2016-03-16(Wed)

3・11東日本大震災・福島原発事故5年 各紙社説等(11)

福島の復興 政府は住民に寄り添う柔軟さを 復興実現へ廃炉を軌道に 被災地に寄り添う支援を

<各紙社説>
愛媛新聞)福島の復興 政府は住民に寄り添う柔軟さを (3/13)
愛媛新聞)南海トラフへの備え 記憶風化させず防災意識高めよ(3/12)
愛媛新聞)我がこととして 被災者の声を聞き明日をともに (3/11)
愛媛新聞)国の復興、人の復興 被災者が望む「再生」の後押しを (3/9)
徳島新聞)大震災5年(下) 復興実現へ廃炉を軌道に (3/11)
徳島新聞)大震災5年(中) 自立促す産業再生急げ (3/10)
徳島新聞)大震災5年(上) 被災地に寄り添う支援を (3/9)
高知新聞)【大震災5年(下)】国民参加の原発論議を(3/12)
高知新聞)【大震災5年(上)】東北の「修羅」に思い寄せ(3/11)




以下引用



愛媛新聞 2016年03月13日(日)
社説:福島の復興 政府は住民に寄り添う柔軟さを


 津波で原子炉の冷却機能を失い、核燃料の溶融や建屋の水素爆発などで大量の放射性物質を広範囲に拡散させた東京電力福島第1原発事故から、5年がたった。福島では今なお10万人もの人々が県内外への避難を余儀なくされる。未曽有の原子力災害は続いているとの思いを、社会全体で共有したい。
 避難住民は難しい決断を迫られている。政府が2016年度末までに「帰還困難区域」を除き、避難指示を解除する方針を示しているためだ。帰還への道筋が見えないまま見切り発車すれば、解除ありきとの批判は免れない。政府は柔軟できめ細かな対応に努める必要がある。
 南相馬市など3市町村では今春解除に向けた準備が行われているが、実際に帰還が進むかは見通せない。14年度以降解除された田村市、川内村、楢葉町の帰還率は1割弱にとどまる。医療や教育、買い物など生活インフラ整備の遅れや、放射線への根強い不安が背景にあるのは想像に難くない。これらを解消しない限り、住民が前向きに考える条件が整ったとは言えまい。
 コミュニティーの再生は東日本大震災の被災地に共通する課題だ。福島では避難や賠償の線引きが地域の分断に拍車をかけた。帰還の判断をめぐり新たな分断が生じることのないよう、政府は地元自治体や住民との協議を尽くしてもらいたい。
 福島の被災地では、はぎ取られた表土など除染廃棄物が詰まった黒い袋が積み上げられている。これらは原発近くに建設する中間貯蔵施設に移送されるはずだった。ところが予定地の地権者のうち契約できたのは2%ほど。完成は見通せない。
 「いつまで置いておくのか」―生活圏のそばに放射性物質を含んだ廃棄物があり続けることに、住民が懸念を示すのは当然といえる。追加被ばくを抑える再除染や里山の除染を求める声も根強く、このままだと廃棄物は増える一方だ。政府は、住民が安心して暮らせる環境づくりに全力を挙げねばなるまい。
 安倍晋三首相は震災5年に当たっての会見で、帰還困難区域についても「放射線量が低下している」として、見直しに向けた方針を今夏までに示すと表明した。一部解除が念頭にあるとみられるが、復興のアピールを重視するあまり一方的、画一的な対応に陥るべきではない。
 住民が置かれた環境や考え方は千差万別だ。政府や東電が帰還を前提に支援や賠償の見直しを進めることで、不安や悩みを言いだしにくくなり、復興の流れから取り残される人が出るのではないかと危惧する。多様なニーズを丁寧にくみ取って選択肢を示し、生活再建を後押しするようあらためて求める。
 農産物や観光への影響など、原発事故の風評被害も依然深刻な状況にある。現状を正しく知ることが肝要だ。被災地が発信する情報をきちんと受け止め、支える気持ちが復興につながるのだと、肝に銘じたい。
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愛媛新聞 2016年03月12日(土)
社説:南海トラフへの備え 記憶風化させず防災意識高めよ


 近い将来の発生が予想される南海トラフ巨大地震。愛媛県内の死者は1万6千人に達し、全壊・消失する家屋が24万棟を超えると想定されている。被害を少しでも減らすための備えを、今から着実に進めておかなければならない。
 発生から5年になる東日本大震災では誰もが、災害が人ごとではないと痛感させられた。震災を機に自主的な防災組織ができたものの、年とともに活動が低調になったところもある。あの悲劇の記憶を風化させることなく、一人一人が防災意識を堅持していく必要がある。
 震災対策の重点は、この5年間で「防災」から「減災」へと変わった。多くの市町村が災害対策の基本となる地域防災計画を改定。津波の襲来に備えて避難路の確保や住民への情報伝達など「逃げる」ことを重視した内容になった。巨大な防潮堤が自然の猛威の前ではほとんど無力だったことが大きな要因だ。
 東日本大震災では、死者のうち65歳以上の高齢者が約6割に上った。迅速に避難できるルートを集落ごとに整備し、震災発生の際には助け合いながら高台へ逃げる体制づくりを進めておく必要がある。
 2013年6月には災害対策基本法が改正され、障害者や独居高齢者などの「災害弱者」の避難活動要支援者名簿の作成を自治体に義務付けた。内閣府は15年度内には全自治体が名簿をほぼ完成できるとみている。
 しかし、自治体アンケートによると、個々の避難方法を決めておく「個別計画」の達成率は12%。弱者を支援する側の人材が不足しているのが大きな理由だが、避難方法をあらかじめ考えておけば、いざというときに必ず役に立つ。地道な取り組みを積み重ねていきたい。
 何より大切なことは、自分の命は自分で守るという意識を高めることだ。
 南海トラフ地震で「最大34.4メートル」の津波が予想される高知県黒潮町では、8割超の居住地が浸水し、人口1万3千人の2割近くが死亡するとの想定が出た。町民の間には悲観論が広がったが、避難タワーを5基建設し、住民向けの防災研修会を計約700回開催した結果、「津波が来たら諦める」と言っていた高齢者が、避難訓練に参加するようになったという。
 岩手県山田町長だった沼崎喜一さんは、震災時に避難所に逃げてきた顔触れは、普段の訓練で見掛けた人ばかりだったと振り返る。訓練を漫然と繰り返すのではなく、できるだけ多くの人に参加してもらう努力こそが必要だったとの後悔の弁を胸に刻みたい。
 愛媛県は、南海トラフ地震で想定される死者数を10年間で8割減少させるためのアクションプランを昨年4月に策定、対策を進めている。こうした被災地の教訓を生かし、一人でも多くの人が「明日はわが身」との認識を維持していける体制づくりを進めてもらいたい。
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愛媛新聞 2016年03月11日(金)
社説:我がこととして 被災者の声を聞き明日をともに


 1万5894人の命を奪い、いまだ2561人の行方が分からない東日本大震災から5年。犠牲者の無念を思い、被災者の痛みに寄り添いたいと、日本中が震える心で誓ったあの日を思い起こしたい。
 今も岩手、宮城、福島3県で17万人を超える人々が県内外に避難し、約6万人が不自由なプレハブ仮設住宅の暮らしを余儀なくされている。新たなスタートを切る人が増えた一方、支援のはざまで取り残される人がいることを忘れてはならない。
 岩手県のある80代の女性は震災後、生まれ育った集落そばの仮設住宅で知り合いに囲まれ、野菜を作って暮らしてきた。集落の仲間は近くの高台に集団移転し家を再建したが、彼女には資金がない。仲間は皆で移転できるよう復興公営住宅の併設を自治体に訴えた。返ってきた言葉は「特別扱いできない」―。
 なじんだ仮設住宅は閉鎖された。古里からも仲間からも引き離され、遠くの仮設住宅に移らざるを得なかった女性は、最近夜中に「帰りたい」と叫ぶようになったという。その苦しみと深い孤独に胸がえぐられる。
 人々を分断し格差を広げる人災とも言うべき二次被害を、なくしていかなければならない。厳しい状況にある人にこそ寄り添い、生きる力を生み出す柔軟で温かな政策が必要だ。一人一人の命の尊厳を守り、幸せを育まずして、真の復興はない。
 被災地の人口流出は深刻さを増す。津波被害が大きかった沿岸地では、震災前から2~3割も減った町がいくつもある。なりわいが得られない若い世代が次々と故郷に帰るのを諦めている。地域の生活を下支えしてきた商店も急速に減り、このままでは、まちが消えかねない。
 右肩上がりの成長に支えられインフラ整備さえすれば自力で復興できた時代とは違う。福祉や産業など生活に重点を置いた政策へそろそろ転換すべきだ。
 過疎高齢化、広がる格差。被災地の現状は近い将来のこの国の姿を映している。国の政策に加え、地域の連携でどう支え合っていくのか、社会全体で向き合い、新たなビジョンを探していかなければならない。それはあるべき日本の姿を問い直し、未来を切り開くことでもある。
 「風化」の懸念が募る中、被災者の多くが、全国で同じ失敗をしないよう命や防災について考えることこそを忘れないでほしいと願っているという。自身の苦悩を誰にも味わわせたくないとの思いを、しっかりと受け止め、胸に強く刻みたい。
 南海トラフ巨大地震への備えも喫緊の課題だ。すべきことは山積している。被災者の体験に耳を傾け、今を問い続けたい。教訓を確かにつなぐことが、犠牲者の鎮魂にもなると信じる。
 東日本大震災は遠い東北の話でなく「わがこと」。誰も取り残すことなく、息長く支えると同時に、被災者と支援者という枠を超えて思いを共有し、ともに明日を築きたい。
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愛媛新聞 2016年03月09日(水)
社説:国の復興、人の復興 被災者が望む「再生」の後押しを


 「あの日から、震災が始まって…」。ある被災者の何げない言葉に胸をつかれた。あの日、「起きた」のではなく「始まった」。そして今なお、終わりも見えぬまま続いている。
 東日本大震災から、まもなく5年。被災者にとって区切りにはなり得ないことをかみしめつつ、しかし日本中が記憶を呼び起こし、未来につなぎ直す日にしなければならない。
 「国の復興」の観点からは、政府が掲げた「集中復興期間」の5年が終わり、新年度の4月から次の「復興・創生期間」の5年へと移る転換点になる。2012年2月に発足した復興庁は21年3月末に廃止予定。つまり、復興はあと5年で終わりを迎えようとしている。
 いま一度深く考え、問い直すべき時機であろう。10年の歳月と32兆円の国費を費やす復興は果たして「終わる」のか。被災者が本当に望む「人の復興」につながっているのか―と。
 この5年、26兆3000億円の予算を集中投下して、国と自治体はインフラの整備復旧や、高台への集団移転や土地のかさ上げなど、空前の巨大工事を中心とした復興を進めてきた。だが、巨大であるがゆえに時間がかかり、完成した防潮堤は予定の14%。集団移転や復興住宅さえ半分ほどで、完了は18年度までかかる見込みという。
 結果、阪神大震災では5年でゼロになった仮設住宅の入居者はまだ6万人以上。被災3県の17万人以上が避難生活を余儀なくされている。がれきが消えても立派な道ができても、人はそれだけで暮らしてはいけない。5年もたって、生活再建の拠点さえ定まらぬ厳しい現実を、国は猛省とともに直視すべきだ。
 住宅被害だけを指標にする被災者生活再建支援法など、一律で硬直的な行政の支援からこぼれ落ちた人々、先が見えない町づくりを待てず帰還を諦めた人々…。その痛みを忘れては復興の名には値しない。厳しい検証の上、次の5年は細やかな要望をくみ上げて支え、事業の中止や方向転換もできる柔軟な仕組みを再構築せねばなるまい。
 16年度からは、全額国負担の復興事業費の一部を被災自治体が負担する方針。復興予算流用や、復興財源への政治家と企業の負担が早々に軽減されたことを思えば容認し難いが、せめて被災地が「受援力」を高め、復興のプロセスに主体的に関われるようにする契機としたい。
 長い歳月の間に、住民の置かれた状況もニーズも刻々と変わる。既に国に掛け合って防潮堤を縮小した自治体や、国と直接請負契約を結んで身近なサービス提供などに機動的に応えるNPOもある。住民自ら、その時々に必要なことを行政に明確に要望する提案力を持つことが、真の自立への一歩にもなろう。
 政府の復興構想会議が11年6月にまとめた提言の副題は「悲惨の中の希望」。その思いを忘れず、地域再生を温かく後押しする復興へとかじを切りたい。
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徳島新聞 2016年3月11日付
社説:大震災5年(下) 復興実現へ廃炉を軌道に


 東日本大震災からの復興のためには、東京電力福島第1原発の廃炉作業を軌道に乗せる必要がある。
 だが、前途は多難だと言わざるを得ない。1~3号機が炉心溶融(メルトダウン)を起こしてからはや5年。高い放射線量に阻まれ、遅々として進まない作業が、原発事故の恐ろしさを物語る。
 廃炉に向けた工程表では、使用済み核燃料プールからの燃料取り出し開始は3号機が2017年度、1、2号機は20年度だ。
 しかし、取り出しに向けた準備が進んでいる3号機でも現場の線量が高く、追加対策を迫られる可能性がある。1号機はがれきの除去、2号機は線量が極めて高いなどの問題を抱えている。
 今後、どんな難題が見つかるか分からず、作業が順調に進むかは疑問である。
 大切なのは、周辺環境に影響を及ぼす放射性物質の飛散防止や、作業員の被ばく低減などを重視することだ。急いで失敗すれば、さらに長い年月を要するだけでなく、住民の不安を増幅させるだけだ。
 最大の難関となるのは、原子炉から溶け落ちた燃料(燃料デブリ)の取り出しだが、いまだに詳しい状態すら分からない。線量が高く危険な燃料デブリを安全に取り出すのは難しく、世界で初めての高度な技術開発も欠かせない。
 先月、現地を視察した原子力規制委員会の委員は「非常に大きな苦労をして取り出すのがいいか、議論がある」と述べ、燃料デブリを取り出さない選択肢もあり得るとの見解を示した。まだまだ、先は見通せそうにない。
 そんな状況で、急がなければならないのは、原子炉建屋に流入する地下水が放射性物質と接触して生じる高濃度汚染水への対処である。
 汚染水低減の切り札として期待される凍土遮水壁の設備は先月、完成した。建屋の周囲に埋めた凍結管で地盤を凍らせて、地下水の流入を食い止める設備だ。
 凍結を開始しても完了まで8カ月ほどかかる。予想通りの効果を発揮するかは、凍結を待たなければならない。
 第1原発には約千基のタンクがあり、保管されている汚染水の総量は約80万トンに上る。うち、60万トンは多核種除去設備(ALPS)で処理済みだ。東電は、万が一流出しても環境に与える影響を減らせるとするが、除去できないトリチウムが高い濃度で残っているのは問題である。
 ほかに、建屋の上流側で地下水をくみ上げて海洋放出する「地下水バイパス」も稼働し一定の効果は挙げている。
 いずれにせよ、汚染水処理は長期戦の様相で、最終的には燃料デブリを処理しなければ廃炉はできない。廃炉作業は40~50年ごろまで続くとされるが難題だらけだ。それでも、理由を付けて延々と先延ばしすることは許されない。
 国と東電は着実に作業を進め、住民の不安を取り除かなければならない。
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徳島新聞 2016年3月10日付
社説:大震災5年(中) 自立促す産業再生急げ


 住宅の再建と並んで重要なのが、被災者の生活を支える産業の立て直しである。
 基幹産業の農林水産業は農地、漁港とも5年間で復旧が進んだ。だが、津波で自宅や農機具、船を失った農家、漁師は多く、担い手不足が大きな課題として浮かんでいる。
 企業も8割が営業を再開したものの、売上高は回復していない。背景には人口流出による需要の減退がある。
 被災地は、もともと人口減少と高齢化が著しい地域だったが、東日本大震災が深刻さに拍車を掛けている。
 そうした中、人材の育成や販路開拓など、さまざまな模索が始まっている。その試みを後押しし、被災地の自立につなげていきたい。
 水産業では、被災した漁港のうち岩手県で76%、宮城県で61%の港の機能が回復した。両県合わせた漁獲量は、震災前の76%に戻っている。
 ただ、中心的な担い手となる漁業協同組合の正組合員数は岩手で18%、宮城では35%も減少した。養殖の準備など、陸上作業に携わる漁港周辺の人も減っている。
 現状を打開するため、岩手県大槌町は「漁業学校」を開催し、これまでに5人が新たに漁業の仕事に就いた。水産加工業者が共同ブランドを立ち上げ、商品開発や海外輸出に取り組む動きもある。
 農地は宮城で88%、岩手で67%が生産を再開できる状態になった。しかし、やはり悩みは農家の減少だ。そこで、農地を集約して大規模化することで生産コストを減らし、作業を効率化させる動きが徐々に広がっている。
 いずれも取り組みを支えているのは、基幹産業の復活が震災復興の鍵を握るという思いである。各地の試みが成功するよう願う。
 一方、福島県は苦境が続いている。東京電力福島第1原発事故の風評被害が根強いためだ。
 漁港は70%が完全に回復したが、漁は試験操業にとどまり、水揚げは激減した。農地は除染が進まず、復旧したのはまだ33%にすぎない。
 全量全袋で行うコメなど、厳格な放射性物質検査を実施し、安全性を確認した上で出荷しているが、価格は安く、売れ残る量も多いという。
 それでも福島産を応援する人は少なくない。生産者の地道な努力に応えるためにも、官民一体となって安全性をアピールし、ファンを増やしていきたい。
 復興事業の本格化に伴い、人手不足は行政や建設業、福祉など、さまざまな方面に影を落としている。ボランティアの人数も減った。
 徳島新聞社加盟の日本世論調査会が先月行った全国調査では、被災地への世論の関心が「低くなっている」と思う人は77%に上っている。
 5年は節目に違いないが、被災地の日々の営みに区切りはない。あの日を忘れないこと。それが犠牲者を追悼することであり、次の巨大地震を迎える私たちの責任である。
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徳島新聞 2016年3月9日付
社説:大震災5年(上) 被災地に寄り添う支援を


 あの日から間もなく5年を迎える。
 長く大きな揺れが東日本を襲い、巨大な津波が人々の掛け替えのない命と暮らしを押し流した。3月11日の東日本大震災である。
 死者・行方不明者1万8千人超。救助と捜索に追われた被災地は、やがて復旧から復興へと歩を進めたが、傷痕はまだ深い。
 課題は山ほどあり、やらなければならないことはたくさん残されている。復興は道半ばだ。
 節目の日を迎える今、何よりも求められるのは、被災者一人一人に目を向けた施策である。地域と生活の再生に向けて、息の長い取り組みを続けなければならない。
 政府が復興の最優先課題としてきたのは、住まいの再建である。だが、現在も避難生活を余儀なくされている人が全国で約17万4千人もいる。
 このうち、岩手、宮城、福島3県で仮設住宅から出られない人は約6万人に上る。災害公営住宅の建設や高台移転が遅れているためだ。
 公営住宅は約3万戸を整備する予定だが、完成したのは半数ほど。高台移転も、移転先の高台が少ないことや予定地の所有者探しが難航するなどして、宅地を造成できたのは計画の30%しかない。
 仮設からの全員退去は、早くても震災10年後の2021年3月になるとの見通しもある。5年で解消した阪神大震災を大幅に上回る長さだ。
 不自由な仮設暮らしを高齢者らに強いるのは酷である。仮設での「孤独死」は昨年末までで約200人に上っている。住宅の再建を急ぐとともに、心身のケアに一層力を入れなければならない。
 避難者が最も多いのは福島県だ。12年のピーク時から約6万5千人減ったとはいえ、県内外にまだ10万人近くいる。東京電力福島第1原発事故による避難指示区域が今も9市町村にあり、帰りたくても帰れない人が多いからだ。
 避難指示が解除された自治体も状況は厳しい。昨年9月に解除された楢葉町は、町民7300人余りのうち、戻ったのは先月初め時点で440人だけ。仕事や医療、学校、商店など生活基盤が整っていないほか、原発事故への不安が背景にある。
 除染作業は県内各地で進められているが、帰還困難区域の住宅地など、手つかずの場所も目立つ。帰還を目指す住民らは早急な除染を求めている。政府はこの声に応えてもらいたい。
 5年間の「集中復興期間」は今月で終わる。この間、政府は約26兆円を投じたが、暮らしの再建を実感できる被災者はどれだけいるだろうか。
 新年度からは「復興・創生期間」と位置付け、5年間で6兆5千億円を投じる予定だ。政府の新たな復興基本方針は、20年度までの復興の「総仕上げ」をうたう。そのためには、被災地の思いに寄り添い、きめ細やかな支援が必要なのは言うまでもない。
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高知新聞 2016年03月12日08時01分
社説:【大震災5年(下)】国民参加の原発論議を


 東京電力福島第1原発の構内はいま、多くのエリアで防護服が不要になっている。放射線量が下がり、コンビニも開店するなど作業環境は飛躍的に改善している。
 避難区域が設定された周辺自治体では、少しずつながら避難指示解除への動きが進み、半径30キロ圏内に新たな高校も開校した。世界最悪レベルの原発事故から5年、被災地は変化の兆しも見えつつある。
 しかし、事故は現在進行形というしかない。
 第1原発は原子炉建屋の放射線量が依然高く、使用済み核燃料プールからの燃料取り出しや汚染水対策も難航している。炉心溶融(メルトダウン)で溶け落ちた燃料は現状把握すらまともにできておらず、廃炉への道は極めて険しい。
 各地の除染廃棄物も仮置き場や住宅に置かれたままだ。福島県の避難者はいまだ約10万人、帰還への環境整備は遅々としている。
 安倍政権はそれを強引に「復興」に見せかけようとしていないか。
 政府は、放射線の影響が大きい区域を除き2016年度末までに避難指示を解除し、東電が住民に毎月支払っている精神的損害賠償も17年度末で一律終了させる計画を打ち出している。解除そのものは歓迎すべきだろうが、放射線や生活基盤の不安が解消されない限り、本当の意味での帰還や復興も進むまい。
 それだけではない。全国の原発の再稼働も急いでいる。四国電力伊方原発は夏の稼働を目指している。
 国会の事故調査委員会は第1原発事故を「人災」と断定した。東電は巨大津波の襲来や電源喪失に至る危険性を把握しながら対策を先送りしていた。訓練も不十分だった。
 利権となれ合いで結びついた政官財界の「原子力ムラ」が、安全神話に浸っていたのは明らかだ。にもかかわらず、業界の姿勢が疑われる出来事がいまも相次いでいる。
 東電は先月、事故当初、炉心溶融が起きていたのに前段階の「炉心損傷」と説明し続けたことが誤りだったと発表した。社内規定の判断基準を見過ごしていたという。ずさんな危機管理体制を象徴しているが、5年たっての公表は「隠していた」と受け取られても仕方あるまい。
 九州電力は、昨年再稼働した川内(せんだい)原発について、免震重要棟の新設計画の撤回を発表し、批判を浴びた。関西電力も高浜原発4号機で冷却水漏れや緊急停止を起こした。
 最近の世論調査や自治体首長アンケートでは、いずれも6割以上が脱原発を求めている。5年前の衝撃の大きさだけでなく、この5年間の政府や業界への評価でもあろう。
 原発のリスクはあまりに大きい。国民不在の政策は許されない。福島の復興も原発の方向性も国民的議論と国民の理解を積み重ねるべきだ。高浜原発の運転を中止させた大津地裁の仮処分決定も、それをムラに求めているのではないか。
 国民も子孫のためにも原発論議に正面から向き合っていきたい。
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高知新聞 2016年03月11日08時16分
社説:【大震災5年(上)】東北の「修羅」に思い寄せ


 東北のブロック紙「河北新報社」(仙台市)が昨年末に連載した「もう一度会いたい」が反響を呼んでいる。石巻市の1組の夫婦を取材しておりインターネットで読める。
 東日本大震災の津波で高校生だった18歳の長女、16歳の次女、大川小学校に通う12歳の長男、それに夫の両親を一度に失った。
 安置所で対面した長男の遺体。閉じた目に血の混じった赤い涙がにじんでいた。長女の口の中には泥や木片が詰まっていた。濁流にのまれ、さぞもがき苦しんだことだろう。
 メディアがあまり触れない「死」の現場も克明に描かれる。
 なぜ子どもを救えなかったのか。夫婦は互いを責め、取っ組み合いになる。大川小の児童はどうして長い時間、校庭にとどまったのか。その揚げ句に川の方角へ向かったのはなぜか。学校や教育委員会への怒りと不信は消えない。
 新たに子どもをほしがる妻と戸惑う夫。長い長い話し合いの末、不妊治療の病院の門をくぐる2人…。
 「あの日」から5年を迎えた。
 何とか心に折り合いを付けて、前を向いて暮らしていこう。そう努めていても心の痛みは不意に噴き出してくる。激しい葛藤が絶えず、やむことのない恨みにもだえる。そんな「修羅」の場を被災地の住民は生きている。連載記事が訴えるものは、とてつもなく重い。
 死者、行方不明者、関連死を含め2万人以上が犠牲となった。岩手、宮城、福島の被災3県でなお約18万人が避難生活を送り、うち6万人近くはプレハブの仮設住宅で暮らす。その全員が退去する見通しは早くても震災10年後の2021年3月。5年で解消した阪神大震災と比べて異例の長さだ。
 仮設から災害公営住宅に移っても近所との交流が薄れ毎日独りでテレビを見て過ごす、といった孤立の問題も出てきている。孤独死を防ぐ絆づくりや避難の長期化に伴う健康管理などに、今まで以上に取り組まなければならない。
 気になるのが世論の動向だ。日本世論調査会が2月末に行った調査で、72%が復興は「進んでいない」と考えている。にもかかわらず、被災地への関心が「低くなっている」と感じる人が77%に上った。
 突然、家族を奪われた喪失感や無力感。自分だけが生き残ってしまったという自責の念。癒やされることのない思いとともに、これからも生きていかなければならない東北の人々に少しでも寄り添いたい―。震災直後に多くの国民が抱いた気持ちをもう一度思い起こしたい。
 南海トラフ巨大地震が想定される本県にとって被災者の体験や復興への歩みは、その「一挙手一投足」が貴重な道しるべとなる。
 本紙は河北新報社と提携し「高知むすび塾」を開催するなど今年、防災プロジェクト「いのぐ」を進めている。自分の命を自分で守るためのさまざまな教訓を、県民とともに東北から学び取りたい。
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