2017-05-03(Wed)

憲法70年 5・3記念日(1) 先人刻んだ立憲を次代へ 

性急な改憲許されない 9条の持つリアリズム 危機の時こそ役割が増す 世代超えて紡ぐ理想こそ


<各紙社説・主張>
朝日新聞)憲法70年 先人刻んだ立憲を次代へ(5/3)
朝日新聞)憲法70年 この歴史への自負を失うまい(5/3)
読売新聞)憲法施行70年 自公維で3年後の改正目指せ(5/3)
毎日新聞)施行から70年の日本国憲法 前を向いて理念を生かす
日本経済新聞)身近なところから憲法を考えよう (5/3)

産経新聞)北朝鮮をめぐる情勢は、日本にとって戦後最大の危機となりつつある 日本国民を守る視点を欠く憲法は一日も早く正そう (5/3)
東京新聞)憲法70年に考える 9条の持つリアリズム(5/3)
しんぶん赤旗)憲法施行70年  安倍政権の執念と矛盾見据え(5/3)
北海道新聞)憲法施行70年 危機の時こそ役割が増す(5/3)
河北新報)憲法施行70年/「平和」に込められた思いは(5/3)

信濃毎日新聞)変わる自衛隊 9条が空文化する懸念(5/3)
京都新聞)憲法施行70年  性急な改憲許されない(5/3)
神戸新聞)憲法施行70年/流れにのみ込まれる危うさ(5/3)
中国新聞)憲法施行70年 改正「機は熟した」のか(5/3)
西日本新聞)憲法施行70年 世代超えて紡ぐ理想こそ(5/3)




以下引用



朝日新聞 2017年5月3日05時00分
(社説)憲法70年 先人刻んだ立憲次代


 時代劇で江戸の長屋に住む八っつぁん熊さんが万歳三唱をしたら、脚本家は落第である。
 あれは日本古来の振る舞いではないと、NHK大河ドラマなどの時代考証を手がける大森洋平さんが著書で書いている。1889年、明治憲法の発布を祝うために大学教授らが作り出した。ちゃぶ台も洗濯板も、明治になって登場した。
 動作や品物だけではない。
 西欧の思想や文化に出会った当時の知識人は、その内容を人々に伝えようと苦心し、新しく単語をつくったり、旧来の言葉に意味を加えたりした。いまでは、それらなくして世の中は成り立たないと言ってもいい。
 ■消えた「個人」
 個人、もその賜物(たまもの)の一つだ。
 「すべて国民は、個人として尊重される」。日本国憲法第13条は、そう定めている。
 根底に流れるのは、憲法は一人ひとりの人権を守るために国家権力を縛るものである、という近代立憲主義の考えだ。
 英文では〈as individuals(個人として)〉となっている。翻訳家の柴田元幸さんはここに、固有の権利を持つ人間というニュアンスを感じたという。もし〈as humans(人間として)〉だったら「単に動物ではないと言っているだけに聞こえます」。
 ひとり、一身ノ身持、独一個人(どくいつこじん)と〈individual〉の訳語に試行錯誤した福沢諭吉らがこの話を聞いたら、ひざを打ったに違いない。『文明論之概略』で福沢は、日本の歴史には「独一個人の気象」がないと嘆いた。
 個人の尊厳をふまえ、幸福を追い求める権利をうたいあげた13条の文言には、洋の東西を超えた先人たちの思いと労苦が息づいている。
 ところが自民党は、5年前に公表した憲法改正草案で「個人」を「人」にしてしまった。
 安倍首相は昨年、言い換えに「さしたる意味はない」と国会で答弁した。しかし草案作りに携わった礒崎陽輔参院議員は、自身のホームページで、13条は「個人主義を助長してきた嫌いがある」と書いている。
 ■和の精神と同調圧力
 「個人という異様な思想」「個人という思想が家族観を破壊した」。首相を強く支持する一部の保守層から聞こえてくるのは、こんな声だ。
 一方で、草案の前文には「和を尊び」という一節が加えられた。「和の精神は、聖徳太子以来の我が国の徳性である」と草案のQ&Aは説明する。
 角突き合わさず、みんな仲良く。うまくことを進めるうえで「和」はたしかに役に立つ。
 しかし、何が歴史や文化、伝統に根ざした「我が国」らしさなのかは、万歳三唱やちゃぶ台の例を持ち出すまでもなく、それぞれの人の立場や時間の幅の取り方で変わる。
 国内に争乱の記録はいくらもあるし、かつて琉球王国として別の歴史を歩んだ沖縄は、ここで一顧だにされていない。
 一見もっともな価値を掲げ、それを都合よく解釈し、社会の多様な姿や動きを封じてしまう危うさは、道徳の教科書でパン屋が和菓子屋に変わった一件を思いおこせば十分だ。検定意見の根拠は「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着をもつ」と定めた学習指導要領だった。
 ただでさえ同調圧力の強いこの社会で、和の精神は、するりと「強制と排除の論理」に入れ替わりうる。
 ■近代的憲法観の転覆
 「個人」を削り、「和」の尊重を書きこむ。そこに表れているのは、改憲草案に流れる憲法観――憲法は歴史や伝統などの国柄を織り込むべきもので、国家権力を縛るものという考えはもう古い――である。
 だから、人は生まれながらにして権利を持つという天賦人権説を西欧由来のものとして排除し、憲法を、国家と国民がともに守るべき共通ルールという位置づけに変えようとする。
 これは憲法観の転覆にほかならない。経験知を尊重する保守の立場とは相いれない、急進・破壊の考えと言っていい。
 明治憲法を起草した伊藤博文は、憲法を創設する精神について、第一に「君権(天皇の権限)を制限」し、第二に「臣民の権利を保護する」ことにあると力説した。むろん、その権利は一定の範囲内でしか認められないなどの限界はあった。
 だが、時代の制約の中に身を置きながら、立憲の何たるかを考えた伊藤の目に、今の政権担当者の憲法観はどう映るか。
 明治になって生まれたり意味が定着したりした言葉は、「個人」だけではない。「権利」も「自由」もそうだった。
 70年前の日本国憲法の施行で改めて命が吹き込まれたこれらの概念と、立憲主義の思想をより豊かなものにして、次の世代に受け渡す。いまを生きる私たちが背負う重大な使命である。
     ◇
 「憲法」を考える社説をシリーズで随時掲載します。
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朝日新聞 2017年5月3日05時00分
(社説)憲法70年 この歴史への自負を失うまい


 1947年5月3日、『新しい憲法 明るい生活』と題する小冊子が発行された。政府肝煎りの憲法普及会が作り、2千万部を全国の家庭に配った。
 後の首相、芦田均による発刊の言葉が高らかだ。「古い日本は影をひそめて、新しい日本が誕生した」。本文は、新時代を生きる国民に「頭の切りかえ」を求めている。
 施行から70年。憲法は国民の間に定着したかに見える。それでは為政者の頭はしっかり切りかわったか。残念ながら、答えは否である。
 先月行われた施行記念式典で、安倍首相は70年の歩みへの「静かな誇り」を語った。憲法の「普遍的価値」を心に刻む、とも述べた。
 額面通りには受け取れない。首相自身の言葉の数々が、その本音を雄弁に語る。
 「今こそ、憲法改正を含め、戦後体制の鎖を断ち切らなければなりません」
 あるいはまた、自民党の選挙スローガン「日本を、取り戻す。」について、「これは戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す戦いであります」。
 静かに誇るどころか、戦後の「新しい日本」を否定するような志向が浮かぶ。一時は沈静化したかに見えた「押しつけ憲法」論が、色濃く影を落とす。
 そのような安倍政権の下で、憲法は今、深く傷つけられている。かつてない危機にあると言わざるをえない。
 集団的自衛権は9条を変えない限り行使できない――。この長年堅持されてきた憲法解釈を覆した決定に、「立憲主義の破壊」との批判がやまないのは当然だろう。
 念入りに葬られたはずの教育勅語。その復権を黙認するかのような最近の動向も同様である。戦前の亡霊が、これだけの歳月をもってしても封じ込められていないことに暗然とする。
 安倍政権に欠けているのは、歴代内閣が営々と積み重ねてきた施政に対する謙虚さであり、さらに言えば、憲法そのものへの敬意ではないか。「憲法改正を国民に1回味わってもらう」という「お試し改憲」論に、憲法を粗略に扱う体質が極まっている。
 国民主権、人権尊重、平和主義という現憲法の基本原理が役割を果たしたからこそ、日本は平和と繁栄を達成できた。ともかくも自由な社会を築いてきた。その歴史に対する自負を失うべきではない。
 現憲法のどこに具体的で差し迫った不具合があるのか。改憲を語るなら、そこから地道に積み上げるのが本筋だ。
 目下の憲法の危機の根底には、戦後日本の歩みを否定する思想がある。特異な歴史観には到底同調できないし、それに基づく危険な改憲への道は阻まなければならない。
 『新しい憲法 明るい生活』は言う。「政府も、役人も、私たちによってかえることができる」。そして、「これからは政治の責任はすべて私たちみんながおう」とも。
 70年前の言葉が、今まさに新鮮に響く。
     ◇
 オピニオン面(12面)にも「憲法70年」の社説を掲載しています。
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読売新聞 2017年05月03日 06時00分
社説:憲法施行70年 自公維で3年後の改正目指せ


 ◆「本丸」に着手するなら戦略的に◆
 憲法はきょう、施行から70周年を迎える。
 国民主権、平和主義、基本的人権を3原則とする憲法は、国民に広く支持され、定着した。
 一方で、一度も改正されていないため、内外の情勢が大きく変化する中で、様々な歪みや乖離が生じているのは確かである。
 安倍政権の安全保障関連法制定は、現憲法の枠内で齟齬を是正する一つの試みだった。だが、日本を取り巻く国際情勢の悪化を踏まえれば、十分とは言えまい。
 ◆幅広い合意形成が重要
 国の最高法規を、新たな時代の多様な課題にきちんと対応できる内容に着実に見直す。与野党には、その重要な作業に誠実かつ真摯に取り組む責任がある。
 安倍首相は読売新聞とのインタビューで、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と語り、20年までの憲法改正・施行の実現に向けて意欲を示した。
 憲法改正に前向きな勢力は、衆参両院で改正発議に必要な3分の2を超えているのに、肝心の両院憲法審査会での論議は停滞気味と言わざるを得ない。首相自らが、あえて改正の目標年を明示して、議論の活性化を図ったことは評価できよう。
 首相は、具体的な改正項目として、9条を挙げ、「私の世代で自衛隊が違憲だと言われる状況を変えねばならない」と強調した。
 戦争放棄などを規定した現行の1、2項は維持し、自衛隊の根拠規定を追加する案にも言及した。自民党総裁として、党の具体案作りを急がせるという。
 自衛隊は軍隊や戦力でないため憲法に反しない。今の政府解釈は確かに、極めて分かりづらい。多くの憲法学者が自衛隊を「違憲」と決めつける異常な状況を早期に解消すべきだ、という首相の問題意識は理解できる。
 最近、北朝鮮は核・ミサイル開発に伴う軍事的挑発を繰り返し、中国は独善的な海洋進出や軍備増強を続ける。自衛隊を憲法に明確に位置づける必要性は大きい。
 ◆教育無償化は慎重に
 9条改正でこの点を前面に掲げるのは、「加憲」を主張する公明党や、改正に慎重な民進党に配慮し、より多くの党の賛成で改正の発議を目指すためだろう。
 国民投票で過半数の賛成が必要という改正のハードルの高さを踏まえれば、幅広い合意形成を優先するのは当然だ。仮に最初の国民投票で改正が失敗すれば、その後、改正は何年も遠のくだろう。
 首相は13年に改正要件を緩和する96条の改正を唱えた際、「先行改憲」などと批判され、96条改正論を封印した経緯もある。
 9条は憲法改正の本丸だ。国論を二分しかねない、重いテーマでもある。自民党は、衆参両院の憲法審査会の議論を踏まえ、民進党とも丁寧に意見交換し、戦略的に取り組まねばならない。
 首相は、教育の無償化を実現するための改正にも前向きな考えを示した。「高等教育も全ての国民に真に開かれたものとしなければならない」と語った。
 教育無償化を憲法改正の3本柱の一つに掲げる日本維新の会との連携を強化する狙いがあろう。
 しかし、無償化の対象を、義務教育の小中学校だけでなく、幼稚園・保育園から高校、大学にまで広げる場合、年間4兆円超の財源を要するとされる。国債発行で賄うような安易な「次世代へのつけ回し」は禁物だ。
 親の所得制限を伴う給付型奨学金の拡大といった代替案を含め、慎重な検討が求められよう。
 大規模災害時における緊急事態条項の創設も重要な論点だ。
 国政選が実施できないような被害が出た場合、国会議員の任期延長を可能にしておく。こうした特例措置には、与野党を問わず、支持する意見が多い。
 ◆緊急事態条項の検討を
 より効果的な被災者の救助・支援のため、首相権限を一時的に強化する規定も、多くの国の憲法が備えている。「災害大国」の危機管理策を真剣に検討すべきだ。
 地方の人口減少が続く中、参院選の合区の是非についても、本格的に議論する必要がある。
 地方では、「我々の声が国政に届きにくくなる」との危機感が強い。合区の解消には、参院議員に地域代表の性格を持たせ、全都道府県から最低1人を選出する仕組みの導入が一案とされる。
 衆参両院の役割分担を含めた根本的な議論が欠かせない。現在は、参院各会派の代表が参院選挙制度改革を協議しているが、有識者を交えた議論の場を新設することも考えてはどうか。
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毎日新聞2017年5月3日 東京朝刊
社説:施行から70年の日本国憲法 前を向いて理念を生かす


 全20巻に及ぶ昭和万葉集は、戦前から戦後への激動期を、人びとがどんな感覚でくぐり抜けてきたかを伝える貴重な記録集だ。
 1947年5月3日に施行された新憲法はこう詠まれている。
 <やけあとのつちもめぶきてあをみたりほこなき国をはるふかみつつ>(金田一京助)
 「ほこなき国」とは「武器を持たない国」を指す。焦土に残った木々の緑が深まる中で平和憲法が誕生した情景を歌ったのだろう。
 それから70年。日本国憲法はきょう古希を迎えた。
民主主義の裾野広げる
 現行憲法の源流は、敗戦直前に日本が受諾したポツダム宣言にある。
 「基本的人権の尊重」「平和的傾向の責任ある政府の樹立」などの要求がそれだ。明治憲法は抜本的な改革が避けられなくなっていた。
 日本政府は独自に改憲試案を作成したものの、旧憲法の修正にとどまっていた。このため、連合国軍総司令部(GHQ)民政局のスタッフ25人が原案を書き、実行を迫った。
 このように現行憲法がGHQという圧倒的権力の下で制定されたことは疑いようがない。
 それでも私たちは、戦後日本の建設にこの憲法が果たしてきた役割を高く評価すべきだと考える。
 理由の第一は、民主主義の裾野を格段に広げたことだ。
 国家を支配する最高の力、すなわち主権が、天皇から国民に移った。憲法による最大の変化だ。
 言論の自由や生存権は、永久に侵せない基本的人権として保障された。法の下の平等原則によって男女同権が社会規範になった。憲法施行に先立ち、46年4月の衆院選からは婦人参政権が実現している。
 第二は、廃虚から経済を復興させる礎になったことである。
 民主化政策に伴う国民所得の平均化は国内の市場規模を拡大させた。55年時点で8・6兆円に過ぎなかった名目国内総生産は、72年に早くも10倍以上に膨張している。国民生活は明らかに豊かになった。
 さらに特筆すべきは、平和国家としての自己像を定着させたことだ。
 時々の国際情勢に応じて日本の安全保障政策はさまざまな圧力にさらされたが、憲法9条は一線を越えないよう引き戻す力になってきた。
混じり合わない水と油
 防衛力の整備を最小限に抑え、国家資源を経済に優先投入する路線は、憲法制定時の首相・吉田茂によって敷かれた。
 国際政治学者の高坂正尭(こうさかまさたか)は「完全非武装論と憲法改正論の両方からの攻撃に耐え、論理的にはあいまいな立場を断固として貫いた」と吉田の現実主義を肯定的に評している。
 この憲法は誕生してから一度も改正されていない。世界の近代憲法の中で極めて珍しいことだ。
 しかし、そのことは憲法をめぐる政治状況が健全であることを意味しているわけではない。
 まず、基本的な憲法観についての深い断絶がある。
 自民党は、自主憲法の制定を主眼に結成された。その思想の根底には、意に沿わぬ憲法を無理に保有させられたという屈辱感がある。
 そして現在、この「押しつけ憲法」論を最も濃厚に引き継いでいるのが、安倍晋三首相だ。
 他方で復古的な保守への反作用として、憲法には一切手を触れさせまいとする原理主義的な護憲勢力があった。戦前の軍国主義に対する嫌悪感が出発点になっている。
 この両者は永遠に混じり合わない水と油のように反目し、憲法に対する冷静な議論を妨げてきた。
 憲法を全否定する姿勢も、憲法を神聖視するのも、極論である。
 特に隔たりが著しいのは、9条と日米安全保障条約のとらえ方だ。
 戦争放棄と戦力不保持を規定した9条は、戦後体制の産物だ。これに対し、安保条約は東西冷戦という新たな国際環境が産み落とした。
 両者は日本の安保政策にとって表裏一体の関係にある。ところが、異なる時代背景を持っているため、運用にあたっては著しく複雑な論理を必要としてきた。
 この結果、9条は解釈変更が繰り返され、集団的自衛権行使を容認した安保関連法の審議過程では、国論を二分する論争に発展した。
 さらに現行憲法の構造的な特質として、法律に対するグリップ力の弱さを指摘しなければならない。
 典型は92条だろう。地方公共団体に関して「地方自治の本旨に基づいて、法律でこれを定める」と規定しているだけで、具体的な内容は法律に任されている。
 もしも「地方自治の本旨」とは何かが踏み込んで定義されていれば、米軍普天間飛行場の移設をめぐる政府と沖縄県の対立は異なる展開になっていたかもしれない。
 ケネス・盛・マッケルウェイン東京大准教授の研究によると、ドイツ基本法(憲法)は地方分権の記述が3割を占めるのに対し、日本の憲法は全体の3%に過ぎないという。
 憲法は国家の根本原則を定めたものだ。どこまでが憲法領域で、どこまでが法律領域かは、国によって異なる。ただ、統治の基本ルールを憲法に明示していなければ政府の恣意(しい)的な行動を招く可能性がある。
国際主義を深化させる
 安倍政権の長期化が見込まれる中で、憲法論議はまったく新しいステージに上りつつある。すでに衆参両院で改憲を容認する勢力が3分の2以上を占め、自民党は改憲項目の絞り込みを目指している。
 衆参の憲法審査会では、大災害の発生など緊急事態時に国会議員の任期延長を例外的に認める条項や、地方の人口減少に対応して参院議員を都道府県の代表に定義し直す案などが、検討対象に挙がっている。
 時代の変化に合わせた統治ルールの修正はあってもいい。
 だが、自民党の改憲論には「手始めに」の狙いがついて回る。任期延長などを導入部として本丸の9条改正に迫る思惑が透けて見えるため、議論が堂々巡りになってしまう。
 結局は、主要な与野党間で9条についての共通理解が必要になる。
 まずは憲法論議をより前向きなものにしていくために、国際協調主義の深化を訴えたい。
 自国エゴに基づく防衛論を主張したり、逆に日本だけ軍事と無縁であればいいと考えたりせず、国際平和を追求する中で9条の今日的なあり方をとらえ直すことだ。
 南スーダンの国連平和維持活動(PKO)から陸上自衛隊が撤収すれば、部隊での日本のPKO参加はゼロになる。
 21世紀に入り、PKOは武力を使ってでも住民保護を優先する流れが強まっている。9条の平和主義を維持しながら、日本がどう世界の安全に貢献するかは、苦しくても答えを出さなければならない課題だ。
 海洋国家・日本の生命線は、世界との平和的なつながりである。現行憲法の役割を、グローバルに発展させることで、後ろ向きの「押しつけ論」から脱却できるはずだ。
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日本経済新聞 2017/5/3付
社説:身近なところから憲法を考えよう


 ひとになぞらえれば、いよいよ古希である。いまの憲法が施行されて70年を迎えた。あちこちガタが来てもおかしくない。だから、大事にいたわるのか、それとも手術に踏み切るのか。思案のしどころだが、その前によく考えておきたいことがある。憲法は何のためにあるのだろうか。
 いにしえの中国の説話のひとつに「鼓腹撃壌」というのがある。皇帝が自分はどう評価されているのかが知りたくて、お忍びで街歩きに出る。すると、老人が「皇帝なんぞ自分とは関係ない」と歌っていた、というものだ。
70年前になかった課題
 為政者の姿を感じさせないのがよい政治というわけだ。鼓腹撃壌とは腹や地面をたたきながら歌い踊るさまを指す。小渕恵三元首相は「国民が鼓腹撃壌でいることが理想」とよく話していた。
 確かに知っている閣僚の名前を挙げよ、といわれて、すぐに思い出すのは誰か。ばりばり活躍している現職でなく、震災の被災者をないがしろにする発言をした前復興相だったりする。記憶に残る為政者ができがよいとは限らない。
 憲法も世論調査で「大事か」と聞かれれば「そう思う」と答える人が大半だろう。だが、日ごろ憲法の存在をさほど意識せずにいる国民の方が多いはずだ。憲法が日々気がかりな社会と、あまり気にならない社会のどちらが暮らしやすいかはいうまでもない。
 70年前の国民はどう受け止めたのだろうか。施行当時、さまざまな解説書が配られた。憲法普及会の『新しい憲法 明るい生活』という冊子は2000万部も印刷されたそうだ。国会議事堂の隣の憲政記念館で開催中の70年記念展示でみることができる。
 題名からわかるように、憲法を難しいものと捉えず、日常生活に則して考えようという内容だ。いまの私たちも同じ視点で見ていったらどうだろうか。
 1年半ほど前、最高裁がこんな判決を出した。女性は離婚後、半年は再婚できないとしていた民法の規定は「過剰な制約」であり、100日を超える部分は違憲と判断した。離婚後に出産した子の父が誰かを科学的に調べることが容易になったことが背景にある。
 同じ頃、渋谷区が同性カップルに結婚に相当する証明の発行を始めた。憲法は「婚姻は両性の合意のみに基づいて成立」と規定し、政府は同性婚を認めていない。同性婚は合憲か違憲か。70年前には議論にもならなかった。
 最高裁が初めて出した違憲判決は刑法の尊属殺人の過重罰規定である。2件目はさほど有名ではない。薬局は互いに近すぎてはいけないという薬事法の規定は違憲であるというものだ。
 経済活動がもたらす弊害を防ぐという目的で設けられた法律や規制はよくあるが、このケースでは最高裁は憲法が保障する職業選択の自由を重くみた。
 それでは、民泊はどうか。配車アプリを使って、マイカーをタクシーのように使うのはどうか。酒の安売り制限はどうなのか。目立つ訴訟にはなっていないが、似たような課題はいまも身近にある。わたしたちは気づいていないだけで、かなり日常的に憲法と触れ合っているのだ。
形式よりも中身が大切
 安倍晋三首相はおととい、改憲派の国会議員らが催す集会に、現職首相として初めて出席した。あいさつでは「理想の憲法の具体的な姿を自信を持って国民に示すときだ」と語り、改憲に本格的に踏み出す意向を鮮明にした。
 となれば、護憲派も身構えようし、憲法を巡り世の中が騒然となる事態も考えられる。暮らしやすい社会をつくるためのルールであるはずの憲法のせいで、社会がぎすぎすしては本末転倒だ。
 立憲君主制の元祖である英国には憲法がない。こう説明すると、多くの人に驚かれる。
 英国は王の権力を少しずつ制限してきた。国民は基本的人権や立法権を獲得し、行政権と司法権の分離がなされた。ひとつにまとめた憲法典はないが、過去の勅令や法律を総称して憲法と呼ぶ。英国民は自国が最古の立憲国家であることを誇りに思っている。
 要するに、形式よりも中身だ。国民が憲法を軽んじれば何が起きるか。明治憲法は大正デモクラシーを育んだが、政党が政争の具にしたことで軍部独裁を生んだ。憲法の書きぶりは大切だが、それを日々の暮らしにどう生かしていくのかは、より大切である。
 護憲か改憲かだけが憲法論議ではない。まずは身近なところから憲法が果たす役割を考えたい。
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産経新聞 2017.5.3 05:02
【主張】北朝鮮をめぐる情勢は、日本にとって戦後最大の危機となりつつある 日本国民を守る視点を欠く憲法は一日も早く正そう 


 北朝鮮をめぐる情勢は、日本にとって戦後最大の危機となりつつある。そのさなかに、現憲法は施行70年を迎えた。
 核・弾道ミサイル戦力の強化に突き進む北朝鮮の脅威を前にして、明白になったことがある。それは、憲法9条と前文が、日本の平和を保つ上で役立たないという現実である。
 憲法改正の「一丁目一番地」は9条を改め、日本が世界の他の民主主義国と同様に、国民を守る「軍」を整えることである。同時に、他者を信頼、依存して自国の防衛という責務を回避する前文も見直す必要がある。
 ≪首相は核心に着手せよ≫
 さもなければ、厳しさを増す安全保障環境の下、自衛隊と日米同盟に基づく米軍の抑止力を維持、充実させることはできない。
 安倍晋三首相は1日の「新憲法制定議員同盟」の大会に出席し、「理想の憲法の姿を自信を持って国民に示すとき」だと語った。
 首相は「国防軍」保持の憲法改正草案を有する自民党の総裁でもある。国会の憲法審査会への出席を含め、9条や前文を正す必要性を積極的に説いてほしい。
 9条は戦力の保持や交戦権を認めていない。前文は「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」して国民の「安全と生存を保持しようと決意した」と宣言する。
 護憲派は「9条こそが平和と独立を守ってきた」という。ならば、その考え方に立つ政党や政治家、有識者らは北朝鮮の独裁者に説いたらよい。「核とミサイルを放棄して、9条を採用せよ」ということをである。
 北朝鮮は対日核攻撃の恫喝(どうかつ)を繰り返している。危険な国の指導者に9条の効能を説いても無意味だ。実はそれが分かっているから、できないのではないか。
 米軍普天間飛行場の辺野古移設をめぐっては、反対派の抗議活動が今も続いている。だが、日本全体を見渡せばどうか。9条をよりどころにし、自衛隊や米軍の行動に反対する「平和運動」はごく小規模になってきた。
 反戦反米団体の「ベトナムに平和を!市民連合(ベ平連)」などが活発だったベトナム戦争の頃とは、隔世の感がある。
 9条や前文は、極端な「戦後平和主義」をもたらしてきた。安全保障環境の悪化に伴い、これでは日本の平和と安全を保つことはできないことを、国民は実感しだしている。
 だからこそ、安保関連法制をめぐる論戦の後も、安倍政権は強い基盤を維持している。
 トランプ米政権は軍事力の行使を含む「全ての選択肢」を持つと宣言した。そこには、軍事力を外交圧力の支えとする、国際政治の冷厳な現実が反映されている。
 海上自衛隊のヘリ空母型護衛艦「いずも」が米補給艦を守る任務に就いた。強固な日米同盟の姿を示し、北朝鮮に核戦力の放棄を促す一環といえる。
 この「米艦防護」は、昨年3月に施行された安保関連法で活動の根拠がつくられた。在韓邦人を退避させる問題も、同法で初めて集団的自衛権を用いて、米艦船と連携できるようになった。
 ≪法制では足りない≫
 民主党(現民進党)や共産党、一部の市民団体は、現憲法は集団的自衛権を認めていないとして安保関連法制定に強く反対した。政府がそれに屈していれば日本は今頃、立ち往生していただろう。
 9条や前文は、日本が現実的な観点から安全保障を議論することを妨げてきた。それは、国民を守る努力の足を引っ張ってきたのと同じ意味だ。
 加えて強調しておきたいのは、現憲法の枠内の安保関連法だけでは、国民の安全を十分に確保できないという点である。
 北朝鮮国内に捕らわれている日本人拉致被害者について、仮に居場所が分かっても、憲法が「海外での武力行使」を禁ずるため自衛隊は救出作戦をとれない。
 憲法に由来する「専守防衛」の重視ではもはや日本を守れない。わずか10分たらずで北朝鮮から弾道ミサイルが飛来する時代になった今でも、限定的な敵基地攻撃能力さえ保有せずにいる。
 日本学術会議にとって、自衛隊の装備充実など眼中になく、軍事科学研究を拒む声明を出した。北朝鮮危機を眼前にして、この状況である。国民を守る視点を欠く憲法は一日も早く正すべきだ。
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東京新聞 2017年5月3日
【社説】憲法70年に考える 9条の持つリアリズム


 日本国憲法が施行されて七十年。記念すべき年ですが、政権は憲法改正を公言しています。真の狙いは九条で、戦争をする国にすることかもしれません。
 七十年前の一九四七年五月三日、東京新聞(現在の中日新聞東京本社)に憲法担当大臣だった金森徳次郎は書いています。
 <今後の政治は天から降って来る政治ではなく国民が自分の考えで組(み)立ててゆく政治である。国民が愚かであれば愚かな政治ができ、わがままならわがままな政治ができるのであって、国民はいわば種まきをする立場にあるのであるから、悪い種をまいて収穫のときに驚くようなことがあってはならない>
◆「平和の一路に進む」
 金森は名古屋市出身で、旧制愛知一中(現旭丘高)、東京帝大法卒。大蔵省を経て法制局長官になっています。戦後、貴族院議員になり、第一次吉田茂内閣で国務大臣をつとめました。帝国議会ではこんな答弁もしています。憲法九条についてです。
 <名実ともに平和の一路に進む態度を示しましたことは、画期的な日本の努力であると思う(中略)衆に先んじて一大勇気を奮って模範を示す趣旨である>
 九条一項の戦争放棄は二八年のパリ不戦条約の眼目でした。だから、九条の驚きは、むしろ二項で定めた戦力を持たないことと交戦権の否認です。前述の金森の答弁はこれを「画期的」だと述べているのです。
 日本国憲法の第一章の「天皇」に次いで第二章が「戦争の放棄」ですから、この憲法の中核のアイデンティティーであることが外形的にもうかがわれます。多くの条文を九条が根底から支えているとも言われています。
 しかし、新憲法に対しては、当時から不満の声が一部にありました。とくに旧体制の中枢部にいた人たちからです。
◆法の枠が崩れていく
 天皇に政治的な権力がないことを嘆いていたのです。だから「山吹憲法」とか「避雷針憲法」とか軽蔑的な呼び方をしました。山吹とは室町時代の武将・太田道灌の「実の一つだになきぞかなしき」の故事になぞらえています。避雷針は雷が天皇に落ちないように避ける手段だと読んだのです。
 もちろん「押しつけ憲法」という声もいまだにあります。でも、新憲法案が七十年前、帝国議会の衆議院でも貴族院でも圧倒的な大多数で可決されていることを忘れてはなりません。衆議院では賛成四百二十一票、反対八票、これが議会での現実だったのです。
 九条も悲惨な戦争を体験した国民には希望でした。戦争はもうこりごり、うんざりだったのです。かつて自民党の大物議員は「戦争を知る世代が中心である限り日本は安全だ。戦争を知らない世代が中核になったときは怖い」と言っています。今がそのときではないでしょうか。
 集団的自衛権の行使容認を閣議で決めたときは、憲法学者らから法学的なクーデターだという声が上がりました。九条の枠から逸脱しているからです。安全保障法制もつくりましたが、これで専守防衛の枠組みも崩れました。でも、改憲派がもくろむ九条を変えて、戦争をする国にすることだけは阻止せねばなりません。
 何しろ今年は日中戦争から八十年の年にもあたります。勃発時には参謀本部内では戦争の不拡大を主張する意見もありましたが、主戦論にのみ込まれ、それから八年もの泥沼の戦争に陥りました。相手国は百年たっても忘れない恨みであることでしょう。
 それなのに一部は反省どころか、ますます中国と北朝鮮の脅威論をあおり立てます。同時に日米同盟がより強調され、抑止力増強がはやし立てられます。抑止力を持ち出せば、果てしない軍拡路線に向かうことになるでしょう。
 実は九条が戦後ずっと軍拡路線を防いでいたことは間違いありません。それも崩せば国民生活が犠牲になることでしょう。
 戦後、首相にもなったジャーナリストの石橋湛山には、こんな予言があります。
◆軍拡なら国を滅ぼす
 <わが国の独立と安全を守るために、軍備の拡張という国力を消耗するような考えでいったら、国防を全うすることができないばかりでなく、国を滅ぼす>
 これが九条のリアリズムです。「そういう政治家には政治を託せない」と湛山は断言します。九条の根本にあるのは国際協調主義です。不朽の原理です。
 国民は種まきをします。だから「悪い種をまいて収穫のときに驚くようなことがあってはならない」-。金森憲法大臣の金言の一つです。愚かな政治を招かないよう憲法七十年の今、再び九条の価値を確かめたいものです。
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しんぶん赤旗 2017年5月3日(水)
主張:憲法施行70年  安倍政権の執念と矛盾見据え


 日本国憲法が、1946年11月3日に公布、半年後の翌47年5月3日に施行されてから、70年を迎えました。70年の長きにわたって憲法が維持されてきたこと自体、国民に支持され、定着してきたことを証明するものです。占領下の「押し付け」を言い立て、改憲を公言する安倍晋三政権のもと、秘密保護法や安保法制=戦争法の制定、「共謀罪」導入など解釈改憲の策動が相次ぎ、9条など憲法の条文そのものも変えてしまう明文改憲までかつてない動きを見せています。改憲の執念とともに矛盾を見据え、70年を経た憲法を守り生かしていくことが重要です。
歴史が裏付けた値打ち
 施行70年を記念して、東京・竹橋の国立公文書館や永田町の憲政記念館で記念の展示が行われています。その一つ、公文書館に展示された日本国憲法の原本は、強い力で迫ってくるものがあります。
 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し…政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し…この憲法を確定する」(前文の冒頭)
 国民主権、平和主義と戦争放棄、基本的人権の尊重などは、日本国憲法の大切な原則です。
 アメリカの法学者はかつて、世界の成文化された憲法を比較して、「世界でいま主流になった人権の上位19項目までをすべて満たす」と述べたことがあります(「朝日」2012年5月3日付)。日本の憲法は、手付かずに生き続けてきたその「長さ」だけでなく、「信教の自由」や「女性の権利」など、人権保障の「先進ぶり」でも抜きんでているというのがその指摘です。
 日本国憲法は、アジア・太平洋戦争での敗戦からわずか1年余りで制定、公布されました。安倍首相や改憲勢力は占領下の「押し付け」を言い立てますが、戦争による日本全土の荒廃が目の前にあり、二度と戦争の惨禍は繰り返さないという国民的な決意が背景となって制定され、70年にわたって憲法を支えてきたのは明白です。
 「昭和二十二年(一九四七年)五月三日―それは私たち日本国民が永久に忘れてはならない新日本の誕生日である」(憲法普及会『新しい憲法 明るい生活』)
 「こんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。その一つは…戦争をするためのものは、いっさいもたないということ(中略)もう一つは…けっして戦争によって…じぶんのいいぶんをとおそうとしないということ」(文部省『あたらしい憲法のはなし』)
 公布や施行に前後して、政府や国会から大量に発行された憲法の解説にも、新憲法に対する国民の高揚感が示されています。
守り生かす国民の意思
 安倍首相のように、憲法を「押し付け」と非難し、明文であれ、解釈であれ、「壊憲」の策動を繰り返すことが、こうした出発点に反しているのは明らかです。安倍首相が「任期中の改憲」を公言しても、改憲派でさえまとまらず、国会での改憲案づくりが前進しないのも、国民の意思に根本的に反しているからです。
 改憲の執念は軽視しない。しかし矛盾も大きいことを直視し、憲法を守り生かしていきましょう。
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北海道新聞 05/03 08:50
社説:憲法施行70年 危機の時こそ役割が増す


 日本国憲法が1947年に施行され、きょうで70年を迎えた。日本の民主主義は、この憲法で初めて国の仕組みとして定められた。
 施行の翌月、ある小説の連載が始まった。「青い山脈」だ。作者の石坂洋次郎は「これから日本国民が築き上げていかねばならない民主的な生活の在り方を描いてみようと思った」と述べている。
 戦争を支えた封建的な価値観を脱ぎ捨て、人間らしさを求める若者たち。人々は共鳴し、映画にもなった。「古い上衣(うわぎ)よさようなら」と告げる主題歌には、こうした思いがこもっているのだろう。
■戦後をないがしろに
 国民はその後も、憲法がうたう民主主義を社会に定着させるため努力を続けてきた。だが近年、戦後の歩みをないがしろにする政治の動きが強まっている。
 2013年、特定秘密保護法が成立した。戦前の政府が国民に情報を隠した「軍機保護法」と本質的に似ている。
 2年後の15年には安全保障法制が成立。それまで違憲とされてきた集団的自衛権の行使を認めた。
 さらに2年後が今年だ。「共謀罪」の構成要件を変更してテロ等準備罪を新設する組織犯罪処罰法改正案が国会に提出されている。
 適用団体には「テロリズム集団その他の組織的犯罪集団」と曖昧な部分が含まれ、拡大解釈の余地を残している。市民の日常が監視され、政府に批判的な市民運動を萎縮させる懸念がぬぐえない。
 戦前の「治安維持法」が、戦争に反対する思想を弾圧した歴史と重なる面がある。
 安倍晋三政権が重要政策として推進したこの三つは一連のものと言えるだろう。国民に情報を伝えず、戦争へのハードルを下げ、批判的な運動を威圧する。
 「古い上衣よこんにちは」である。憲法と民主主義の精神から離れる政治を、いま強く懸念する。
■米軍と一体化は危険
 朝鮮半島情勢が近年になく緊張する中、憲法の平和主義がますます重要となっている。
 北朝鮮は自ら核開発をしながら「挑発には先制核攻撃で応じる」と脅しをかける。トランプ米政権は「大規模な衝突の可能性」に言及、武力行使をちらつかせる。
 こうした中、安倍首相は米政権に親密に寄り添っている。
 自衛隊と米軍の一体化が進む。日本の護衛艦や戦闘機が、北朝鮮に向かう米空母と共同訓練をした。安保法に基づく米艦防護という新任務に護衛艦が派遣された。
 先日の全国世論調査では、トランプ政権の北朝鮮への対応を支持する声が53%と、不支持の38%を上回った。北朝鮮の横暴を抑え、国民の生命を守ってほしい、といった思いがあるのだろう。
 だが待ってほしい。米国の軍事行動に付き従えば、日本は本当に安全になるのか。逆に危険にさらすことになりはしないか。
 米軍が突然シリアにミサイルを撃ち込んだように、トランプ政権には予測不能な側面がある。
 いま米国が朝鮮半島で行動を急いでいるのは、北朝鮮が首都ワシントンまで届く核ミサイルの開発を進めているからだろう。
 現時点では、北朝鮮のミサイルは米本土に届かない。米朝間で武力紛争が起きたとき、戦場になるという点でより大きなリスクを負うのは韓国と日本だ。
 北朝鮮は、ソウルを狙い多数のロケット砲などを配備している。だから韓国大統領選の有力候補はそろって、北朝鮮を暴発させないため米国に自制を求めている。
 日本も中距離弾道ミサイルの射程内だ。米軍との一体化を強めれば、紛争に巻き込まれ攻撃を受ける危険がさらに強まるだろう。
 政府は双方に冷静な対応を求め、対話による解決を主導するべきだ。
 歯止めとしての憲法の役割をきちんと認識することが、国民の命と安全を守る有効な手段となる。
■国民主権と相いれぬ
 敗戦を機に否定された教育勅語に対して、歴代政権に比べ安倍政権は寛容なようだ。
 政府は「教育の唯一の根本とする指導は不適切」としつつも、「憲法や教育基本法に反しない形で教材として用いることまでは否定されない」と閣議決定した。
 教育勅語には親孝行などの徳目もあるが、その核心は「危急の事態が起きたら一身をささげて皇室国家のために尽くせ」と軍国教育を支えた部分にある。個人の尊重や国民主権と相いれない。
 きょうは朝日新聞阪神支局の襲撃事件から30年でもある。記者が男に撃たれ死亡した。真相は明らかになっていないが、ヘイトスピーチなど異論を排除する空気と同根であるのは間違いない。
 多様な意見が健全な民主主義をかたちづくる。憲法記念日にその原点をかみしめたい。
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河北新報 2017年05月03日水曜日
社説:憲法施行70年/「平和」に込められた思いは


 大きな功績を残しながら、歴史に埋もれた人物は少なくない。新たな目で掘り起こされ、光が当たるのはしばしば時代の転換期である。
 日本国憲法9条に「平和」の文言を入れたという元司法大臣鈴木義男(1894~1963年)=白河市出身=も、そうした一人であろう。
 今からさかのぼること71年前。敗戦直後、日本社会党から出て衆院議員に初当選した鈴木は、帝国憲法改正案を議論する衆院特別委員会の小委員会のメンバーになった。
 論議の末、鈴木の提案を基に、GHQ(連合国軍総司令部)案にもなかった一節が追加修正された。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」という9条1項の冒頭部分である。
 古関彰一独協大名誉教授が、憲法制定過程を調べる中で発掘した。近著『日本国憲法の誕生 増補改訂版』で、「戦争」の担い手が国家であるのに対して、「平和」は個々の国民の権利になった、と修正を高く評価している。
 「高き理想を掲げて(戦争を)撤廃する」(回顧録)という鈴木の熱情が吹き込まれた憲法は、施行から70年の節目を迎えた。ここにきて取り巻く環境は激変している。
 改憲勢力が衆参両院で発議に必要な3分の2の議席を占める中、両院の憲法審査会で論議が行われるなど、改憲の「体温」が徐々に高まってきているようにも映る。
 けん引役は安倍晋三首相だ。憲法施行70年を踏まえて「理想の憲法の具体的姿を国民に示す時だ」と訴えた。ただ、その中身についてはだんまりを決め込んでいる。
 首相が脱却を唱えた「戦後レジーム」は、憲法と表裏一体の関係にある。リセットをもくろむならば、象徴である9条を変えたいはず。緊急事態条項などは入り口にすぎない。9条改正への道筋を付けるため、超長期政権を思い描いているのは明らかだ。
 「今ほど鈴木が脚光を浴びているときはない。改憲への危機感が広まっていることの表れではないか」。鈴木が東北学院の中等部に在籍した縁で足跡を研究してきた仁昌寺正一・同大教授はこう語る。
 鈴木は戦前、東北帝国大学の教授を務めていたが、軍事教育を巡って軍部と対立、職を辞して弁護士に。その時に治安維持法違反事件の被告の弁護を引き受けている。
 仁昌寺氏は「戦争、人権抑圧の時代を経験したからこそ、何物にも拘束されず自由に生きられる『平和』の意味を深く考え、9条に組み入れたと思う」と真意を読み解く。
 時あたかも「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案が国会で審議中。思想弾圧に利用された治安維持法になぞらえる批判もあり、仁昌寺氏は「戦前と似てきたのでは」と危惧する。
 鈴木が追い求めた理想の「平和」とは何か。憲法記念日に思い巡らしてみたい。
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信濃毎日新聞 (2017年5月3日)
社説:変わる自衛隊 9条が空文化する懸念


 施行から70年の憲法記念日を迎えた。安倍晋三首相による安全保障政策の転換で自衛隊の活動が様変わりする中での節目である。
 稲田朋美防衛相は安保関連法に基づき、自衛隊が平時から米国の艦艇などを守る「武器等防護」を命じた。安保法の新任務が行われたのは初めてだ。海自のヘリコプター搭載型護衛艦が警戒監視などをしながら、米補給艦と太平洋を航行した。
 自衛隊と米軍の一体化が加速している。憲法9条が空文化してしまわないか。目を凝らさなくてはならない。
   <進む軍事の一体化>
 武器等防護は弾薬や艦船を守る任務だ。安保法で「日本の防衛に資する活動」をする他国軍も対象に加わった。状況に応じて必要とされる限度内で武器を使える。
 護衛艦は1日に神奈川県の海自横須賀基地を出港し、房総半島沖で米艦に合流した。北朝鮮へのけん制に加え、安保法の実績作りが狙いだったのだろう。
 先月下旬には護衛艦2隻が米原子力空母カール・ビンソンと共同訓練も行っている。
 安保法は集団的自衛権の行使容認をはじめ、合憲性に疑問符が付いたままだ。にもかかわらず、米軍との協力を地球規模に広げた新たな日米防衛協力指針(ガイドライン)と合わせ、政府は運用を本格化させている。
 今国会では、自衛隊と米軍との間で水や食料、輸送や修理などの役務を融通し合う物品役務相互提供協定(ACSA)の改定も承認された。弾薬の提供など米軍への後方支援を拡大する。自衛隊の変質に懸念が募る。
   <米国追従の危うさ>
 トランプ米政権は軍事面で前のめりの姿勢を見せている。北朝鮮には軍事力行使を含め「あらゆる選択肢」を排除しないとする。空母を派遣したほか、大陸間弾道ミサイルの発射実験も行った。
 ペンス副大統領は先月、安倍首相との会談で「平和は力によってもたらされる」と発言した。
 首相はこうしたトランプ政権の方針に支持を表明している。
 北朝鮮の核・ミサイル開発は座視できない。だからといって、米軍と共に「力」を誇示することが問題解決につながるのか。対立がエスカレートする事態を招かないか。疑問は多い。
 米国への無批判な姿勢は北朝鮮問題に限らない。シリアへのミサイル攻撃についても、アサド政権が化学兵器を使ったという根拠がはっきりしないまま、米国への支持を表明していた。
 これでは、仮に米国から自衛隊の派遣を迫られた場合、日本政府が独自の判断を下せるとはとても思えない。言われるまま自衛隊を出すことにならないか。海外での活動を拡大した安保法の危うさが改めて浮かび上がる。
 9条の下、戦後日本は「専守防衛」を基本としてきた。自衛隊は日本が直接攻撃されたときに初めて武力を行使する、その場合も自衛のための必要最小限度にとどめる、装備も同様に最小限度とするといった考え方だ。
 政府は今も専守防衛を維持しているとするものの、従来の抑制的な政策とは全く異なる。
 集団的自衛権の行使を容認したことで、米国など他国への攻撃でも日本の存立が脅かされる事態と政府が判断すれば、武力行使できるようになった。
 世界の軍事費をまとめ、発表しているスウェーデンのストックホルム国際平和研究所によると、日本は2016年に前年と同じ8位だった。既に世界有数の「軍事大国」である。安倍政権はさらに毎年、防衛予算を増やしている。
 自民党は他国のミサイル発射拠点をたたく「敵基地攻撃能力」を持つことも提言した。
   <国際平和を希求し>
 高村正彦・自民党副総裁は先ごろラジオ番組で、戦力不保持を定めた9条2項を改め、自衛隊の存在を憲法に明確に位置付けるべきだと主張した。「文言通りに読めば自衛隊は違憲と言わざるを得ない」と述べている。
 憲法と整合させる努力をするのではなく、現実に合わせて改憲しようという逆さまの発想だ。米軍との一体化が進むほど、こうした声が幅を利かす恐れがある。自衛隊の活動をなし崩しに広げるわけにはいかない。
 「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」
 9条は単に戦争を放棄するだけでなく、武力によらない平和への決意を宣言している。
 紛争の平和的な解決に向けた外交努力、貧困を改善するための援助、難民への人道支援…。世界のためになすべきことはたくさんある。平和憲法を持つ国にふさわしい道を探りたい。
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[京都新聞 2017年05月03日掲載]
社説:憲法施行70年  性急な改憲許されない


 日本国憲法はきょう、施行70年を迎えた。戦後の日本は、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という憲法の三大原則の下で、復興と経済成長を成し遂げ、新しい国をつくってきた。
 「戦後レジームからの脱却」を掲げる安倍晋三首相は在任中の憲法改正を目指しており、憲法施行70周年の記念式典でも「新しい時代の理想の姿を描くことが求められている」と強い意欲を示した。
 国会では、改憲に賛同する勢力が衆参両院ともに3分の2を超えて、改憲が現実味を帯びる。昨秋の臨時国会からは、憲法審査会も再開した。これまでに「参政権の保障」「国と地方の在り方」をテーマに議論や参考人質疑を行い、次は「新しい人権」の予定だ。
 審査会は、党派を超えて憲法に向き合う「熟議」の理想を掲げて出発したはずだが、自民党には、大規模災害時に国会議員の任期延長を認める緊急事態条項の新設や教育の無償化規定など、改憲項目を絞り込んで発議を狙う「前のめり」の姿勢が明らかだ。
 しかし、施行70年を経ても、国民のため直ちに改憲が迫られる政治状況にあるとはいえまい。自民は「復古的」と批判のある党改憲草案を事実上棚上げし、連合国による「押しつけ憲法論」の主張も抑制して改憲の実現を最優先にしているが、それではますます必要性があるかどうかという出発点があいまいになってしまう。
 世論との乖離(かいり)もみられる。
 共同通信の世論調査で、改憲を「必要」「どちらかといえば必要」とする人は60%、「どちらか」を含めて「必要ない」は37%で、容認派が増えているが、具体的な改憲項目で緊急事態条項や教育無償化をあげる人は少ない。
 国民の関心が高いのは「9条と自衛隊」だ。改正の賛否は拮抗(きっこう)しているが、自衛隊の存在を認め、国際活動へは歯止めをかけることを重視する意見が多い。さらに、日本が戦後武力行使しなかったのは「9条があったから」とする回答は75%に上り、平和主義が国民に広く浸透し、高く評価されている。こうした国民の意識に、正面から向き合う必要があろう。
 ただし、安倍政権での改憲については反対が51%で、賛成の45%を上回っている。安倍政権は、違憲の疑いがある安全保障関連法を成立させるなど強引な手法が目立つ。国民の懸念を真摯(しんし)に受け止めるべきだ。憲法論議は国民が広く関心を持って深める必要がある。性急さは許されない。
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神戸新聞 2017/05/03
社説:憲法施行70年/流れにのみ込まれる危うさ


 70年前のきょう、日本国憲法が施行された。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を基本原理とする憲法の下で「戦後日本」の歩みが始まった。
 人間でいえば古希。しかし、憲法は今も「現役」である。昨今の政治情勢が、憲法の掲げる理念と存在意義に改めて光を当てたといえるだろう。
 一方、国会では改憲勢力が数の上で護憲派を圧倒し、改正への地ならしが進む。危ういのは、その流れに私たちがのみ込まれてしまうことだ。
      ◇
 昨年11月、衆参両院で憲法審査会の議論が再開された。参院は約9カ月ぶり、衆院は約1年5カ月ぶりだ。これほど長く休眠状態にあったのは、政府、与党にとって不都合な事情が生じたからにほかならない。
 一昨年6月、衆院の審査会で憲法学者3人の参考人質疑が行われた。その際、自民党の推薦者を含む全員が当時審議中の安全保障関連法案を「違憲」と断定したのである。
 予想外の展開に自民党は浮足立つ。国民の批判も強まり、議論を進めることは得策ではないと判断したのだった。
加速する改正論議
 再開されたのは昨年夏の参院選で与党が大勝したからだ。自民、公明に維新などを加えれば衆参両院で3分の2を超え、国会発議の条件が整った。在任中の改憲を悲願とする安倍晋三首相は「いよいよ機は熟してきた。この節目の年に歴史的一歩を踏み出す」と意欲を示す。
 それを受けて政府、与党は流れを取り戻そうとする。本丸は「戦争の放棄」や「戦力の不保持」を定めた9条の改正だが、国民の反発が予想される。そこで抵抗感の少ないテーマを「入り口」に、と知恵を絞る。
 その一つが「緊急事態条項」の議論である。大災害などの際に政府が国民の権利を制限するなど超法規的な措置を取る定めで、今の憲法には規定がない。「対応を協議する余裕のない場合はどうするのか」という主張に賛同する声も聞かれる。
 だが22年前の阪神・淡路大震災で、国の対応は迅速とも柔軟ともいえなかった。むしろ「権限を委ねてほしい」という兵庫県などの要請をはねつけた。
 現場から遠い東京の強権発動に道を開く議論に、被災地の自治体や住民は首をかしげる。
 震災の6年後、当時の笹山幸俊市長は神戸で開かれた衆院憲法調査会地方公聴会でこう訴えた。「大規模な災害には、現場に身近な市町村長が直接災害に対応する仕組みが必要だ」
 同じことを東日本大震災で被災した自治体の首長らも指摘している。必要なのは改憲でなく、災害対策基本法などを最大限活用した救援や復興計画の拡充だ。国は後方支援に徹するべきとの考え方が大勢といえる。
 災害法制に詳しい兵庫県弁護士会の永井幸寿弁護士は政府、与党の対応を「災害を改憲のだしにしている」と批判する。
 今のところ、そうしたもくろみは成功していない。「教育の無償化」や1票の格差是正を理由にした「参院合区解消」についても、共同通信の世論調査では、制度の見直しや法律の整備で対応すべきとする回答が多数を占める。自民党が掲げる「家族の助け合い」義務の明記には8割が反対している。
 ただ、憲法を巡る国民の意識は揺れている。改憲を「必要」とする人が世論調査で6割を占めた。「条文や内容が時代に合わなくなっている」という理由が大半で、回答者のほぼ半数が「9条と自衛隊」を議論すべき項目に挙げている。
 政府が強調する「安全保障環境の変化」への懸念を多くの人が抱く。北朝鮮の核・ミサイル開発などで緊張が高まり、国際情勢が民意に影を落とす。
味わうための努力
 だが一方で4分の3が9条を「戦後、日本が海外で武力行使しなかった理由」と評価している。求められるのは国民の思いを尊重した丁寧な議論である。
 忘れてはならないのは、9割を超える人が「憲法によって自らの人権が守られている」と実感していることだ。憲法は「不磨の大典」ではないが、70年を経てその理念は私たちの意識に着実に根を下ろしている。
 逆に安倍政権での改憲には51%が反対している。政府、与党は憲法解釈を百八十度変更し、集団的自衛権の行使容認に踏み切った。採決の強行など、数の力で異論を封じる姿勢に対する国民の警戒心がにじむ。
 70年前のきょう、神戸新聞は1面に「民主日本の輝く門出」の見出しを掲げた。コラム「正平調」はこんな川柳で締めくくっている。〈香りより味(あじわ)へ新茶のいれ加減〉
 新しい憲法の施行をただありがたがるのでなく、自分たちのものとして生かすことを考えようという呼び掛けだった。
 もはや「新茶」とは呼べなくても憲法の香りは衰えない。必要なのは新しい茶葉に取り換えることでなく、時代に合った味わい方と入れ加減で風味を引き出す、不断の努力ではないか。
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中国新聞 2017/5/3
社説:憲法施行70年 改正「機は熟した」のか


 日本国憲法の施行から、きょうで70年となる。国民主権、基本的人権の尊重、平和主義という三大原則は戦後民主主義の土台となった。節目の日に、あらためて憲法の役割、とりわけ戦争放棄や戦力の不保持を定めた9条について考えたい。
 というのも最近、安全保障を巡る環境が大きく変化してきているからだ。おとといは安全保障関連法で自衛隊に加わった新たな任務が初めて実施された。海上自衛隊のヘリコプター搭載型護衛艦いずもが米海軍の補給艦を守る「米艦防護」である。
 ▽進む日米一体化
 北朝鮮を巡って緊張感が高まっている今なら、国民に理解してもらいやすいと考えて踏み切ったのか。しかし専門家からも憲法違反との指摘があった安保関連法に基づき、自衛隊と米軍との一体感が強まることで、逆に戦火に巻き込まれてしまう恐れを感じた人も多かろう。情報公開が不十分なことも心配だ。
 政府は昨年11月、南スーダンの国連平和維持活動(PKO)に参加する陸上自衛隊に安保関連法に基づく「駆け付け警護」の新任務を付与した。現地情勢などから不安視する声もあったが、押し切った。米艦防護も含め、実績作りを急ごうとする思惑が感じられる。
 ▽なし崩しに不安
 米艦防護の必要性や隊員のリスクをどう評価したかなど、議論の過程は明らかにされていない。国会での検証もないまま、なし崩し的に運用が本格化するのは問題だ。
 憲法について、安倍晋三首相は改正に前のめりな姿勢を崩さない。おととい改憲推進を訴える超党派議連の会合で「この節目の年に必ずや歴史的一歩を踏み出す。いよいよ機は熟した」と述べた。数頼みの強引な手法で事を進めないか懸念される。
 自民党など改憲勢力は昨年7月の参院選で、衆院に続いて3分の2以上の議席を得た。憲法改正に必要な発議ができる態勢は既に整っている。昨年秋には、衆院で1年5カ月ぶり、参院では9カ月ぶりに憲法審査会が再開された。緊急事態条項や全ての教育の無償化、衆院解散権の制限、環境権、国と地方の在り方など論点がそろいつつある。
 ただ、どれも本当に憲法を変えないと実現できないか。法律の制定や改正で十分でないか。そこから議論すべきだろう。
 仮に改正について議論するとしても、何が足りないのか。どんな点を改めなければいけないのか。はっきり示した上で、多くの国民の理解や賛同を得ることが欠かせない。
 自民党は野党時代の2012年、改憲草案を発表している。「そのまま憲法審に提案するつもりはない」と安倍首相は説明しているが、当然だろう。基本的人権の尊重に制限を設けるなど現憲法に比べ後退が目立つような内容では、国民の理解は到底得られまい。棚上げではなく、撤回が筋ではないか。
 ▽揺らぐ立憲主義
 そもそも、自民党内で改憲を必要としてきたのは「集団的自衛権」を行使するためだった。政府がずっと、憲法が禁じているとの判断を示していたからだ。今回の米艦防護のようなケースも、政府は従来、憲法解釈で可能な個別的自衛権の行使などで反撃できるとしてきた。それを安倍政権が14年、連立与党の公明党などの抵抗を押し切って政府見解を変更し、憲法を変えないまま集団的自衛権の行使に道を開いた。
 さらに一昨年、数の力で安保関連法を成立させた。憲法によって権力を縛る「立憲主義」が揺らいではいないか、危惧されている。憲法の問題を考える際に忘れてはならないだろう。
 共同通信の最近の世論調査では、9条改正の賛否は拮抗(きっこう)していたが、戦後、海外で武力行使しなかったのは「憲法9条があったからだ」が75%に上った。9条の重みが浸透している証しと言えるだろう。その重しを完全に取り払って米軍との一体化を進めるのか、きちんと歯止めをかけるのか。数の力で改正を急ぐのは許されまい。国や地域の在るべき姿を見据えた十分な議論こそ求められる。
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西日本新聞 2017年05月03日 10時41分
社説:憲法施行70年 世代超えて紡ぐ理想こそ


 グローバリズム(地球主義)の後退と、ナショナリズム(国家主義)の再来-。歴史の歯車は逆回転しつつあるのか。国際社会が新たな試練に直面しています。
 英国の欧州連合(EU)離脱、米国第一を掲げるトランプ政権の誕生、極右政党の台頭で揺れるフランス大統領選…。欧米諸国の混迷ぶりに象徴されます。
 日本国憲法の施行から今日で70年。わが国も変容の波にのまれていないか。「国のかたち」を改めて見つめ直したい、と思います。
 ●前文を読み返して
 絶え間ない戦火、国境をさまよう難民や移民、拡散するテロ…。国際社会が恐怖の連鎖にさらされる中で、私たちが読み返したい一文があります。憲法の前文です。
 不戦の決意と国民主権を宣した前文は、さらにこう続きます。
 「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」
 「いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる」
 「日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」
 前文はとかく「古めかしい」「時代遅れ」とみられがちですが、国際協調を希求する理念そのものに異論の余地はありません。むしろ今の時代に照らすと、2度の大戦の教訓が包含された憲法の普遍性と先進性がくっきりとします。
 ●安保法の実体は…
 日本近海で今、多数の米軍艦船が展開し、自衛隊との共同訓練などを続けています。政府は安全保障関連法に基づく初の「米艦防護」任務を自衛隊に命じました。北朝鮮の脅威や中国の軍事大国化などを念頭に、日米連携を確認・強化する取り組みは重要です。
 ただし、安保法の本質は何か、目を凝らす必要があります。集団的自衛権の行使を容認し、自衛隊の活動領域を拡大したことは安保政策の大転換にほかなりません。米軍と自衛隊の一体化が進む先に何が待ち受けているか。
 安倍晋三政権下では、武器輸出の緩和、他国軍への支援を含む「開発協力大綱」の策定、防衛費の拡大なども進んでいます。これらを含め総体としてみると、日本の平和主義や国際貢献の形は変質していないか。安倍首相が唱える「積極的平和主義」には懐疑の目も向けられています。
 戦後70年余を経て、日本を取り巻く情勢が変化したことは事実です。国民が憲法に関心を持ち、その在り方を考える機運が広がっていることは歓迎します。「9条」に限らず、災害対応、教育、選挙制度、国と地方の関係など、論点は多岐に及んでいます。
 気掛かりなのは、永田町で「改憲ありき」の議論が先行し、改憲自体が目的化している印象が否めないことです。日本の諸問題が憲法の条文の過不足に起因するのか、今の政治が憲法の精神をおろそかにしているのか。私たちは実相を見極め、将来世代への負担や恩恵、諸外国との互恵関係などにも目を向けなければなりません。
 憲法はあくまで国家権力を縛るものであり、為政者の独善や権限強化を意図した改憲が許されないことは論をまちません。
 ●終わりのない営み
 「憲法というものは、私たちが世代を超えて作り上げていく、未完のプロジェクトである」
 戦前生まれの憲法学者で、一昨年、85歳で亡くなった奥平康弘さんが繰り返した言葉です。
 憲法は、あれば済むというものではない。歴史の教訓から生み出された理想を世代間で受け継ぎ、未来への想像力を働かせながら紡いでいく-そんな終わりのない営みである、という視座です。
 崇高な法規範があっても、それを生かし続けることは容易ではありません。時代とともに国内外の情勢が揺れ動く中で、国家の理想がいつしか見失われ、人権が脅かされてゆく-。そうした歴史の轍(てつ)にいかにあらがうか。
 憲法70年の歩みは尊く、かつ私たちに試練を課しています。メディアの役割も含め、日本の針路を真摯(しんし)に見据えたいと考えます。
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