2016-03-16(Wed)

3・11東日本大震災・福島原発事故5年 各紙社説等(10)

避難者・移住者 生活安定へ支援再構築を 進まぬ帰還 福島の声に耳を傾けよ 暮らし再建 住民の目線に寄り添え

<各紙社説>
山陽新聞)避難者・移住者 生活安定へ支援再構築を(3/13)
山陽新聞)福島の事故 原発扱う困難さ露呈した(3/12)
山陽新聞)暮らしの再建 地域の絆失わせぬ工夫を(3/11)
中国新聞)震災5年・光と影 両面見つめ復興の礎に(3/13)
中国新聞)震災5年・進まぬ帰還 福島の声に耳を傾けよ(3/12)
中国新聞)震災5年・日本のかたち 原点の誓い胸に刻もう(3/11)
中国新聞)震災5年・エネルギー 「地産地消」福島に学ぶ(3/9)
中国新聞)震災5年・暮らし再建 住民の目線に寄り添え(3/8)
中国新聞)震災5年・復興への道 一人一人の思いに耳を(3/7)




以下引用



山陽新聞(2016年03月13日 08時58分)
社説:避難者・移住者 生活安定へ支援再構築を


 東日本大震災とそれに伴う東京電力福島第1原発事故は、人々の意識を大きく変えた。物質的な繁栄のもろさとともに、人々のつながりや安全・安心な暮らしの大切さを感じた人は多かった。それが、東京などから地方への移住者や移住希望者が増える要因となったといえる。
 復興庁のまとめによると、岡山県内への震災避難者は1091人(2月12日現在)で、中部地方以西の府県で最多だ。福島、宮城、岩手の被災3県からは3分の1にとどまる。多くは関東地方からの自主避難者らで、移住の意味合いも含まれている面がある。
 時がたてば元の居住地へ帰るなど、次第に減っていくのが一般的傾向だが、岡山では逆に年々増え続けた。昨年6月をピークにやや減ったものの、高止まり状態である。
 西日本としては避難者の数が目立って多く、“岡山現象”とも呼ばれる。災害の少なさをはじめ、原発から距離が離れていること、気候のよさ、交通の利便などが岡山が選ばれている理由のようだ。
 避難者を支援する団体の存在も大きいだろう。行政には難しい、きめ細かな支援ができる。震災直後から市民らが次々に団体を立ち上げ、避難してきた人らも支援に回るといった好循環が起きている。
 避難者の現状は多様だ。実態調査を続けている岡山理科大のチームによると、震災から5年を経て新しい暮らしが軌道に乗る人らと、生活が厳しく将来に不安を持つ人々の二分化が進んでいるという。特に問題なのが、父親を残して母子で避難している世帯である。二重生活での経済的な苦しさや、頼る人がいない不安などが増している。
 チームの緒方清隆非常勤講師は「避難者に寄り添い、気持ちを理解する支援や交流とは何かを再考する段階」と指摘する。岡山県内の12の支援団体による連携組織「うけいれネットワーク ほっと岡山」は、孤立する避難者への戸別訪問▽行政関係者や支援者、避難者らが集まって課題などを話し合う場づくり▽支援するコーディネーターの配置―を提言している。
 支援する側の民間団体の疲弊も懸念される。10日に岡山市内であった報告会では、ほっと岡山の構成団体から、助成や寄付の減少による資金不足、人手不足による活動の縮小といった悩みが出された。
 より効果的で持続可能な支援に向けて、内容や体制を官民で再構築する時だろう。避難者らの暮らしの満足度が上がれば、次の移住者を呼び込むことにもつながる。
 孤立しがちな避難者も、地域との関わりができると精神的にも安定し、定住に結びつく傾向がある。育児・託児への支援、地域との交流促進といったちょっとした配慮も心がけたい。
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山陽新聞(2016年03月12日 08時58分)
社説:福島の事故 原発扱う困難さ露呈した


原子力事故の過酷な現実だろう。廃炉作業が行われている東京電力福島第1原発では放射性物質を含んだ汚染水の発生を抜本的に抑えることができていないなど、事故から5年を経てなお苦闘が続く。原発で重大事故が起きれば、収束は極めて厳しいことを浮き彫りにしている。
 事故では、運転中だった1~3号機で原子炉内の核燃料が溶け落ちる炉心溶融(メルトダウン)が起きた。原子炉建屋の水素爆発もあり、大量の放射性物質が放出された。
 廃炉工程では、使用済み核燃料プールに残る燃料や原子炉内の溶融燃料を取り出す。これまでに4号機プールからの燃料取り出しが完了。今夏には3号機プールからの燃料取り出しに向け、建屋カバーの設置作業が始まる。
 だが、最難関となる溶融燃料の取り出しに向けた作業は、いまだ建屋内の調査段階だ。溶融燃料がどういう状態にあるのか、どう取り出せば良いのかなどは今も分かっていない。遠隔操作するロボットの開発など技術的な課題もある。政府と東電は廃炉完了まで30~40年と見通すが、その根拠は十分とは言い難い。
 汚染水対策では、護岸から海洋へ染み出すのを防ぐ遮水壁などで周辺環境への影響低減を図っている。とはいえ、増え続ける汚染水への対応は依然、大きな課題だ。
 汚染水の増加を抑制する柱となるのが「凍土遮水壁」である。1~4号機の周囲の地中に多数の凍結管を埋め込み、地盤を凍らせる。国が建設費約350億円を投じた設置工事が2月に完了した。近く稼働する見通しで、建屋への地下水の流入が減ることが期待されている一方、建屋地下にたまっている高濃度汚染水が地中に漏れ出す恐れもある。水位を監視しながらの慎重な作業が求められる。
 約千基のタンクで保管されている約80万トン(2月末時点)に上る大量の汚染水の先行きも見通せない。多種類の放射性物質を取り除く装置で処理されているものの、トリチウムだけは残る。原子力規制委員会は、トリチウムを基準値以下にした上で海へ放出するよう求めているが、地元漁業者らの反発は強い。
 放射線量が高く立ち入りが制限されてゴーストタウンと化した周辺地域では、古里を失った人々の悲しみは計り知れない。先日は、福島原発事故の原因究明が進んでいない上、原子力規制委の新基準にも疑問点があるとして、大津地裁が関西電力高浜原発3、4号機の運転を差し止めた。
 福島原発事故からの5年間は、原発を扱うことがいかに難しいかを示しているといえよう。絶対安全という「安全神話」に戻ることなく、原発事故がもたらす深刻な影響を直視し、教訓としなければならない。
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山陽新聞(2016年03月11日 07時59分 更新)
社説:暮らしの再建 地域の絆失わせぬ工夫を


東日本大震災の発生から5年となった。復興の確かな道筋を見通せないまま、被災地は節目の日を迎えた。手間取る生活基盤の再建をはじめ、厳しい現状には「もう5年もたったのに」の感が強い。それどころか、むしろ5年たって復興の本当の難しさが分かってきたともいえる。
 岩手、宮城、福島3県では今も約3万戸の仮設住宅に6万人近くが暮らす。被災規模は違えど、21年前の阪神大震災では5年で仮設生活が解消されたのと比べ、あまりにもどかしい。さらに、全員が退去できるのは早くて2021年春になる見通しという。
 自力での自宅再建ができない人が仮設住宅から移り住むための災害公営住宅は、これまでに3県で約1万4千戸が完成した。まだ計画の半分程度だ。土木分野のマンパワー不足や建設資材の不足が足を引っ張り、仮設暮らしの長期化を招いている。
 復興事業が進むにつれて目立つのが、被災者のニーズと現実とのミスマッチである。
 災害公営住宅の完成を待つ人がいる一方で、完成後に空室を埋めるのに四苦八苦するケースも少なくない。建設に手間取る間に自宅再建に踏み切ったり、一時避難先へ定住したりして入居する意向が変わり、見込んだ数の入居者が集まらないためだ。
 近所付き合いが濃い仮設住宅から、ようやく災害公営住宅に移ったものの、人との交流が薄れて途方に暮れる人もある。入居者が退去して空きが増えた仮設住宅も治安悪化や高齢者の孤独死といった不安と直面している。
 高台への住宅集団移転も、造成に時間がかかるうちに離脱者が出ている。かといって限られた世帯で移転すれば、いずれ限界集落になりかねない。青写真通りには進まず、被災地は試行錯誤を余儀なくされている。
 生活再建の鍵は、地域や人との絆をいかにして維持・再生していくかだろう。住宅数を確保するだけでなく、かつてあったような良好な地域コミュニティーを復活させなくては、暮らしの安心や充足感は取り戻せない。
 そうした視点から、注目に値する災害公営住宅も生まれている。宮城県岩沼市は高層の建物にせず、戸建てにした。近所同士が交流しやすい形である。加えて同じ集落の出身者は近くに住めるように配慮しており、約200世帯が暮らしている。
 福島県相馬市は、食堂や洗濯スペースを共用化した「相馬井戸端長屋」(5棟58戸)を建設した。高齢の入居者同士が支え合う「共助」の暮らしを目指す試みである。
 被災者の目線に立ち、心のケアまで含めた支援を広げていくことが大切だ。先進事例に学びながら、取り組みを加速させていきたい。
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中国新聞 2016/3/13
社説:震災5年・光と影 両面見つめ復興の礎に


 東日本大震災の直後は、美談がもてはやされた。略奪やパニックなどは起きず、落ち着いて水や食べ物を譲り合う。「災害ユートピア」と呼ばれ、海外からも注目を浴びた。
 あれから5年。高揚感は、とうに冷めている。一方で賠償金や支援金の落差が生活再建のスピードを左右している。人と見比べることが増え、負の感情がふつふつと湧きつつあるのだろう。被災地を訪ねた人の口から、穏やかでない地元の声や風景が伝わってくる。
 いわく「昼間からぶらぶらしている被災者も目に付く。そろそろ、働いて自立しなきゃと言いたくなる」。「原発事故で古里を追われ、泣く泣く避難先に新居を構えたのに、地域社会とうまくいかない家族もある」
 何とも痛ましい。だが、そうした暗部もまた、一つの実相に違いない。共助や公助の「光」だけでなく、「影」からも目をそらさず語り継いでいくことが、災害に強い社会づくりの礎となるのではないか。
 先例がある。2004年秋に起きた新潟県中越地震の4年後、「中越発 救援物資はもういらない!?」と題する冊子が行政と市民の協働で出版された。
 全国から山のように届く救援物資が半面、重荷ともなった検証リポートである。避難所に使えたはずの市立劇場や三つの体育館が倉庫用に回され、ごちゃまぜで送られた段ボール箱の整理で一時は200人もの人手が取られた。復興に取り組む商店を横目に、ただで物品を配り続けることがどうだったか―。
 善意に感謝しつつも、その明暗をはっきりさせておかなければ、次の被災地を苦しめることになる。その一心から、勇気を奮っての発信だった。
 これを教訓に以後、現地の求めに応じた支援の大切さや復興期には義援金の方が有効との認識が広まっている。
 東京電力福島第1原発事故でも、直後は表に出てこなかった面に光を当てる動きがある。
 福島の民話などを紙芝居に仕立ててきた広島市民のグループ「まち物語制作委員会」である。今月封切りのアニメ映画「無念」には、地元住民が押し殺してきた声を幾つもすくい取り、あえて盛り込んだ。
 震災直後、患者を運ぶ救急車が県境の検問で「除染が済んでいない」と足止めを食ったこと。おととし、福島支援と銘打った首都圏での物産市に出店した帰り道、商業施設のごみ箱に買ってもらった農産物が袋ごと捨てられていたこと…。
 委員会の面々は「被爆地広島の人間だからこそ、聞き取れた嘆きや無念の思いでもある」と言う。福島の仮設住宅を訪ねた際、「広島から来ました」と自己紹介した途端、ひざを乗り出し、表情を緩ませた被災者の姿が忘れられないそうだ。
 低線量被曝(ひばく)の評価や帰還の是非など、意見が分かれ、板挟みとなる問題も多い。本音をひた隠すストレスを和らげる意味でも、傾聴は欠かせない。
 戦後このかた被爆後を生きてきた広島と、これから被曝後を生きていく福島と。思いを重ね、福島の人々の声に耳を澄ますことは、広島ならではの支援といえるだろう。
 「人の復興」は道険し、の感が拭えない。私たちが支えになれることは、まだまだある。
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中国新聞 2016/3/12
社説:震災5年・進まぬ帰還 福島の声に耳を傾けよ


 きのうテレビにあふれる3・11番組を見るのを途中でやめたという。福島第1原発事故のために福島県飯舘村から福島市の仮設住宅に避難している、60代の女性はため息をついた。「一向に進んでいないのに、復興という言葉を聞くのが嫌なので」
 飯舘村の6700人を含め、今なお福島では10万人近くが避難生活を続ける。住み慣れた家や仕事、地域の絆を奪われた。事故から5年たっても、先が見えない。それは中国地方に生活の拠点を移した多くの人たちにとっても同じだろう。
 戻りたいけど、戻れない―。諦めを口にする避難者が年々増えているのが気掛かりだ。50キロ圏を超えて降り注いだ放射性物質が、ふるさと帰還を阻んでいる。国は数兆円の巨費を注ぎ込んで除染作業を進めるが、低線量被曝(ひばく)をめぐる安全の線引きは難しい。避難者の不安や疑問はこの点に尽きよう。
 原発周辺の田村市、川内村、楢葉町では先行して避難指示が解除された。ただ対象地域で帰還したのは事故前の1割弱の約750人にとどまる。決してゼロではない被曝リスクに加え、病院や学校、商店などの生活インフラが十分でないことが影響している。厳しい現実に、将来の住民帰還を目指す他の自治体も戸惑いを隠せない。
 実際にこの5年の間に、古里に見切りをつけて別の土地に家を買う避難者が相次いでいると聞く。放射線の影響を受けやすいとされる子どもの県外避難は1万人近く、地域の将来像に影を落としていよう。
 なのに国の姿勢はどうなのだろう。来年3月までに広い範囲の避難指示を解除し、その翌年には賠償も見直す方針を示している。住民帰還や経済的自立にはいずれ避けられない措置とはいえ、こうまで急ぐ必要がどこにあるのか。
 区域解除によって、公的支援が薄い全国各地の自主避難者と同じような苦境を強いられる可能性がないとは限らない。「棄民ではないか」と反発する声が上がったのも当然である。
 原発事故は収束していない。汚染水対策は今も切り札がなく、汚染土の中間貯蔵施設の用地取得交渉も難航する。こうした現状を考えると、国の復興計画は楽観的に過ぎないか。
 原発周辺地域に、廃炉をめぐる研究施設を誘致する計画もある。地域活性化には一定の効果があるかもしれないが、廃炉をビジネスとして胸を張るような姿勢なら、県内の原発ゼロを願う県民の共感は得られまい。
 放射線との闘いは何十年も続くだろう。県民が恐れている記憶の風化や教訓の軽視が政財界で進んでいるのではないか。原発回帰を当然視する空気が、その象徴であろう。
 一方で、東京五輪へのロードマップの上で福島について語ることが多い安倍政権の姿勢にも違和感は拭えない。おととい発表した復興基本指針でも「復興した姿を世界に発信する」と掲げた。しかし厳しい現実をよそに、福島の再生ばかりを強調するようでは困る。
 国の政策と県民の思いには相当なギャップがあることを認識してもらいたい。五輪うんぬんよりも、もっと長いスパンで被災地支援を考えるべきだ。そのためにも住民帰還が進まぬ理由を掘り下げねばならない。
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中国新聞 2016/3/11
社説:震災5年・日本のかたち 原点の誓い胸に刻もう


 きのう夜、再稼働から1カ月余りの原子炉が停止した。関西電力の高浜原発3号機である。大津地裁が、トラブルで停止したままの4号機とともに「発電の効率性を甚大な災禍と引き換えにはできない」として運転差し止めの仮処分を下した。
 再稼働の前提となった新規制基準を全否定したにも等しい。二転三転する司法判断への批判もあろうが、何事もなかったかのように原発の「安全神話」が再び横行しつつある日本という国への重い警鐘ともいえる。
 ▽行き詰まり直視
 東日本大震災と福島第1原発事故からきょうで5年になる。死者・行方不明者に、震災関連死を加えると2万1千人以上。全国の避難者数は17万人を上回り、5万7千人が仮設住宅で暮らす。孤独死も後を絶たない。
 しかし日本全体でみれば震災の風化は進んできた。それは原発事故も津波も同じことだ。
 今こそ思い起こしたい。同じ悲劇を繰り返さないという原点の誓いを。多くの人が胸に刻んだ「日本はこのままでいいか」「変わらなければ」との率直な思いを。それは戦後社会の行き詰まりを直視し、人と人との絆を基盤として国のかたちを問い直す決意でもあったはずだ。
 きのう安倍晋三首相は記者会見で「復興は一歩一歩、確実に前進している」と胸を張った。本当にそうか。本来あるべき復興の姿と、現実がずれていくさまをどう見ているのだろう。
 巨額の復興予算の多くはインフラ整備に充てた。防潮堤建設や高台移転先の造成に加え、復興後押しを理由に4車線化を打ち出した常磐道など高速道路の急ピッチな整備もその一環なのだろう。こうしたコンクリート偏重の手法が適切だったか。
 この震災で、確実に浮き彫りになったことがある。何より頼れるのは巨大構造物ではなく、地域や家族のつながりであることだ。それを重んじる視点が十分だったとは思えない。
 ▽復興は誰のため
 現に絆を取り戻すどころか、被災地の人口流出は雇用の受け皿がないこともあって深刻さを増す。三陸の主産業の水産加工業も震災以前に戻りきらない上に復興関連工事に吸い取られて人手不足と聞く。このままでは悪循環に歯止めはかかるまい。
 津波被災地は、もともと少子高齢化が顕著だった。震災を経た状況が日本の20年後、30年後を先取りするという視点は、研究者の間で共通している。5年の復興の営みはそれを食い止めるより、逆の方向へ時計の針を進めたのかもしれない。
 その中で、むしろ感じられたのは震災を都合よく利用しようという官民の思惑である。
 復興を前面に誘致した東京五輪が象徴的だ。宮城県の「水産特区」のように、規制緩和の実験的手法を被災地に持ち込む動きもあった。さらには防災を大義名分とした「国土強靱(きょうじん)化」路線によって、たがが外れたように公共事業の増発を当然視する空気がアベノミクスと一体になって全国に広がったことも見過ごせない。誰のための復興だったのか疑問も抱きたくなる。
 ここにきて違和感を覚えるのが「被災地を地方創生のモデルに」と急に言い始めた安倍政権の姿勢である。災害復興とは別の次元の地域振興を同列に論じていく意味がどこにあるのか。
 おそらく手を引きつつあるのだろう。政府主導の復興施策は福島を除いてあと5年とされ、復興庁も廃止される予定だ。本当に取り組むべきことが置き去りのまま「金の切れ目」に合わせて3・11をめぐる記憶が埋没していくことを強く危惧する。それは列島全体の災害への危機感低下にも直結するからだ。
 ▽「次」への備えを
 「戦後の繁栄そのものが、たまたま地震活動がない時期の平和を謳歌(おうか)したもの」。歴史学者として過去の地震を調査する磯田道史氏は指摘する。遠くない将来、瀬戸内海に津波が襲来しうる南海トラフ巨大地震も、住民の目線からの備えは遅れている。次の巨大災害とその復興―。将来にわたり日本が突き付けられる課題と向き合うために、震災の教訓を学び続けたい。
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中国新聞 2016/3/9
社説:震災5年・エネルギー 「地産地消」福島に学ぶ


 会津盆地の山裾に3700枚の太陽光パネルが並ぶ。東京電力福島第1原発の事故後、福島県喜多方市で設立された「会津電力」の発電所である。
 地元の造り酒屋の当主でもある佐藤彌右衛門社長の言葉に共感した。「福島をエネルギー面で自立した地域にしたい」と。原発事故を機に再生可能エネルギーの事業を始めた。県内の計48カ所で太陽光発電を展開し、今後は風力、小水力などの事業を進める青写真を描く。
 太陽光や風力、水力、バイオマス、地熱…。福島では再生エネルギーを生かした発電事業への新規参入がほかにも相次ぐ。県が「2040年までに全エネルギー需要の100%を再生エネルギーで賄う」との目標を掲げ、独自に財政支援するのも大きい。ゆくゆくは県内各地に発電所を設け、「エネルギーの地産地消」を目指す。
 いまだ試行錯誤の段階なのは確かだ。全国の再生エネルギー拡大の現場と同様に、急速に発電計画が進んだために送電網の容量を超え、売電ができない地域も県内で出始めている。実際に昨年の再生エネルギーの割合は27%にとどまり、40年の目標は遠いのが現実だろう。
 かといって福島の流れを滞らせるわけにはいかない。原発に頼らないエネルギー確保の先進地となるべきだからだ。何より福島の人々には権利がある。
 首都圏の大量消費社会を支えるために電力を送り続け、同時に原発リスクがつけ回されてきた。その揚げ句の原発事故である。現場周辺は放射能に汚染され、今なお多くの人々が避難生活を続ける。「原発はもうごめんだ」との偽らざる感情はそう簡単に薄まるはずもない。
 しかし日本全体でみれば福島の思いとは逆の方向に進んではいないか。原発再稼働がなし崩し的に進み、原発事故を踏まえてできた新規制基準の実効性も揺らいでいる感は否めない。例えば運転開始から40年たった原発は原則として廃炉にすることが定められたが、原子力規制委員会自らの手で骨抜きにされつつあると言わざるを得ない。
 こうして福島の教訓が置き去りになりがちな今だからこそ、3・11の原点を思い返したい。いま一度、立ち止まって再生エネルギーを普及させる重要性を再認識すべきではないか。
 この5年、課題も浮き彫りになってきた。震災翌年からの固定価格買い取り制度に基づく売電価格も段階的に引き下げられ参入にブレーキがかかった。
 この制度が地域レベルで取り組みやすい太陽光発電の普及に役立った一方、電気料金の高騰を一部で招いた面もある。だからといって育成を怠ってはならない。太陽光以外の電源を組み合わせ、よりバランスの取れたシステムに変える必要がある。
 原発依存を脱し、小規模分散型の再生エネルギーを普及させる。そして自立型のエネルギーシステムを構築する―。それが福島の事故の教訓でもある。風力や水力などが豊富な福島県を一律にモデルとするのは難しい面もあるが、エネルギーの「地産地消」で活性化につなげる発想を広げていきたい。
 きのう、政府は福島で水素エネルギーや風力発電などを広める新たな官民合同の会議の設立を決めた。後押しすべきなのは当然、福島だけではない。
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中国新聞 2016/3/8
社説:震災5年・暮らし再建 住民の目線に寄り添え


 「5年がたち、もう復興したと思われるのかねえ」。宮城県石巻市の中心部にある仮設商店街で、パン店を営む店主の嘆きを聞いた。
 民間駐車場の敷地にプレハブ建物が並ぶ。被災した電器店や飲食など16店舗が肩を寄せる。だが平日の午後、訪れる人はほとんどなかった。最近、ボランティアや観光客の姿が、めっきり減ったそうだ。パン店を再開した時、1日80人はいた客は今や十数人。「復興景気」の曲がり角と被災地への関心の薄れを実感しているという。
 この商店街は昨年末に閉鎖される予定が、ことし秋まで延長された。他の場所への移転費用などのめどが立たない店主らには「廃業」の思いもよぎる。
 東日本大震災から5年。被災地では復興のつち音が間断なく響く。津波にのまれた地域では市街地かさ上げをはじめ高い防潮堤の築造、高台への宅地造成などに巨費が投じられてきた。そうした中で、被災地を歩くと暮らし再建の道筋をいまだ見いだせない人たちと出会う。
 見過ごせないのが仮設住宅をめぐる状況だ。阪神大震災では5年で解消したのに対し、この震災では岩手、宮城、福島の被災3県に計2万9千戸が残る。自宅確保の見通しが立たず、撤去される仮設住宅から別の仮設へと渡り歩く人も少なくないと聞く。復興公営住宅に入ることができても周りの人たちとの人間関係をもう一度結び直さなければならない。コミュニティー再生の面でも課題を残す。
 ここにきて目立ち始めたのは行政の計画とニーズのずれだ。例えば宮城県山元町である。津波による災害危険地域の住民の移転先として国費を入れて宅地整備したが、区画の2割が売れず空いていた。やむを得ず一般への分譲を進めるという。
 遅れがちな高台移転の行く末も案じられる。何年か先、造成が終わって宅地が用意された時、居住を望む人がどれほどいるだろう。それを先読みして集団移転の規模は当初の想定より小規模化しているという。
 むろん住環境だけ整っても人は戻るまい。地域で働く場がなければならない。「何といってもなりわいが大切。皆さんの成功を全力で応援していく」。安倍晋三首相は先週末に福島市を訪れて強調したが、現実をどこまで認識しているだろう。
 国が事業費を全額負担する集中復興期間は今月末で終わる。今こそ立ち止まって復興スキームの現状を検証しておく必要があるのではないか。
 人口や被害規模などが多様な被災地域に対して、画一的な手法を推し進めた結果、復興のスピードも中身も温度差が鮮明になりつつある。巨大なインフラ整備の一方で、その足元では少なからぬ住民が目の前の生活に強い不安を抱いていよう。
 何より住民に身近なのは市町村である。上からの事業を消化する発想だけでなく、ニーズを捉え直し、優先順位などを再検討することも必要になってくる。一人一人に寄り添い、きめ細かい復興を成し遂げるために、場合によってはまちづくりの青写真を描き直すぐらいの気構えがあってもいいはずだ。
 「被災地を忘れないで」。石巻の商店主からの伝言である。遠く離れたわたしたちも関心を持ち、支援を続けたい。
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中国新聞 2016/3/7
社説:震災5年・復興への道 一人一人の思いに耳を


 人々はどのような日常を一瞬にして失ったのだろうか。
 東北の直木賞作家熊谷達也さんが、3年がかりで連作短編集「希望の海」を書いた。東日本大震災。あの日を描かずに、架空の港町―仙河海(せんがうみ)市のごく普通の若者たちの生き死にを描く。宮城県気仙沼市がモデルだ。
 その一編に<お兄ちゃんさ。私が死んでいるの、知っているんでしょ? >という会話が出てくる。仮設住宅に暮らす兄妹の妹は実は、この世のものでなく兄を気遣って傍らにいた。
 悲しい。しかし互いに本音を明かして別れ、兄は再び前を向いて歩く―。多くの犠牲者遺族の心情を著者はくみ取ったのだろう。そして、言葉にもまだ力はある、と確信したようだ。
 地元紙の河北新報は昨年末、全15回の連載「もう一度会いたい」を走らせた。3人の子を津波に奪われた同県石巻市の一組の夫妻に100時間以上インタビューした。「いいことも悪いこともありのまま書いて」と協力してくれたという。深い喪失感と悔恨の念をあえて言葉にする。そこから歩みだすしかないと、夫妻は意を決したのだろう。
 東日本大震災の犠牲者と行方不明者は1万8456人に上り、過去の災害とは比べものにならない犠牲をもたらした。加えて震災関連死は増え続け、認定分で3400人を超えている。仮設住宅での孤独死も、200人に近づいているのだ。
 やはり地元紙の福島民報には「原発事故関連死」とはっきり位置付けたキャンペーン報道がある。「原発事故では死者はいない」と公言した電力関係者がいたが、そうではあるまい。
 人はどんな最期であっても、その後は安らかな眠りに就きたい、就かせたいと誰しも思う。ところが地震で墓石が倒れ、空間放射線量も高い土地では、納骨の見通しが立たない。避難先で亡くなった人は生きて故郷に帰れず、死んでも帰れない。
 今、三陸沿岸を旅すれば、かさ上げ工事のために大量の土がうずたかく積まれ、南三陸町防災対策庁舎の骨組みも埋もれたように見える。大量のがれきは片付けられ、新たに防潮堤の高い壁が取り巻く地域もある。
 国は巨額の公共工事費を投じるが、それによって一人一人にとっての三陸がすぐ取り戻せるわけではあるまい。インフラの復興と心の復興の隔たりは、広がるばかりだ。しかも人口減少社会に入って、そのインフラの維持費はいずれ地方財政を圧迫しかねない。住む人たちはそれを歓迎しているのだろうか。
 逆に福島の避難地域は打ち捨てられたままだ。除染廃棄物の中間貯蔵施設の行方は定まらず、第1原発では放射性物質を含む汚染水漏れなどのトラブルが尽きない。炉心から溶け落ちた燃料(燃料デブリ)に至っては、状況すらつかめない。
 オリンピックだ、インバウンド(訪日客)需要だと気勢を上げるのもいい。しかし、日本人が子々孫々に責任を持つためになすべきことは何なのか、今こそ立ち止まって考えよう。
 気仙沼市ではきのう、地元のサーフィンクラブが海岸で慰霊祭と清掃活動を行ったが、海を避けていた地元の人も参加した、と報じられた。やっと5年である。一人一人の思いがくみ取られてこそ、インフラの復興も生きてくるのではないか。
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