するかさ上げが進む。ピラミッドのように連なる土の山。行き交う大型トラック。砂ぼこり。
 岩手、宮城、福島の3県で、防潮堤の総延長は400キロ。かさ上げなどのための土地区画整理事業は50カ所で1400ヘクタール、東京ドーム300個分だ。
 5年前、津波にすべてをさらわれた風景とは別の意味での「異世界」が広がる。
 ■しぼんだ理念
 被災直後、政府は「創造的復興」をうたった。
 人口減や高齢化、産業の空洞化など、日本の各地がかかえる課題の解決をめざす先進地として被災地を位置づけた。
 識者に3県の知事が加わった復興構想会議は「震災からの復興と日本再生の同時進行」などの原則を掲げ、国と地方の関係を見直す意欲すら見せた。
 だがその機運はいま、うそのようにしぼんでいる。
 工事を見た構想会議の一人は「こんな光景は想定していなかった」。復興庁幹部も「やりすぎた」と本音を漏らす。
 被災地の首長は「『創造』どころか、震災前に戻す『復旧』すら見通せない」と語り、国民には「税金は有効に使われているのか」との疑念がふくらむ。
 理念づくりに終始した構想会議と、被災者支援や遺体捜索などに追われた現場の担当者。
 防潮堤拡充への提言を出した内閣府の審議会と、沿岸部の低地再利用のためにかさ上げ事業の検討を進めた国土交通省。
 「悲劇を繰り返さない」「復興を急げ」というかけ声のもとで、行政の縦割りと、予算や権限拡大への思惑が絡み合った。
 ■阪神大震災の教訓
 どこで歯車が狂ったのか。誰が責任を負うべきか。解をみつけるのは簡単ではない。
 被災地といっても、地域ごとに事情は異なる。ただ、安心して暮らし、働く土俵を整えても、人が戻らなければ復興はおぼつかない。それが、21年前の阪神大震災の教訓でもある。
 神戸市の新長田地区。
 100軒近くあった戦前からの下町商店街は9割が燃え、市の再開発でビル街に生まれ変わった。当時も「創造的復興」がスローガンだった。
 しかし高い維持管理費などを嫌い、多くの商店主が離れた。後継ぎがおらず、シャッターを下ろしたままの店が続く。
 「東北は、僕らとおなじ道を歩いたらあかん」。お茶屋を営む伊東正和さん(67)は言う。自らの経験を伝えようと、宮城県南三陸町の仮設市場「さんさん商店街」に何度も足を運ぶ。
 再開発計画を神戸市が決めたのは、震災のわずか2カ月後だった。「おかみに従った方がええやろと考えた。でも自分の街は自分で守らんと。随分たってから、それがわかった」
 一方、津波で壊滅した宮城県女川町にはいま、視察者が相次いでいる。
 かさ上げした旧市街地では、JRの駅を核に、木造建屋の商店街が延びる。町役場や宿泊施設も予定され、「コンパクトシティー」が姿を見せ始めた。
 しかし、街づくりを主導した民間人グループの一人、地元紙販売所長の阿部喜英さん(47)の話を聞くと、女川に学ぶべきことは別にあるとわかる。
 被災後、街の再生への道を探ろうと、地域振興のお手本となる自治体を仲間と訪ね歩いた。
 葉っぱを「つま」に使うビジネスで有名な徳島県上勝町や、IT環境を整えて移住を呼びかける同県神山町、駅前開発に成功した岩手県紫波町……。
 ■住民が考え、動く
 結論は単純だ。「やってはいけない」のは身の丈に合わない大規模商業施設を造って観光客を増やそうとすること。「やるべきこと」は、自分たちが楽しく暮らせる街づくり。来訪者はその結果として増える――。
 「検討と決定のプロセスこそが大切」との思いも強まった。民間人が主体の復興連絡協議会。行政による作業グループ。NPOが開く「カフェ」型の放談会。女川のさまざまな場で、町がめざす方向を共有する。
 その女川ですら、今後は予断を許さない。震災前に1万超だった人口は、津波の犠牲と町外への移転で4割近く減った。
 「6千人」はくしくも、震災の8カ月前に直面した数字だ。地元の銀行関係者による講演会で、2030年の人口予想として示され、衝撃を受けた。
 その時、女川の人々はすぐに勉強会をもうけ、対策を考え始めた。その平時からの蓄積が、混乱収まらぬ12年初めの街づくり提言に結びついたという。
 住民が自らの町の未来を見すえ、学び、考え、動く。
 被災地にとどまらず、全国すべての「地方創生」で問われる姿勢だろう。
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朝日新聞 2016年3月11日(金)付
社説:震災から5年 心は一つ、じゃない世界で


 戦後最大の国難といわれた東日本大震災と福島第一原発の事故が起きた「3・11」から、5年がたつ。
 宮城県や岩手県の海沿いでは工事の音が鳴り響く。だが、暮らしの再建はこれからだ。福島県をはじめ、約17万人が避難先での生活を強いられている。
 震災と原発事故は、今もなお続いている。被災地から離れた全国で、その現実感を保つ人はどれだけいるだろう。
 ■深まる「外」との分断
 直後は、だれもが被災地のことを思い、「支え合い」「つながろう」の言葉を口にした。年の世相を表す「今年の漢字」に、「絆」が選ばれもした。
 あの意識ははたして本物だったろうか。被災地の間ではむしろ、距離が開いていく「分断」を憂える声が聞こえてくる。
 住み慣れた土地を離れる住宅移転。生活の場である海と陸とを隔てる防潮堤。「忘れたい」と「忘れまい」が同居する震災遺構。それぞれの問題をめぐり地元の意見は割れてきた。
 人間と地域の和が壊れる。その痛みがもっとも深刻なのは、福島県だ。
 放射線の影響をめぐり、住民の価値観や判断は揺れた。線量による区域割りで東京電力からの賠償額が違ったことも絡み、家族や地域は切り刻まれた。
 ささくれだつ空気の中で、修復を求めて奔走する人たちはいた。無人の町を訪問者に案内したり、自主避難者向けに福島からの情報発信を始めたり。さまざまな活動が生まれた。
 南相馬市の番場さち子さんもその一人だ。医師と一緒に放射線についての市民向け勉強会を80回以上重ねた。まずは正しい知識を得る。それが今後の生活の方針を納得して選び、前向きになる支えになると考えた。
 番場さんらがいま懸念するのは、5年にわたる苦悩と克服の歩みが、被災地の「外」に伝わらず、認識のギャップが広がっていることだ。
 「福島県では外出時にマスクは必要か」「福島産の米は食べられるのか」。県外から、そんな質問が今も続く。
 空間線量や体内の被曝(ひばく)の継続的な測定、食材の全量検査、除染作業などさまざまな努力を重ねた結果、安全が確かめられたものは少なくない。だが、そうした正常化された部分は、県外になかなか伝わらない。
 郡山市に住む母親は昨年、県外の反原発活動家を名乗る男性から「子供が病気になる」と非難された。原発への否定を無頓着に福島への忌避に重ねる口調に落胆した。「まだこんなことが続くのか」
 ■「言葉」を探す高校生
 時がたてば、被災地とほかとの間に意識の違いが生じるのは仕方のないことでもある。
 だが、災害に強い社会を築くには、その溝を埋める不断の努力が欠かせない。いま苦境と闘う人と、そうでない人とは、いつ立場が変わるかも知れない。
 福島の人びとが「この5年」を外に知ってほしいと思うのは、原発事故がもたらす分断の実相と克服の努力を全国の教訓として共有すべきだと考えるからでもある。
 模索は続いている。
 福島県広野町に昨春開校した県立ふたば未来学園高校では必修科目に演劇を組み入れる。
 指導する劇作家の平田オリザ氏が生徒たちに課したのは、「立場の違いによるすれ違いや解決できない課題をそのまま表現する」こと。
 授業の冒頭、平田氏は言う。「言っとくけど、福島や君たちのことなんて世界の誰も理解なんてしてないからね」
 関心のない人に、どうやったら自分の思いが伝わるか。それは同時に、自分が他者の思いを想像できているかを自問することにもなる。
 番場さんは、福島担当の東電役員を招いた勉強会も始めた。事故を起こした東電とあえて交流するのは、最後まで福島の再生に努める責任を負っている相手のことを知るためだ。
 この世は、「心は一つ」ではない。歴史をみれば、分断はいくつも存在した。原爆に苦しんだ広島と長崎、水俣病など公害に侵された町、過大な米軍基地を押しつけられた沖縄――。
 重い痛みを背負い、他者との意識差に傷つき悩みながら闘ってきた全国の地域がある。いま、そうした地域と福島とで交流する催しが増えている。
 ■伝わらないことから
 住む場所も考える問題も違う人間同士が「つながる」ためには、「互いにわからない」ことから出発し、対話を重ねていくしかない。
 「伝えたい気持ちは、伝わらない経験があって初めて生まれる。その点で、震災と助け合いと分断とを経験した被災地の子どもたちには、復興を担い、世の中を切りひらく潜在的な力がある」と平田氏は言う。
 被災地からの発信を一人ひとりが受け止め、返していくことから、もう一度始めたい。
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毎日新聞2016年3月12日 東京朝刊
社説:大震災から5年 慰霊の日 教訓を防災につなごう


 命の重さをかみしめ、各地で犠牲者への追悼が続いた。
 東日本大震災から5年がたった。政府主催の追悼式には、天皇、皇后両陛下や遺族代表、安倍晋三首相ら約1090人が参列した。
 津波にのみこまれた両親の死を乗りこえ、防災リーダーを目指して防災の研究をしている木村正清さんが宮城県の遺族代表であいさつした。「お父さん、お母さんの死を決して無駄にすることなく、微力ながら地域防災に貢献できるよう全力を尽くしますので、天から見守っていてください」と、呼びかけた。
 3・11は、震災の教訓を引き継ぎ、次なる災害に備える思いを新たにする日でもある。命を守ることが、犠牲者への弔いにもなる。
 防災には公助、共助、自助の三つの局面がある。行政など公的機関の役割だけでなく、地域の助け合いや個人の自立的な行動が求められる。
 東日本大震災では、巨大津波によって多くの役場が被災した。公助が期待できない場面で、避難活動などにおいて地域の役割、つまり共助の大切さが浮き彫りになった。
 共助の取り組みをどう進めるか。東京都は震災後、意欲的な防災活動をする自治会などを認定、紹介する「防災隣組」の取り組みを始めた。
 たとえば、昨年認定された板橋区の自治会は「目指せ、世話焼き日本一」のスローガンの下、自治会メンバーが2、3人でグループを作り、地域内の高齢者を定期的に訪問している。交流会も開き、生活上の不安や防災対策を話し合っている。
 阪神大震災でも、祭りなどを通じてつながりが深かった地域ほど、生存者が大勢救助されたという。老若男女が集えるような行事や取り組みを地域で工夫したい。
 防災教育と防災訓練も重要だ。三陸には、津波がきた場合、各自が高台へとまず逃げる「津波てんでんこ」の教えが伝わる。教えに基づき、繰り返し避難訓練を実施し、当日は子供たちが励まし合って避難して被害を最小限に抑えた地域があった。
 南海トラフの巨大地震では、津波が日本の広域を襲うとみられる。政府は「歩いて5分程度で安全な場所に避難できるまちづくり」を提言し、避難路の整備が進む。こうした施設を利用した訓練も大切だ。
 伊豆大島や広島の土砂災害、茨城県常総市の鬼怒川の堤防決壊など近年、記録的大雨が災害を引き起こしている。地球温暖化の影響が大きい。どこに住んでいても災害に直面する可能性がある。家族や個人で事前にできる備えは何か。減災に向け、自助の努力も忘れてはならない。
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毎日新聞 2016年3月11日 東京朝刊
社説:大震災から5年 福島の現実 向き合い、そして前へ


 日本中が震えたあの日から5年を迎えた。地震と津波による死者・行方不明者は1万8000人を超える。今も約17万4000人が避難生活を余儀なくされている。復興はまだ途上である。国を挙げて被災地の支援を続けたい。
 とりわけ、原発事故に見舞われた福島の現状は厳しい。原子力災害からの復旧のめどは立たず、古里を追われた人は全都道府県に散り散りになっている。2000人を超える震災関連死は、被災各県の中で突出している。心と体への重い負担が現在進行形で続いているのが現状だ。
被害の全体像なお不明
 除染後の廃棄物が詰まった大きな黒い袋が日々、山のように積み重ねられていく。福島の被災地のあちこちでみられる光景だ。
 どれだけの土地がどれほどの放射能で汚染され、被害回復はどんなかたちで図れるのか。避難した人たちは将来的に古里に戻れるのか。
 その問いに答えるには、放射能汚染の実態と、今も続く被害を正確に把握しなければならない。
 福島と真剣に向き合い、共に前へ進んでいくことこそ、いま求められていることだろう。
 原発事故については、政府の事故調査・検証委員会のほか、国会や民間の事故調査委員会などが、事故の経緯を検証し、報告書をまとめた。だが、原子力災害による被害に焦点を当てた政府の総括的な調査や検証はいまだ不十分だ。一定のデータの蓄積はあっても、体系化された記録は残されていない。
 福島大の小山良太教授は「原子力災害の政府報告書がないことは、事故の総括がまだされていないということだ」と指摘する。
 具体的には、避難状況や土壌などの汚染実態の把握、健康調査、農産物の検査結果などの現状分析、放射線対策への取り組みと、それに対する評価が必要だと説く。
 中でも、県内外で避難を続けている約10万人の詳細な状況調査は欠かせないのではないか。移住を決めた人が増えているが、将来を見通せない人はなお多い。
 自主避難者を含め、どんな困難に直面しているのか。その現実を把握して初めて個々の人に寄り添った選択肢の提示が可能になるはずだ。
 たとえば、チェルノブイリ原発事故を起こした旧ソ連のウクライナと隣国ベラルーシは事故後、5年に1度、詳細な報告書を作成している。
 ウクライナの報告書には、放射能汚染の動向や住民の健康状態、経済的影響といった項目が並ぶ。政府が責任を持って報告書を公表する姿勢は評価できるだろう。
 本来、被害の実態が明らかになって初めて復興の過程が描ける。回復すべき損害の範囲も見えてくる。現在はその出発点があいまいなまま、復興政策が独り歩きしている。
 品質に定評があった福島の米は、全量全袋検査で安全性が担保されるが、震災前の評価に戻っていない。風評被害でブランドイメージが損なわれ、流通の段階で価格が安く抑えられる構図が定着してしまった。だが、そうした構造的な問題は、賠償には反映されない。農業政策の見直しにもつながっていない。
「福島白書」の作成を
 住民への賠償問題がこじれているのも根っこは同じだろう。各地の地裁に起こされた集団訴訟の原告はいまや1万2000人以上だ。政府が決めた指針と賠償の枠組みが、被災者の感じる被害の実態とかけ離れているのだろう。
 この現状をどう見るか。国会事故調で委員長を務めた黒川清・政策研究大学院大客員教授が先週、日本記者クラブで会見し、こう述べた。
 「何をするにも誰が責任者かはっきりしない。リーダーの無責任という日本社会の現実が、ご都合主義のごまかしの対応を生み、国際社会の信頼を失っている」
 この国の根幹にかかわる指摘だ。今後の5年を、これまでと同じスタンスで歩んではならない。地に足をつけた政策が求められる。その礎とするために、原子力災害による被害を真っ正面から見据えた年次の「福島白書」の作成に国を挙げて取り組むべき時ではないか。
 そして、作成に責任を持つことこそ政治の役割だ。
 省庁のタテ割りというしがらみにとらわれないためには、国会事故調のようなかたちで、国会が主導するのも一案だ。検討してもらいたい。
 福島の被災地でも、少しずつ復興のきざしが見え始めている。
 南相馬市の小高区について、政府は来月の避難指示解除を打診した。生活インフラは不十分で、帰還をめぐる住民の意見も割れる。それでも、一時帰宅者が増え、真っ暗だった夜間の住宅街に、ぽつりぽつりと明かりがともり始めたと住民は語る。
 古里を取り戻すまでの道のりは遠いが、未来に向けこの明かりを確かなものにしなければならない。国民の支えがその原動力になるだろう。
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毎日新聞 2016年3月9日 東京朝刊
社説:大震災から5年 津波被災地 生活再建に力点移そう


 東日本大震災発生から5年にあたり、復興も節目を迎える。政府はこれまでの集中復興期間を終え、新たな基本方針で被災地支援にのぞむ。
 津波で被災した人たちの高台などへの集団移住はようやく約3割が実現したが、人口減少や高齢化の厳しい現実に直面しているケースも多い。生活を維持していくため、何が必要とされているのか。
 宮城県気仙沼市南部の沿岸にある小泉地区。山林を造成した宅地に新築の戸建て住宅が春の日差しを浴び、整然と並ぶ。
集団移住に生じた誤算
 津波で大きな被害を受けた小泉地区は住民が早くから協議を重ね、高台への集団移住を進めた。学識経験者のアドバイスを受けての住宅街づくりは住民主導のモデル地域と目されている。
 だが、5年の年月は誤算も生んだ。造成を待ちきれず他の用地をみつけたり、故郷を離れたりする人も相次いだ。当初予定の約90区画より縮小した65区画を整備したが、それでも17の空き区画が生じた。
 住民が一番困るのは商店の誘致が進まず、買い物に遠くまで行かねばならないことだ。同じ地区に建てられた復興住宅には高齢世帯も多い。集団移住の取りまとめ役、及川茂昭さんは「交通手段の確保に行政はもっと目を向けてほしい」と語る。
 政府は集中期間に総額26兆円の予算枠を設けた。とりわけ、津波で住居を失った人々の高台・内陸部への集団移住や、土地かさあげによる大規模な区画整理事業を「創造的復興」の中核と位置づけてきた。高台移転の費用は全額国が負担したため、多くの地域が実現に動いた。
 宮城県岩沼市のように住民が丹念に話し合い、移住が比較的順調に進んだ地域もある。沿岸のコミュニティーを維持し、人々の離散を防ぐうえで、集団移住は一定の役割を果たしたと言えよう。
 だが、被災地全体を見渡せば、事業の長期化などで多くの地域の青写真に狂いが生じている。時間の経過とともに移住をあきらめた人も多く、計画は当初の2万8000戸から約8000戸縮小した。
 東北沿岸の多くの地域はもともと過疎や高齢化に悩んでいた。震災は若い世代の流出に拍車をかけた。国勢調査によると、岩手県は震災前より沿岸の全市町村で人口が減り、宮城県も女川、南三陸町などで深刻な減少だった。
 せっかく集団で移住しても最初から若者が少ない「限界集落」のようなケースもある。これでは集落を維持できるかが危ぶまれる。
 岩手県陸前高田市などでは大規模な土地のかさ上げ事業にまだ時間を要する。5年以上に及ぶ仮設住宅での生活を住民に強いる手法が本当に適切だったのか。国は地域の実情に応じた選択肢を提示できたかの検証を進めるべきだろう。
 想定以上に住まいの復興が長引き、生活再建が難しくなっていることを政府は十分にわきまえるべきだ。今後5年間を復興の仕上げを目指す期間とするが、総額6・5兆円規模の財源の多くは防潮堤や道路工事などインフラ整備にあてられる。
若者が参加する復興を
 公共事業中心から生活支援や産業の創出などソフト重視へはっきりかじを切るべきだ。景観保全をめぐり議論を呼んだ巨大防潮堤の整備は資材不足や人件費の高騰で遅れている。必要な高さなどについて、柔軟な再点検を求めたい。
 大切なのは、新たな雇用を生み出し、コミュニティーを維持するためのまちづくりだ。被災地に単に「自立」を促しても地域の持つ力を引き出すには限界がある。国や自治体の支援以上に企業、NPO、個人など民間の発想がますます必要になる。
 いくつかのヒントはある。宮城県石巻市では地元と県外のサポーターが連携してまちづくりを進める社団法人「石巻2・0」が「3・11前の状態に戻すなんて考えない」と震災前を上回るまちづくりを合言葉に地域再生に取り組んでいる。
 ボランティアをきっかけに移住を希望する若者の起業を応援したり、交流の場を設けたりするなどプロジェクトを展開している。横浜市在住の建築家で活動に加わる西田司さん(40)は「復興には外からの若者の参入が欠かせない」と語る。
 気仙沼市・唐桑半島でも各地から移住してきた若者たちが地域おこし活動を始めている。ひとつひとつはまだ小さな流れかもしれないが、こうした胎動に注目したい。
 高台の住宅街や復興住宅では今後、空き区画や空き部屋の活用が課題となるだろう。被災地に関心を持ち移住を希望する若い世代に居住の門戸を広げるような発想も、地域を維持するため必要ではないか。
 人口減少や高齢化が凝縮する被災地は将来の日本の姿を映し出している。国民全体の課題として復興を受け止め、まちづくりの長い道のりを支えていきたい。
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毎日新聞 2016年3月8日 東京朝刊
社説:大震災から5年 自治体の支援 人は今も不足している


 東日本大震災の被災自治体を支えているのが全国の自治体から派遣されている職員たちだ。政府によると、これまで延べ9万人を超す職員が派遣され、現在も約2200人がさまざまな公務にあたっている。
 今後数年間はなお多くの「人の需要」が見込まれるだけに、国や地方は要員確保に万全を期す必要がある。将来の災害への備えとして、自治体間支援の重層化を図りたい。
 大震災では岩手、宮城県などで役場の機能が津波でまひするケースが相次いだ。岩手県大槌町の場合、約300人の職員の3分の1以上を他自治体からの派遣職員が占める。
 多くの自治体は高台移転などに伴う膨大な事務をこなす要員を必要としている。都道府県から派遣された職員だけでなく、身近な行政に詳しい市町村職員がこうした実務の支え役になった。自治体協力の重要さを大震災は再認識させたと言える。
 だが、発災から5年近くを経て、応援職員の確保が危ぶまれている。インフラ整備などが進む被災自治体ではこれから数年間の職員需要がピークを迎える。これに対し、派遣元の自治体は職員定数削減などで要請に応じきれずにいるためだ。
 2015年度は政府を窓口に被災自治体から約1400人の派遣要請があったが、200人程度が不足した。16年度はすでに約1550人の応援要請が来ている。
 国は全国知事会、市長会などに協力を要請している。だが、現状ではこころもとない。
 現役職員の確保が難しいのであれば、専門知識を持つOBの期限つき再雇用などによる派遣などをこれまで以上に進めるべきだ。被災地側の希望で「1年間」が多い派遣期間の短縮も、やむを得ない場合は検討対象となろう。
 応援で得られた経験を今後に生かすことも大切だ。大規模災害に備え派遣経験を持つ職員を「人材バンク」のように登録したり、派遣先で得た教訓を記録として共有したりする努力を惜しんではならない。
 政令市のような大都市が被災自治体のパートナーとなり復興支援に取り組むケースもある。名古屋市は岩手県陸前高田市に重点支援を行い、これまで職員延べ200人近くを派遣した。両市は子どもたちの交流を行うなど関係を深めている。
 総務省消防庁によると他の都道府県にある自治体と災害時の支援協定を結ぶ市町村は大震災後に増え、1240団体と全体の約7割にのぼる。災害時支援の欠かせない要素として、平時から協力関係の拡充に取り組んでほしい。
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毎日新聞 2016年3月7日 東京朝刊
社説:大震災から5年 原発事故 日本は何を学んだのか


 あの福島第1原発の過酷事故から私たちは何を学び取ったのか。新たな社会をどう築けばいいのか。
 この5年を振り返ると、もどかしさが募る。対策を取っても原発事故は起きうる。地震・火山大国である日本にとってそのリスクは他国の比ではない。困難はあっても、原発に頼らない社会を築いていきたい。次々と爆発する原発の恐怖に、多くの人が決心したはずだった。
 それから5年、古里に帰れず避難先で生活する人々は今なお10万人に上る。放射能汚染は土地を奪い、産業を崩壊させ、家族やコミュニティーの分断を招いた。
政策決定は逆戻りした
 これほどの犠牲を目の当たりにしながら、政府は原発維持政策を打ち出し、電力会社はこの1年で原発4基を再稼働させた。「もう福島のような事故は起こらない」。そんな言葉さえ聞かれるようになった。日本はこのまま原発回帰の道を歩んでいいのか。過酷事故の原点に戻り、立ち止まって考えたい。
 事故直後、民主党政権は政策を転換し、「2030年代に原発ゼロ」を打ち出した。国民の意見を反映させる新方式を採用した結果だったが、自民党政権は方針を撤回、「依存度を下げる」としつつ原発維持の政策を決定した。30年時点での電源構成を決めるにあたって優先されたのは目先のコストだ。国民の意見をくみ上げる工夫もなく、政策決定の仕方は事故前に逆戻りした。
 毎日新聞は、原発のない社会をめざしつつ、経済的・社会的リスクに留意し、一定の条件の下では再稼働もやむをえないと考えてきた。ただし、それは国民の納得が前提だ。住民の安全確保も必要条件で、そのための規制は確かに変わった。独立した規制委員会が設けられ、規制基準は厳しくなった。安全対策も以前とは違い、過酷事故を起こした後の対応まで考慮されるようになった。
 ただ、これは世界の常識であり、事故前の日本の不備を世界標準に合わせたに過ぎない。住民を被ばくから守る「防災対策」が規制の対象外で、地域の防災計画や住民避難をチェックする責任を規制委が負わないといった課題は残されたままだ。米国では規制の対象であり、日本も見直しが必要だ。
 事故対応の司令塔機能や国民への情報公開が大混乱したことの反省も生かされているとは言い難い。今ごろになって、東京電力による「炉心溶融(メルトダウン)」の判断が早期に公表できたはずであることが明らかになったが、これは情報公開のあり方が検証されてこなかったことの表れでもあるだろう。
 九州電力が事故時の対策拠点となる免震重要棟を原発再稼働後に造らないと言い出したことも考え合わせると、事故後に再三言われた事業者の安全文化向上にも疑問符が付く。「規制基準さえ満たせばいい」という気分がはびこるようになれば、安全神話が復活する。規制委も事業者も、「重大事故は起きうる」と言い続け、事故対応のあり方を常に点検していかなくてはいけない。
脱依存社会あきらめず
 先月末には事故当時の東電の幹部3人が検察審査会の議決に基づき強制起訴された。あれほどの大事故を起こしながら誰も刑事責任を問われていないことに納得のいかない人は多いはずで、その国民感情に沿ったものだろう。こうした「無責任体制」は、事故後も変わっていない。過酷事故が起きた時の責任を、誰が、どのように取るのか。はっきりさせておく仕組みが必要だ。
 事実上破綻している核燃料サイクルを政策転換できないことの問題も大きい。このままだと使用済み核燃料の再処理で生じるプルトニウムを消費するために原発を動かすことになり、「脱原発依存」に反する。政府は再処理延命策を講じようとしているが、むしろ、直接処分に道を開くことの方に力を注ぐべきだ。
 原発を即ゼロにしても逃れられないのが高レベル放射性廃棄物の最終処分だ。事故後、政府は処分場候補地の選定方法を変更し、今年中に「科学的有望地」を公表する方針だ。しかし、人々の合意をどう取り付けていくのか、本気の姿勢が感じられない。この問題を先送りにしたまま再稼働を進めることは、やはり、事故前への後戻りでしかない。
 こうしてみると「本質的なことは何も学ばなかった」と言いたくなるが、あきらめず一つずつ解決していくことが大事だ。世間の節電意識が薄れたとしても、失われたわけではない。昨夏の猛暑でも電力供給に問題が生じなかった背景には節電効果もあるはずだ。
 原発依存への回帰を防ぐもう一つの望みは電力会社の地域独占を排するシステム改革かもしれない。透明性のある競争を取り入れつつ、再生可能エネルギーや省エネの最大限の導入を後押しする。日本が選択できる道はまだある。原発に依存しない社会に向けかじを切り直したい。
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毎日新聞 2016年3月6日 東京朝刊
社説:大震災から5年 緊急事態条項 まずは必要性の検証を


 災害大国である日本の法体系に不備はないのか。あるとしたらどう手当てすべきか。東日本大震災の経験を踏まえた点検は不断に必要だ。
 その際の論点の一つに、緊急事態条項がある。緊急時の政府対応や国会議員任期の特例などを憲法に書き込んでおくべきか否か、である。
 憲法改正に執着する安倍晋三首相は、この条項の創設を改憲の突破口にしたいと考えているようだ。
 今年に入って「いよいよどの条項について改正すべきか新たな段階に入った」「緊急時の国家の役割を憲法に位置づけることは極めて大切な課題だ」などと述べている。2日には「私の在任中に成し遂げたい」と改憲の時期にまで踏み込んだ。
 首相は中身については何も語っていない。しかし、自民党が2012年にまとめた憲法改正草案の緊急事態条項を読む限り、とても容認できるようなものではない。
 まず、首相は「外部からの武力攻撃、社会秩序の混乱、大規模な自然災害」などに際して緊急事態を宣言できる。宣言が発せられると、内閣は「法律と同一の効力を有する政令」を制定できる。そして、国民は「何人も国その他公の機関の指示に従わなければならない」−−。
 自民党案が、非常時における行政権限の大幅拡大と私権の制限に力点を置いていることは明らかだ。
 これに対し、緊急時でも守られるべき国民の権利を書き込むことこそ条項の目的だという意見も根強くある。緊急事態条項が権力に乱用されてきた歴史が各国にあるためだ。
 すなわち、緊急事態条項の趣旨や目的のとらえ方が、立場によって大きく異なり、共通理解の成立に至っていないのが実情である。
 議論を整理するには、何よりも5年前の検証作業が欠かせない。
 大津波の襲来と原子炉の暴走が同時進行したことで、避難指示の決め方から救援物資の搬送、自衛隊の派遣、放射能に関する情報提供まで、政府の初動は混乱を極めた。
 そこに法律の不備があったのか。法運用の仕方で解決できたものは何か。法律を超えて憲法上の根拠を必要とするものがあるのか。
 事実に即したこれらの検証なしに、緊急事態条項さえあれば今後は支障がないと考えるのは幻想だ。逆に冷静な検証を積み上げて初めて条項創設の是非は、まっとうな政治課題になるだろう。決して改憲のための改憲であってはならない。
 かけがえのない古里を追われた福島の人びとは、憲法25条の保障する生存権を脅かされたままだ。改憲以前の過酷な現実が日本にはある。
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毎日新聞 2016年3月4日 東京朝刊
社説:大震災から5年 中小企業支援 事業の持続力高めよう


 被災した中小企業の経営が転換点を迎えている。国の「グループ補助金制度」に基づき約1万社が4700億円の補助を受け、地域産業が壊滅する事態は避けられた。しかし、5年がたって売上高などの格差がはっきりし始めている。事業再開の後押しから、事業の持続に向けた対策への転換を急ぎたい。
 この補助金は、大災害でも企業に公的資金は投入せずとの前例を破って創設された。阪神大震災や新潟県中越地震の時にはなかった政策だ。
 中小の事業者がグループを組めば、工場や商業施設の設備復旧に国50%・県25%の補助が出る仕組み。製造業や水産加工、旅館、商店など幅広い業種に恩恵は及んだ。本社屋や蔵などが全壊した酔仙酒造(岩手県陸前高田市)が8億円の補助を受けて再建できたのをはじめ、「早期に操業再開できた」「貸し付けだけでは再建に踏み出せなかった」と評価されている。
 緊急対応としての効果は大きかったが、補助を受けた企業の課題が表面化しつつある。
 経済産業省東北経済産業局の昨年の調査によると、東北4県では「売上高が震災前の水準かそれ以上に回復」と答えた企業が45%ある一方で、「売上高は震災前の半分以下」との企業も31%あり、この割合は増えている。復興特需が一段落するなどの変化が背景にあるようだ。
 補助金とともに公的な災害復旧貸し付けを利用した企業も多い。これらの企業に当初5年の返済猶予期間が切れる時期が、次々に到来する。このため、これまで少なかった倒産の増加が心配されている。
 さきの東北経済産業局の調査では、経営課題として「人材の確保・育成」という回答が最も多く、「販路の確保・開拓」が続く。課題の解消に向け、地域の実情を知る地方銀行や信用金庫などの地域金融機関、各地の商工会議所などの役割が改めて期待される。将来を見据えた経営支援策を練ってもらいたい。
 被災地の現状は、全国の中小企業や地域経済が人口減少の時代を控え、直面しつつある姿だろう。解決のヒントが得られれば、他地域に応用できる。裏返せば、被災地での経済再生なくしては「地方創生」も絵空事に終わるということだ。国はそうした視点に立つべきである。
 被災地は、潜在的な価値を持つ資産はあるのに、新しい着眼点やビジネスにつなげる発想に欠ける面もある。官民のすぐれた人材を派遣するといった新たな策も必要だ。補助金で危機を救われた事業を持続的な営みにする取り組みが欠かせない。
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毎日新聞 2016年3月1日 東京朝刊
社説:大震災から5年 忘れない 一人一人の交流を力に


 あの時、私たちのほとんどが被災地へ思いをはせたはずだ。
 自分に何ができるのか。大勢のボランティアが何十時間もかけて現地へ駆けつけた。街頭に立って募金への協力を呼びかけ、それに応じる人もたくさんいた。
 東日本大震災から間もなく5年になる。復興事業の大型トラックが行き交う中、ボランティアはずいぶん減った。被災地を歩くと「東京の人は震災を忘れかけていないだろうか」「まだ復興は遠いのに」という声を聞く。
 時の流れはいや応なく記憶を薄れさせる。それでも地道に活動する人たちがいる。震災を忘れず、息の長い支援を続けたい。
支援が風化を防ぐ
 兵庫県立舞子高校(神戸市)環境防災科の生徒たちは2011年4月以降、毎年被災地を訪れている。環境防災科は全国で唯一、防災を専門に学ぶ学科だ。当時、引率した諏訪清二教諭が著書「高校生、災害と向き合う」にその様子を記している。
 がれきの片付けや家の泥かきをした。被災者からも話を聞く。目の前にいた子供を津波から救えず、自分を責める高齢の男性がいた。避難した小学校の体育館で、濁流にのまれていく住民を見ているほかなかった人も多い。
 生徒たちは夜のミーティングで時に声を詰まらせながら報告する。そして支援の方法を繰り返し議論したという。その経験が彼らにもたらしたものは計り知れない。
 生徒たちは被災地で「若い人がこれだけがんばっているんだから、私たちもがんばらないと」という声をよく聞いた。被災者の心の支えになったのではないか。
 神戸市では震災を知らない世代が増え、記憶の風化が進む。同校の生徒たちは東北の被災地などで見聞きしたことを神戸でも伝えている。それが阪神大震災の風化を防ぐことにもつながるだろう。在校生はこの夏も被災地で支援活動をする。
 原発事故に見舞われた福島県の調査によると、「ふくしまに関心がある」「応援する気持ちを持っている」という他県の人たちの割合が、わずかだが減る傾向にある。一方、県産の農林水産物の価格はなかなか回復せず、修学旅行や合宿での宿泊者数も震災前の半数に満たない。
 県は昨年9月、「福島県風評・風化対策強化戦略」を発表した。担当者は「風評と風化の両方に悩まされている」と言う。
 それでも、やはり他の被災地との結びつきは心強い。神戸市は、阪神大震災の経験や復興のノウハウを福島の人たちに伝える民間の活動を支援している。神戸市で活動するNPO法人の一つは、いわき市のNPO法人と協力し、復興住宅のコミュニティーづくりに取り組む。人の交流は、ここでも互いの理解と共感を深める。
 震災の経験を教育に生かす試みは東北でも始まろうとしている。
 宮城県多賀城市の県立多賀城高校には4月、「災害科学科」が開設され、40人が入学する。防災教育の専門科は舞子高校に次いで全国で2番目となる。
教訓を後世に伝えたい
 多賀城高校は舞子高校の視察を重ねた。「阪神大震災の経験を生かした教育内容を参考にする」という。両校の生徒は交流を進める予定だ。
 一方で、被災地を訪れなくても支援はできる。何らかの方法で応援したいと思っている人は決して少なくないはずだ。
 津波被害が甚大だった岩手県陸前高田市の仮設住宅には、小さな図書館がある。市の図書館は全壊し、蔵書も流された。図書館を作るために、仮設住宅で暮らす女性がネットで募金を呼びかけたという。
 「建設している空っぽの図書室を本でいっぱいにするお手伝いをしていただけませんか」
 「こんなときだから、今出会う本が子どもたちの一生の支えになる」
 公益社団法人「シャンティ国際ボランティア会」(東京)が活動を支援した。寄付は本の購入に充てられ、一定額以上を寄付した人は同時に自分が贈りたい本を1冊指定して図書館に収められる仕組みにした。
 目標額をはるかに超える寄付が集まり、約1万8000冊がそろった。被災地に行けなくても、被災者の役に立つことができる。寄付金だけでなく、一冊の本を介して被災者とつながる喜びが大きかったのではないだろうか。
 本には「○○県の○○さんからの贈りもの」と記されていた。寄付者の中には、遠くから図書館を訪ねてきた人もいるという。
 人と人との交流が大きな力を生む。そして震災を忘れず、後世に教訓を伝え続けることが、災害に備える最も有効な方法にもなり得る。
       ◇
 3・11が再び巡ってくる。5年の節目に、さまざまな角度から被災地の現状や課題をシリーズで考える。
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