2016-03-12(Sat)

3・11東日本大震災・福島原発事故5年 各紙社説等(2)

命の安全第一に フクシマから日出ずる 被災者に寄り添った政治こそ 

<各紙社説・主張>
日本経済新聞)「災後」5年が問う(下) 社会のつながりで被害の最小化を (3/12)
日本経済新聞)「災後」5年が問う(中) 原発事故に向き合う姿を世界に (3/11)
日本経済新聞)「災後」5年が問う(上)柔軟な発想で被災地の自立めざせ (3/10)
東京新聞)3・11から5年 フクシマから日出ずる(3/12)
東京新聞)3・11から5年 故きを温ね次に備える(3/11)
東京新聞)もう一度、原発事故調を 3・11から5年(3/9) 
東京新聞)命の安全第一に 3・11から5年(3/8)
しんぶん赤旗)東日本大震災5年 被災者に寄り添った政治こそ(3/11)
しんぶん赤旗)福島原発事故5年 拡大する被害を直視してこそ(3/10)




以下引用



日本経済新聞 2016/3/12付
社説:「災後」5年が問う(下) 社会のつながりで被害の最小化を


 人と自然が織りなす歴史で、災害がなくなることはあり得ない。人にできるのは被害をできるだけ小さくする「減災」の努力である。それにはどうしたらいいのか。東日本大震災の教訓は人、企業、行政が連携できた時に可能になるということだ。キーワードは「つながり、つなぐ」である。
共助への準備が必要に
 大震災後、日本列島では地震活動が高まり、御嶽山や口永良部島など火山も噴火した。9世紀後半、大地震や噴火が重なった貞観期の再来とみる研究者は多い。
 政府は西日本の太平洋沿いで起きる南海トラフ地震や首都直下地震への備えを強めている。南海トラフでは最悪32万人、首都直下でも同2万人の死者が予想される。行政などの関心が2つの地震ばかりに集まり、他の地域で備えが手薄になっているのも気がかりだ。
 まず最初に考えなければならないのは人のつながりである。
 1995年の阪神大震災では大学生などが神戸に駆けつけボランティア元年と呼ばれた。東日本大震災では個人、大手企業、被災地の零細企業、各地のNPOが横につながり、支援や地域再建の新しい形を探る「つながり」元年となった。支えたのはIT(情報技術)だ。
 宮城県気仙沼市では元マッキンゼーのコンサルタントが起業、地域おこしに関心の高い地元の女性たちを指揮し手編みの高級セーターを製作。ネットで全国に販売し好評だ。
 住民の帰還準備が続く福島県南相馬市では家の片付けや草刈りに人手が要る。NPO法人災害復興支援ボランティアネットはITで首都圏の参加希望者を呼び込み年間数千から1万人を派遣する。
 こうした支援の体験を企業、団体、自治体、個人などが蓄積していくことが、そのまま「次」への備えになる。日ごろから社会参加や助け合いに慣れておくことが非常時の大規模な共助が機能するための最大の準備になる。
 次は企業のつながりである。5年前、車載用の半導体工場が被災して生産が数カ月間滞った自動車産業では、一部の部品会社が被災しても、海外を含む他社から供給を仰ぎ、急場を乗り切る「調達先の複数化」を進めている。
 自動車会社と直接取引する1次メーカーだけでなく、その下に連なる2次、3次の下請け会社についてもきちんと把握し、部品や素材の流れの全容をつかむ「供給網の見える化」も大きな課題だ。
 気になるのは、非常時の行動指針を定めた「事業継続計画(BCP)」の作成が伸び悩んでいることだ。NTTデータ経営研究所の調査によると、BCPを策定済みの企業の割合は2013年1月に40.4%と大震災前の1.5倍に増えたが、2年後の15年1月時点でも40.8%と足踏みした。「のど元過ぎれば熱さ忘れる」では緊急時に的確に対応できない。
 行政のつながりも大事だ。大震災では東京都杉並区が「スクラム支援」と名付けて、災害に備えた相互援助協定を結ぶ3市町と協力し、南相馬市に職員を派遣、避難所を提供するなど広域的に助け合う試みが成果を上げた。
効果的なITの活用を
 災害時の支援先を事前に決めておく動きも震災後に広がっている。中四国9県では鳥取と徳島、岡山と香川などと組み合わせをつくり、相手が被災した場合には要請を待たずに支援に乗り出す。こうした仕組みは、常日ごろから交流していてこそ生きる。支援内容も定期的に見直すことが必要だ。
 災害時に自治体が機能を維持できるかも問われる。大震災では戸籍台帳やカルテが津波で流され重要情報を失う深刻な事態を招いた。その反省から情報を安全に管理し行政機能が滞らない体制をつくる大切さを痛感したはずだ。
 それにはITの活用が効果的なはずなのに、そうした行政が全国に広がったとは言い難い。この5年で一段と進化したクラウド技術を使えば、情報を共有し、離れた場所でも共同作業するのも容易になった。使いこなそうとする自治体は一握りにとどまる。
 「地震の現象」は人間の力でどうにもならなくても「地震による災害」は注意次第でどんなにでも軽減できる――。物理学者で随筆家の寺田寅彦が何よりも備えの大切さを説いた言葉だ。あれから5年、改めてかみしめたい。
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日本経済新聞 2016/3/11付
社説:「災後」5年が問う(中) 原発事故に向き合う姿を世界に


 東日本大震災がもたらした東京電力・福島第1原子力発電所の事故の影響で、なお10万人近い住民が避難を余儀なくされている。
 この事故に国民全員が向き合い続け、教訓をくみ取らなければならない。国際社会に対しては、放射能汚染の実態や廃炉の状況を包み隠さず伝える責務を負う。原発をどう利用していくか、事故を踏まえた展望を示すべきだ。
廃炉に確かな道筋を
 まず確認しておくべきは、事故が収束したわけではないことだ。福島第1原発では、水素爆発で壊れた3号機の原子炉建屋などが残骸をさらしている。40年以上かかる廃炉は、やっと入り口に立ったにすぎない。
 敷地には放射能を含んだ汚染水のタンクが1千基以上も並ぶ。海への流出は防護壁ができて落ち着いてきたが、原子炉の建物に地下水が流れ込んでいるため汚染水の量は増え続けている。
 東電は建物を囲むようにして地下凍土壁をつくり、今月中にも稼働させる。だが実際の効果は不透明だ。凍土壁が思惑通りに働かない事態も想定し、国や東電は次善の策を考えるときだ。
 現状では汚染水から多くの放射性物質を除いてもトリチウムが残る。海への放出には漁業者らの不安が強い。全力をあげて理解を得る必要がある。トリチウムを減らす技術開発にも注力すべきだ。
 溶け落ちた核燃料の状況はいまも分からず、その取り出しは廃炉への最難関になる。国や東電は2021年の開始をめざしてロボットや遠隔操作技術の開発を進めている。国は850億円を投じて新たな研究拠点もつくった。
 そこでの研究を研究だけに終わらせてはならない。現場で何が必要か見極め、成果を活用できたかチェックする仕組みが要る。廃炉には毎年数千人以上の作業員がかかわる。長期的な人材確保もいまから考えておくべきだ。
 事故で原発の「安全神話」は崩れた。事故のリスクを直視し、リスクをいかに最小限に抑えるか。地に足のついた「安全と安心」を築き直す必要がある。現状は道半ばと言わざるをえない。
 かつての規制当局に比べ行政や電力会社からの独立性が高い原子力規制委員会が発足し、既存原発の稼働を認めるかどうかの安全審査を進めている。これまでに九州電力川内原発など5基が合格し、東電柏崎刈羽など9基も大詰めを迎えている。
 規制委が真価を問われるのはこれからだ。審査中の原発には直下に活断層があると疑われたり、巨大地震の震源域にあったりするものがある。稼働から40年を超え老朽化が懸念される原発も多い。
 関西電力高浜3、4号機をめぐって大津地裁が規制委の審査に疑義をはさみ、運転の差し止めを命じた。規制委が考える安全と国民が考える安全の間に隔たりのあることが、浮き彫りになった。
 稼働には地元の同意も欠かせない。事故時に住民が避難すべき地域が複数の道府県にまたがる原発もある。規制委や電力会社任せにせず、政府が前に出て調整する場も必要だろう。
原発の長期展望示せ
 日本がエネルギー政策のなかで原発を長期的にどう位置づけていくか、世界が注視している。福島の事故を受けドイツやイタリアは脱原発を決めた。一方で中国やインドなどは原発を増やしつつ、福島事故の教訓から学ぼうとする姿勢もみせている。
 地球温暖化防止に向けた「パリ協定」が昨年末に採択され、温暖化ガスの排出が少ない原発の役割は改めて注目されている。他方、原油安が続けば化石燃料への依存が続く可能性もあり、世界のエネルギー情勢は混沌としている。
 日本政府は原発への依存度を下げ、震災前に3割だった発電比率を30年に2割強にする目標を掲げた。だが古い原発の更新(リプレース)をどうするかなど、長期的にどう利用するかは曖昧だ。
 ほかにも答えが出たとはいいがたい問題は少なくない。高速増殖炉もんじゅや核燃料サイクルの計画を維持するのか。使用済み核燃料から出る核のごみの処分地をどこにするのか。
 福島の事故を絶えず問い直し、原発の安全性を高めると同時に、原発のありようも含めたエネルギー利用の長期展望を日本は示していかなくてはならない。
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日本経済新聞 2016/3/10付
社説:「災後」5年が問う(上)柔軟な発想で被災地の自立めざせ


 1万8千人を超す死者・行方不明者を出した東日本大震災から5年。今も自宅を離れて暮らす人が18万人に上る。被災地の自立に向けて復興を加速し、この5年の教訓を改めて胸に刻みたい。
 海猫が羽ばたく様子をイメージして建設し、温浴施設も併設した宮城県女川町のJR女川駅。駅から海に向かう遊歩道沿いには商業施設も開業し、ホールやスタジオが入る交流施設も完成した。
復興状況の格差目立つ
 駅舎は元の場所よりも200メートル内陸側のかさ上げした土地に建てた。町役場なども近くに整備する予定で、コンパクトな街をめざす女川の新たな拠点になる。
 宮城県気仙沼市では、新たに整備した2カ所の用地に水産加工施設の集積が進む。すでに30社以上の工場や冷蔵施設が稼働し、最終的には80社近くが集まる見込みだ。震災以前は各地に分散していた施設を集約することで、生産性を高める狙いがある。
 被災地では今、新たな街や施設が次々と完成している。その一方で、岩手県大槌町のように中心部ですら土地のかさ上げ工事が続き、人影が少ない地域もある。
 5年という時が流れ、被災地の復興には格差が目立ってきた。地域の状況に応じたさらにきめ細かな支援策が必要になっている。
 復興が遅れている福島県の原子力発電所の周辺地域も同じだ。避難指示が出された区域のうち、指示が解除されたのはまだ2割弱だが、2017年3月までには除染が進み、多くの地域で住民が戻れるようになる見通しだ。
 しかし、震災から5年間は戻ることは不可能とされた「帰還困難区域」では除染作業すら始まっていない。双葉、大熊、浪江などの町役場は今も町外にある。
 この区域でも放射線量が低下している地域はあるから、政府は早急に帰還困難区域を再編・縮小すべきだろう。外れたところは除染に取りかかり、住民が戻れる生活環境を整えてほしい。
 半面、区域内では原発事故の後始末が長引き、除染で生じた汚染土を保管する中間貯蔵施設の建設も予定されている。全地域で除染し、全員帰還をめざすのが理想だが、もはや現実的とはいえなくなりつつある。
 震災で被災した自治体の多くが今、頭を悩ませていることがある。「戻らない被災者」問題だ。避難先ですでに職を得ている、病気がちで生活をやり直すことが難しいなど、理由は様々だろう。
 被災地全体で3月末までに災害公営住宅の6割、高台の宅地の45%が完成する。住宅再建はまだ途上といえるが、戻る住民が減った結果、すでに公営住宅では空きが目立ち始めている。
 政府は16年度からの5年間に6兆5千億円を投じて、復興の総仕上げに取り組む方針だ。事業が過大になった地区では計画を機動的に見直すことが欠かせない。
 一方で、せっかく整備した新たな街だ。人口減がさらに進む将来をにらみ、地域の内外から幅広く人材を受け入れる種地として、柔軟に活用する発想も要るだろう。
訪日客増やす工夫を
 被災地では産業再生も遅れている。内陸部への工場立地は増えたものの、地場企業の多くは震災前の売り上げを回復していない。被災地が自立するためには、復興特区制度のような政府の支援策と併せて、自助努力も欠かせない。
 例えば、訪日客の受け入れだ。日本では観光というと娯楽のイメージが強いが、歴史や災害について真摯に学び、今後に生かしたいと思う人は多い。津波や原発事故で被害を受けた施設を計画的に保存し、学習施設などを併設すれば、観光の目玉にもなる。
 人類社会が経験した悲しみや過ちの記憶について時代を超えて伝える「ダークツーリズム」という手法だ。ナチスのユダヤ人収容所、ニューヨークの同時多発テロの跡、広島の原爆ドームなどがある。近年ではインドネシアのアチェに津波博物館ができた。
 こうした施設は被災者につらい記憶を思い出させるだろう。しかし、それは「次」への心構えを確認する貴重な遺産にもなる。
 私たちに今、最も必要なことは震災の風化を防ぐことだ。再び日本列島を襲うであろう大災害に備えながら、被災地の復興を成し遂げる。あの日の決意を改めて思い起こしたい。
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東京新聞 2016年3月12日
【社説】3・11から5年 フクシマから日出ずる


 原発の代わりはそこにある。省エネは最強の再生可能エネルギー源-。そうと決めたら、この国は資源の宝庫。フクシマから始める風と光と大地の時代。
 福島県いわき市の「いわきおてんとSUN企業組合」が保有する「おてんと号」は、世界に一台しかない特別な自動車だ。
 元は広島の民放テレビの中継車。使用済みの廃食油を回収し、製油して、ディーゼル発電機を回せるよう、改造を施した。
 太陽光、風力、マイクロ水力といった各種発電システムや、蓄電池、直流を交流に変換するインバーターなども搭載された、まさに究極の電源車。
 目の前でつくりたての電気を使って料理をしたり、映像を見せたり、音楽を流したり…。コンサートの音響や夜間イベントのライトアップなどにも威力を発揮する。
 はんだごてを用いて太陽光パネルの手作りを試みるレトロな「おでかけ教室」は、子どもたちにも特に人気が高い。
 ボディーに描かれた笑顔満開の子どもたちのイラストは、遠くからでもよく目立つ。
 おてんと号を操って、県内や隣県を駆け回るのは、事務局長の島村守彦さん(58)である。
◆省エネから始めよう
 十年前に関西からいわきへ移り住み、オール電化住宅の普及をなりわいにした。
 阪神大震災を経験し、「電気は火よりも安全だ」と信じたからだった。
 広野町以北。後に避難区域や帰還困難区域と呼ばれたところが主な仕事場だった。
 「電気を使え、たくさん使え」と言い続けてきたような仕事にも、便利、快適、速さを過剰に追い求め、肥大しすぎたエネルギー社会にも、何となく息苦しさを感じ始めていたころに、今度は原発事故に出くわした。
 島村さんは、NPOの仲間たちと考えた。
 国や東京電力を責めるだけでは、本当の解決には至らない。ある意味、私たち自身が求め、許してきたことの結果じゃないか。
 原発はもうこりごりだ。だとすれば、代替手段を示さねば。地産地消の電気をつくること、それは、地域の未来をつくること-。
 「誰にでも電気はつくれます。こんなにたくさん種類もある」
 おてんと号が、一番伝えたいことだ。
 自分で電気をつくってみると、電気が見えるようになる。その大切さを実感できる。むだづかいはしたくない。
 自然エネルギーの教室は、省エネの学校でもあったのだ。
 ドイツは福島の事故を教訓に、二〇二二年までの原発全廃を決断した。
 そのためにも「まず省エネを進めよう」と考える。
 一昨年、発電に占める再生可能エネルギーの割合が26%を超えて、電源構成比のトップに初めて躍り出た。五〇年までに八割にするのが目標だ。
 それと同時に、エネルギー消費を〇八年の半分に減らすという。
 高緯度のドイツは寒い。家庭部門のエネルギー消費の大部分を暖房と給湯が占めている。
 福島の事故が、「パッシブハウス」の新築に拍車を掛けた。
 窓は三重ガラスにし、天井や壁に断熱材を分厚く仕込み、太陽の貴重な熱を外へ逃さず、燃料を節約しながら快適に暮らせるように工夫を凝らした“厚着の家”だ。
 省エネが脱原発の基礎にある。そしてその省エネの土台になるのが、お日さまの恵みなのである。
 フクシマは告げている。誰でも電気をつくっていいと。
◆日本をエネルギー大国に
 その気になって周りを見れば、お日さま、風、光、地熱に森林(バイオマス)…。日照時間は年平均ドイツの一・二倍。“日出(い)ずる国”は未利用資源の宝の山だ。厚着にせずとも、心地よいパッシブハウスを建てられる。
 原発はエネルギー大量消費時代の申し子だった。しかし、いつまでも続くものではないと、多くの人がうすうす感じてきたはずだ。
 あれから五年。エネルギーのつくり方、そして使い方ともに、大きく変えてもいいころだ。
<訂正> 2月26日社説「フクシマで考える(上)」の文中、モニタリングポストの停止理由が「線量が下がった」とあるのは「機器に問題が起きた」の誤りでした。
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東京新聞 2016年3月11日
【社説】3・11から5年 故きを温ね次に備える


 巨大地震の恐怖に向き合わねばならぬことは、日本列島に暮らすわたしたちの宿命である。東日本大震災の教訓を風化させず、次に備えねばならない。
 渥美半島の先端近く、太平洋に面する愛知県田原市の堀切地区に「かいがらぼた」と呼ばれる江戸時代の盛り土が残っている。
 海岸沿いに二・五キロほど、高さは地面から三メートル程度。頂上部分で海抜十メートルほどになるという。
 一八五四年の安政東海地震で大きな津波被害を受けた後、先人たちが土砂と一緒に貝殻を積み上げて築いたと伝えられる。今でいうところの防潮堤である。
◆先人が残したもの
 草木に覆われ、海岸の風景に溶け込む何げない盛り土だが、確かに浸水抑制に効果のあることが近年、科学的に示された。
 田原市が二〇一二年に行った東海・東南海・南海の三連動地震が起きた場合の被害想定調査では、堀切地区は津波による浸水がないと予測された。ところが、かいがらぼたを除去した地形データを使ったシミュレーションでは、安政東海地震の時と同じように浸水するという結果が出たのである。
 もちろん、もっと規模の大きな地震を想定すれば、かいがらぼたで津波を食い止めることはできない。だからといって、先人の遺産を軽視することはできないのである。
 かいがらぼたの存在は、そこが津波被害に遭った場所であることを目に見える形で教えている。それは、心の準備につながる。その地区の子どもたちは大震災後、揺れたら一キロほど先の高台まで全力で走る訓練を繰り返してもきた。
 いざというとき、一人一人が自分の命を守る基本動作ができるかどうか。東日本大震災で再確認した最も大事な教訓である。
 そこでは何が起きうるのか。まずは、災害の痕跡が発するメッセージに謙虚に耳を傾けよう。
◆繰り返す南海トラフ
 東日本大震災の大津波は仙台平野を奥深くまで襲い、思ってもみなかった場所にまで大きな被害をもたらした。想定外だったと言っていいのだろうか。
 海岸から四キロ入った所でも、地面を掘り返せば砂が出る。それが貞観地震(八六九年)の津波で運ばれた砂であることも分かっていた。つまり、その一帯がかつて大津波に襲われた場所であることは分かっていたのである。
 災害の痕跡を軽視していたことが福島第一原発事故にまでつながったことを忘れてはならない。
 大地に刻まれた災害の痕跡、文献に残る記録から列島の宿命として警戒しなければならないのが東海・東南海・南海の三連動地震、南海トラフ巨大地震である。
 「日本書紀」に記録が残る白鳳地震(六八四年)以降だけでも駿河湾から四国沖を震源とする巨大地震は九回も起きている。
 最後に起きたのは一九四四年の昭和東南海地震と四六年の昭和南海地震。これまでの知見から、次がいつ起きてもおかしくないと覚悟しなくてはならない。
 どんな被害が予想されるか。
 これまでの大地震の経験から、地震の被害は、場所によって形態が大きく変わることが分かる。
 例えば、九五年の阪神大震災では建物被害で多くの犠牲者が出たが、東日本大震災は津波被害が突出した。あるいは東日本大震災でも、東京湾岸では液状化による被害が大きくなった。
 同じ津波でも、東日本大震災よりも震源が近い南海トラフ地震なら、到達時間は早くなろう。津波到達より前に河川の堤防が崩れて浸水する恐れもある。
 地震史は、つまり、予断を持ってはいけないと教えている。
 東日本大震災では、津波を封じ込めるべく造られた新しい防潮堤が破壊され、古い防潮堤が持ちこたえた事例も知られる。防潮堤が高い場所ほど逃げ遅れの犠牲が目立つという傾向も見られた。
 物だけでは守れない。行動を忘れるな、ということだろう。
 国土交通省東北地方整備局の防災ヘリコプターは地震発生直後、乗員が機転を利かして格納庫の壊れたシャッターを切断し、仙台空港が津波にのみ込まれる前に離陸できたことで脚光を浴びた。同整備局が後にまとめた「災害初動期指揮心得」には「備えていたことしか、役には立たなかった。備えていただけでは、十分ではなかった」とある。最後にものをいうのは、一人一人の状況判断と応用力、ということである。
◆史実には謙虚に
 温故知新という通り、地震対策も、故(ふる)きを温(たず)ねて次に備えることが欠かせない。心構えに必要な教訓は歴史の中から、五年前のつらい経験の中からいくつでも見つけ出すことができるはずである。
 何が起きうるのか。史実を謙虚に見詰め、その日に備えよう。
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東京新聞 2016年3月9日
【社説】もう一度、原発事故調を 3・11から5年 


 福島第一原発事故から五年。事故はいまだに解明できていない。再び、事故調査委員会をつくることを提案したい。風化、風評を防ぐことにもつながる。
 原発事故後、政府や国会、民間、東京電力がそれぞれ調査委員会をつくり、二〇一二年、相次いで結果を発表した。その後、原子力規制委員会が中間報告を出した。原発再稼働は、事故の教訓を踏まえて実施されるはずだが、実際には無視されている。
 たとえば、九州電力の川内原発。九電は再稼働から四カ月後の昨年末、事故対応施設の免震重要棟建設をやめると発表した。
◆生かされない教訓
 免震重要棟については、事故当時、東電社長だった清水正孝氏が国会事故調査委員会の参考人質疑で「今回の私どもの一つの教訓だと思いますが…、もし、あれがなかったらと思いますと、ゾッとするくらい」と話している。この教訓さえ共有されていない。しかも、再稼働後に重大な変更を言い出すのは、公益事業者としての信義にも反している。
 不誠実なのは東電も同じだ。先月、東電はメルトダウン(炉心溶融)に関する社内マニュアルが見つかったと発表した。社内の事故調査でマニュアルを公表したときは、メルトダウンに関しては見過ごしていたという。
 元通産官僚の泉田裕彦・新潟県知事は東電の説明を信用していない。「隠蔽(いんぺい)した背景や、それが誰の指示であったかなどについて、真実を明らかにしていただきたい」とのコメントを出した。
 公益事業者としての資質が問われる問題だが、田中俊一・規制委委員長以外は、反応が鈍い。国会事故調の「規制する側が規制される側に取り込まれている」との指摘は改善されていないようだ。
◆明らかになるウソ
 事故調査でも、東電のウソが問題になったことがある。
 国会事故調が1号機では、原子炉を冷却する非常用復水器が津波ではなく、地震で破損していたのではないかと考え、調査しようとしたときのことだ。東電は「現場は真っ暗で危険。案内はできない」と回答した。事故調の解散後、真っ暗ではないことが分かった。見られたら不都合なことがあったのだろうか。
 問題は東電だけではない。
 政府の事故調査委員会が公表した調書で、原子力安全・保安院の室長が〇九年に津波対策の議論を進めようとした際、上司らから「保安院と原子力安全委の上層部が手を握っているから余計なことするな」「あまり関わるとクビになるよ」と言われたと証言していたことが明るみに出た。
 報告書にはこのくだりはなかった。報告書の文案は官僚が作ったという。都合の悪い話は“消された”のかもしれない。未公表の資料にもまだ何か、眠っている真実があるかもしれない。
 政府事故調も国会事故調も、報告書で未解明な部分があるとし、継続的な調査の必要性を記している。事故の経緯が解明されていないため、原発事故を「想定外の天災」とする人もいる。「想定外」を免罪符にして、不正と不誠実を見逃せば、新たな災厄を招き寄せることになる。
 福島第一原発では最近、敷地内の放射線量が下がった。原子炉建屋の内部は厳しい環境だが、短時間でも専門家が入ったり、ロボットを使ったりして調べることはできる。東電のマニュアルのように、五年たった今だから出てくる資料や証言もあるはずだ。調査委員会を再結成して、調査結果を今後の安全対策に生かすようにすべきではないか。
 新事故調をつくる前にやることもある。政府事故調は一部だが、調書を公開したが、国会事故調の資料は公開されていない。国会は公開を決めてほしい。第三者機関が報告書を検証する仕組みも必要だ。それが信頼性を高める。
 調査項目も提案したい。
 一つは住民の避難状況と被ばくの関係だ。福島県が県民調査をしているが、回答率が低い。
 現地で医療活動を続ける坪倉正治医師は「将来、がん患者が増える。それは放射線の直接の影響ではない。糖尿病患者が増えているからだ」と話す。事故の影響は広範囲に及ぶ。被ばくと健康の関係を調べることは、将来の差別の芽を摘む。住民の移動も考えれば、国が責任を持って長期間、やるべきだと考える。
 同じように汚染地域の動植物も長期間の調査が必要である。
◆世界にオープンに
 国は調査、研究に消極的に見えるが、得られたデータは、日本だけでなく、世界の役に立つ。研究や調査だけでなく、新事故調も世界の研究者にオープンにしたい。それが先進国の役目であり、原発事故を起こした国の責任である。
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東京新聞 2016年3月8日
【社説】命の安全第一に 3・11から5年


 本紙は五年前の一面に「原発に頼らない国へ」と題した下の評論を掲げた。事故への反省と未来に向かっての決意です。現実はそうは進んでいません。
 事故後、私たちは原発に対する認識をよくよく思い返したものでした。
 五年前の評論にあるように、核制御の難しさはもちろん、日本は世界有数の地震国であること、また原子力の危険性を地方に押し付けてきたことをまざまざと思い知らされたのです。
 だが以来、私たち日本人は一体何をどう進めてきたのか。
 国会や政府の事故調は原因と責任をよく突き止めえず、そのため被災者らが中心となって東電元幹部を強制起訴へと持ち込んだのはつい先日のことです。事故にかかわるすべてを法廷で明らかにせよ、と願うのは福島県民だけでなく多くの国民の思いでしょう。
 原発再稼働は進むけれど、どこかに黒い雲のようなものがかかったままのようなのです。本当は進めてはいけない、原発はやはり危険だと考える人が世論調査などで過半を占めるのは当然なのではないでしょうか。
 それもこれも国が原発ゼロへの道筋を決めないからです。事故のあと、民主党政権は原発の寿命四十年を順守して自然的消滅の政策をいったんは立てたものの、政権も代わって今は原発維持策です。
 温暖化対策をいい、経済性をいい、エネルギー安保も持ち出される。それらはむろん重要です。しかしながらより守らねばならぬものは命の安全です。原発代替の手段も技術もあるのです。
 五年前の評論では、なぜ原発に頼らないかは、人の命と安全は経済性に優先するからだと記しました。人間を大切にすることが、私たちの従来の主張だから、と。
 裁判用語では人格権の尊重であり、社会用語なら倫理ということになるでしょう。
 事故で私たちが思い知らされたのは、原発とは巨大な核施設であり、人間も組織もミスを犯しうるということです。
 五年は歳月の節目だが、被災者にはただ通過する一日でもあるでしょう。原発事故と地震津波被災への悲しみと苦しみ、そして怒りを私たちは日々共有しよう。よりよい社会、人を大切にする国にするために。 
原発に頼らない国へ 2011年8月6日付
 広島、長崎の原爆忌が巡ってきます。毎年訪れる日ですが、今年は特別です。三月に福島原発事故が起きたからです。私たちは、日本は原発のない国に向かうべきだと考えます。
 原発には賛否さまざまな議論があります。脱原発への一番の反論は、電力が足りなくなったらどうするのか、ということです。しかし、それには人の命と安全は経済性に優先すると答えたい。人間を大切にするというのが私たちの従来の主張だからです。核の制御の難しさはもちろん、日本が四枚のプレート上にある世界有数の地震国であることも大きな理由です。
 原発の安全、安価、クリーンの神話は崩れ去りました。私たちは電力の自由化、自然エネルギー庁の新設、徹底した情報公開を提言します。
 原発のない国へ、という挑戦はもちろん容易ではありません。日本は現在エネルギーの大半を海外に頼っています。経済活動に支障は出るでしょうし、弱い立場の人を苦しめることも許されません。実現には年月も努力も必要です。しかし、指針を掲げねば前へとは進めません。
 放射能被害は、被爆国の国民として、また福島の惨状を知った同胞として、深刻かつ重大に受け止めねばなりません。よく考え、議論し、行動しようではありませんか。一人の理想は小さくとも、合わせれば世界の理念にもなるでしょう。
 戦後日本の経済成長は世界を驚かせました。大いに誇るべきです。だが原子力については平和利用の名の下、その恐るべき危険性を見過ごし、原発の立地は多くを地方に押しつけてきました。率直に反省すべきことです。
 歴史を学ぶのは未来を考えようと思うからです。原子力の過去を知るほど、今が私たちの変わらねばならない時と考えます。それは欧米では再生エネルギーの活用という形で始まっているのです。
 世界では、原発は中国やインド、中東などで増えそうです。各国の事情はあります。しかし核はますます拡散し、巨大事故や核テロの危険性も増えると懸念します。日本は持ち前の技術と結束力で、原発がなくとも豊かな社会が築けるというモデルを世界に示すべきです。それは日本の歴史的役割でもあるのです。
 (論説主幹・深田実)
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しんぶん赤旗 2016年3月11日(金)
主張:東日本大震災5年 被災者に寄り添った政治こそ


 東日本大震災の発生からきょうで丸5年です。約1万6000人の命が奪われ、約2500人が行方不明となった大惨事から5年―。復興の歩みはまだまだ遅々としており、被災地の現状は深刻です。ストレスなどによる「震災関連死」は3400人を超え、原発事故で故郷を追われた人たちの帰還の見通しもたたないなど震災は現在も進行中ともいえる状況です。被災地の苦難を直視しない安倍晋三政権の姿勢にいら立ちの声があがります。国は、被災者の願いを正面から受け止め、寄り添った支援を、抜本的に強めるべきです。
「人災」は許されない
 5年前の午後2時46分、日本の観測史上最大のマグニチュード9の巨大地震が東北3県をはじめ東日本一帯を襲い、大津波が東北や関東の沿岸部をのみ込みました。激しい揺れと津波により東京電力福島第1原発は制御不能に陥り、極めて深刻な原子力事故は、いまだ収束のめどもたちません。
 世界の災害史上でも前例のない複合的で広域的な大災害は、5年たっても、さまざまな形で被災者と被災地に大きな苦難をもたらしています。むしろ時がたつにつれ、避難生活の長期化などによって新たな問題が次々噴出しています。
 17万人以上がいまも自宅を確保できず、不自由な避難生活を強いられている状況は、あまりにも異常です。遅れていた災害公営住宅の建設と入居もようやくすすんできましたが、家賃負担などがネックとなり、入りたくても入居できない被災者が生まれています。
 一部自治体で仮設住宅閉鎖の動きも出るなか、再び行き場を失う被災者が出かねない状態です。低所得者への家賃補助などを検討している自治体もありますが、財源確保に頭を悩ませています。被災者の住まいを保障するため国は財政など、積極的支援をすべきです。
 災害公営住宅に入居した人の人的つながりが薄れたり、仮設住宅に残された人が話し相手をなくしたりして、孤立を深め「孤独死」にいたる状況ほど、悲惨で痛ましいことはありません。大災害のなかで九死に一生を得た人たちが、復興のなかで必要な支援を受けることもなく命を落とすなどというのは、まさしく「人災」です。高齢者だけでなく、困難を抱える働き盛りの人たちの心身のケアを抜本的に強めることが急務です。
 被災者が疲弊して体調を崩す人が多いなか、医療費負担の重さは大問題です。生業(なりわい)の回復が遅れ収入もままならない被災者に、必要な医療を保障するためには医療費負担の軽減措置が不可欠です。
 国は医療・介護体制の整備とともに、負担減免措置の復活を検討すべきです。
支援必要な人がいる限り
 安倍政権は今年度で「集中復興期間」を終え、新年度から「復興創生期間」にするとしていますが、被災地支援を縮小させる「区切り」にしてはなりません。支援を必要としている人がいる限り、支援を充実させることはあっても手を緩めることがあってはなりません。
 被災地の暮らしと経済をさらに苦境に追い込む来年4月からの消費税増税や、被災地の農業・水産業を直撃する環太平洋連携協定(TPP)を推し進めることなど絶対に許されません。被災者が明日への希望の持てる政治への転換がいよいよ必要となっています。
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しんぶん赤旗 2016年3月10日(木)
主張:福島原発事故5年 拡大する被害を直視してこそ


 2011年3月11日に発生した東日本大震災で東京電力福島第1原発が大きく破壊され、すべての電源が途絶えて冷却できなくなり、建屋も爆発して大量の放射性物質が拡散し、広範囲を汚染した大事故から5年を迎えます。事故を起こした原子炉の内部はいまだによくわからず、廃炉のめども立ちません。県内外で10万人近い福島県民が避難生活を送り、「関連死」も増え続けています。原発周辺ではふるさとに帰れないままです。原発事故の被害は、5年たっても拡大を続けています。福島切り捨てを許さず、福島から「原発ゼロ」を進めていくことが重要です。
事故ですべてが奪われた
 「原発事故は日常生活のすべてを断ち切り、生きがいも、つながりも奪ってしまった」―原発事故から5年を前に福島県内で開かれた全国革新懇と福島県革新懇主催のシンポジウムで、原発に程近い楢(なら)葉(は)町で被災し、長期間の避難生活を余儀なくされた住民の発言が胸を打ちました。被災地の現実を見て、福島を見捨てないでほしいという切実な訴えです。
 地震と津波に加え、原発事故による放射能汚染…。かつてない大災害に福島原発周辺の住民は震災の救援活動もままならず、目に見えない放射能に追い立てられて避難を余儀なくされました。福島だけでなく、東北地方や首都圏まで汚染拡大が懸念されたほどです。
 昨年行われた国勢調査の結果は、原発に近い大熊、双葉、富岡、浪江の4町で、人口がゼロになったと記録しました。福島県全体でも5年前の調査に比べ、人口が11・5万人も減っています。世界有数の「先進」国で長期間人口ゼロの町があること自体、前代未聞です。
 福島原発事故は、技術的に未完成な原発が事故を起こせばコントロールできなくなり、時間的・空間的にも社会的にも大きな被害を及ぼすことを浮き彫りにしました。大量の放射性物質が飛び散る原発事故の大きな特徴は、被害がいつまでも拡大し続けることです。
 事故を起こした原発ではいまだに放射性物質による汚染水がたまり続け、周辺へ汚染を拡大しています。事故直後放出された放射性物質で汚染された地域では除染が行われていますが、完全に取り除くのは不可能で、除染が行われない森林や局地的に汚染が深刻なホットスポットが残ります。除染した土などを貯蔵する中間貯蔵施設の建設も難航しています。
 被害の拡大を象徴するのは長引く避難生活の中での「関連死」の増加です。福島県内では震災後亡くなった「震災関連死」が2000人を超し地震や津波の直接の死者を上回りました。原発事故に関連した「原発関連死」が約7割に上ります。異常極まる事態です。
高浜では運転停止の命令
 福島原発事故から5年を前にした9日、大津地裁は関西電力高浜原発3、4号機の運転差し止めを命じました。運転中の原発への初の停止命令です。1月に再稼働した3号機は運転を停止、2月に再稼働しわずか3日で停止した4号機も運転できなくなります。
 大津地裁の決定が、過酷事故対策など安全が確保されていないと明言しているように、原発の危険性は明らかです。「福島切り捨て政治」と「原発固執政治」を正し、福島でも全国でも「原発ゼロ」を実現していくことが不可欠です。

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