2016-03-14(Mon)

3・11東日本大震災・福島原発事故5年 各紙社説等(6)

河北新報 「共に前へ」の思い再確認を 住まいの再建/広がる格差伴走型の支援を

<社説>
河北新報)大震災5年 「食」産業の復興/消費者とつながってこそ(3/13)
河北新報)大震災5年 記憶の伝承/「記録」しっかり読み継ごう(3/12)
河北新報)大震災から5年/「共に前へ」の思い 再確認を(3/11)
河北新報)大震災5年 住まいの再建/広がる格差伴走型の支援を(3/9)
河北新報)大震災5年 地域産業の復興/楽観できる現状にはない(3/8)
河北新報)大震災5年 岩手の道路網転換/三陸復興へ交流戦略急げ(3/6)
河北新報)大震災5年 福島の学校再開/多様な意見尊重し対応を(3/5)



以下引用



河北新報 2016年03月13日日曜日
社説:大震災5年 「食」産業の復興/消費者とつながってこそ


 魚を捕って加工もし、コメや野菜を作り、売って暮らしの糧を得る。「食」産業が成り立つのは、買って食する人たちがいればこそである。
 その消費者が、何を欲しているのか。そのことをつかんで、経営に生かす。
 当たり前のことながら、その取り組みが大震災から5年を迎え「壁」にぶつかる漁業・水産業・農業の復興、ひいては、若い担い手の確保を含め持続可能な食産業の構築に道を開く一つの鍵になるのではないか。直接的であれ間接的であれ消費者と向き合うこと、つながることである。
 被災地を見渡せば、原発事故の影響で復旧さえままならない福島をはじめ、復旧・復興状況には地域格差がある。
 だが、その中でも宮城、岩手を中心に漁港、農地、水産加工の設備など生産基盤は整ってきた。漁業では協業化や養殖漁場の再編、農業では震災を機にした離農に伴う大規模化や経営体の法人化と、共に構造改革が進み、6次産業化も視野に入れる。
 だが、濃淡はあれ、直面するのは経営の課題だ。どうやって収益を上げていくのか。
 沿岸部の主力産業であり地域の復興に不可欠な水産加工業は、震災後にほかに奪われた販路の開拓が重い宿題だ。
 その窮状の打開に向け、東北の官民が広域連携に乗り出す。三陸地域の水産加工品を国内外に売り込むため、世界に通用する統一ブランドを構築し、販路の拡大を目指すという。大いに期待したい。
 ただ、輸出を見据え魚市場や加工場に国際的な食品衛生管理システムを導入したとはいえ、それを十分生かすためにも、どこの国・地域の人がどんな商品を求めているか、確かな市場調査を通し、そのことをまずは把握したい。
 沿岸平野部で相次いで誕生し、稲作を軸に複合経営に乗りだした大規模な農業生産法人が悩むのは、収益性の高い園芸作物は何か、だ。
 公的助成が厚い水田農業に慣らされてきた法人経営者らが、いま口にするのは「マーケットイン」の必要性だ。消費者が望むものを作る。収益向上に不可欠な、その発想にようやく目覚めたといえる。
 ある経営者は農協に取り組みを求め、別の経営者は企業との連携でノウハウを追う。
 食産業復興へ行政、関係団体、企業、大学も含めた経営の支援体制づくりは急務だ。
 全国農協中央会が1月に全国の男女千人に実施した震災意識調査がある。3回目の調査で、震災の記憶の風化が進みつつあり、被災地産品の買い控え層が2割近くと、風評被害が根強いことも示した。
 が、注目したいのは「復興支援に今後も協力したい」、具体策として「被災地の物を買うことが大事」との回答が共に8割にも上ったことだ。
 「消費で支援」と考える人がこれだけいる。やむなく生業をやめ後事を託した仲間のためにも、食産業の担い手はその応援団を「震災のおかげ」と前向きに捉え、いかに「パートナー」たらしめるかに思いを巡らしたい。
 可能な限り交流し声を聞いて、消費者とつながり続けることが、明日をたぐり寄せることになるのではないか。
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河北新報 2016年03月12日土曜日
社説:大震災5年 記憶の伝承/「記録」しっかり読み継ごう


 <夜通し翌日までがれきをかき分け、18人ぐらい引き揚げて助けたが、30人ぐらいは助けられなかった。屋根に逃げられたのに滑り落ちて手首を切り、止血もできず低体温で亡くなった女性もいた>
 <地震が来たら津波に注意という碑はあった。でも、みんな無視した。ここに津波は来ないと信じていた。酒を飲みながら津波は来ないとよく話していた友人は、夫婦で命を落とした>(趣旨要約)
 例えば「名取市民震災の記録」(尚絅学院大編)は、約750人が犠牲になった同市閖上の惨禍を被災者の語り言葉で生々しく記録する。
 数々の証言から浮かび上がるのは、住民たちが直面したあの日の危機の詳細だ。
 それぞれが油断と悔恨を吐露し、「体験を長く伝え残さないと」と異口同音に教訓伝承の重みを訴えている。記録に託された被災者一人一人の思いに触れると、あの日は遠い過去ではなくなる。
 東日本大震災後、被災地では膨大な数の記録集が刊行されてきた。自治体、企業、学校、町内会…。組織の総括のようなものから証言集まで内容はさまざまだが、いずれも歴史的大災害の細部を被災現場レベルで再現し、共有できる貴重な資産と言える。
 震災から5年、記憶の風化が懸念される中にあって、その価値は一層重みを増しているはずだが、残念ながら記録集はまとめが済んだ時点で一区切りが付き、あまり読み直しはされていないようだ。
 多くは刊行から3~4年がたち、再読の機会がないまま今に至るケースは少なくないとみられる。被災時の対応や被災者の証言をストックしたこと自体に意義はあったとしても、内容が再確認され、次への備えを進めるために活用され続けていかなければ、記録集はその役割を果たしたとは言えなくなってしまう。
 悲劇の現実と反省に基づく教訓を伝え残すためには、記録集を死蔵させることなく読み継ぐ努力が必要だ。
 世代交代が進む組織において、それは特に意識すべき課題になる。「被災対応の先頭に立っていた人たちの定年退職が進み、体験や実感としての教訓の継承が難しくなっている」と多くの自治体の防災担当者は懸念を漏らす。
 いずれは、震災未経験の世代が組織や地域の中核を担う時代がやってくる。そのときに被災の細部を理解してもらい、防災の誓いを継承していくためには、記録に触れることが大前提になる。記録集は最も基本的な伝承素材になることを確認しておきたい。
 デジタルデータを中心に整備された震災アーカイブについても同じことが言える。
 大学や報道機関との連携分も含めて約270万件もの写真や映像、文書データを保管する国立国会図書館の「ひなぎく」をはじめ、アーカイブはそれなりに充実し膨大な記録が蓄積されたが、活用策はどこまで進んでいるか。
 研究や検証のほかに、防災教育や意識啓発など市民向けの活用があって初めて記録は力を持つ。記録集の読み継ぎと同様に、記録と記憶をたえず相互循環させていくための工夫が求められている。
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河北新報 2016年03月11日金曜日
社説:大震災から5年/「共に前へ」の思い 再確認を


 長い闘いになることを覚悟してはいても、この現状をどう評価すればいいのだろう。
 東日本大震災から、きょうで5年。復興の姿はまだ見えない。暮らし、なりわいの基盤を整備する「まちづくり」は道半ば。胸突き八丁の局面にある。正念場を迎えているとの認識を共有したい。
 もう5年、まだ5年。襲いかかる弱気を振り払い、必死の思いで復興に向けた日々を刻む被災地や被災者の受け止めはさまざま。もっとも、記念日的な感慨だけはない。
 復興の進展のばらつきが顕著になってきている。
 特需に恵まれた都市があり、新しい街の一端が姿を現した自治体がある。住宅再建を成し遂げ、事業や仕事が軌道に乗り始めた人がいる。
 課題山積、後れを取る自治体もある。ついのすみかを決めかね、仮設住宅で疲労と失望を深くしている人もいる。復興から取り残されるわびしさが被災弱者をさいなむ。
 被災の態様は千差万別。もともとの環境も異なる。時が解決の糸口になるはずだった。が、復興は想像以上に時間を要し、被災者の癒やしと再出発の道程を狂わせる。
 原発被災地、福島の復興はなお遠い。帰還かなわぬ避難生活が住民の分断化と家族離散の固定化に拍車を掛ける。
 遺族、特に行方不明者のいる遺族に区切りはない。「透明な喪失感」が沈潜し、歳月が寂しさを募らせもする。
 事業の多くは計画通りに運んでいない。用地買収、合意形成の遅れや人手不足が要因とされるが、そもそも内容が適正で、執行への環境整備に手抜かりはなかったのか。
 巨大な防潮堤建造に対する住民の不満がくすぶる地域がある。安全安心が原点と承知しつつ、かさ上げしたまちづくり用地や高台の住宅向け造成地の規模に圧倒される。「新しい町」が見通せぬまま人口流出や高齢化が進む。
 政府などは「創造的復興」や地方創生のモデル事業にと勇ましい。予算の後押しを受け、現地のトレンドを脇に置き一発逆転にも似た発想でハード優先に向かわせた側面もあるのかもしれない。
 ただ、過ぎたるは後々の重荷となるだけでなく、地域再生の遅れにつながり被災者の意欲をもそぎかねない。
 仮設住宅ではコミュニティーの維持、新住区では連帯感育成という難題を抱える。心の復興は基盤の整備と同じ時間軸では測れない。見えにくいからこそ留意が要る。地域活性化は主役を担う住民が元気を取り戻してこそ。暮らしの再建に軸足を移し、再生の起点として人の復興を支える仕組みの充実に努めたい。
 行政は被災者との連携を強化、思いに沿いながら取り組みを丁寧に総括し、過大と過小を見極めて必要な計画の修正を図らねばならない。5年の節目に意味があるとすれば、その好機ということだ。
 未曽有の災害対応で見込み違いは避け難い。検証と見直しを通じて地域の永続性を高める、より効果的で現実的な事業推進に知恵を絞りたい。
 未来を信じて、あらためて「共に前へ」の思いを強固に、あすにつながる、きょうの確かな一歩を重ねていこう。
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河北新報 2016年03月09日水曜日
社説:大震災5年 住まいの再建/広がる格差伴走型の支援を


 東日本大震災で甚大な被害を被った石巻市長面地区の寺院で2月、正月行事「大般若巡行」が5年ぶりに復活した。同地区では津波で103人が犠牲・行方不明になった。伝統行事の復活は地域文化の再現を通じて心の復興にもつながる意義深い一歩だ。
 長面地区一帯は災害危険区域に指定され、居住者はいない。住民は約20キロ離れた内陸の仮設住宅でばらばらに暮らす。土地と住まいが分断され、心のよりどころはいまだ漂流を止めない。復活した行事もその未来を見通せない。
 震災から5年。被災自治体の復興計画は着実に進む。同時に、悲しみの数字も積み重なる。不自由な仮設住宅での孤独死は岩手、宮城、福島の被災3県で約200人近くに達し、年々増えている。多くは一人暮らしの高齢者だ。震災を生き延びたというのに、置き去り感を抱えたまま亡くなる無念さはいかばかりか。
 宮城県南三陸町の佐藤仁町長は2月25日、日本外国特派員協会で記者会見し、「町民の生活は(住まいの確保の面で)完全に二極化している」との認識を示した。住宅の再建が終わり、ついのすみかを手に入れた被災者と、いまだ仮設住宅で暮らす被災者。両者の溝は深まる一方だ。
 復興庁によると、被災3県における災害公営住宅の完成戸数は1月末現在、1万4042戸。計画の47.5%にとどまる。阪神大震災では5年3カ月後に全4万2137戸が完成している。東北の被災エリアは広く、沿岸部は多くがリアス式海岸で用地確保が難しい。東日本大震災特有の事情はここにもある。
 住居は暮らしの基盤。再建されない限り、復興は終わらない。なのに住まいの見通しすら立たない被災者は多い。
 宮城では仮設住宅約2万世帯の1割超が、自宅の再建方法を決めかねている。仙台市では仮設住宅の4206世帯のうち、その道筋を描けない世帯数は323(7.7%)。深刻なのは市外から移り住む被災世帯が8割近くを占め、昨年より増えている点だ。
 厳しい復興の現場をよそに、時の流れは刻々と震災を過去に追いやる。政府の復興推進委員会は4日、16~20年度の「復興・創生期間」の基本方針を了承。「復興期間の総仕上げに向け、被災地の自立につながり、地方創生のモデルとなる復興の実現を目指す」と強調した。
 「総仕上げ」の言葉は、住まいの再建すらままならない被災者にどう響いただろう。地方創生には「選択と集中」のニュアンスが含まれ、急速な人口減が進む被災自治体にとって、相当な覚悟を強いられる政策とも言える。政府に被災者一人一人の窮状が見えていようか。
 間もなく、あの日を迎える。家族や家を失った被災者はこの時期、いつにも増してつらい現実に向き合わされる。
 今、必要なのは安住の自宅再建などを確信できず、復興から取り残され、周回遅れする被災者に歩調を合わせる伴走型の支援だ。「ポスト復興」に軸足を移す前に、政府や被災自治体は広がる格差を見据え、いま一度なすべきことを見つめ直してほしい。
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河北新報 2016年03月08日火曜日
社説:大震災5年 地域産業の復興/楽観できる現状にはない


 石巻市の設備業、宮富士工業は沿岸部にある。東日本大震災の津波に見舞われたものの、いち早く復旧した。
 震災から間もなく5年。溶接工として「現代の名工」にも選ばれている社長の後藤春雄さん(69)は「地域や業種によって生じた格差が縮まっていない」と感じている。
 「(自社の)設備は元に戻り、業況も震災前の水準を回復できている」と後藤さん。周辺の工業関連の企業も同様だというが、旧北上川を挟んで東側に多く立地する水産加工関連の復旧は「まだまだ」のように映る。
 東北経済産業局は2月下旬、東北の産業復興の現状などを取りまとめた。経済動向では鉱工業生産指数といった指標を取り上げ「全国と同水準まで回復」「全国と同様の動き」などと分析した。
 数字を基にした総括はそうであっても、地域に目を凝らせば、産業復興はこれからが正念場とすぐに分かる。
 津波防災の観点から土地のかさ上げ工事が進む地域では、商業施設の再建や開設に着手するのは今後になる。5年の歳月が経過する中で、かさ上げする新市街地への立地を断念したり、迷ったりしている経営者もおり、商業再生への影響が危惧される。
 企業の倒産リスクは消えていない。帝国データバンクによると、東北6県の震災関連倒産(負債額1千万円以上)は5年間で計364件に上る。この1年間に限っても37件あり、影響がなお続いている様子がうかがえる。
 小規模事業者を含めた実態はもっと深刻だ。帝国データバンクが岩手、宮城、福島3県の津波被災地の約5千社を追跡調査したところ、ことし2月時点で「休廃業」している企業が約1400社と、調査対象の28%に達した。
 このうち明確な倒産はわずか36社。大半は破産などの法的手続きを進めていない「隠れ倒産」と言える状況だ。
 事業を再開した企業にとっては問題が積み残されたままとなっている。岩手県の直近の調査では、県内沿岸部の被災事業所の44.1%が「取引先の減少または販路の喪失」を現在の課題に挙げた。
 販路回復の遅れは原発事故後の風評被害が続く福島県内ではより切実で、水産加工を中心に売り上げが震災前に戻っていない企業が目立つ。
 東北の産業は復興を果たしたのかどうか。被災企業が抱える課題を見れば、決して楽観できないのは明らかだ。
 「単なる復旧に終わらせない」。政府や経済界などから発言が相次いでいた「理想的な復興」の現実も問われる。
 野菜工場は震災後、6次産業化の具体策ともてはやされたが、収益性の問題などで経営破綻した例が複数ある。
 国のグループ化補助金は被災企業の再建を後押ししたが、グループ化による協業にこぎ着けた事例は多くない。
 そもそも鉱工業生産など指標の回復は、海外経済や復興需要によるところが大きかったが、中国経済の減速などで風向きは変わりつつある。
 被災地に根差す産業をどう育てるか。原発事故の風評払(ふっ)拭(しょく)を含め、真の復興を目指す覚悟が今後こそ求められる。
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河北新報 2016年03月06日日曜日
社説:大震災5年 岩手の道路網転換/三陸復興へ交流戦略急げ


 東日本大震災からの復興が進む岩手県で、高速道路網が劇的な変貌を遂げつつある。
 国が復興道路として整備する三陸沿岸道路(仙台市-八戸市、総延長359キロ)は、昨年末までに43%が開通した。2018年度中には開通率が60%を超える見通しだ。
 この縦軸に接続する横軸の整備も進む。宮古市と盛岡市をつなぐ宮古盛岡横断道路(100キロ)と、釜石市と花巻市を結ぶ東北横断道路釜石秋田線(80キロ)。いずれも復興支援道路と位置付けられる。
 県内の陸路の大動脈はこれまで、東北自動車道1本だけだった。三陸沿岸道路の誕生で縦軸は沿岸と内陸の2本。それを二つの横軸が直結する。岩手にとっては交通ネットワークの大転換となる。
 復興加速のため、過去に類を見ないスピードで整備してきた国の対応は評価できよう。三陸復興に生かすべきは言うまでもない。岩手県には人とモノの交流を拡大させる戦略の策定を望みたい。
 三陸沿岸道路が全通すれば所要時間は大幅に短縮される。東北地方整備局の試算によると、仙台-八戸の移動時間は現在の8時間から5時間になり、仙台-釜石は4時間から2時間半程度になる。
 アクセスの改善を見越した動きは既に顕在化している。港湾と道路網の整備が同時進行で進む利点を捉えた企業進出が加速しつつある。
 熱い視線を浴びるのが、三陸沿岸道路と東北横断道路釜石秋田線の結節点となる釜石市だ。将来は釜石港と内陸に集積する工業団地が直結することになり、物流拠点としての注目度が高まっている。
 市内には震災後、食品加工や太陽光パネルの物流倉庫など6社が進出した。震災前10年間の3社と比べると飛躍的な伸びだ。コンテナの取扱量も急増した。2015年の実績は4420個(20フィート換算)で前年の1.6倍。宮古港が13年に記録した3315個を上回り、県内最高を記録した。海運と陸送のセット整備が相乗効果を発揮する。
 三陸沿岸にはほかに久慈、宮古、大船渡の重要港湾がある。陸上交通が不便だったことから、同じような規模の港湾が発達してきた。三陸沿岸道路が整備されれば、港湾ごとに特性の違う利用形態が求められる。県は4港の港湾利用促進プランを策定した。
 近隣で再生可能エネルギーの発電施設計画が進む久慈港は輸入燃料を運び込む拠点を狙う。18年春に室蘭との間にカーフェリー航路が開設される宮古港は旅客や貨物の確保を図る。大船渡港は釜石港と並んでコンテナ貨物の集約を目指す。机上の空論といわれないためにも、踏み込んだポートセールスが求められる。
 三陸沿岸道路は大きなメリットを運ぶ半面、マイナス要素も付きまとう。人口160万を超える仙台都市圏と直結することで、買い物客が流出し地元の商店街が空洞化する「ストロー現象」を懸念する見方がある。
 民間企業や動向や観光需要に敏感に反応しながら、岩手に生まれる新たな地の利を全国に発信して最大限の効果を引き出す。県が果たすべき役割はこの一点に絞られる。
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河北新報 2016年03月05日土曜日
社説:大震災5年 福島の学校再開/多様な意見尊重し対応を


 古里の学びやに、子どもたちの元気な姿は戻るのだろうか。
 東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故により避難区域などが設定された福島県内12市町村で、小中学生が激減したままだ。本年度の在校生は小学校2209人、中学校1495人で計3704人。原発事故前(2010年度)の1万2364人と比べて7割も減少している。
 全住民が避難する自治体では、休校したままの学校もあり、双葉、浪江、富岡3町の学校はいずれも減少率が9割を超える。
 原発事故後のこの5年、避難生活が続き、古里の校舎に通ったことがない子も少なくない。義務教育をめぐる福島のいびつな状況は、避難指示が解除されない以上、解消されないだろう。
 元の学校に通わせるか、避難先で転校するか。保護者は悩みを深めているが、子どもたちが直面する学習環境にもしっかり目を配らなければならない。
 小学校、中学校に通う期間は限られる。充実した教育を受け、学校生活を満喫しているだろうか。同じクラスの仲間がそれぞれ別の判断をし、学期の節目を機にバラバラになるケースも多い。とどまる子、転校する子、部活動を続けられなくなる子…。心のケアも極めて重要である。
 避難を強いられた54校中、48校が授業を再開し、うち30校は避難先で授業を続ける。15校はプレハブ校舎、15校が廃校となった学校や他校の校舎などを借りている。プールや理科、家庭科といった特別教室がないなど制約もある。
 自宅や学校周辺の放射線量、除染などの作業車が往来する通学路の安全など学習環境以外にも懸念材料は多い。
 避難先で仮住まいする「自宅」の環境も可能なかぎり整える努力を、自治体や教育委員会は尽くすべきだ。
 避難指示解除後の帰還を見越し、自治体は元の校舎で授業を再開する時期を示している。これに対し、保護者側が「時期尚早」と強く反発しているケースもある。
 今春の解除を視野に入れ、住民説明会が2月に始まった南相馬市がその一つ。市側は避難区域となった小高区の小中5校をことし8月に再開させる方針だが、空き家が目立つ現状から、保護者が防犯に懸念を抱き、先送りを求める声が強い。
 「2017年3月までの帰還」を目標に掲げる飯舘村も揺れている。村は小中4校を中学校舎に集約し、同年4月に再スタートしたい考えだが、PTA会長らがインフラ復旧などを不安視し、3年以上の先送りを要望している。
 学校は次代の担い手を育てる拠点だ。教育機能の回復はコミュニティーの再生に弾みを付けようが、現状では地域社会の再構築を急ぎたい自治体と、安全最優先の保護者側の思惑は隔たりが大きい。
 学校の再開は帰還をめぐる決断と切り離せまい。古里に戻るか、移住するか。二者択一で答えを求めず、生活再建の進み具合と多様化する考え方を尊重し、判断を留保している住民にも十分配慮する姿勢が必要である。
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