2016-03-17(Thu)

3・11東日本大震災・福島原発事故5年 各紙社説等(12)

先の見えない不安は続く 復興はこれからが正念場だ 原発事故の責任 生きているか福島の教訓

<各紙社説・論説>
西日本新聞)被災者支援 九州から力強く後押しを(3/13)
西日本新聞)原発事故の責任 生きているか福島の教訓(3/12)
西日本新聞)九州の巨大地震 備え怠らず自ら命守ろう(3/11)
西日本新聞)復興新段階へ 住民本位の分権型目指せ(3/9)
西日本新聞)風化と風評 「忘れない」誓いを新たに(3/8)
佐賀新聞)東日本大震災から5年 復興はこれからが正念場だ(3/11)
熊本日日新聞)エネルギー政策 震災の教訓生かす改革を(3/12)
熊本日日新聞)東日本大震災5年 先の見えない不安は続く(3/11)






以下引用



西日本新聞 2016年03月13日 10時36分
社説:被災者支援 九州から力強く後押しを


 ■大震災から5年■
 「3・11」から5年が経過したというのに、今なお17万人以上が不自由な避難生活を余儀なくされている。この現実を直視し、全国からよりいっそう大きな力で復興を後押しする必要がある。
 未曽有の災害の爪痕は深く、原発事故はいまだ収束が見通せない。対応に追われる地元自治体では、うつ病などの精神疾患で休職する職員も増えているという。
 全国の自治体が応援職員を派遣しているが、まだ不足している。人的余裕に乏しい小規模自治体には、町村会で協力して職員派遣を継続している宮崎県の取り組みが参考になるだろう。知恵を絞り、被災地を支援したい。
 岩手、宮城、福島の被災3県のボランティアセンターで受け付けた活動者は、月平均5千人以下に減少している。ピーク時には約18万人のボランティアが活動していたという。また、がれき撤去のような力仕事だけでなく、被災者の見守りや心のケア、交流サロンの運営など、ある程度の専門性も求められるようにもなった。多様なニーズに応じ、ボランティアの力を復興にどう組み込むか。行政と支援団体などが協力して、プランを練るべき新たな課題だろう。
 復興庁によると、被災3県などから九州7県への避難者は今も約1900人に上る。今後、行政による住宅支援の縮小が懸念される自主避難者も少なくない。
 既に避難先で職を得て、移住する人もいれば、郷里への帰還を目指す人もいる。避難者の希望に沿った就労や就学など、きめ細かな支援が欠かせない。
 避難者に適切な情報を提供し、相談に応じる態勢の拡充も急務だ。被災自治体と受け入れ自治体の緊密な連携がより大切になる。
 チャリティー行事や募金活動への協力、被災地の物産購入も私たちができる支援の一つである。
 大切なのは被災地への関心や避難者への配慮を失わないことだ。復興はまだ道半ばである。じっくり腰を据えて支えていきたい。
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西日本新聞 2016年03月12日 10時41分
社説:原発事故の責任 生きているか福島の教訓


 ■大震災から5年■ 
 未曽有の被害をもたらした東京電力福島第1原発事故の教訓は、本当に生かされているのだろうか。事故から5年が経過しても、その疑念は拭い去れない。
 原子力規制委員会の新規制基準に基づき、九州電力川内原発1号機(鹿児島県薩摩川内市)が先陣を切って再稼働したのは、昨年8月11日のことだった。その後、同2号機も続いた。
 再稼働に反対する声が根強いにもかかわらず、原発回帰のエネルギー政策が鮮明になっている。
 ▼40年ルールが骨抜きに
 安倍晋三政権は2014年4月に閣議決定したエネルギー基本計画で、原発を「重要なベースロード電源」と位置付けた。昨年7月には30年の電源構成比率を決定し、原発は20~22%とした。
 原発から出る高レベル放射性廃棄物の最終処分場のめどは立っておらず、使用済み核燃料のサイクル事業も確立されていない。
 多くの課題が積み残されているのに、将来にわたって原発を「重要な」電源として活用できるか。甚だ疑問と言わざるを得ない。
 民主党政権時代の10年、エネルギー基本計画に合わせて策定した電源構成比率で、原発の比率は約50%になっていた。
 二酸化炭素(CO2)を排出しない原発は環境に優しく発電コストも低いと考えられていたからだ。
 状況を一変させたのが、福島の事故だった。民主党政権は12年に原発ゼロ方針を打ち出す。法的に運転期間の定めがなかった原発の稼働も原則40年に制限した。エネルギー基本計画の見直しにも着手するが、まとめられないまま自民党が政権に復帰して原発を活用する路線に戻った。
 40年超の運転を目指す関西電力高浜原発1、2号機(福井県高浜町)が先月、新基準に事実上適合したのも原発回帰の象徴だろう。老朽原発の延命が現実味を帯び、40年ルールが骨抜きになる恐れが出てきたからだ。
 このルールを厳格に適用すれば48基ある原発は30年には18基まで減る。再稼働が順調に進んで建設中の2基が動いても30年の原発発電比率は15%程度にとどまる。
 20~22%を実現するには、特例で認められる老朽原発の60年運転は欠かせないという背景がある。
 ▼「安全神話」と決別を
 福島原発周辺の住民は、その多くが今なお避難生活を余儀なくされている。重大事故が起きれば深刻な被害が及ぶにもかかわらず、事故時の責任を誰が負うのかは、いまだに明確になっていない。
 政府は規制委の新基準に適合した原発の再稼働を進めていく方針だ。その規制委は「基準適合は絶対的な安全を意味しない」(田中俊一委員長)との立場である。
 周辺住民の避難計画が新基準で審査対象になっていないのも疑問だ。電力会社は「国と自治体が決めること」と素っ気ない。まさに無責任の連鎖ではないか。
 4月から家庭用電力市場が自由化され、大手電力会社がコストを電気料金の原価に算入する「総括原価方式」も18年以降に撤廃される予定だ。20年には発送電分離も実施される。経営環境が激変する中で、重大な原発事故が発生した際に電力会社だけで十分な対応ができるのか。不安は消えない。
 9日の大津地裁による高浜原発3、4号機運転差し止めの仮処分決定は、安倍政権が再稼働のよりどころとする新基準について「福島の事故原因究明が道半ばの中で策定された」と指摘し、「事故の教訓を十分に踏まえていないのではないか」と疑問を呈した。
 また、政府や電力会社は再稼働の同意を得る地元の範囲について、立地自治体以外は当事者ではないとの主張を繰り返している。範囲を広げれば、再稼働の支障になる恐れがあるためだ。
 これについても大津地裁の決定は「環境破壊は国外に及ぶ可能性もある」として、重大な原発事故が起きれば、遠く離れた地域の住民も被害を受ける恐れがあることに言及した。「福島の教訓」を忘れるな‐という司法からの警鐘と受け止めるべきだろう。
 5年前の福島原発事故で政府、電力会社、そして私たち国民も原発は絶対安全という「安全神話」からの決別を誓ったはずだ。神話を復活させてはならない。
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西日本新聞 2016年03月11日 10時32分
社説:九州の巨大地震 備え怠らず自ら命守ろう


 ■大震災から5年■ 
 九州にも甚大な被害をもたらすと予測される南海トラフ巨大地震は、近い将来に起こりうる最大級の脅威である。だからこそ原点に立ち返り、こう呼び掛けたい。地震のことを知ろう。津波から逃げよう。生活者の目線でできることから対処しよう、と。過去の教訓に学び、将来の災害に備えたい。
 5年前のきょう、東日本大震災が発生した。その現場映像を見ながら、九州でも多くの人は津波からの逃げ場となる高台が自宅や職場の近くにあるのか、頭の中で思い巡らしたに違いない。
 ▼桁違いのスケール
 九州ではここ数十年、北部九州を襲った福岡沖地震(2005年、最大震度6弱)をはじめ熊本、大分、宮崎、鹿児島など各地で強い地震を経験してきた。津波は観測されなかったか、観測されても大きな被害はなかった。東日本大震災があらためて思い知らせたのは、地震が引き起こす津波こそが人の命を瞬時に奪う最大級の脅威であることだ。
 同時に冷静に考えれば、大地震から命を守る初動の行為はいたって分かりやすいことを知る。まず揺れによる落下物をかわし、とにかく津波から逃げることである。
 岩手県釜石市では大震災当日、小中学生約2900人が「走れ!」の号令の下、日ごろの訓練通りに迷わず避難して無事だったと報告されている。2万人近い死者・行方不明者を出す未曽有の悲劇の中での貴重な教訓である。
 わが国では伊勢湾台風を教訓に災害対策基本法が1961年に制定され、災害に対する国と地方の責任が明確化された。災害を常に想定し、行政単位で防災計画書をつくる。ただ、このマニュアルは多くの場合分厚すぎて、一般の住民が読んで理解するのは簡単ではない。実際の避難訓練などを通じて周知徹底していく必要がある。
 東日本大震災を受け、内閣府がこれまでに発表してきた南海トラフ巨大地震の被害予想は、まさに圧倒的なスケールである。
 南海トラフ(太平洋深海のくぼみ)に沿った静岡から九州にかけ、最悪の場合でマグニチュード(M)9・1、最大震度7の海溝型地震が発生する。死者は最悪で32万人、うち津波による死者は23万人と試算されるなど、被害は東日本大震災とは1桁違う甚大さだ。
 九州での津波の高さは宮崎県・延岡で14メートル、同・串間で17メートルにそれぞれ達し、沿線の東九州自動車道が不通となるほか、大分、宮崎、熊本、鹿児島の各空港が浸水するなどして閉鎖される。
 南海トラフ沿いの地震は約100~150年周期とされ、最近では1946年に起きた。東北の惨状に息をのんだ私たちが、それ以上の巨大地震を九州でイメージするのは容易ではない。
 災害対策基本法でうたうように行政が国民の生命や財産を守るため、被害の最小化に全力を挙げるのは当然である。その上で同法は住民にも生活必需品の備蓄など災害への備えや防災活動への自発的参加を責務として記している。
 相手は「生きた地球」だ。何が起きるかは分からない。私たちは何度も「想定外」を経験してきた。法律に指摘されるまでもなく、行政だけに頼るわけにはいかない。
 ▼巨大な防潮堤すら
 東日本大震災では期せずして、住民が行政に過剰に頼ってしまう「防災過保護」という言葉が生まれた。
 皮肉にも過保護を象徴する形になったのは、岩手県三陸沖に築かれていた巨大な防潮堤だ。集落ごとのみ込まれた明治と昭和の大津波を教訓に造られた高さ10メートル、総延長2・4キロの巨塊である。
 研究者によると、この防潮堤で安心感が生まれ、大津波が来ても逃げ出さずに犠牲になった住民が少なくなかったとみられる。
 これまでに体験した現実の地震で、倒れかかる本棚や降りかかるガラス片を避けるなど、反射的に危険を避けた自分をまず信じたい。その上で、家族の安否確認方法をはじめ家具の固定、家屋の火災防止や耐震化を確認したい。
 九州では大地震の際、佐賀県・玄海原発、鹿児島県・川内原発への不安も残る。行政の指示や当局の情報だけに依存せず、自分の命は自分で守る。そのための備えを怠らない。これが鉄則である。
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西日本新聞 2016年03月09日 10時35分
社説:復興新段階へ 住民本位の分権型目指せ


 ■大震災から5年■ 
 東日本大震災からの復興は、国が設定した「集中復興期間」が今月で終わり、新年度から新たな「復興・創生期間」の段階に移る。
 復興の次なるステップに向け課題は多い。とりわけ、国主導から被災地の住民や自治体に寄り添う方向へ転換できるかどうか。むしろ復興はこれからが正念場だ。
 ▼自立へ向け住民動く
 復興の実感が薄い被災地だが、その中でも自立を目指す住民の動きが芽生えている。福島県南相馬市小高区(合併前の小高町)の和田智行さん(39)もその一人だ。
 小高区は福島第1原発から20キロ圏内にあり、事故当初は立ち入り禁止とされた。現在は住民の立ち入りが認められ、昨年8月からは避難指示の解除に向けた「準備宿泊」も可能になった。
 東京からUターンした後で被災した和田さんは一昨年5月、会員になれば会議室や電源などが利用できるシェアオフィスを小高区に設けた。同11月には「小高ワーカーズベース」として法人化した。
 除染作業員や一時帰宅者向けの食堂「おだかのひるごはん」、市の委託を受けて日用品や食料品を販売する商店、アクセサリー作りの工房も運営する。
 大震災前に1万3千人が居住した小高区は、避難が終わっても6千人しか戻らないとの予測もある。しかし、和田さんは「0が6千人に増えると思えば、可能性は無限大。戻る人たちとゼロからまちをデザインする」と意気込む。
 食堂は和田さんの活動に刺激を受けた被災前の経営者が避難先から戻って引き継ぐことになった。
 こうした住民の活動を支えるのは、地域に最も身近な市町村の役割だ。国は地域の隅々まで把握できない。だからこそ、自治体主導の復興への転換が求められる。
 東日本大震災は、最大震度7の巨大地震、最高40メートルもの大津波、福島第1原発事故が重なった複合災害だ。未曽有の原発事故に起因する「風評被害」も起きている。
 こうした要素が絡み合い、被災地の様相は一様ではない。もとより地域の特徴も異なる。大都市もあれば、地方都市や小規模町村もある。基幹産業もさまざまだ。
 当然、復興の方向性は地域で異なる。海辺で漁業が盛んという共通項があっても、同じ方向を目指すとは限らない。住民の意思も地域によって異なる。
 しかし、国主導の集中復興期間で多様性への配慮は決定的に欠けた。海岸には高さ10メートル前後の防潮堤が同じように立ち並び、高台への集団移転や土地のかさ上げが計画される。どこで切っても同じ金太郎あめのような復興模様だ。
 地域の特色が失われるだけではない。画一的なまちづくりは、災害にはかえって脆弱(ぜいじゃく)な側面もある。復興・創生期間がソフト重視というなら、なおさら被災地の多様性こそ尊重すべきではないか。
 岩手大の井上博夫教授(財政学)は「地方交付税の特別交付税など、住民と市町村が使途を自己決定できる財源を増やす必要がある」と指摘する。復興の権限と財源を被災地の自治体に移譲する分権的手法を大胆に導入したい。
 ▼見直し必要な復興庁
 復興庁のあり方も見直したい。被災地の自治体と住民を重視するとして鳴り物入りで設置されたが、あまりにも存在感が薄い。
 期待されたのは、縦割り行政の排除と復興行政の一元化、予算決定の迅速化だった。他省庁より一段高い位置付けで、他省庁に対する勧告権も持つ。
 だが、予算の実権を握るのは事業省庁だ。被災地の自治体は事業省庁と復興庁の両方に要望活動をしなければならないという。「一元化」どころか「二度手間」だ。約600人の職員が全て他省庁からの出向と兼任では、どうしても出身省庁の方を向いてしまう。
 では、どうすべきか。私たちは復興庁の本庁を東京ではなく、被災地に置くよう求めてきた。加えて、職員の半数以上を地域行政に明るい全国の自治体からの出向とすることを提案したい。
 この5年間で26兆円の国費が主に被災地のインフラ整備と除染経費に充てられた。一定の成果があったのは確かだが、これで「一段落」と思い込むのは早計である。
 今度こそ、住民本位の分権型復興を目指すべきだ。
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西日本新聞 2016年03月08日10時38分 (更新 03月09日 09時48分)
社説:風化と風評 「忘れない」誓いを新たに


■大震災から5年■ 
 復興はまだ道半ばだというのに、たった5年前の出来事が忘れ去られようとしてはいないか-。
 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から11日で5年を迎える。国費26兆円を投入した「集中復興期間」は終わり、4月からは被災地の自治体にも負担を求める「復興・創生期間」に入る。
 一見順調と映るかもしれない。だが岩手、宮城、福島3県の災害公営住宅の建設は予定の半分にとどまり、なお18万人以上が避難生活を余儀なくされている。福島第1原発は廃炉まで数十年かかる。
 警察庁によると、3県では1万5千人以上が亡くなり、今も約2500人が行方不明だ。さらに、避難で体調を崩すなどして亡くなった「震災関連死」は、3県の調べで3400人に迫る。
 こうした被災地の窮状への関心は時の経過とともに薄れている。いわゆる「風化」だ。一方で、根拠のない「風評」が福島県を中心とする被災地を苦しめる。
 大震災直後、全国で語られた「頑張ろう東北、頑張ろう日本」のスローガンが、そんなに底が浅かったとは思いたくない。
 風化の最たるものと被災地が感じるのは、鹿児島県の九州電力川内原発が先陣を切った再稼働の動きだろう。福島県の内堀雅雄知事は「事故の教訓と反省を踏まえるなら、原子力に依存しない社会に転換すべきだ」と指摘する。
 同県飯舘村は大半が福島第1原発の30キロ圏外であるにもかかわらず、事故当時の風向きで放射性物質が大量に飛散してきたため、今も全村避難を続けている。
 ▼汚染地域の苦悩は深く
 2月末、日本記者クラブの取材団で飯舘村を訪れた。避難後は伸び放題だった雑草が除染作業で刈り取られ、見た目は整然としていた。住民の一時帰宅が可能になった区域もあり、一部事業所は操業を継続・再開している。
 本来は阿武隈高原の美しい自然に囲まれた村である。だが、村内に設置された空中放射線量測定器(モニタリングポスト)は毎時0・41マイクロシーベルトを表示していた。
 事故当初に比べれば桁違いに下がったが、国の長期目標である年間1ミリシーベルトを毎時に換算した0・23マイクロシーベルトを上回っていた。
 除染で出た汚染廃棄物を詰めた「フレコンバッグ」と呼ばれる黒い袋が大量に野積みされた光景も復興の困難さを印象付ける。
 飯舘村は手間をかけるという意味の方言「までい」を合言葉として酪農や野菜づくり、後継者育成などに取り組んできた。原発事故は村の様相を一変させ、今なお立ち直るのは容易ではない。「事故が起きると、これほど危ない原発は減らさないといけない」と言う菅野典雄村長の訴えは切実だ。
 飯舘村だけではない。大震災と原発事故で今も苦しみから解放されていない人々がどんなに多いか。その苦難に敏感でありたい。被災地に復興費の負担を求めることも再考すべきではないか。
 ▼まだ取り戻せない数字
 風評の苦しみから抜け出せない地域もある。飯舘村からさらに西、福島第1原発から約100キロ離れた福島県会津若松市は、基幹産業の観光が風評被害を受ける。
 地震そのものは震度5強だったが、震源と原発から比較的遠かったこともあり、甚大な被害は免れた。津波と原発事故からの避難者を数多く受け入れた。
 ところが、同じ福島県ということなのだろうか。年間300万~350万人だった観光客数は、大震災の2011年には235万人に激減した。14年も290万人とまだ数字は取り戻せない。
 中でも県外小中高校の修学旅行は10年度に840校あったのが、11年度は100校に落ち込んだ。本年度も2月までで540校程度にとどまっているという。
 5年がたち、大震災や原発事故の記憶が風化する一方で、うわさ話などをもとにした風評は根強く拡大する。そんな不条理をいつまでも許していいのか。
 会津若松市の鵜川大(まさる)観光課長は「津波と原発事故の沿岸部だけでなく、風評被害を受ける会津地方も忘れないでほしい」と話す。
 裏表のような関係で復興の歩みに水を差す風化と風評を払拭(ふっしょく)するためにも、被災地の外から声を合わせたい。「支えよう東北」と。
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佐賀新聞 2016年03月11日 05時00分
論説:東日本大震災から5年 復興はこれからが正念場だ


 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故からきょうで5年になる。政府が掲げた「集中復興期間」が終わり、4月からは「復興・創生期間」として被災地の自治体も復興事業費の一部を負担する。ただまだ17万人以上が避難生活を余儀なくされており、住宅インフラの整備は進んでいない。福島第1原発の廃炉作業も緒に就いたばかりで、復興はこれからが正念場といっていい。
 避難者数は2月時点で約17万4千人。約6万人が仮設住宅での生活を強いられている。災害公営住宅の整備は1月末で48・5%と5年でようやく折り返しというペースだが、高台移転については32%にとどまる。住宅インフラ整備の遅れは、人口流出に直結する。避難先での生活基盤が固まると故郷への帰還は困難になる。
 原発事故の影響が大きい福島では、帰還意欲の低さが顕著だ。全域が避難区域の浪江、双葉、大熊、富岡の4町と飯舘村の住民に復興庁などが本年度に実施した意向調査では、約半数が「ふるさとに戻らない」と回答。帰還する意欲を示したのは約16%だった。生活環境の整備がいつになるのか見通せないことが響いている。
 1月下旬、日本記者クラブの取材団の一員として福島第1原発を見た。原発構内の9割で全面マスクが不要となっている。がれき撤去や地表をモルタルなどで覆う「フェーシング」の進展で作業環境は大きく改善したという。
 ただ1~4号機周辺では放射線量が一気にはね上がる。3号機付近のモニタリングポストは毎時350マイクロシーベルトを示した。そこで10日前後も作業に従事すれば、被ばく線量限度(5年間で100ミリシーベルト)の1年分を超える。廃炉作業はまだ「本丸」にも至っていない。
 最難関は、メルトダウン(炉心溶融)が起きた1~3号機の燃料の取り出しだ。溶けた核燃料がどこにあるのか、どんな状態なのかも不明で、取り出し方法すら決まっていない。1号機の格納容器内の放射線量(昨年4月調査)は、最大で毎時9・7シーベルトと人が立ち入ることができない。遠隔操作のロボットなどを活用する考えだが、開発はこれからだ。
 さらに喫緊の課題として汚染水が立ちはだかる。毎日300トン以上が発生、多核種除去装置で浄化処理を進めているが、水溶性のトリチウムは除去できない。処理水は貯蔵タンクに保管し、既に約千基に及ぶ。タンクを増設するものの、根本解決にはほど遠い。
 汚染水対策の柱としている凍土遮水壁は、今月中にも実施計画が認可される見通しだ。1~4号機周囲約1・5キロの地中に凍結管を敷設し、地下水の流入を防ぐ。ただ建屋地下の高濃度汚染水の水位と周辺の地下水位が逆転して漏れ出す危険性が指摘されている。
 このため建屋海側から段階的に凍結していく計画だが、原子力規制委員会の田中俊一委員長は、汚染水増加抑止よりも海へ処理水を放出すべきとの認識を示す。
 2月の消費者庁調査で「食品を買うのにためらう産地」に福島県を挙げたのは15・7%で、13年2月(19・4%)から微減にとどまった。福島県の食品調査で放射性物質の基準値超えは、ほんの一部しかないのに、である。汚染水対策でも風評被害を念頭に置いた対応が必要だ。(梶原幸司)
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熊本日日新聞 2016年03月12日
社説:エネルギー政策 震災の教訓生かす改革を


 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から5年。今も住民の多くが避難を強いられる中、同事故が国民的課題として突きつけたエネルギー政策の根本的見直しは進んだといえるだろうか。
 小売り全面自由化などの電力・ガスシステム改革は進んでいるが、事故で露呈した多くの問題に目をつぶったまま、安倍晋三政権は「原発回帰」の流れを強めている。日本のエネルギー政策は迷走が続いている。
 東日本大震災後の2012年12月に発足した安倍政権は、14年4月、国の中長期的なエネルギー政策の指針となる「エネルギー基本計画」を閣議決定。原発を「重要なベースロード電源」と位置づけて原発温存を鮮明にし、原子力規制委員会の新基準適合審査を通った原発を再稼働させている。これは震災以前の原発重視のエネルギー政策と変わらない。
 安倍首相は「原発依存度を可能な限り低減する」と公約し、30年の電源構成に関する見通しでは、原発の比率を20~22%にするとした。しかしこの数値は、原発の運転期間延長か新増設かを前提としたものだ。安倍政権は「現時点で原子力発電所の新増設は想定していない」としている。つまり、このままいけば「原発の運転は原則40年」というルールの形骸化が進むことになる。
 一部の原発が再稼働する一方で、核燃料サイクルなど政策の根本課題は残ったままだ。喫緊の課題は国内に約1万8千トンある使用済み核燃料への対応だ。再稼働が進めば、貯蔵プールが2、3年で満杯になるとされる原発もある。
 政府はサイクル政策も維持している。だが、プルトニウムを取り出す日本原燃の再処理工場(青森県六ケ所村)は23回も完成を延期。プルトニウムを消費する高速増殖炉もんじゅ(福井県敦賀市)も原子力規制委に運営主体の変更を勧告されるなど、その政策は事実上破綻している。再処理後に残る高レベル放射性廃棄物の最終処分場も先行きは見通せない。
 共同通信のアンケートでは、全国の知事と市区町村長の65・6%が原発の「縮小」「全廃」を求めている。「原発の安全性や核廃棄物処理への不安を解消できない」からだ。再生可能エネルギーへの転換を望む声が目立つ。
 そんな状況で、政府が原子力改革に消極的な姿勢をとる理由は、ビジネスへの波及効果を当て込んで原発再稼働の加速を期待する経済界の要望が背景にあるからだ。だが、それでは20年先、30年先を見据えた的確なエネルギー政策をつくることはできない。
 今求められるのは、エネルギー需給構造を根本から変える革新的な政策だ。原発も温暖化もないエネルギー社会実現のためには、小規模分散型の再生可能エネルギーを基盤に、徹底した省エネを進めるしか道はない。
 5年前の震災の教訓を忘れてはならない。政策決定者は既得権益にしがみつく側の抵抗を排し、改革を進める勇気を持つべきだ。
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熊本日日新聞 2016年03月11日
社説:東日本大震災5年 先の見えない不安は続く


 <17万4471人>
 復興庁が発表した、ことし2月12日時点の東日本大震災による全国の避難者数である。
 震災発生からきょうで5年。政府が定めた10年間の復興期間のうち、事業を国の全額負担で重点的に進める「集中復興期間」は今月末で終了する。だが、被災地の復興は地域によって進み具合に差が生じ、それに伴い課題が多様化しているのが実態だ。
 先が見えない不安は解消されていない。政府には、自治体や民間の取り組みの支援を含め、被災地の課題に丁寧に応える、より細やかな政策の実施を求めたい。
▼仮設を抜け出せず
 「5年の節目でもあるし、将来設計のいい時期なのかもしれない。でも、どうしてもその気になれない」。岩手県釜石市の仮設住宅で暮らす60代の男性は、総菜や弁当の容器が入ったごみ袋が転がる部屋でつぶやく。来年度中の退去を迫られており別の仮設に移る予定だが、その後の住まい再建の展望は見えない。
 自宅を再建したり、災害公営住宅で新生活を始めたりする人が増える一方で、1月時点で自立できずにプレハブ仮設住宅で暮らす人は岩手、宮城、福島の3県で約5万9千人に上る。狭い仮設ではふさぎ込みやすくなり、特に高齢者が体調を崩しやすい。空き室が増え、住民同士の見守りを難しくしているのも気掛かりだ。
 自治体が進める災害公営住宅や高台移転地の整備は遅れている。岩手県大槌町で昨秋開かれた住民説明会では、出席者から不満が続出した。遅れの理由は、用地取得の難航、関係者との協議の遅れ、作業員の不足などだ。
 建設資材の早期調達や技術者の増員が求められるが、全国的な公共工事増加や2020年東京五輪の建設需要に押され、調整は難しい。中心部の復興遅れで町を離れる人が増え、計画縮小などの見直しを迫られてさらに遅れるという悪循環に陥っている。
▼人口流出追い打ち
 被災者の生活再建には地域経済の回復が欠かせない。だが、経済産業省の調査では、震災前の売り上げを回復しているのは被災企業の半数足らずにすぎない。水産・食品加工は2割台、風評被害に悩む旅館・ホテル業は3割台と低迷している。
 東京商工リサーチの調べでは、震災の影響で倒産した企業はこの5年で1698件、倒産企業の社員は判明しているだけで約2万7千人に上る。倒産の約9割は取引先や仕入れ先の被災による間接的な影響が原因だ。
 さらに被災地の人口流出が復興を阻み、追い打ちをかけている。震災後初の15年国勢調査(10月1日現在)の速報値では、津波を受けた沿岸部の人口は、岩手県は12市町村全てで減り、宮城県も15市町のうち仙台市などを除く11市町で減少。福島県では原発事故で全域が避難区域となっている浪江、双葉、大熊、富岡4町は統計上「人口ゼロ」となった。
 3県の小中学生数は震災前から約2万5千人、12・2%減少。全国の小中学生の減少率5・2%を大きく上回る。子どもを持つ若い世代が仕事や住まい、子育てを心配してそれまで住んでいた土地を離れるケースが目立つ。
 このまま地域の担い手が不足すれば、町の活力自体が失われることにつながりかねない。若い世代が安心して将来に展望を抱ける生活基盤の整備を急ぎたい。
▼放射線が阻む帰還
 福島県内では、東京電力福島第1原発事故で拡散した放射性物質を取り除く除染作業が今も続く。1月末時点で国の直轄除染は11市町村のうち一部地域を除き6市町村で終了。市町村が実施する除染は、住宅が全体計画数の76%、道路は46・5%が完了した。
 ただ、政府は帰還困難区域で復興拠点となる場所は除染しているが、それ以外の住宅などを除染するかどうかの方針は決まっていない。住民の放射線への不安は根強い。今も10万人近くが県内外で不自由な生活を送る大きな理由になっている。
 国や福島県は17年3月で自主避難者への住宅支援を打ち切る方針で、帰還推進の姿勢を強めている。だが、仕事や生活の基盤が整わない中での帰還に二の足を踏むのは当然だろう。個々の事情に寄り添うきめ細かな支援が必要だ。
 政府は16年度から5年間を「復興・創生期間」と位置付け、被災地の住宅再建など、復興の「総仕上げ」に取り組むとする基本方針を決めた。そのためには、被災者一人一人の生活再建をどう支えるかにもっと目を移すべきではないか。行政だけでなく、社会全体で知恵を絞りたい。
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