2016-08-07(Sun)

被爆71年 原爆の日 核なき世界、命あるうちに 

国は被爆者に真摯に向き合え  核兵器なき世界へ行動を  憲法が守ってくれた オバマ氏の「一歩」を育てたい

<各紙社説・主張>
朝日新聞)被爆71年の日本 核兵器なき世界へ行動を(8/6)
読売新聞)広島原爆忌 オバマ氏の「一歩」を育てたい(8/6)
毎日新聞)原爆の日 被爆地の発信強めよう(8/6)
日本経済新聞)核廃絶へ広島・長崎から発信強めよう(8/6)
産経新聞)原爆の日 日米で世界に尽くしたい(8/6)

東京新聞)原爆忌に考える 憲法が守ってくれた(8/6)
しんぶん赤旗)広島・長崎被爆71年 国は被爆者に真摯に向き合え(8/6)
中国新聞)ヒロシマ71年 核なき世界、命あるうちに(8/6)
中国新聞)「オバマ後」の8・6 地に足が着いた発信を(8/7)
中国新聞)日本被団協60年 運動の重みをどう継承(8/5)




以下引用



朝日新聞 2016年8月6日05時00分
(社説)被爆71年の日本 核兵器なき世界へ行動を


 「広島と長崎が『核戦争の夜明け』ではなく、私たちが道徳的に目覚めることの始まりとして知られるような未来に」
 今年5月27日、現職の米大統領として初めて被爆地・広島を訪れたオバマ氏は、17分間に及んだ演説をこう締めくくった。
 そして広島はきょう、長崎は9日に、被爆71年を迎える。
 オバマ氏の広島訪問は歴史に刻まれる大きな一歩だった。しかし世界には1万5千発を超す核兵器がある。「核兵器のない世界」は依然遠い。
 未来を切り開くのは行動だ。とりわけ、核の惨禍を知る日本への期待は大きい。
 だが被爆地では、日本政府が核兵器をなくそうとする国際潮流をむしろ妨げているのでは、との疑念が強まっている。
 広島でオバマ氏に同行した安倍首相は、核兵器のない世界に向け、「絶え間なく努力を積み重ねていく」と誓った。では何をするのか。具体的なビジョンが問われている。
 ■先制不使用に当惑
 米紙ワシントン・ポストは先月、オバマ政権が核政策の変更を検討している、と報じた。
 注目されるのは「先制不使用」の宣言が対象に挙がっていることだ。他国に核兵器で攻撃されない限り、核を先に使わないと約束する。核保有国では中国とインドが採用している。
 安全保障政策上の核兵器の役割は大幅に縮小する。他の核保有国に対して核軍縮を促す効果も高いとされる。
 米国では民主党の上院議員10人がオバマ氏に先制不使用宣言を呼びかけた。広島、長崎両市長も「核兵器のない世界に向かう重要な一歩となる」と核政策変更を支持する書簡を送った。
 だが日本政府は当惑気味だ。岸田外相は「日米でしっかり意思疎通を図っていくべき課題だ」と述べた。オバマ政権が10年に核政策を見直した際も、日本など同盟国への配慮から、先制不使用は見送られている。
 一方、国連では、非人道的な核兵器を国際法で禁止しようとする動きが加速している。2月からスイスで議論を続けてきた作業部会は今月が最終会期になる。部会の議長がまとめた報告書素案は「大多数の国が来年の交渉開始を支持した」とした。
 この「大多数」に含まれない国の一つが日本だ。作業部会では「現在の安全保障環境では時期尚早」と繰り返してきた。
 被爆国が核軍縮の流れにあらがう。被爆71年の現状だ。
 ■揺るがぬ核依存
 背景にあるのは、米国の核で他国の攻撃を抑止するという、「核の傘」への依存である。
 急速な軍拡を進める中国、核・ミサイル実験を繰り返す北朝鮮に対抗するためにも、核の傘は外せない。先制不使用も核兵器禁止条約も、核の傘の抑止力を損なうもので、賛同しがたいというのが、政府の考え方だ。
 ただ、核抑止論は冷戦時代の遺物だ。日本政府は米国が核を使用する可能性を否定しておらず、核被害を繰り返すことを望まない国民感情とは大きな開きがある。抑止論に立つ限り、他の核保有国も核兵器に頼る考えを変えず、核戦争の危険は永遠になくせない。
 安全保障環境を厳しく見据える必要性はいうまでもない。もっとも専門家の間では、日米を中心にした通常戦力だけで、北朝鮮や中国への抑止は十分機能しているとの見方が強い。
 オバマ氏は広島演説で「恐怖の論理にとらわれず、核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない」と説いた。
 松井一実広島市長はきょう発表する平和宣言でこの部分を引用し、「信頼と対話による安全保障の仕組みづくりに、情熱を持って臨まなければならない」と訴える。
 勇気、情熱。それが最も求められているのが日本政府だろう。核の傘に頼らない安全保障をめざす意思を打ち出し、その目標に向け、米国と協議を進めていくべきだ。
 安倍首相は広島、長崎の平和式典に毎年参列し、被爆者代表との対話の場も持ってきた。
 それでも被爆地では首相への不信感が強い。集団的自衛権の容認、安保法制と、憲法の平和主義を揺るがす政策を矢継ぎ早に進める一方、14年には懸念を示した被爆者を「見解の相違」と突き放すなど、切なる声に耳を傾けようとしないためだ。
 ■被爆地の叫び
 9日に発表される長崎平和宣言には「非核三原則の法制化」の要求が2年ぶりに盛られる。起草委員会で、被爆者の谷口稜曄(すみてる)さん(87)が強く主張した。
 「あの忌まわしい戦争を知らない人たちが憲法を変えようとしている。生き残った被爆者として、生きている限り叫び続けなければいけない」
 被爆地の叫びは、核兵器のない世界をめざす原点である。安倍首相が核廃絶を主導したいというならまず被爆地の声に真摯(しんし)に向き合い、手を携えて進む道を探ることから始めるべきだ。
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読売新聞 2016年08月06日 06時00分
社説:広島原爆忌 オバマ氏の「一歩」を育てたい


 広島は6日、長崎は9日に、それぞれ71回目の原爆忌を迎える。
 非人道的な悲劇を、二度と繰り返してはなるまい。より多くの世界の指導者に被爆の実相を伝え、核軍縮の機運を高めることが大切だ。
 広島市の松井一実市長はきょう発表する平和宣言で、5月にオバマ米大統領が広島を初訪問した際の声明を引用する。「核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない」という一節だ。
 松井氏は、オバマ氏が声明で示した「情熱」を「あの『絶対悪』を許さないというヒロシマの思いが届いた証し」と評価する。
 広島平和記念資料館は、オバマ氏自作の折り鶴4羽が展示された後、入館者が前年同期比で4割も増えた。オバマ氏の歴史的な被爆地訪問は、日本人が原爆と平和を改めて考える機会にもなった。
 オバマ氏の訪問を一回限りのものにしてはならない。今後も、様々な核保有国の首脳らに対し、広島や長崎で原爆の惨禍に直接触れるよう働きかけ続けたい。
 核軍縮交渉が停滞する中、その努力が、核廃絶という究極の目標への長い道程の一歩となろう。
 米国社会でも、原爆投下への評価は着実に変化している。
 「戦争終結を早めた」と正当化する人の比率は、終戦時の85%から昨年は56%にまで減少した。
 今春には米国で、ドキュメンタリー映画「ペーパー・ランタンズ(灯籠流し)」が制作された。米兵捕虜12人が被爆死した事実を発掘した広島在住の森重昭さん(79)と、現地を昨年訪れた米国人遺族らの心の交流を描いた作品だ。
 森さんと遺族が灯籠流しで死者を弔う場面は、平和への思いを静かに訴える。森さんは、オバマ氏と広島で抱き合った被爆者だ。
 年々、風化しがちな被爆体験を継承することも重要である。
 広島市は昨年度、「被爆体験伝承者」による講話事業を始めた。伝承者が被爆者から聞き取った話を、次代の人々に語り続ける。
 平和記念資料館は2018年度から、遺品や日記など、実物中心の展示に切り替える。被爆者の人形や模型ではなく、「実物の力」を最大限生かす狙いだという。
 今年の大宅壮一ノンフィクション賞は、堀川惠子さんの「原爆供養塔」に贈られた。原爆犠牲者の遺骨約7万柱を納めた平和記念公園内の塚と、その塚を長年守り続けた女性の物語だ。
 貴重な被爆体験を正確に記録して、世界へ発信する。日本人が忘れてはならない責務である。
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毎日新聞2016年8月6日 東京朝刊
社説:原爆の日 被爆地の発信強めよう


 広島はきょう、長崎は9日に「原爆の日」を迎える。原爆を投下した米国の現職大統領が初めて被爆地を訪問した節目の年である。広島、長崎からの発信を強め、「核なき世界」の国際世論を形づくる新たな出発点としたい。
 オバマ米大統領は5月、主要国首脳会議(伊勢志摩サミット)出席後に広島入りし「核保有国は核兵器のない世界を追求する勇気を持たなければならない」と演説した。広島平和宣言はこの文言を引用する。「ノーモア・ヒバクシャ」の思いを受け止めたメッセージと評価したからだ。長崎平和宣言も広島訪問の意義に触れ、広島の宣言と同様、各国首脳に被爆地訪問を呼びかける。
 被爆者の願う「核なき世界」への道のりは、被爆の実相を知ることから始まる。世界の政治指導者は、被爆地を訪れてメッセージを発信してほしい。それによって、核廃絶に向かう政治の流れを生み出したい。
 オバマ氏の訪問を歓迎しつつも、原爆使用の責任を認める発言や謝罪の言葉を聞きたかった被爆者もいる。直接面会した日本原水爆被害者団体協議会代表委員の坪井直(すなお)さんは「米国を憎む気持ちはあるが、理性で乗り越えなければ」と話した。
 オバマ氏の訪問を真に意義あるものにするため、被爆地の実情や思いを海外に積極的に発信する努力が一層必要だ。日本政府も外交の場を通じて各国に働きかけてほしい。
 原爆投下から71年がたち、被爆者の平均年齢は80歳を超えた。NHKの昨年の世論調査で、広島、長崎の原爆投下の日付を正しく答えられた人は全国で約3割しかいなかった。被爆体験を継承できるよう被爆2世や原爆を知らない世代と連携した取り組みが急がれる。
 オバマ氏は2009年のプラハ演説で「核兵器のない世界」を掲げたが、米露の関係悪化で核軍縮は停滞し、北朝鮮の核実験は4回を数える。残り任期が短くなる中でオバマ氏は、来月にも核実験全面禁止を求める決議案を国連安全保障理事会に提出する可能性があるという。
 しかし、米国は30年間に1兆ドルを投じて核兵器を更新する予定で、大統領選では共和党候補のトランプ氏は日韓の核武装を認める発言をした。「オバマ後」の核を巡る国際情勢は混迷を深めるかもしれない。
 一方で、非核保有国を中心に核兵器禁止条約制定の動きが出てきた。国連の作業部会に参加している日本は、不参加の核保有国との橋渡し役を務めるべきだ。
 日本は唯一の被爆国である。米国の「核の傘」の下にあるとはいえ、国際世論を核廃絶に近づける努力がこれまで以上に求められる。
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日本経済新聞 2016/8/6付
社説:核廃絶へ広島・長崎から発信強めよう


 広島、長崎に原爆が投下されてから71年目の夏を迎えた。今なお後遺症に苦しむ被爆者がいる一方で、戦争体験のない世代が増えている。唯一の被爆国として惨禍を語り継ぐとともに、オバマ米大統領の5月の広島訪問を受けて、核兵器廃絶に向けた運動を国際的にどう高めていくかが大事だ。
 1945年8月6日に米軍が広島で史上初めて使った原爆は年末までに14万人もの命を奪った。8月9日に長崎に投下された原爆では7万人以上が亡くなった。一瞬で子どもまで犠牲にし、生き残った人を放射線障害などで苦しめる非人道性は比類がない。
 いま広島市の原爆資料館の出口近くには人だかりができている。オバマ大統領が5月27日に訪れた時に手渡した4羽の折り鶴と芳名帳のメッセージが展示されている。「我々は戦争の苦しみを経験しました。共に平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持ちましょう。バラク・オバマ」
 大統領訪問後に資料館の入場者数は昨年比で4割増え、特に外国人の伸びが大きいという。館内で交わされる声には様々な言語が混じっている。近年は広島や長崎を訪れる外国人観光客も増加し、核兵器がもたらす惨禍を世界に知ってもらう好機といえる。
 一方で米国の現職大統領が被爆地を訪れるまで71年の歳月を要した意味も考えざるを得ない。米国内では「原爆使用で戦争終結が早まり、双方の犠牲者が減った」と正当化する声が今なお多い。中国などは「日本は戦争加害者としての歴史もしっかり直視すべきだ」と指摘する。
 国際社会は核軍縮や核不拡散をめざす条約に沿った努力を長い間続けてきた。しかし米ロ英仏中の五大国と非保有国の溝は深く、北朝鮮のように核ミサイル開発を強行する国も現れている。
 「原爆を許すまじ」(作詞・浅田石二、作曲・木下航二)という歌がある。反核運動の代表歌として知られた。
 古里の街が焼かれた悲しみで始まる歌詞は、われらの海、われらの空へと視点が広がりこう結ばれる。「ああ許すまじ原爆を 三度許すまじ原爆を 世界の上に」
 核廃絶への道筋はなお険しい。だがオバマ氏の広島訪問は一つの前進だ。折り鶴に込める平和への願いは人類共通であり、広島と長崎からの発信を強めることこそ日本人が果たすべき使命である。
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産経新聞 2016.8.6 05:02
【主張】原爆の日 日米で世界に尽くしたい


 広島は、被爆から71年となった。
 犠牲者を悼み、惨禍の記憶を継いでいく営みに終わりはない。改めて深く頭(こうべ)を垂れたい。
 今年の原爆の日は、この追悼の思いが、さらに広がるなかで迎えられることになった。オバマ米大統領と安倍晋三首相の訪問は、「8月6日」の意義を広げた。
 かつての交戦国のリーダーがともに献花する姿が示したのは、過去のわだかまりを超えて日米がともに歩もうとする道だった。
 唯一の核兵器使用国と被爆国がなすべきは、核兵器による脅威を減らし、世界の安定に貢献することにほかあるまい。
 それは、理想論や主義主張でなし遂げられるものではない。オバマ氏が核兵器なき世界を訴えた2009年のプラハ演説以降も、脅威は格段に増している。北朝鮮は核とミサイルの開発を続け、核保有国宣言までした。
 北朝鮮に対応するため、米国と韓国は最新鋭の地上配備型迎撃システムである高高度防衛ミサイル(THAAD)を在韓米軍に配備することを決めた。高性能のXバンドレーダーが内陸に及ぶとして中国が反発していたが、押し切った。現実的なリスクの低減を進めていくことこそ、米国が担うべき役割だろう。日本も積極的にアジアの安定に寄与したい。
 米国内では中国などが仕掛ける歴史戦にも惑わされ、日本に対する否定的な世論も根強い。これを抑え、原爆投下の是非という歴史認識の問題があってもなお日米が同盟を再確認した意味は大きい。中国の露骨な覇権への意思にくさびを打ち込むことにもなる。
 国内に目を転じれば、広島は左翼教条的な「反核平和」運動の象徴ともなってきた。それは安保関連法を「戦争法」とする難じかたと通じる。しかし平和は教条では守れない。現実を直視しない姿勢は、一国平和主義という批判も浴びてきた。このような独りよがりは終わりにすべきである。
 また米国には、共和党大統領候補に指名されたトランプ氏のような日米同盟軽視の声があるのも事実だ。自国の十全な防衛があって他国との同盟があるということも改めて確認しておきたい。
 その上で、日米で世界の安定に貢献する道を考えたい。これは、広島、長崎の犠牲者の御霊(みたま)に背くものではない。
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東京新聞 2016年8月6日
【社説】原爆忌に考える 憲法が守ってくれた


 スマホの電源をオフにして被爆地を歩いてみると、忍び寄る怪物たちの姿が見えてきます。「憲法に守られてきた」という被爆者の心の声も身に染みます。
 気の早いツクツクボウシが鳴いていました。猛暑の長崎。式典の準備が進む平和公園を、学生たちがまるで巡礼のような顔つきで、一様にスマホの画面を凝視しながら行き交います。
 これが平和というものですか。多分、いいえ、きっとそうなのでしょう-。
 公園わきに事務所を構える長崎原爆被災者協議会。横山照子さん(75)は一九七二年から、被爆者の相談員を務めています。
 五人姉妹の三番目。原爆投下は、祖父母や姉二人とともに疎開していた島原で知らされた。
 三菱電機に勤務していた父親は、爆心から一・二キロの中学校で勤労学徒の指導中に被爆した。
 母親と一歳四カ月のすぐ下の妹は、四キロ離れた自宅の庭にいた。
 B29の機影を認めた母親は、幼子の上にとっさに身を投げ出した。その直後、突き刺すような閃光(せんこう)と猛烈な爆風に襲われた。
 長崎へ駆け戻ったのが、八月十二日だったのか、十八日だったのか、その日の記憶は定かでない。いずれにしても横山さんも姉たちも、原爆投下直後に被爆地に入った入市被爆者でした。
 物心ついて初めて記憶に刻まれたふるさとの風景は「原子野」で、その印象は「死の街」だった。
 自宅に残った妹は原爆で声を失った。
 入退院を繰り返し、中学に入学したのは十五歳の時だった。通学できたのは一年生の一学期だけ。その後はずっと病院を離れられずに、四十四歳で亡くなった。
 最も元気だった母親が、にわかに胃がんを発症し、首回りが倍になるほど甲状腺を腫らした父親も、肺がんのため相次いでこの世を去った。戦後生まれの末の妹は、小学校に上がるころ、紫斑病に襲われた。自身もしばしば強い貧血に見舞われた。
 原爆を語れば「原爆まみれ」の家族を語ることになる。横山さんはマスメディアにも反発し、言葉を封印し続けた。
◆無駄死ににはしない
 二十四歳、一九六〇年代初めのころでした。市内の商業高校を卒業し、会計事務所で経理事務をしていた横山さんは、同じビルで働く知人に誘われて憲法の集会に参加した。
 横山さんの高校には、週一回「六法」の授業があり、新憲法の前文を暗唱したりした。
 再び戦争をしない、武器を持たない。私たちの生命と暮らしは憲法に守られる-。憲法は心の糧だった。
 その集会で被爆詩人の福田須磨子さんが、毅然(きぜん)と言った。
 「私たちだれもが、平和的、文化的な暮らしを送る権利を持っています。被爆者は憲法の精神で救われなければなりません」
 目からうろこ、言葉がすうっと心の中に落ちてきました。
 昨年の被爆七十年を記念して長崎被災協が編集した証言集「ノーモア ヒバクシャ」に、横山さんは書きました。
 <暗く悲しく寂しい被爆者を再びつくり出さないために、あの日亡くなった人々を無駄死ににさせないために『九条』がある…>
 それでも相談員という聞き役だった横山さんが、自身のこと、家族のことを自ら進んで語るようになったのは、二年ほど前からです。
 背後から静かに忍び寄って来て、この国のかたちを再び変えてしまおうとするものに、強い不安と怒りを覚えているからです。
◆言い尽くされない言葉
 今いちばん語りたいこと、伝えたいことは何でしょうかと、横山さんに聞いてみた。
 「言い尽くされたことですが、“あの日”を繰り返してはならない、です。そのために、自分の目で見て自分の言葉で語り、自分の未来を自分の頭でよく考えていただきたいと-」。共感します。
 七十年でも七十一年目でも、大統領が来ても来なくても、核兵器が永遠に消滅し、被爆者すべての心が救済されるまで、言い尽くされることなどない言葉。
 横山さんは、長崎は、広島は、そして私たちも声を限りに伝え続けていかなければなりません。
 「“この日”を繰り返してはならない」と。
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しんぶん赤旗 2016年8月6日(土)
主張:広島・長崎被爆71年 国は被爆者に真摯に向き合え


 アジア・太平洋戦争末期の1945年8月、アメリカ軍は広島(6日)と長崎(9日)に原子爆弾を投下、まちを壊滅させ数十万人を殺傷しました。それから71年―。被爆者の平均年齢は80歳を超えています。被爆国日本の政治が、被爆者の訴えにどのように向き合うのかが問われています。
被団協60年の重要な歩み
 今年は日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)結成から60年です。病と貧困、差別に苦しめられた被爆者が、被爆から10年以上をへた56年、「もうだまっておれないでてをつないで立ち上がろう」(結成宣言)と決意したのは、原水爆禁止世界大会開催(55年)など国民的な運動に励まされたからでした。被爆者は「自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合った」(結成宣言)のです。
 長年にわたり語り伝えられてきた、筆舌に尽くしがたい被爆体験はいま世界の指導者たちの心をとらえ、勇気ある行動へと突き動かしています。昨年の核不拡散条約(NPT)再検討会議では、条約に加わる8割以上の国が、核兵器は非人道的として、全面廃絶を訴える共同声明を発表しました。
 今年も国連総会が設置した作業部会(ジュネーブ)で、核兵器禁止条約が本格的に議論されるという前進も生まれています。この会議では、参加した日本被団協代表の訴えに、各国政府の代表から称賛の拍手が送られました。被爆者の重要な役割を象徴する出来事でした。対照的なのが日本政府です。会議をボイコットした核保有国の「代弁者」のように核兵器禁止条約の交渉に反対し、批判をうけ孤立しました。被爆国にふさわしい立場への転換が求められます。
 被団協が、核兵器禁止とともに、「自らを救う」ことを掲げたのは、医療保障と生活の安定が、被爆者の切実な要求だからです。被爆者への援護は徐々に拡大・改善されてきましたが、それは被爆者の粘り強い運動があったからです。
 放射線が原因で医療が必要だと、厚生労働相が認めた場合は、全額国の負担で医療が受けられ月14万円余の手当が支給されます(原爆症認定制度)。ところが政府は、原爆被害を過小評価し認定を厳しく抑制してきました。そのため被爆者は2003年から集団訴訟をたたかい、国の制度が被害の実態にあっていないことを明らかにし、認定基準を改善させてきました。
 しかし、認定された被爆者は、いまも被爆者健康手帳所持者の5%未満にすぎません。認定申請を却下された被爆者らは引き続き裁判をたたかい、相次いで認定すべきとの判決を勝ち取っています。国は司法判断に従い、認定制度の抜本的改正に踏み出すべきです。
 被爆者は、国が「ふたたび被爆者をつくらない」との決意のもと、死者も含めた原爆被害への包括的な補償(国家補償)を求めてきました。この願いに応えるときです。
生きているあいだに必ず
 「後世の人びとが生き地獄を体験しないように、生きている間に何としても核兵器のない世界を実現したい」(ヒバクシャ国際署名)「病気に苦しむ被爆者が裁判を起こさなくてもいい制度にしてほしい」。これらの被爆者の訴えに真摯(しんし)に向き合う、被爆国にふさわしい政治を、一刻も早く実現することが強く求められています。
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中国新聞 2016/8/6
社説:ヒロシマ71年 核なき世界、命あるうちに


 「原爆はやがて花火のように無数に打ち上げられ、地球に住むありとあらゆる人間の顔にケロイドができればいい」。自らも顔にケロイドがある広島市生まれの老作家、中山士朗さんは60年前、このような文章をしたためている。常に好奇の目で見られ、職もない。その心中はかくも荒れ果てていたのである。
 当時、作家原民喜の詩碑の前に立った。碑の角は小石を投げつけられて欠け、碑銘の陶板は文字が読み取れぬほどだった。あぜんとして、なぜ人も街も滅びなかったのかと思った―。昨年出版された「関千枝子 中山士朗ヒロシマ往復書簡第1集」の中で回想している。
 歳月を経て、当時の心境を中山さんは同じ被爆者とのやりとりの中で顧みることができた。
 ▽人道上許されぬ
 あの日から71年。同じ家族、同じ教室、同じ職場でも生死を分けた原爆。自分も死ねばよかったという自責の念を持つ人も少なくない。それほど、あらゆる感情を抱えて生きてきた被爆者。だからこそ、広島に降り立ったオバマ米大統領に対し、原爆投下を謝罪するかどうか、といった問いで済ますことができない。
 むろん、あまたの市民が住む都市を警告もなく核攻撃したことは人道上許されざる行為だ。それでも、死者たちに報いるためには私たちとともに何をなすべきか、オバマ氏には問い掛けたい。核超大国の最高指導者が核廃絶への道筋をどのように指し示し、実行に移すつもりなのか、あらためて答えを求める。
 「ヒロシマ演説」には落胆させられる点が多々あった。広島市の松井一実市長は「核兵器なき世界を追求する勇気を持たなければならない」という一節を平和宣言に引用する。その趣旨は理解できるものの、演説に「私が生きているうちにこの目標は達成できないかもしれないが」と注釈が付くのはなぜか。
 「私が生きているうちに」核廃絶ができないのなら、まして平均年齢80歳を超えた被爆者は見届けることなどできない。その悠長な言い回しは落胆するのに十分だが、政治家としての実行力にも疑問符を付けざるを得ないのだ。
 オバマ氏は2009年の「プラハ演説」で「核兵器なき世界」を提唱した。その後は、イランとの核協議を合意に持ち込んだ以外目立った成果がない。
 ▽先制不使用の道
 一方で核戦争の危機は、この世界にくすぶり続けている。ピーク時から大幅に減少したとはいえ、世界には1万5千発を超える核弾頭が存在する。しかも、核保有国は核拡散防止条約(NPT)が定める核軍縮義務をよそに、核戦力の近代化へ向かっているのが現実だ。テロ組織への核物質の流出もあり得る。
 ただ、ここに来て光明が見えてきた。核実験禁止を目指す新たな国連安全保障理事会決議の提案と併せて、核兵器の「先制不使用」の宣言を、オバマ氏が検討していることである。
 米国と同盟国は通常戦力で他国をしのいでいる。仮に通常兵器や生物・化学兵器で攻撃を受けても核兵器で反撃する必要はないし、まして先制使用する選択肢はない。核戦争がエスカレートすれば、交戦国は互いに破滅だ。
 核保有自体を否定しない先制不使用は、直ちに核廃絶を実現するものではあるまい。だが、核兵器への依存を漸減させていくのは間違いない。北朝鮮や中国への抑止力が損なわれるとして日本政府内部では反対論が大勢だというが、原水禁国民会議などは安倍晋三首相に先制不使用への支持を求めた。前向きに、答えるべきである。
 日本もいずれ、米国の「核の傘」に依拠した安全保障政策を転換させる岐路に立つはずだ。「ヒロシマ演説」が日米同盟強化の根拠とみなされるならば、それは被爆地の本意ではない。
 ▽法的枠組み急げ
 核兵器禁止への法的枠組みづくりを目指す国際世論のうねりを直視しよう。昨年11月にはそれを呼び掛ける決議が、国連総会で軍縮を受け持つ委員会で採択された。オーストリアなどが主導し、国連加盟の6割を超す128カ国が賛同したが、日本の棄権には納得がいかない。
 核の非人道性を身をもって知る国として、核保有国と非保有国の「橋渡し役」だけでは物足りない。法的枠組みづくりへ率先して行動すべきだ。
 広島、長崎の2度の惨禍以来、71年にわたって兵器としての核は使われなかった。それは僥倖(ぎょうこう)といってもいいだろう。冷戦時代には米ソなどが絡む一触即発の危機が幾度もあった、反核運動が世界的に盛り上がった1980年代には「ノー・ユーロシマ(欧州を核の戦場にするな)」という言葉が流布したことを顧みれば、今なお背筋が凍り付く。
 この71年は核への恐怖がその使用を押しとどめ、一方で核への幻想を醸成してもきた。そんなパワーゲームの中で、日本の被爆者も、ある時は国連の場で自らのケロイドを見せながら、惨禍を繰り返すなと叫び続けてきたのだ。核時代の人間の闘いも忘れてはなるまい。
 「ヒロシマ演説」の物足りなさはともかく、オバマ氏の広島訪問自体が、原爆投下を正当化してきた米国内の世論を、やがては変えていく役割を果たすと信じる。私たちはそうして核超大国の「地下水脈」から湧き出す、権力者たちの思惑を超えた民意と手を携えたい。
 私たちは、諦めずに核廃絶を求める。「生きていてよかった」「あの時、死なないでよかった」と被爆者が思う、そう遠くない時期を目標に。
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中国新聞 2016/8/7
社説:「オバマ後」の8・6 地に足が着いた発信を


 大統領の折り鶴を一目見たい人が多かったのか。きのう広島市の原爆資料館は押すな押すなの行列ができた。ことしの原爆の日はさまざまな意味で「オバマ色」が強かったといえる。
 確かに5月のオバマ米大統領の訪問で、被爆70年の区切りを過ぎたのにヒロシマへの関心が高まっている。平和記念式典の会場の一隅に身を置き、周辺を歩いてそれを肌で感じた。
 むろん手放しで喜ぶ段階はとうに済んでいる。オバマ演説の本質を見極めて核兵器廃絶へのステップにつなぐべきであり、この1日は被爆地の発信力を強める格好の機会でもあった。
 なのに、総じていえば物足りなさが否めなかった。
 松井一実広島市長の平和宣言はどうか。「絶対悪」が街を焼き尽くしたという表現を用いて原爆の惨禍を強調した。朝鮮半島などアジアの人たちや米軍捕虜の犠牲に触れたのも特筆すべきことだろう。そして核兵器のない世界を追求する勇気を訴えたオバマ氏の言葉を引き、「情熱」を持っての「連帯」を国内外に呼び掛けた意味も重い。
 とはいえ平和宣言は今後のあるべき行動については具体性を欠いた印象もある。5月にオバマ氏と一緒に広島を訪問した安倍晋三首相にはリーダーシップの発揮を期待したものの、どこか歯切れが悪い。何より被爆者が望む核兵器禁止条約に関して「法的枠組みは不可欠」と一般論で言及したようにも映る。日本政府にもっと直接、制定への行動を促してもいいはずだ。
 首相にしても同じだろう。式典あいさつや記者会見などで、核兵器廃絶への実効性ある道筋を示せたとは言い難い。
 昨年は言及せず批判を浴びた非核三原則の堅持のほか、核拡散防止条約(NPT)体制の強化などをうたう一方で、禁止条約に直接触れなかった。「核兵器のない世界を必ず実現する」と広島の地で誓った意気込みはどこに行ったのだろう。
 過去に核保有の検討を口にした稲田朋美防衛相を巡り、「わが国が核兵器を保有することはあり得ず、保有を検討することもあり得ない」と当たり前のことを強調した首相発言の方が会見のニュースになる始末だ。
 「オバマ訪問後」の先行きが見えにくい背景には、被爆国が抱える自己矛盾もあるのは明らかだ。日本政府は究極的な核兵器廃絶を掲げつつも、日米同盟の下で米軍の核抑止力への依存を公言している。被爆地との深い溝でもあり、あいまいにしたままなら誰が何を言っても説得力はどこまであるだろう。
 その点では、湯崎英彦広島県知事が式典あいさつで核抑止力と核抑止論に疑問を投げ掛けたのが目を引く。被爆地として欠かせぬ視点ではないか。
 きのう市内のあちこちで営まれた学校単位の慰霊祭の一つで生徒代表の言葉が耳に残った。核廃絶の道筋を示せていないというオバマ氏訪問への批判は私たちに突きつけられたもろ刃の剣であるのだ、と。「これまで何をしてきたのか、これから何をするべきなのか自分自身に厳しく問い掛ける必要がある」。まさにその通りだろう。
 目の前のオバマ現象は一過性になる恐れがある。被爆72年、73年に向けた地に足が着いた発信の取り組みを、被爆地としてしっかり考えておきたい。
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中国新聞 2016/8/5
社説:日本被団協60年 運動の重みをどう継承
 日本被団協はこの10日に結成からちょうど60年を迎える。


 都道府県ごとの被爆者団体が集まる唯一の全国組織であり、「ふたたび被爆者をつくるな」との合言葉を掲げる。原爆被害への国家補償を求めるとともに海外にも被爆者を派遣し、ヒロシマとナガサキの訴えを伝えてきた。
 その歩みにまず、深い敬意を表したい。ノーベル平和賞の候補として幾度も取り沙汰されるなど国際的な評価が高いのも当然であろう。
 ただ被爆者の平均年齢は、3月末で80・86歳。元気に証言できる人は減り、各地で組織の解散や休止が相次ぐ。足元の被爆地でさえ、活動が弱まりつつあるのは否めない。
 オバマ米大統領の広島訪問で核兵器廃絶への機運が盛り上がる中、被爆者組織の維持がおぼつかない現状は残念でならない。記憶を受け継ぎ、次世代へつなぐ責務を胸に刻みたい。
 かつて被爆者には「空白の10年」と呼ばれる時期があった。連合国軍総司令部(GHQ)のプレスコードで被爆者の苦悩が公にされず、国の援護もほとんどなかった時代である。1954年のビキニ水爆実験で原水爆禁止運動が全国に広がったのを機にその2年後、設立されたのが日本被団協である。
 いわれなき差別と偏見や、後障害とみられる体調不良…。そうした実情を国内外に伝えてきた。さらに国会への請願などを通じて被爆者援護施策の拡充につなげた役割は極めて重い。
 もう一つの大きな功績は、核兵器廃絶を求める国際的な流れを後押ししてきたことだろう。「こんな思いをほかの誰にもさせてはならぬ」と病を押して国内外で訴える被爆者の姿は世界中の人の心を動かしてきた。キューバ危機やベトナム戦争などで危ぶまれた核兵器の使用が、食い止められたのは被爆者が先頭に立ったおかげと言っても決して過言ではなかろう。
 ただこれからが気掛かりだ。共同通信のアンケートによると日本被団協に参加する全国の被爆者団体のうち「会員数が最盛期の半数以下」と答えた団体が6割に上る。高齢化が理由であるのは言うまでもない。
 確かに被爆地のある中国地方でもことしに入って尾道市因島、府中市、浜田市の被爆者団体が相次ぎ解散している。「高齢や病気で動ける人がほとんどいない」「あと何年活動できるか」。そんな懸念が聞かれる。一方で活動存続へ踏ん張る地域もあるのは心強い。
 60年かかって確かなものになった反核・平和の流れを、手を打たないまま先細りさせてはなるまい。被爆者の思いを受け止め、運動を次世代に引き継ぐ仕組みがもっと要る。
 被爆2世や活動に賛同するボランティアも会員になれるよう規約を変えた団体もある。退職時期に入る2世らがどこまで関われるかが鍵かもしれない。
 核兵器廃絶の道のりはまだ遠い。ことし日本被団協の提唱で核兵器禁止条約へ賛同する新たな国際署名活動が始まった。さらに活動の原点だったビキニ水爆実験の被曝(ひばく)者や、原爆以外の一般戦災の救済など広い連携が求められる課題もある。
 被爆者の力だけで実現できるはずもない。私たちも積極的に活動に協力したい。
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