2016-03-13(Sun)

3・11東日本大震災・福島原発事故5年 各紙社説等(4)

被災地に寄り添う支援を 早く「日常」取り戻したい  原発回帰に進んでいいか 事故に学び「脱依存」を 

<各紙社説>
北海道新聞)東日本大震災から5年 原発回帰に進んでいいか(3/13)
北海道新聞)東日本大震災から5年 早く「日常」取り戻したい(3/12)
北海道新聞)東日本大震災から5年 現地目線で復興の加速を(3/11)
東奥日報)被災地に寄り添う支援を/東日本大震災5年(3/11)
秋田魁新報)[大震災5年]防災対策 共助の仕組み考えよう(3/12)
秋田魁新報)[大震災5年]進む風化 「思う」ことで防ぎたい(3/11)
秋田魁新報)[大震災5年]原発対策 事故に学び「脱依存」を(3/10)
秋田魁新報)[大震災5年]避難者支援 変わる悩み把握したい(3/9)
秋田魁新報)[大震災5年]道半ばの被災地 復興実感できる支援を(3/8)




以下引用



北海道新聞 2016/03/13 08:50、03/13 09:28 更新
社説:東日本大震災から5年 原発回帰に進んでいいか


 甚大な被害をもたらした東京電力福島第1原発の事故。今なお、収束とはほど遠い状況にある。
 その教訓を顧みず、原発回帰がなし崩しで進もうとしている。
 昨年8月に九州電力川内原発が再稼働し、1年11カ月続いた「原発ゼロ」が終わった。今年1月には関西電力高浜原発が続いた。
 「原発は可能な限り低減する」とした安倍晋三政権は、「新規制基準に適合すれば再稼働させていく」ともいう。電力会社は40年超の老朽原発も動かす構えである。
 高浜原発3、4号機の運転を差し止めた大津地裁の仮処分決定は、この流れに一石を投じた。
 同地裁は福島の事故について、「津波が主原因かどうかも不明である」と指摘した。
 福島の事故原因すらいまだ分からない中での再稼働に、多くの国民が不安を抱くのも当然だ。
 いま考えるべきは原発依存から脱却するための道筋ではないか。
■放射能と水との闘い
 福島第1原発の構内では廃炉に向けた作業が進み、1日約6千人が働く。
 だが、事故を起こした1号~4号機を見下ろす高台では、空間線量が跳ね上がる。建屋の周囲にはねじれた鉄骨や飛散したがれきが事故当時のまま残る。
 水素爆発した建屋の内部は放射線量が高すぎて人が入れず、ロボットでの探査が続く。
 最も厄介なのは、近づくこともできない原子炉内でメルトダウンした核燃料(デブリ)がどんな状態なのかを確認できないことだ。
 1~3号機で溶け落ちた核燃料は今も熱を発し、これを冷やすため、絶えず注水する必要がある。地下水とも接触しているため、汚染水は日々増え続けている。
 地下水を防ぐ凍土遮水壁の運用が間もなく始まるが、敷地内に並ぶ約千基のタンクにはすでに88万トンもの汚染水がため込まれた。
 このうち61万トンは放射性物質の浄化装置「ALPS」で処理されたが、トリチウムだけは除去できず、海への放出もできない。
 首相が東京五輪招致で発言した「福島はアンダーコントロール(管理下)にある」に、あらためて首をかしげざるを得ない。
 国や東電は廃炉工程を30~40年としているが、現時点では何の裏付けもない。本当にデブリを取り出し、廃炉できるか。極めて困難な道のりだといわねばならない。
 国や東電によると、廃炉と汚染水対策の費用は約2兆円という。
 除染や賠償も含めると、福島原発事故による損害額は11兆円に達し、まだまだ増え続ける。ひとたび事故が起きれば、途方もない費用がかかる。それが現実だ。
■福島の教訓はどこに
 あの事故以来、今も約10万人が避難している。
 同原発周辺の町村は、住民が帰る見通しも立たない帰還困難区域となり、無人の街並みと田畑、山林が広がる。
 この中にある双葉町と大熊町には、除染廃棄物の「中間貯蔵施設」が建設される計画だ。
 国は使用開始後、30年以内に「県外」で最終処分するという。
 だれがこれを信じるだろう。地元には「いずれは最終処分場にされるのでは」との懸念も漂う。
 このように、過酷な原発事故では取り返しのつかない被害が生じることを、福島で学んだはずだ。
 ドイツは福島の事故を受けて、原発全廃を決め、再生エネルギーを中心とする政策に転換した。
 だが、当の日本政府は「エネルギー供給の安定性を確保するためには原子力は欠かせない」(首相)と、核廃棄物の処理問題を棚上げして、原発再稼働に突き進もうとしている。
 震災翌日、福島第1原発の原子炉建屋が1号機を皮切りに水素爆発してから、5年になる。日本中が震え上がったあの日々の記憶をいま一度、心に刻みたい。
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北海道新聞 2016/03/12 08:50
社説:東日本大震災から5年 早く「日常」取り戻したい


<みんなの家>農家の女性たちはお茶を飲み、自家製の漬物やお菓子を食べながら、おしゃべりに興じる。週に1度の楽しみだ
 3410人。この5年間で息を引き取った震災関連死者の数だ。
 長期化する避難生活。それに伴う、先行きが見えない不安や生きがいを失った絶望感。ストレスや疲労で持病が悪化し、亡くなった人が多いという。
 被災地では高台造成や防潮堤建設が進む。仮設住宅から災害公営住宅への転居も始まった。その一方で、昔ながらの地域社会が壊れ、つながりを失った高齢者の孤独死も目立っている。
 政府は2020年度をめどに、岩手、宮城両県の復興を終える方針だ。だが、心の復興に終わりはない。息の長い支援を続けたい。
■居場所つくる試みを
 仙台平野の中心部、宮城県岩沼市玉浦地区。木造平屋の古民家風一軒家に、週末は元気な「お母ちゃん」たちの声が飛び交う。
 「家を失った人たちが集い、安らぐことのできる居場所づくりを」。東京在住の著名な建築家伊東豊雄さんらが提唱し、多くの個人や企業の寄付で東北各地に建てられた「みんなの家」だ。
 玉浦地区は農業が盛んだったが、津波による塩害で、田畑は壊滅的な被害を受けた。
 野菜作りが日々の楽しみだった地元のお母ちゃんたちは震災後、家に引きこもるばかり。それを救ったのが3年前に完成した「みんなの家」だった。
 今は東京のIT会社インフォコムが管理・運営を一手に引き受け、平日の昼間はカフェ、そして毎週土曜日は野菜直売所などとして使われる。
 並ぶのはもちろん、お母ちゃんたちが畑を耕し、育てた野菜だ。
 「家にいても独りぼっち。みんなでわいわいおしゃべりできるのは楽しいのよ。ここができてから、畑仕事も始まったし…」。60代の女性はそう声を弾ませた。
 復興といえばインフラ整備に目が行きがちである。しかし、それだけでは「復旧」にすぎない。
 たとえ街並みが元通りになっても、そこに暮らす人の息遣いや結びつきが失われては、真の復興とは呼べまい。玉浦地区の場合、その心のよりどころが「みんなの家」といっていい。
 「みんなの家」がコミュニティーの復興なら、宮城県気仙沼市のニット製造・販売「気仙沼ニッティング」は、生きがいづくりの復興とみたい。
 気仙沼は東北有数の漁港。昔から漁師が真冬の海上で着込むセーター作りが盛んだった。
 それに目を付けたコピーライター糸井重里さんの提案で、東京出身の御手洗瑞子さんが震災の翌年に会社を興した。
 仮設でもできる「復興支援」と銘打って4人で始めた。懸命に編み針を動かすことが被災者の心を癒やしてくれるようになり、今では編み手は60人に増えた。
 「漁師町のセーター」と報道でも紹介され、全国から注文が相次ぐ。1着15万円。手作りで値は張るものの、品質の高さから、納品まで2年待ちの人気ぶりだ。
 「気仙沼にお客が直接買いに来てくれる。お客さんが喜ぶからさらに質が上がる」。御手洗さんの言葉に自信がうかがえる。こうした試みをさらに広げたい。
■「絆」がやはり大事だ
 厚生労働省の調査では、いまも宮城県の被災者の4割が心理的苦痛やストレスを感じているという。年々減少傾向にあるが、依然として全国平均より高い。
 巨大な防潮堤や高台への住宅移転だけでは、被災者の心の傷を癒やすことはできない。
 環境が整っても、生き生きとした人々の営みがよみがえるとは限らない。巨額の復興予算をインフラ整備に充てるのはもちろん、いまこそ被災者の「心の健康」に目を向けたい。
 大事なのは人と人とのつながりだろう。使い古された言葉であっても「絆」が大切だ。
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北海道新聞 2016/03/11 08:50
社説:東日本大震災から5年 現地目線で復興の加速を


 死者・行方不明合わせ1万8千人を超す犠牲者を出した東日本大震災からきょうで5年を迎えた。
 今なお、岩手、宮城、福島の3県を中心に17万4千人が避難生活を送り、5万8千人が狭いプレハブの仮設住宅で暮らす。
 政府は2015年度で集中復興期間を終え、16年度からの5年を「復興・創生期間」と位置づけ、一部は自治体の負担を求めながら住宅再建や産業再生を進める。
 しかし、多くの人が復興の遅れを感じている。それを重く受けとめたい。
 なぜ、遅れているのか。事業を進める際の国の縛りが現地事情とかけ離れ、手続きに時間がかかることが指摘されている。硬直的なお役所仕事が根底にある。
 三陸沿岸の被災地から近隣の内陸の町へ人口移動が加速している。過疎化は地域崩壊を招く。それだけに、復興は時間との闘いだ。
■規制が事業の妨げに
 沿岸の市街地全体が津波で消失した岩手県陸前高田市が一例だ。10メートルを超す防潮堤が出現し、一帯でかさ上げ工事が進んでいる。
 しかし、戸羽太(とばふとし)市長は「政府は、変えるべきルールを変えてほしい」と訴える。既存の法や規制が何度も作業の妨げになり、農地取引や山を削る際の許認可で月単位の時間を費やしたからだ。
 国から地方への権限移譲を含め、災害時は地元目線の使い勝手のよい制度が必要になるという認識を共有することが大事だ。
 資材高騰や人手不足も逆風になった。20年の東京五輪・パラリンピックに向けた首都圏の建設需要の過熱も背景にある。国全体の政策が復興にひずみをもたらさないよう、調整を求めたい。
 この5年で約26兆円の国の予算が投じられた。しかし、暮らしに必要な賃貸の災害公営住宅の完成率は1月末で49%、住宅地の高台移転は同32%にとどまる。
 仮設住宅での生活は限界に近い。高台に家を新築できるのは3、4年後という地域がある。一方、家族と財産を失い、この先の暮らしを描けない人も多い。そうした人たちへの目配りが欠かせない。
 被害が大きかった三陸沿岸では人口が急激に減り、宮城県女川町は5年間で37%に及ぶ。人口減を食い止めることが喫緊の課題だ。
■自立への支援が課題
 復興には生業の再生が欠かせない。三陸でカギを握るのは水産業だ。加工場の廃業で処理能力が低下し、若者の流出による人手不足が深刻だ。
 津波で市場や加工場が壊滅し一からの再建を迫られた各社は、長年の目標の実現に踏み切った。
 宮城県石巻市の石巻魚市場は、輸出も視野に衛生管理を徹底した閉鎖型市場を昨秋、完成させた。
 子供が調理体験できる施設づくりも進め、須能邦雄(すのうくにお)社長は「臭い、きたないとされた水産のイメージを変えたい」と話す。
 各地の加工場は建設費の4分の3を国と県が負担するグループ補助金の活用で新工場を建て、衛生管理や機能の集約を進めた。ただ、販路の回復は難しい。PRなどで、官民の協力が重要だ。
 一時的に営業を再開した仮設商店街は各地で終了期限を迎え、本格再建も始まっている。
 その一方、商業地の造成が遅れたり、補助の対象外となったりして将来を見通せない店も多い。自治体は期限延長に応じ、自立の仕組みを考えるべきだ。
 建設関連の復興特需はいずれ減る。それを補うのが交流人口だ。
 震災直後と比べて大幅に減ったものの、農作業や行事の手伝いなど各地で募るボランティア活動に参加してみてはどうか。
 旅行もできる。再建したホテルや仮設商店街の人たちが旅人を歓迎するだろう。被災建物をはじめ防災を考える施設も見学可能だ。
 何より、震災の記憶を風化させないよう心がけたい。
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東奥日報 2016年3月11日(金)
社説:被災地に寄り添う支援を/東日本大震災5年


 岩手、宮城、福島の3県はじめ、本県太平洋沿岸などに甚大な被害をもたらした東日本大震災。あの日から5年という時が流れた。
 被災地での住宅、インフラの整備は加速しつつあるものの、なお道半ばだ。地域によって復興の進み具合に差が生じ、むしろ課題は多様化しているといっていい。原発事故の被災地はまた別の課題を抱えている。
 政府が約26兆円の復興予算を計上した5年間の「集中復興期間」は3月で終了する。安倍晋三首相はきのうの記者会見で「今後5年間を復興・創生期間として十分な財源を確保して自立を支援したい」と述べた。
 急激な人口減と高齢化にさらされている被災地の現実は厳しい。被災者一人一人が生活再建を果たし、生きがいを手にするのをどう支えていくか。国は被災地に一層寄り添い、きめ細かい支援に取り組まなければならない。また、社会全体でできることは何か常に考え続けていきたい。
 避難生活を送っている人は17万人を超える。故郷に戻ることを諦め、避難先での定住を決める動きも徐々に出てきた。
 プレハブ仮設住宅から被災者が全員退去する時期は、早くても震災10年後の21年3月の見通しという。5年で入居ゼロになった阪神大震災を上回り、災害被害者の仮設住まいの期間としては異例の長さといえる。
 本県では、八戸市にある復興庁青森事務所が3月末で閉鎖されることになった。同庁は「港湾施設や住宅などインフラ面の復旧・復興が15年度までにほぼ完了し、産業面でも生産額がおおむね震災前の水準に回復するなど、復旧・復興事業が相当程度進展しているため」としている。
 だが、復興への取り組みが完全に終わったわけではない。引き続き万全の支援が望まれる。
 国の施策に対して、国民が注ぐ視線は厳しい。東奥日報社加盟の日本世論調査会が先ごろ行った全国面接世論調査によると、復興が進んでいないと考える人は72%に上った。
 被災地への世論の関心が低くなっていると思う人は77%で、14年調査の73%から増えた。時とともに記憶が薄れていくのは仕方がないことかもしれない。しかし、未曽有の大震災を「風化」させることがあってはならない。
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秋田魁新報(2016/03/12 付)
社説:[大震災5年]防災対策 共助の仕組み考えよう


 東日本大震災から丸5年の昨日、秋田市のアゴラ広場や遊学舎で、市民有志や本県への避難者らが震災発生の午後2時46分に黙とうをささげた。県内各地の家庭や職場でも、震災の犠牲者を悼んだことだろう。
 被災者と日常的に接している岩手県の地元紙・岩手日報の記者から、こんな話を聞いた。
 被災者は、身近な人の死を防げなかった自分たちの体験を防災に役立ててほしいと願っている。津波の犠牲者を出した明治三陸地震(1896年)やチリ地震(1960年)の教訓を生かせなかったことを悔いているからだ—。
 支援よりも防災力の向上を願う被災者がいる。その思いを受け止め、自分や大切な人の命を守る意識を高めたい。33年前、日本海中部地震を経験した私たちは、岩手県の被災者の後悔を人ごととしてはならない。
 岩手県によると、普段から何らかの形で災害に備えている人は、震災直前の2011年1〜2月の調査で22・2%だった。翌12年は56・4%となったが、15年には36・7%に低下した。特に内陸部で防災意識が薄れている。
 本県の県民意識調査では、大災害を想定して3日分以上の水や食料を備蓄している人は、14年度が17・8%、15年度は15・3%だった。生き延びるため、まずはこの割合を高めたい。
 県は14年、地震の被害規模を厳しく見積もった新たな防災計画を策定し、全25市町村もそれぞれの防災計画を改定、または改定する予定だ。だが高齢者や障害者ら手助けが必要な災害弱者(要支援者)を支える体制づくりでは、試行錯誤が続く。
 国は要支援者個々の避難計画を作り、避難を手助けする人や避難経路を決めるよう市町村に求めている。だが市町村からは「計画を作ることで、援助する人が留守の場合など、臨機応変な対応が難しくなりかねない」との声が出ている。
 地域防災の課題は、人口減や高齢化が進む中、コミュニティーをどう維持するかという課題と通じるところがある。住民を交え、地域の実情に合った共助の仕組みをつくりたい。
 県内では東日本大震災による死者こそいなかったが、列車が止まったり、停電で暖房が使えなくなったりして避難所で夜を過ごした人がいる。スーパーには食料を買い求める人が押し寄せた。あの時、どう行動し、何を感じたか。家庭や地域、職場で語り合ってほしい。
 この5年間を通じて、「今は震災後でなく、震災前だ」と言われるようになった。巨大地震はまた起きる、備えを怠ってはならない—との意味だ。豪雨や豪雪、火山の噴火などの災害にどう備えるかも問われる。
 いま災害が起きたらどうするか。そう想像力を働かせ、被害をいかに減らすかを、個人、地域、自治体のそれぞれで考え続ける必要がある。
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秋田魁新報(2016/03/11 付)
社説:[大震災5年]進む風化 「思う」ことで防ぎたい


 東日本大震災の発生から5年に合わせ、福島県立博物館(会津若松市)で「震災遺産を考える」と題した特別展が21日まで開かれている(入館無料、14日休館)。津波と東京電力福島第1原発事故の記憶を伝える115点を展示している。
 展示物は福島県沿岸部で収集した。地震発生の午後2時46分で止まった壁掛け時計がある。理容店で使っていたものだ。「あと14日」と書かれた紙は、新聞紙を二つ折りにした大きさ。バドミントンの全国大会に出場する予定だった高校の部員が大会までの残り日数を記し、体育館に貼っていたという。
 ガラスケースには無線機などパトカーの装備品が収められている。避難誘導中、このパトカーごと津波にのみ込まれた警察官の1人は、いまも行方が分かっていない。
 特別展は、同館などでつくる「ふくしま震災遺産保全プロジェクト実行委員会」が企画した。骨組みだけになった宮城県南三陸町の防災庁舎など「震災遺構」だけでなく、身近にあった物にも震災を語る力がある。その思いから、収集物を独自に「震災遺産」と位置付けて展示した。
 目的の一つは、この震災と原発事故が間違いなく歴史的な出来事であり、震災遺産は人類が共有すべきものだと発信することにある。もう一つが、薄れつつある震災への関心を喚起し、記憶の風化を食い止めることだ。
 日本世論調査会が2月下旬、全国を対象に被災地への関心の変化を尋ねたところ、「変わらない」と答えた人は19%で、2年前に比べ3ポイント下がった。「低くなっている」という人は4ポイント増の77%だった。国民の関心が低下しつつあることが分かる。
 だが、被災地の苦難は続いている。長期の避難で体調を崩すなどして死亡した「震災関連死」は、岩手、宮城、福島3県で3400人を超え、仮設住宅での孤独死は200人以上となった。大切な人を亡くし、喪失感が消えない人も大勢いる。
 復興事業を全て国費で行った5年間の「集中復興期間」は今月で終わる。4月からの今後5年間は、被災自治体に一部事業の費用負担を求める「復興・創生期間」となる。「5年」は政策としては一つの区切りだが、被災者にとって、どれほどの意味があるのか。
 5年前、日本中が「頑張ろう東北」と叫び、寄付やボランティア活動などで被災者を支援した。被災地の商品を買って応援する機運も高まった。だが、これからは何をするべきなのか思い浮かばない人も多いだろう。
 福島県民の一人はこう話す。「来てくれる、商品を買ってくれるということでなくても、何ができるか、被災地はどうなっているかを考えてくれれば、風化は防げる」
 自分が被災者だったら何を望むだろう。想像し、自問することが、風化を食い止めることになるのではないか。
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秋田魁新報 (2016/03/10 付)
社説:[大震災5年]原発対策 事故に学び「脱依存」を


 東京電力福島第1原発事故は発生から5年たっても収束のめどが立たない。それにもかかわらず、国や電力会社は原発の再稼働を着々と進めている。事故をいま一度重く受け止め「脱原発依存社会」を目指すべきだ。
 福島第1原発では汚染水がたまり続け、タンク千基に約80万トン保管されている。汚染水の処理方法はまだ確立されていない。30〜40年かかるとされる廃炉作業は、原子炉建屋内の状態を調べている段階で、登山に例えれば「1合目」程度という。
 福島県内で放射性物質に汚染された土壌などを取り除く除染は、作業を担う国や市町村が2016年度中の完了を目指す。ただ除染廃棄物を保管する中間貯蔵施設の用地は、約16平方キロのうち1%の0・15平方キロしか取得できていない。袋詰めされた除染廃棄物は県内各地の仮置き場や住宅地に一時保管されているが、そこから搬出できる時期は全く見通せない。
 東日本大震災と原発事故による避難者は約17万4千人で、うち福島県民は約9万8千人を占める。避難が長引き体調を崩すなどして亡くなる「震災関連死」は福島県が2016人で、宮城県920人、岩手県458人と比べてはるかに多い。
 過酷な原発事故が起これば被害は甚大で、放射性物質の拡散により、万単位の人たちが古里を追われ、長期間にわたって帰還できなくなる。これが福島の事故が突き付けた教訓だ。
 福島の事故後、原子力規制委員会が設けられ、原発再稼働の規制基準も厳しくなった。だが、どんなに基準を厳格にしても事故の発生リスクがゼロにはならないことは原子力規制委自身が認めている。
 リスクが相当低くなったとして再稼働を容認するか。万が一にも事故が起きる可能性がある限り認め難いとするか。福島の教訓に学べば、後者を選択するのが自然だろう。
 原発からは核燃料を燃やした後、高レベル放射性廃棄物(核のごみ)が出る。最終処分場の立地場所について国は自治体の応募を待つ方式から、国主導で候補地を探す方針に変えたが、見通しは立っていない。原発を再稼働すれば最終処分場が決まらないまま、核のごみを増やし続けることになる。
 こうした中、昨年8月以降、九州電力川内(せんだい)原発(鹿児島県)と関西電力高浜原発(福井県)の各2基が再稼働した。だが大津地裁は高浜の2基について、隣接する滋賀県の県民が申し立てた運転差し止めの仮処分を決定した。「福島の事故を踏まえた過酷事故対策に問題点がある」などの理由からだ。
 福島の事故の教訓を軽んじるかのように再稼働へ突き進む電力会社の姿勢に警鐘を鳴らした司法判断と言えるだろう。再稼働を進める国もその政策を改め、再生可能エネルギーや高効率の天然ガス火力などへの切り替えを再検討するべきだ。
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秋田魁新報 (2016/03/09 付)
社説:[大震災5年]避難者支援 変わる悩み把握したい


 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故によって本県に避難してきた人は1日現在、835人(337世帯)いる。古里に帰りたくても帰れない状況が、5年たっても続いている。本県としては避難者の声に耳を傾け、引き続き生活再建を支援したい。
 本県への避難者は2011年12月の1571人(644世帯)をピークに徐々に減ってきた。現在の内訳は福島県が600人(224世帯)で最も多く、宮城県203人(96世帯)、岩手県32人(17世帯)と続く。
 福島からの避難者の約8割(472人)は、原発事故の避難区域外からの自主避難者だ。このうち288人(102世帯)の住居は災害救助法に基づき、本県がアパートや民家などを借り上げ、福島県が費用を支払う形で無償提供されている。
 福島県は、インフラ整備や除染が進むなど生活環境が整ってきたことを理由に、自主避難者への無償提供を来年3月で打ち切る考えだ。住宅の無償提供が打ち切られれば、生活が立ち行かなくなるケースも出てくるだろう。
 自主避難者とは別に、避難区域から本県への避難者128人(58世帯)にも住宅が無償提供されており、無償提供延長の可否は福島県と国が毎年判断している。政府は来年3月までに線量の高い一部を除き避難指示を解除する方針だ。解除されれば避難区域からの避難者は、住宅無償提供の先行きが分からなくなるとの不安を抱いている。
 避難者の多くは原発事故前に暮らしていた地域社会を喪失した。5年かけて本県で築いた人間関係や生活基盤を失わせるようなことがあってはならない。
 避難が長引き、避難者の悩みは多様化している。子供を古里と秋田のどちらの高校に通わせるべきか、古里の高校を選ぶとすれば一家で転居すべきか悩む親がいる。母子避難から本県での一家同居に踏み切ったものの夫の職探しに苦労し、生活基盤を固められない家族もいる。
 県が本県への避難者を対象に昨年8月にまとめたアンケートで、いま必要な支援を尋ねたところ、最も多かったのが「避難生活に対する助成」で、就労関係、医療費、子供の教育、放射線に関する相談などが続いた。
 県は年間10人前後の避難者を嘱託の避難者支援相談員として採用し、戸別訪問を通じ要望や困り事を聞き取ってきた。避難者の気持ちは同じ境遇の人こそ理解できるとの考えからだ。
 県内でも多くの個人や団体が支援を続けてきたが、多様化する悩みに解決策を示せないもどかしさも感じている。震災から5年のいま、どんな支援の在り方が望ましいのか考えたい。
 支援に不可欠なのは、避難者が真に望んでいることを探り当てることだ。よりきめ細かく避難者の抱える課題を把握し、その解決に向けて手助けしていくことが求められる。
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秋田魁新報 (2016/03/08 付)
社説:[大震災5年]道半ばの被災地 復興実感できる支援を


 東日本大震災の発生から11日で5年になる。国は2015年度までを「集中復興期間」と位置付けて復興事業を進めてきたが、まだ道半ばだ。国は被災者が復興を実感できるよう、支援を続けなければならない。
 この震災では、津波に見舞われた岩手、宮城、福島の3県沿岸部を中心に計1万5894人が死亡し、2562人が行方不明のままだ(2月10日、警察庁発表)。震災後に持病が悪化するなどして亡くなり、「震災関連死」と認定された人は3407人いる(昨年9月30日現在、復興庁まとめ)。
 震災発生当初に約47万人いた避難者は、今年2月12日現在で約17万人4千人となった。うち約9万8千人は、東京電力福島第1原発事故により避難を余儀なくされた福島県民だ。
 国は集中復興期間に、総額26兆円の復興事業を全額国費で行ってきた。その結果、被災者向け災害公営住宅(約3万戸)の95%について事業着手し、津波被災農地(約2万ヘクタール)の74%で営農を再開できるようになった—などとしている。
 3県の沿岸部42市町村の首長を対象に共同通信社が行ったアンケートでは、36人が震災後の国の対応に一定の評価をしている。だが、復興が「予定通り」「予定より早い」と感じる首長と、「進んでいない」「予定より遅れている」と受け止める首長は21人ずつに割れた。
 アンケートでは今後の不安についても尋ね、23人が「人口減少」を挙げた。15年の国勢調査(速報値)によると、42市町村のうち36市町村で10年の前回調査より人口が減った。津波の犠牲者が多く出た宮城県女川町は37%減、同県南三陸町は29%減などとなっている。一方、仙(2016.3.9)台市とその周辺市町や福島県いわき市など6市町は被災者の転入により人口が増えた。
 人口減が一気に加速した市町村としては、避難者らが戻れる環境をできるだけ早く整えることが必要だ。住まいや雇用の場の確保はもちろん、医療機関や福祉施設、保育所の早期の整備を望む人もいるだろう。
 福島県では大熊町や双葉町など4町が、原発事故後に全域が避難区域となったことにより、15年国勢調査で人口「ゼロ」となった。同県では避難区域以外でも除染が続いており、除染の早期完了が望まれている。
 ただ、住民の要望に基づき戸数を設定して完成させた災害公営住宅で、空き部屋が生じる事態も起きている。入居を希望した人が完成を待てず、自力で住宅を建てるなどしたためだ。このように5年間で必要度が変化した施策もある。今後、被災者が望む「復興の在り方」がさらに変わる可能性があることを念頭に、被災地の再生を進めるべきだろう。
 ◇    ◇
 東日本大震災はどんな課題を突き付け、これにどう対処すればいいのか。シリーズで考える。
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