2016-05-03(Tue)

2016憲法記念日(1) 公布70年の節目に まっとうな憲法感覚を

歴史の後戻りはさせない 戦争法廃止、安倍改憲の阻止へ 「上からの改憲」は認めぬ
緊急事態条項 災害の政治利用に映る 「人間の復興」を見据えて


<各紙社説・主張>
朝日新聞)個人と国家と憲法と 歴史の後戻りはさせない(5/3)
毎日新聞)公布70年の節目に まっとうな憲法感覚を(5/3)
東京新聞)憲法記念日に考える 汝、平和を欲すれば…(5/3)
しんぶん赤旗)5・3憲法記念日 戦争法廃止、安倍改憲の阻止へ(5/3)

北海道新聞)きょう憲法記念日 「上からの改憲」は認めぬ(5/3)
河北新報)憲法記念日/先人たちの熱情学びたい(5/3)
京都新聞)憲法記念日に  国民は改憲を求めているか(5/3)
神戸新聞)憲法記念日/土台がぐらついていないか(5/3)
中国新聞)緊急事態条項 災害の政治利用に映る(5/3)
西日本新聞)憲法と震災 「人間の復興」を見据えて(5/3)




以下引用



朝日新聞 2016年5月3日(火)付
社説:個人と国家と憲法と 歴史の後戻りはさせない


 「自由とはいったい何であろうか。一口にいえば自分の良心に従って生きることである」
 「私たちはどんな考えを持ってもよい」「どんな会合をやっても、どんな団体をつくっても自由である」
 これは、いまの憲法が施行された69年前のきょう、憲法普及会(芦田均会長)が全国の家庭向けに2千万部発行した小冊子「新しい憲法 明るい生活」が説明する「自由」だ。
 「長い間私たちには、その自由さえも制限されていた。私たちは何とかしてもっと自由がほしいと願っていた。いまその願いが果(はた)されたのである」。冊子には、戦時下の息苦しさからの解放感に満ちた言葉が並ぶ。
 国政の権威は国民に由来し、権力は国民の代表者が行使し、その福利は国民が受け取る――。憲法前文が明記するこの主権在民と代表民主制の原理は、フランス革命など近代の市民革命によって獲得された「人類普遍の原理」だ。
 70年近くがたち、新たな社会のしくみは戦後日本に定着した。ただ一方で、国家が個人の自由に枠をはめたり、特定の価値観を押しつけたりしようとする動きがちらつき始めた。
 ■改憲のさきがけか
 10年前にさかのぼる。
 憲法と同じ年に施行され、「教育の憲法」と言われた教育基本法が、初めて、そして全文が改正された。「戦後レジームからの脱却」を掲げて政権についたばかりの安倍首相が、最重要課題としていた。
 「我が国と郷土を愛する」「公共の精神に基づき、社会の発展に寄与する」。改正法には、個人や他国の尊重に加え、こうした態度を養うという道徳規範が「教育の目標」として列挙された。教育行政と学校現場との関係にかかわる条文も改められ、「個」よりも「公」重視、行政を律する法から国民に指図する法へとその性格が変わった、といわれた。
 安倍首相は当時、教育基本法を改正しても「国家管理を強めることにはならない」と国会で答弁していた。ところが、下野をへて政権に復帰した安倍氏は、「改正教育基本法の精神」を前面に掲げ、新たな教育政策を次々と繰り出している。
 その最たるものが、教科書検定の新しいルールだ。改正法で新たに盛り込まれた「教育の目標」に照らし「重大な欠陥」があれば不合格にできる。政府見解がある事柄には、それに基づいた記述を求める。
 高校の教科書に初めて適用された今年の検定では、戦後補償や世論が割れる集団的自衛権の行使容認などで、政権の主張が反映された記述になった。
 また、文科相による国立大への「国旗・国歌」の要請は、学問の自由や大学の自治にかかわる問題だが、そのきっかけは「教育基本法の方針にのっとって正しく実施されるべきだ」との首相の国会答弁だった。
 ■前面にせり出す国家
 自民党が12年にまとめた憲法改正草案は、改正教育基本法のめざす方向と一致する。
 草案では国家が過剰なまでに前面にせり出す。後退するのは個人の自由や権利だ。
 草案前文の憲法制定の目的は「良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため」だ。現憲法の「自由の確保」や「不戦」とは様変わりだ。
 また、「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する」と規定する。
 一方で、国民の自由や権利の行使には「常に公益及び公の秩序に反してはならない」(12条)との枠をはめている。
 「憲法は立憲主義だけでなく、国柄をきちんと反映したものにもしたい」(礒崎陽輔前首相補佐官)というのが党の考えだ。だが、たとえどんなに多くの人が「道徳的に正しい」と考える内容であっても、憲法によってすべての国民に強いるべきものではない。
 教育現場に詳しい広田照幸・日大教授は、政治の動きを踏まえて警鐘を鳴らす。「『こういう生き方をさせたい』という教育の場での政治的欲望が、こんどは憲法改正を通じて国民全体にふってくるかもしれない」
 ■押しつけは筋違い
 個人あっての国家か、国家あっての個人か。安倍首相は、自著でこう述べている。
 「個人の自由を担保しているのは国家なのである。それらの機能が他国の支配によって停止させられれば、天賦の権利が制限されてしまうのは自明であろう」(『新しい国へ』)
 他国の攻撃から国民を守るのは国家の役割だ。かといって権力が理想とする国家像や生き方を、「国柄だから」と主権者に押しつけるのは筋が違う。
 それを許してしまえば、「普遍の原理」を社会に根付かせてきた歴史の歩みを、後戻りさせることになる。
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毎日新聞2016年5月3日 東京朝刊
社説:公布70年の節目に まっとうな憲法感覚を


 戦後と寄りそうように長い歩みを刻んできた日本国憲法は、今年11月で公布から70年を迎える。
 振り返れば、憲法を巡る激しい論争がいくつもあった。それは、世界における日本の立場や国民意識の変化を反映するものだった。
 公布70年の節目に先立つ夏には、参院選挙がある。在任中の憲法改正に意欲を示す安倍晋三首相が、ここで改憲発議に必要な3分の2の議会勢力確保を目指している。
 選挙結果次第では、憲法改正が初めて現実味を帯びるかもしれない。そんな可能性をはらむ中で迎えた、今年の憲法記念日である。
内面には立ち入らず
 改憲問題は新たな段階に入ろうとしている。こういう時だからこそ、望ましい憲法論議とは何なのか、原点に戻って考えてみたい。
 首相や自民党などからは、改憲への積極発言が相次いでいる。長い歳月がたてば、国民に不都合な部分も出てくるだろう。憲法の手直し論議自体は自然なことである。
 ただ、今の政治や政治家に改憲論議を任せられるのかどうか、疑問を感じることが少なくない。
 集団的自衛権を行使可能にする強引な憲法解釈変更、報道の自由への圧力、1票の格差を最高裁から再三「違憲状態」と指摘されながら、真摯(しんし)に受けとめようとしない政党と国会。憲法への冷笑的な態度、無理解がはびこっているからだ。
 憲法とは何か。その根本をゆるがせにしたまま、改憲発議権を持つ政治家が改憲熱をあおるのは好ましいことではない。それは、国家や社会の安定を損ないかねない。
 現行憲法は、敗戦の産物だ。戦前の日本は国民の思想を取り締まり、自由を窒息させ、戦争で多大な犠牲を強いた。そんな社会には戻らないという決意と希望を、国民は新しい憲法に見いだしたはずだ。
 取り入れたのは、西欧近代国家がよって立つ原理である。国家は倫理や道徳など個人の内面に立ち入らない。憲法は権力を縛る鎖、国民を守るとりで、という考えだ。
 歴史や文化の違いはあっても、同じ理念を大事にする国家として、日本は再出発した。国民がその憲法を70年間、育んできたのだ。
 だが、自民党の改憲論の基盤となる憲法改正草案は、立脚点が違う。敗戦で押しつけられた憲法を自分たちで書きかえたいという、戦後レジーム脱却論が基調である。
 改正草案の中でとりわけ目につくのは、現行憲法の土台となっている基本的人権の規定に手を入れ、個人の自由や権利よりも公益・公の秩序を優先させていることだ。
 その理由を自民党のQ&A集は、憲法には西欧の天賦人権説に基づくものが散見されており、日本の歴史や文化、伝統を踏まえたものに変えることも必要だ、とする。
 歴史や伝統は確かに大切だ。しかし、国境や国籍を超える基本的人権の理念よりも優先される歴史や価値観が、あるとは思えない。
 雇用不安や格差拡大で生活を脅かされる人が増えている。基本的人権の確立は道半ばである。憲法の価値体系を変えるような改憲案を示すより、積み上げてきたものをさらに拡充させる努力の方が先だろう。自主憲法論にとらわれ改憲に過度のイデオロギー色をつけるのは、国民本位の改憲論議とはほど遠い。
国論の分裂を招くな
 安倍首相は、改憲に慎重な考え方を「思考停止」だと語る。
 だが、憲法を巡る意見や論議のあり方は多様だ。改憲派か護憲派かという色分けは、もう古い。
 単純な構図に矮小(わいしょう)化し、対立をいたずらにあおる物言いは、いずれの政治家も慎むべきだろう。自分の正義だけを主張し、相手を否定する姿勢は、極論と極論の衝突に陥りやすい風潮を助長してしまう。
 3年前、改憲の発議要件を緩和する96条改正を政権が持ち出した時、私たちは反対し、「国会が審議を尽くして3分の2の合意を形成することと、その後の国民投票が補完しあって初めて、改憲は説得力を持ち社会に浸透する」と書いた。世論も96条改正を支持しなかった。
 改憲論議は性急さを避け、社会の広範な同意と納得を目指すのが本来である。憲法の掲げる理念を堅持しながら、多くの国民から理解を得られるものにするのがいい。
 それには、基本的人権の領域には入り込まず、衆参両院のあり方の見直しなど、代議制民主主義の質の向上につなげる議論に絞ってみるのも一案ではないか。自民党が改憲の入り口に考えている緊急事態条項の追加は、基本的人権の概念とぶつかる懸念が強く、適切でない。
 政治に求められるのは、何よりも国民本位の憲法論議であり、そのための優先順位を誠実に模索する態度だ。与野党はともに、憲法の持つ意味と重さを正しく受け止め、時間をかけ熟議を重ねてほしい。
 憲法は社会の安定のためにある。にもかかわらず、改憲論議が国論の分裂を招き、社会を不安定にしては本末転倒である。政治家のための憲法ではなく、国民のための憲法に。憲法の議論は、そのまっとうな感覚を持つことから始めたい。
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東京新聞 2016年5月3日
【社説】憲法記念日に考える 汝、平和を欲すれば…



「横田先生万才(歳)!」の書き込みがあるペーパー

 「在任中に成し遂げたい」と首相が憲法改正に意欲的です。国防軍創設など九条改憲案を自民党は掲げています。平和主義の未来が心配でなりません。
 ラテン語で表題が書かれた文章があります。訳せば「『汝(なんじ)、平和を欲すれば、戦争を準備せよ』と『汝、平和を欲すれば、平和を準備せよ』」です。一九三三年に書かれた論文で、筆者は東大法学部教授の横田喜三郎でした。
 「平和を欲すれば、戦争を準備せよ」という標語は昔、オーストリア・ハンガリー帝国の陸軍省の扉に書いてありました。
 強大な軍備を用意しておけば、他国は戦争を仕掛けてこないだろうから、平和を得られる。そんな論法です。横田は記します。
 <標語に従つて、各国はひたすら戦争の準備を行い、互(たがい)に強大な軍備を用意することに努力した。そこに猛烈な軍備競争が起(おこ)つた。その結果は世界大戦であつた>
 第一次世界大戦のことです。一四年にオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子が暗殺されたのをきっかけに、戦争が始まり一八年まで続きました。「戦争を準備せよ」とした同帝国は崩壊しました。皮肉です。
 この後に「不戦条約」が二八年にパリで結ばれます。戦争を放棄し、紛争は平和的手段により解決しようという約束です。横田はこう記します。
 <『汝、平和を欲すれば、平和を準備せよ』 世界戦争後に、不戦条約がパリで記名されようとしたとき、こう金ペンに書いて、フランスのアーヴルの市民はケロツグに贈つた。ケロツグはこの金ペンで不戦条約に記名した>
◆満州事変は自衛権か
 「ケロツグ」とは米国の国務長官だったケロッグで、フランス外相とともに条約を提唱しました。
 <アーヴル市民の金言が世界の指導原理となつた。平和を準備するために、各国は協力して、軍備を縮少(小)し、戦争を禁止し、紛争の平和的解決に努力した>
 横田の論文は東大法学部の学生向けの雑誌に寄せたものでしたが、中には「横田先生万才(歳)! 横田教授頑張れ!!」と書き込みをした人もいました=写真。感激したのでしょう。三一年の満州事変を批判した学者としても横田は有名な存在でした。
 一八九六年に現在の愛知県江南市に生まれ、旧制八高から東大に進み、国際法学者となりました。名古屋新聞(中日新聞)の配達をした経験もあった人です。
 満州事変とは中国・奉天(現在の瀋陽)で鉄道爆破をきっかけに、関東軍が中国の東北部を占領した出来事です。横田は帝国大学新聞に「はたして軍部のいっさいの行動が自衛権として説明されるであろうか」と書きました。
 鉄道破壊が事実であったとしても、それから六時間のうちに北方四百キロ、南方二百キロもの都市を占領したことまで、自衛のためにやむをえない行為であったと言い得るか。鋭い疑問を呈したのです。
 さっそく右翼の新聞が「売国奴の帝大教授」として攻撃しました。ある会議で上海に行きましたが、「コウベハキケン」と電報を受け取り、帰りは長崎に寄りました。それから福岡、別府(大分)…。なかなか東京に戻れなかったそうです。
 その横田が東大法学部の大教室に再び立つと、満員の学生から割れるような拍手を浴びました。再び三三年の論文に戻ります。
 <歴史は繰り返すと言う。人は忘れ易(やす)い。(中略)満州事件を契機として、まず太平洋の舞台に戦争の準備が開始され、軍備の拡張と競争が展開しようとしている>
 戦争の歴史は繰り返す-。横田は懸念しています。満州国が生まれたのが三二年。犬養毅首相が暗殺された五・一五事件もありました。ドイツでヒトラーの独裁政治が始まるのは三三年です。この論文はきな臭い空気を吸って書かれていることがわかります。
◆非常時には金言を胸に
 横田は非常時の国民に向かって最後を締めくくります。平和を欲するならば、戦争を準備するのか、平和を準備するのか、「いずれを選ぶべきかを三思せよ」と…。三思とは深く考えるという意味です。歴史の教訓に立てば、答えは明らかでしょう。
 横田の論文については、樋口陽一東大名誉教授が著書で紹介しています。昨年には東大でのシンポジウムでも取り上げました。改憲が現実味を帯びているからでしょう。今もまた“非常時”です。軍備の拡張と競争になれば…。猜疑(さいぎ)と不安の世界になれば…。ケロッグのペンに書かれた金言を忘れてはなりません。
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しんぶん赤旗 2016年5月3日(火)
主張:5・3憲法記念日 戦争法廃止、安倍改憲の阻止へ


 日本国憲法が1947年5月3日に施行されてから69回目の憲法記念日を迎えました。ことし11月には、憲法公布から70年の節目も迎えます。戦争法案の制定をめぐり幅広い国民の反対運動が広がった昨年の憲法記念日に続き、ことしの憲法記念日は戦争法の廃止に加え、安倍晋三政権が乗り出してきた憲法9条などの明文改憲を許さない、新たなたたかいが焦点になります。各地の集いや行動を大きく成功させ、戦争法廃止と安倍改憲阻止の国民世論を盛り上げようではありませんか。
広範な力を結集・共同して
 憲法記念日には東京・有明防災公園で、広範な勢力で戦争法に反対してきた「戦争させない・9条壊すな!総がかり行動実行委員会」などが共同して、「明日を決めるのは私たち 平和といのちと人権を」をスローガンに、5・3憲法集会(主催は同実行委員会)を開きます。昨年の憲法記念日に横浜臨港パークで開かれた初の統一集会は、3万7000人が参加して戦争法案反対のたたかいの大きなきっかけになりました。全国各地でもかつてない広がりで集会などが開かれます。戦争法廃止と安倍改憲阻止に向けて、統一した力の発揮が求められます。
 安倍政権が昨年強行した戦争法は、憲法の平和主義や民主主義、立憲主義そのものを破壊する暴挙で、法律が成立し3月末に施行されたからといって、そのままにしておけない大問題です。戦争法は、安倍政権が歴代政府の憲法解釈を乱暴に踏みにじって、集団的自衛権の行使を認めたものです。日本が攻められているわけでもないのに集団的自衛権を行使してアメリカの戦争を手助けすれば、日本自身が先制攻撃したことになり、反撃を受けます。創設いらい一人の外国人も殺さず、戦死者も出していない自衛隊が、文字通り「殺し殺される」事態になりかねません。戦争法を「平和法制」だなどといって国民に押し付け、アメリカの戦争の軍事支援や国連の「平和維持活動」(PKO)に参加する自衛隊の任務を拡大しようとしている安倍政権の策動は危険です。
 安倍政権は戦争法を成立させた後、戦争を放棄し戦力の保持や交戦権を否定した憲法9条など、憲法の条文そのものの改定の動きを強めています。7月の参院選では「改憲勢力」で改憲案の発議に必要な3分の2以上の議席を獲得し、選挙後、改憲に乗り出す意向も隠しません。安倍首相が明文改憲を言い出したのは、憲法がそのままでは首相が狙う「戦争する国づくり」の障害になるからです。戦争法の廃止とともに安倍改憲を阻止することが、ますます重要で差し迫った課題になっています。
憲法の値打ちを広げて
 過去の侵略戦争を反省し、「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意」(前文)した日本国憲法の意義は、いよいよ明らかです。憲法の値打ちを広げ、解釈改憲も明文改憲も許さない国民ぐるみのたたかいの強化が必要です。
 マスメディアの世論調査でも、憲法、特に9条は変えない方がいいが多数です。戦争法に対しても、成立前も成立後も、反対が多数です。こうした国民の声に応え、戦争法廃止、安倍改憲阻止のため力を合わせようではありませんか。参院選でも大争点にしましょう。
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北海道新聞 2016/05/03 08:50
社説:きょう憲法記念日 「上からの改憲」は認めぬ


 69年前のきょう、日本国憲法が施行された。公布からは70年に当たる今年、改憲への動きがかつてなく強まっている。
 改正国民投票法の成立により、衆参両院で3分の2以上の賛成があれば、改憲案を発議し国民投票にかけられる道筋が定まった。
 安倍晋三首相は在任中の憲法改定への意欲を明言。衆院に続き、夏の参院選で3分の2以上の勢力を確保すれば項目の具体的な絞り込みに入りたい考えのようだ。
 論議に慎重な野党を「思考停止」と決めつけるが、なぜいま改憲なのか、胸に響く説明は聞こえてこない。
 首相の自民党総裁任期は党則によれば2018年9月までだ。自らの政治日程に合わせるかのような進め方に強い違和感を覚える。
 憲法は政治家や政党の道具ではない。国民の権利の基盤である。
 「上」からなし崩しに進める動きに待ったをかけねばならない。
■基本原理忘れている
 「圧倒的多くの市民がここに新生日本国の目標を見出し、全く新しい共存社会をつくろうと心に決めたのは、ごく自然だった」
 昨年亡くなった函館出身の憲法学者奥平康弘さんは敗戦後の憲法制定当時をこう振り返っている。
 そこには普遍的な理念と原理を掲げる憲法への深い信頼がある。
 「日本国憲法は私たちが実践を通じて選びとったものだ」とし、「押し付け論」に反論する。
 いま国を動かす人々にそうした理解と尊重の念がどれだけあるのだろうか。
 時代の要請によって、手直しすることがあってもいい。
 だが憲法には時代を超えて、変えてはならないものがある。
 憲法は国民を縛るものではなく、国や政治家など権力を縛る―という基本原理だ。
 安倍政権と自民党の憲法改定の議論を聞いていると、この原理を顧みない危うさがある。
 自民党の「日本国憲法改正草案」は政治家の擁護義務の前に「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」と盛り込んだ。
 まず国民に憲法尊重義務を課すというあべこべの理屈である。
 「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」の尊重には、「公共の福祉」に代えて「公益及び公の秩序」に反しない限りとの制限をかけている。
 首相は「すでに党で改正草案を示している」と胸を張るが、個人より国家に重きを置く中身は、近代立憲主義からの逸脱である。
 国会法の個別発議の原則で、一気の全面改定は現実的でない。とはいえ、首相らの憲法観では議論のたたき台にはなり得まい。
■「お試し」は通らない
 首相は憲法前文を念頭に「みっともない」と言い放ったことがある。実際、ないがしろにする様を私たちは目の当たりにしてきた。
 長年の政府解釈を踏み越え、憲法学者が違憲と指摘する安全保障関連法を強行採決した。
 特定秘密保護法の制定は国民の知る権利を制限し、民主社会の基盤をむしばむ。
 選挙にさえ勝てば何でもできると言わんばかりに異論を封じ込める。党の草案が目指すところを、改憲より前に実行に移そうというのだろうか。
 熊本地震を機に、憲法に緊急事態条項の新設を求める意見が政府・自民党から出ている。
 条項は有事や大災害の際に政府に権限を集中し、個人の権利の強い制約を可能とする。民主主義にとって極めて危険な側面を持つ。
 大災害の時は現場が分からない中央で采配をふるうよりも、被災自治体の判断を尊重し、支援に回るのが理にかなう。
 東日本大震災に見舞われた東北3県の自治体ではそんな意見が多い。これらに耳を傾けるべきだ。
 国民の抵抗感の薄いところから変えていき、「本丸」である9条改定につなげる狙いか。こうした「お試し改憲」は通用しない。
■理念生かす政治が先
 首相は12年の再登板以降、聞こえのいい経済政策を掲げながら、選挙に勝つと世論を顧みることなく、特定秘密保護法や安保関連法の制定を推し進めた。
 夏の参院選でもその手法を踏襲するのだろうか。まっとうな政治の進め方とはとても言えない。
 改憲と言うのなら、憲法のどこに問題があり、どう変えようというのか。それをまず具体的に示し、それから審判を仰ぐのが筋だ。
 憲法は国民の生存権や幸福追求権も保障する。貧富の格差拡大、貧困問題が深刻化する中、過労自殺など雇用の質も低下している。
 別の憲法をつくる前に既にある憲法が現実に生かされているか点検し、実態を改善するのが先だ。
 憲法は国民のものである。論議の主導権も国民が握るべきだ。逆の動きに拒否の意思を示したい。
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河北新報 2016年05月03日火曜日
社説:憲法記念日/先人たちの熱情学びたい


 薫風に吹かれて、仙台市青葉区北山の資福寺を訪ねた。ここには現在の栗原市志波姫に生まれた自由民権運動家千葉卓三郎(1852~83年)が、ひっそりと眠っている。
 議会も、憲法もない明治の激動の時代。民衆とともに熱い議論を交わして「五日市憲法草案」を練り上げた先駆者、千葉に思いをはせ、墓と記念碑に手を合わせた。
 憲法草案は1968年、東京経済大教授だった色川大吉氏とゼミ生によって東京都五日市町(現あきる野市)の旧家の土蔵から発見された。その名もこれに由来する。東北をはじめ全国各地でつくられた「民衆憲法」の一つだ。
 1881年に起草された204条に及ぶ草案を眺めると、日本国憲法の規定を先取りした内容に驚く。三権分立、二院制といった制度だけでなく、国民主権、基本的人権の尊重、言論の自由などの理念が盛り込まれている。現憲法の「源流」と言っていい。
 翻って起草から130年余たった現在である。自由民権運動が盛んだった頃とは比べものにはならないが、憲法論議が熱を帯びてきた。改憲に意欲的なのが自民党だ。論拠の一つは現憲法がGHQ(連合国軍総司令部)の占領下で制定されたことを問題視する「押しつけ憲法論」である。
 しかし、現憲法の出自を探ると、民衆憲法の理念が継承されていたのは単なる偶然ではないことが分かる。大正デモクラシーを経て再評価され、それを学んだ研究者によってGHQ案に反映されていた。日本人の「血」が流れているのは明白だろう。押しつけと決めつけるのは不適切だ。
 「憲法古着論」もある。施行70年近い憲法は時代とともにほころびが出てきた。痛まない生地は残しつつも、ほころびは繕うべきだという考えだ。論議の延長線上に憲法9条があるのは間違いない。
 北朝鮮の核開発、イスラム国(IS)のテロ、中国の海洋進出など国際情勢が緊迫化してきた。もはや一国平和主義では国を守れない。安全保障のほころびを補修するパッチワークとして編み出されたのが「積極的平和主義」だ。
 手段となる集団的自衛権は、憲法を改正しなければ認められないというのが学者の多数意見だった。ところが、安倍内閣は歴代の政権が積み重ねてきた解釈を変え、安全保障関連法を成立させた。
 厳しい現状に目を背け、理想に溺れてならないのは当然である。ただ、現実に追随するあまり歯止めが効かなくなり、同盟国防衛の名の下に戦争に巻き込まれてはかなわない。この市民の根源的な不安は依然払拭(ふっしょく)されないままだ。
 だから反対運動が燃え続ける。けん引役が「SEALDs(シールズ)」だ。特定の党派に左右されず、自分の物差しで考えて行動する若者が主人公になっている。千葉の熱情に通じていないか。
 選挙権年齢が18歳以上に引き下げられる見通しの夏の参院選では憲法改正も争点になりそう。「一国の人民は一国の政府の実体にして、一国の政府は一国人民の反射(反映)なり」。千葉の演説草稿の一節だという。憲法記念日のきょうこそ、かみしめたい。
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[京都新聞 2016年05月03日掲載]
社説:憲法記念日に  国民は改憲を求めているか


 日本国憲法は今年、公布から70年の節目を迎える。
 国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という憲法の三原則は戦後、日本人の血となり、肉となり、国際的な信頼を得てきた。
 ところが、昨年、安倍政権は、歴代の内閣が禁じてきた集団的自衛権の行使を可能にする安全保障関連法を成立させ、平和主義は大きく揺さぶられた。
 安保法は、多くの憲法学者が「違憲」の疑いがあると厳しく批判したにもかかわらず、今年3月に施行された。憲政史に汚点を残したと言わざるを得ない。
 今夏の参院選では、憲法改正が大きな争点となりそうだ。
 安倍晋三首相は、憲法9条の改正に強い意欲を示しており、参院選では野党を含めた賛同勢力で、改憲の国会発議に必要な定数3分の2以上の議席確保を目指す考えだ。
 結党以来、憲法改正を党是とする自民党は、世論を喚起しようと、今年2月に党憲法改正推進本部会合を約8カ月ぶりに再開し、月1回のペースで議論している。与野党が広く賛同できる項目から手をつけ、本丸の9条改正へとつなげる戦略を描く。
 説得力に欠ける議論
 しかし、自民の改憲論議には、違和感を覚えざるをえない。「なぜ、今、憲法を改正しなければならないのか」という根本的な理由が明らかではないからだ。
 自民は、現行憲法を連合国占領下で押しつけられたものとして、改憲の必要性を訴えるが、現行憲法は当時の議会が議論、修正し、国民の大多数が歓迎した事実がある。
 憲法の規定が時代にそぐわず、国民生活に支障をきたすというならば、改憲論議が起こって当然だが、戦後70年間、国民は改正する必要性を認めてこなかった。それは今も続いている。
 共同通信社が4月末に実施した全国電話世論調査では、安倍首相の下での憲法改正に「反対」が56・5%で、「賛成」の33・4%を大きく上回った。国民は改憲に前のめりの政権に不安を抱いているといえるだろう。
 首相は、戦力不保持を定めた9条2項について「自衛隊の存在を明記すべきだ」と主張する一方、国会答弁で「国民的議論が十分深まり、支持を得ている状況ではない」との認識も示す。改憲にはほど遠い状況ではないか。
 首相が安保法を成立させ、今度は9条改正を進める背景には、祖父・岸信介元首相から受け継いだ「対等な日米同盟」を目指す政治信条があるのは間違いない。最終的に目指すのは、9条改正による国防軍の保持だ。それが「戦後レジーム(体制)からの脱却」を掲げる首相が目指す「普通の国」の姿ということだろう。
 国のあり方が変わる
 自民が2012年にまとめた憲法改正草案は、現行憲法を根本から変える内容になっている。どのような国を目指しているのか、注意深くみておく必要がある。
 改憲草案は、9条から戦力不保持と交戦権否認の規定を削除し、「自衛権の発動を妨げない」と明記した。個別的自衛権と集団的自衛権の両方を含む趣旨だ。そのうえで「国防軍」の保持を定め、現行憲法が禁じる軍隊の保有を明示している。
 自民党は現行憲法の平和主義を基本的に変えないとしている。だが、必要最小限の自衛力によって専守防衛に徹することを意識し、武力に頼らない国のあり方を確認してきた戦後日本の平和主義がそのまま守れるはずがない。
 草案は、国家主義的、復古的な色彩も強い。
 前文は、日本を「天皇を頂く国家」と位置づけ、国民に「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守る」「良き伝統と国家を末永く子孫に継承する」ことを求める。
 現行憲法が、天皇や国会議員、公務員に憲法尊重擁護義務を定めた99条も変更して、新たに国民を加えており、国民の責任と義務を強調しているのが気がかりだ。
 立憲主義軽視を危惧
 「一切の表現の自由は保障する」としているものの、公益や公の秩序を害することを目的とした活動、結社を認めないとの規定を新設し、戦前の思想取り締まりの復活も懸念される。
 近代憲法の要とされる立憲主義が軽視されているのではないかと考えざるをえない。
 権力は常に乱用される恐れがある。国民の権利を守るため、憲法が権力を縛る必要がある。それが歴史の反省を踏まえた立憲主義であり、権力を持つ側にも共通の認識だったはずだ。
 草案が目指すのは立憲主義を軽視し、日本国憲法の三原則を無効化することではないのか。強い危惧を感じる。
 憲法改正を巡っては、他国からの武力攻撃や大規模災害などに備える緊急事態条項や財政規律条項の新設、参院選の「合区」解消などがテーマに上がる。
 だが、改憲は政治家が都合に合わせて選ぶものではない。主権者たる国民が、何を変え、何を変えないのかを、未来に責任をもって、熟慮しなければならない。
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神戸新聞 2016/05/03
社説:憲法記念日/土台がぐらついていないか


 1946年の日本国憲法公布から70年を迎える。基本的人権の尊重、国民主権、平和主義の三大原則を掲げた憲法は戦後日本の在り方の基本となってきた。だが今、憲法改正に向けた流れはこれまでになく強く、夏の参院選の争点になりそうだ。
       ◇
 「一灯を提げて暗夜をゆく」
 46年6月、第1次吉田茂内閣で国務大臣となり、新憲法制定に携わった金森徳次郎が座右の銘とした言葉だ。11月の公布で辞するまで憲法に関する議会答弁をほぼ一人で担い、「憲法大臣」と呼ばれた。
 金森はその責任の重さ、新憲法の遠き行く末を思うと心が苦しくなったとし、「一灯を提げただけの明るさでもって憲法を進行させてきた」と書いた。だが、その光はだんだんと増し、暗夜を通る気持ちながら、「そうとう足もとが明るくなってきたことも事実である」と述べる。
 そして、こう記した。
 「いまから十年、二十年ののちにふりかえって憲法制定を考えてみると、じっさい大きな変化を日本に生じたものであり、その変化はけっして悲しむべきなにものをもふくんでいない、もっとも喜ぶべきもののみに満ちていることを感ずるのではあるまいか」(「憲法随想」)
 その言葉通りに憲法は国民の暮らしの土台となり、日本が進むべき道を照らす灯(あか)りとなった。
空洞化が進む
 だが70年を前に、憲法を空洞化させるような出来事が目立つ。
 安倍内閣は昨年9月、多くの法律家が「違憲」とする中、集団的自衛権行使を容認し、自衛隊の海外での任務を大幅に拡大する安全保障関連法を成立させた。解釈変更で憲法9条の歯止めをあっけなく外した。
 言論・表現の自由を危うくする動きも収まらない。
 日本の言論・表現の自由の現状を調べた国連のデービッド・ケイ特別報告者(米国)は4月、特定秘密保護法などによってメディアの独立性が深刻な脅威に直面しているとの懸念を示した。高市早苗総務相が政治的に公平でない放送を繰り返す放送局に、電波停止を命じる可能性に言及したことも問題にした。
 国際ジャーナリスト組織「国境なき記者団」が、今年の報道自由度ランキングで日本の順位を前年の61位から72位に下げたこともあった。
 ランキングの妥当性はともかく、海外からも上がる秘密保護法への危惧、言論を統制するような動きへの警鐘は受け止める必要がある。
 言論・表現の自由は、民主主義を支える基本的な権利である。それを制限、軽視するような言動は到底容認できない。同時に報道機関が萎縮することなく、権力監視という役割を果たすことを肝に銘じたい。
 一方、憲法改正を「悲願」とする安倍晋三首相は在任中の実現を目指し、今年に入って前のめりの発言を繰り返している。
 2月には9条2項について「実力組織の記述がないのはおかしい。自衛隊の存在を明記すべきだ」と主張。4月29日のテレビ番組では、9条改正に関し「これからもずっと後回しにしていいのか。思考停止している政治家、政党の皆さんに真剣に考えてもらいたい」と述べた。
 空洞化を進める一方、国会での改憲勢力の拡大を図り、改正への積極発言に踏み込む。権力を縛るのが憲法の本来の役割である。国民の間に反対論が根強い中、首相の前のめりは危うい姿勢と言うしかない。
「お試し改憲」
 参院選の結果によっては改憲項目の絞り込みなど論議が一気に進む可能性がある。自民党は、大災害などに対応するための緊急事態条項、財政規律条項、環境権の設定などから議論を始めたい意向とされる。
 反発が強い9条改正の前に別の条項に取り組み、国民に改憲に慣れてもらうのが狙いという。これでは「お試し改憲」と呼ぶしかない。
 金森徳次郎は「少年少女のための憲法のお話」で憲法改正についてこう書いている。
 「憲法を、むやみにかえることは、よくありません。これは、一ばんのもとの法であるからです。家のペンキがハゲたり、瓦がわれたときは、すぐなおしますが、土台をつくりなおすことは、たいへんな大事業で、家ぜんたいに大変化がくるからです」「私たちの憲法も、これをかえると、国の政治のもとがぐらつくことになるから、よほど大事にあつかわねばなりません」
 もちろん憲法は「不磨の大典」ではない。時代の変化に応じて改正を検討することは必要だ。その前提として、この国の70年を支えてきた基本法であることの意味を見つめ直し、国の将来をしっかり議論することが欠かせない。
 国の根幹である憲法を大事にするという意識が欠けていれば、「改正」の動きは破壊になりかねない。
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中国新聞 2016/5/3
社説:緊急事態条項 災害の政治利用に映る


 きょうは69回目の憲法記念日である。11月には公布から70年を迎える。夏の参院選を控え、憲法改正を巡る論議が活発になってきそうだ。
 安倍晋三首相が改憲を争点にしたい姿勢を、かつてなく鮮明にしているからだ。「在任中に成し遂げたい」と述べ、自民党総裁の2018年9月までの任期中に改正のための国会発議に踏み切る意欲を隠さない。
 衆院では与党で3分の2以上の議席を持つ。参院選では改憲勢力が発議に必要な3分の2以上の議席に届くかどうかを巡ってしのぎを削ることになる。
 首相は争点化する具体的な改憲項目については明言していないが、「緊急事態条項」を憲法に新設するかどうかが焦点だろう。大規模災害やテロ、内乱などの非常時に政府の権限を強めたり、国会議員の任期延長を可能にしたりする規定である。
 自民党が12年に作成した改憲草案に盛り込まれている。「東日本大震災における政府の対応の反省を踏まえた」というのが理由である。熊本地震の発生を受け、菅義偉官房長官も「緊急時に国家、国民が果たすべき役割を憲法にどう位置付けるかは極めて重く大切な課題だ」と意欲を見せた格好だ。
 世界を見渡せば、ほとんどの国が憲法に緊急事態条項を持っている。改憲論議のテーマとすること自体は否定しない。しかし、自民党改憲草案の中身には疑問が拭えないのは確かだ。
 改憲草案によると、首相は武力攻撃や内乱など社会秩序の混乱、大規模な自然災害などに際し、緊急事態を宣言できる。宣言されると、内閣は法律と同じ効力の政令を制定できる。国民の生命、財産を守るため、国などの指示に国民は従わなければならない、とある。
 緊急事態とは何かがあいまいなまま、首相と内閣に大きな権限を与えている点に危うさを感じる。さらに国民の権利を制限する規定を、わざわざ憲法に記す必要性があるのか。権力が乱用される懸念が拭えないとの指摘も当然であろう。
 災害対策を目的とすることにも違和感がある。迅速な対応を目指すなら、すでに災害対策基本法や災害救助法、大規模地震対策特別措置法に、首相が緊急事態を布告できる規定がある。国会閉会時の内閣の緊急政令制定や首相が地方自治体の長に指示できるなど、すでに法律レベルで「緊急事態条項」は整っているといえる。
 確かに東日本大震災では、原発事故に対応した避難行動や情報提供、救援活動などで大きな混乱があった。被災者が必要とするガソリンや食料などの物資が不当に高い値段で売られるケースもあった。しかし、阪神や東日本の震災を経験した各地の弁護士会は、ほとんどの問題は現行法で備えは十分だったと指摘し、緊急事態条項に「災害対策は改憲の理由にならない」とそろって反対している。
 憲法の不備を指摘することよりも、現行法を活用できなかった運用面の問題を見直すことが先ではなかろうか。
 相次ぐ大地震の発生に加え、世界規模でテロが続発している。「備えあれば憂いなし」と考える人も少なくなかろう。そうした国民の間の不安に乗じて「改憲ありき」で突き進むなら許されない。
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=2016/05/03付 西日本新聞朝刊=
社説:憲法と震災 「人間の復興」を見据えて


2016年05月03日 10時34分
 人智が及ばない自然の脅威にいかに立ち向かうか。尊い家族の命や財産を奪われた人々の失意にどう寄り添い、何をなすべきか。
 地震・火山列島で暮らす私たちは、宿命的ともいえる重い問いを再び突き付けられました。
 熊本地震は現在進行形です。揺れはなお続き、被災者の避難生活は長期化の様相を見せています。 きょう、憲法記念日にあたり、いま一度、この言葉を思い起こしたいと思います。
 「震災復興の基本法は憲法である」-。1995年の阪神大震災、2011年の東日本大震災で、共通して叫ばれました。
 ▼不幸の連鎖で苦境に
 被災地では、ライフラインや主要交通網の復旧が徐々に進んでいます。共同通信社の世論調査では、安倍晋三政権の震災対応を今のところ「評価する」という声が6割超に上っています。問題は、この先に待ち受ける苦難です。
 震災対策では、インフラの回復が先行します。鉄道や道路が開通し、仮設住宅の建設が始まると、一段落したかのように見えます。
 内実は過酷です。被災者の心の傷は深く、新たな生計の確保には困難が伴います。失われた地域コミュニティーの再生も容易ではありません。阪神大震災では、その精神的負担などによる「震災関連死」という被害概念が生まれました。東北の被災地では、その数が今も増え続けています。
 憲法が基本的人権を柱に据え、「生存権」や「幸福追求権」を定めていながら、不幸の連鎖に見舞われる-。今回の震災でも既にそうした構図が生まれています。
 ▼後手に回る国の施策
 日本の被災者支援制度は、避難所・仮設住宅の設置や食料の供給など初期対応に主眼が置かれ、個人資産の回復など生活再建は自己責任が原則とされてきました。
 現在は、家を失った人などに一定額を支給する公的保障制度があります。その根拠となる被災者生活再建支援法が制定されたのは阪神大震災後の1998年でした。
 保障の対象者や支給額は2度の法改正で拡大されたほか、東日本大震災後には復興庁の設置や災害対策基本法の大幅な見直しなど矢継ぎ早の対応が続いています。
 「人間の復興」「創造的復興」-。阪神や東日本の大震災では、こんな理念が提唱されました。
 被災地が背負う苦しみは想像以上に大きく、長期的な支援を必要とします。外形的なインフラの整備にとどまらず、被災者の心に新たな暮らしの希望が生まれ、かつ次なる災害への備えができてこそ復興が完結する。そうした深い洞察を促す呼び掛けでした。
 それは、憲法の要請に対して現実の災害対策がさまざまな矛盾を抱え、後手後手に回ってきたことの証しであるとも言えます。
 ▼改憲にはやるよりも
 震災対応を巡っては、気掛かりな動きがあります。安倍政権は今の憲法に「緊急事態条項」を盛り込む必要性を唱えています。国の有事や大規模災害時には、首相に権限を集中させ、より迅速な対応が取れるようにすべきだという一見、分かりやすい主張です。
 しかし、災害対策基本法などには既に緊急条項があり、内閣が法律に代わる政令を制定したり、国民の権利を制限したりすることができる仕組みになっています。
 それを憲法で規定することは屋上屋を架すことであり、「有事対応が主眼ではないか」「震災に名を借りた改憲は危うい」といった疑念の声が上がっています。
 被災地で何が起き、何が必要なのか。状況を詳しく把握できるのは現場の自治体首長らであり、国に全権を委ねるとむしろ混乱につながる、との懸念もあります。
 言うまでもなく憲法は為政者の権限を縛るものです。憲法を見直すべきか否か、見直すとすればどこを改めるか。決定権を握っているのは主権者の国民です。でありながら安倍政権は「解釈改憲」による安全保障法制の転換に走り、国内外に不安を広げています。
 日常社会を覆う「格差」や「貧困」の問題も深刻です。そもそも憲法で保障された諸権利がどれだけ広く享受されているのか。改憲にはやるよりも、暮らしの実相を見据え、憲法の理念を生かしていく道を考える-。この視座こそ見失ってはならない、と考えます。
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