2017-06-26(Mon)

6・23沖縄慰霊の日 (2) 「不戦の誓い」を刻みたい

「痛み」を共有しているか 本土も痛みを共有したい 「基地のない島」程遠く 

<各紙社説・主張・論説>
信濃毎日新聞)沖縄慰霊の日 犠牲強いる本土の無関心(6/23)
京都新聞)沖縄慰霊の日  県民の犠牲学んでこそ(6/23)
神戸新聞)沖縄慰霊の日/対話重ね理解を深めたい(6/24)
中国新聞)沖縄慰霊の日 痛み、受け止めているか(6/23)
西日本新聞)沖縄慰霊の日 大田元知事が残した問い(6/23)

山陰中央新報)沖縄慰霊の日/非戦を柱に外交・安保を(6/24)
山陽新聞)沖縄慰霊の日  「不戦の誓い」を刻みたい(6/24)
徳島新聞)沖縄慰霊の日 本土も痛みを共有したい (6/23)
熊本日日新聞)沖縄慰霊の日 「痛み」を共有しているか(6/25)
南日本新聞) [沖縄慰霊の日] 「基地のない島」程遠く(6/24)




以下引用



信濃毎日新聞(2017年6月23日)
社説:沖縄慰霊の日 犠牲強いる本土の無関心


 敗戦から72年。一日たりとも忘れることができないのは、いくつもの地獄を集めたかのような沖縄戦の生々しい体験である―。
 12日に亡くなった元沖縄県知事の大田昌秀さんは、最後の編著書「沖縄 鉄血勤皇隊」の冒頭に記した。当時、師範学校本科の2年生。学徒兵として戦場に駆り出され、学友たちの無残な死を目の当たりにした。
 〈私の生は、多くの学友の血で購(あがな)われた〉。戦火を生き延びた意味を問い、そう思い至ったと大田さんは書いている。
 きょう、沖縄は「慰霊の日」を迎えた。沖縄戦で組織的な戦闘が終わったとされる日である。
 沖縄は本土防衛のための「捨て石」だった。住民を巻き込んだ地上戦は3カ月近く続き、犠牲になった県民は12万人余に上る。
 敗走する兵士と逃げ惑う住民がひしめく極限状況下、日本兵の暴虐な行為が相次いだ。銃を突きつけて住民を壕(ごう)から追い出す、スパイの疑いをかけて処刑する…。
 「軍は民間人を守らない」。沖縄戦で心に刻んだ教訓だと、大田さんは生前、繰り返し語った。
 米軍基地の撤去を時に語気強く訴え、知事時代には用地使用の代理署名を拒んで政府に毅然(きぜん)と対峙(たいじ)した。体験に裏打ちされた痛切な思いがあったからこそだろう。
 沖縄が過重な負担を強いられる現実は、なお変わっていない。国土の1%に満たない島々に在日米軍基地の7割が集中する。米軍機の墜落事故や、軍関係者による犯罪も絶えない。
 普天間飛行場の移設先として名護市辺野古では新たな基地建設が進む。東村高江では集落を囲んでヘリ離着陸帯が造られ、新型輸送機オスプレイが飛び交う。政府が言う「負担軽減」は名ばかりだ。抗議する人たちを強制排除して工事は強行されている。
 米軍基地だけではない。自衛隊施設は、1972年の復帰時の4倍に面積が広がった。先島諸島の与那国島には昨年、沿岸監視隊が置かれている。宮古島、石垣島にもミサイル部隊などを配備する新たな基地計画がある。
 〈沖縄県民は、「日本の防衛のため」「極東の平和のため」に一方的に犠牲を強いられることを、真向から拒絶している〉。復帰前の68年に大田さんは書いた。
 半世紀近くが過ぎる今も、その言葉は本土に向けられたままだ。見て見ぬふりを続けられない。軍事拠点化がさらに進みつつある沖縄に目を凝らし、本土の私たちは何をすべきかを考えたい。
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[京都新聞 2017年06月23日掲載]
社説:沖縄慰霊の日  県民の犠牲学んでこそ


 沖縄はきょう、「慰霊の日」を迎えた。
 1945年のこの日、太平洋戦争中、国内唯一の地上戦が展開された沖縄で、組織的な戦闘が終わったとされる。沖縄県は条例で記念日と定めている。戦争と平和を考える一日としたい。
 わずか3カ月の戦闘で沖縄は人口の3分の1を失った。米軍の艦砲射撃は「鉄の暴風」と化し人々の暮らしを破壊し尽くした。戦闘は「醜さの極致」とまで言われた。
 沖縄は本土防衛の「捨て石」とされ、配置された日本軍(第三十二軍)は米軍の進撃を食い止めることだけが任務だった。住民保護の視点はなく、日本兵による食料の強奪や避難壕(ごう)からの一般住民の追い出し、自死の強制などが各地で頻繁に起きた。
 ふるさとが戦場になるとは、どういうことか。「軍隊は住民を守らない」。70年以上を経ても沖縄では実感を持って語られている。
 大切なことは、米軍普天間飛行場の名護市辺野古沖への移設に反対する県民の声と、過酷な戦争の経験が密接に結びついていることだ。
 戦後27年間、沖縄は米軍の施政下にあった。米軍は「銃剣とブルドーザー」で基地を拡大した。念願の本土復帰後も基地は残り、むしろ機能強化が進んでいる。
 市街地にあり「世界一危険」と言われる普天間飛行場を閉鎖する必要性は誰もが認めるだろう。
 だが、その代わりに、なぜ新しい基地を辺野古に作らねばならないのか。他県や国外ではだめなのか。沖縄には、在日米軍専用施設の約70%が集中している。
 政府は沖縄の地理的な「優位性」を説くが、基地の集中は戦時に攻撃を受ける危険性が高いことを意味する。再び日本の「捨て石」にされるのでは、との懸念が沖縄にあるのは当然だろう。
 沖縄県は、国が県の漁業調整規則にある岩礁破砕許可を得ずに辺野古の工事を進めているとして、7月にも工事の差し止めを求める訴訟を起こす。
 国は地元漁協に働きかけ漁業権を放棄させ「漁業権は消滅し許可は不要」と主張する。県との事前協議にも応じない問答無用ぶりだが、他府県でも同様の対応をするだろうか。
 地元紙の4月の県民世論調査では、半数超が基地集中を「差別」と回答した。「日米安保が必要なら全国で負担を」という指摘もある。こうした声に向き合うためにも沖縄の歴史を学びたい。日本の民主主義が問われる日でもある。
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神戸新聞 2017/06/24
社説:沖縄慰霊の日/対話重ね理解を深めたい


 沖縄に今年も「慰霊の日」が巡ってきた。
 72年前の沖縄戦最後の激戦地、糸満市摩文仁(まぶに)にある平和祈念公園で、24万人以上の犠牲者をしのび、恒久平和を誓う「沖縄全戦没者追悼式」が営まれた。
 激しい地上戦を知る世代は減り続け、今は県民の1割ほどとされる。地元の沖縄タイムスによると、平和祈念資料館などで証言や資料に触れる県内の小中高生の数が減っている。学力向上優先で、校外学習の時間を減らす傾向にあるためという。
 本土防衛の捨て石とされた過酷な体験をどう伝えていくか。沖縄でも記憶の継承が大きな課題となっている。
 沖縄戦は基地問題に苦しむ沖縄の原点である。その苦悩に向き合わず、この国の平和を語ることはできない。政府も私たちも、県民の声にもっと耳を傾けることが求められる。
 摩文仁には国籍に関係なく、全ての戦没者の名前を刻む「平和の礎(いしじ)」がある。今月、92歳で亡くなった元県知事の大田昌秀さんが建立に尽力した。
 全国に基地問題を提起し、政府と争う姿勢を示す。一方で、もっと沖縄のことを知ってほしい、心に触れてほしいと願った知事だった。
 大田さんが紹介した沖縄の言葉に、人々の心根が表れる。「他人に痛めつけられても眠ることはできるが、他人を痛めつけては眠ることができない」
 自身の沖縄戦の体験から平和を願い、米軍普天間飛行場の辺野古沖移設には反対せざるを得ないと訴え続けた。
 追悼式での平和宣言で、翁長雄志(おながたけし)知事は「日米安全保障体制の重要性は理解する」と述べた上で、米軍が絡む事件や事故が相次いでいることを強調した。
 そして国民に「現状と日米安保の在り方を真摯(しんし)に考えてほしい」と語りかけた。
 政府は沖縄県との対話が深まらないまま辺野古沖の埋め立てに突き進んでいる。基地の負担を強いる一方、県民の声を正面から受け止めることなく、沖縄だけの問題とする風潮が本土にあるのも事実だろう。
 相互の理解は対話から生まれる。沖縄は本土との、政府との対話を求めている。そのことをいま一度、確認したい。
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中国新聞 2017/6/23
社説:沖縄慰霊の日 痛み、受け止めているか


 太平洋戦争末期の沖縄戦で、日本軍が組織的な戦闘を終えた日から、きょうで72年になる。
 本土決戦を先延ばしするための「捨て石」作戦ともいわれた地上戦では、3カ月で日米双方の約20万人が尊い命を奪われた。県民の4人に1人が亡くなったともいわれる悲劇に、あらためて思いを致したい。
 当時を知る人は年々少なくなり、「痛み」を広く共有することが、ますます難しくなっているからだ。
 今月12日には元沖縄県知事の大田昌秀さんが92歳で亡くなった。反戦平和を掲げ、米軍基地負担軽減に力を尽くした。原点にあったのは学徒として駆り出された沖縄戦の体験という。多くの友を失った「生き残り」として過重な基地負担を強いられる沖縄の不条理を訴え続けた。
 沖縄では昨年末、米軍北部訓練場の約4千ヘクタールが返還された。それでもなお在日米軍専用施設面積の約70%が集中している。「捨て石」にされ続け、不条理が増すばかりの現状を大田さんはどう見ていただろう。
 象徴的なことが、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題である。名護市辺野古では反対の民意を無視した埋め立て工事が強行されている。移設を巡って日本政府は翁長雄志(おなが・たけし)知事との対立を深めてきた。菅義偉官房長官は翁長知事が求めた話し合いの継続を拒み、昨年末、県側が敗訴した最高裁判決を背に強引に突き進む。
 選挙などでたびたび示されてきた沖縄の声を聞かない問答無用のやり方といえよう。それでは、「銃剣とブルドーザー」で沖縄の土地を軍用地として奪った米軍を責められまい。
 沖縄県は辺野古での工事を巡り、国が県知事の許可を得ずに「岩礁破砕」を行うのは違法として、工事の差し止めを求めて来月にも国を提訴する。
 沖縄の人たちは、地上戦の悲劇を体験しながら敗戦後もずっと朝鮮戦争やベトナム戦争など米国の戦争と隣り合わせの苦難を強いられた。米兵らによる犯罪も後を絶たない。そうした歴史を踏まえれば、なおさら沖縄の声は無視できないはずだ。
 最後の激戦地となった糸満市の平和祈念公園ではきょう全戦没者追悼式がある。翁長知事は平和宣言で、昨年末に米軍の垂直離着陸輸送機オスプレイが浅瀬に突っ込み大破した事故などを引き合いに米軍を批判する。
 この事故でも地元の声は軽視された。かねて住民たちが訴えてきた危険性が現実になったにもかかわらず、日本政府は「不時着」とする米軍の言い分を受け入れ、事故から間もなく飛行再開を認めた。住民の命をあまりにも軽んじている。
 それだけではない。北部訓練場のヘリコプター離着陸帯建設現場では、警備に来ていた大阪府警の機動隊員が抗議活動する人を「土人」となじった。
 驚くのは沖縄北方担当相や大阪府知事がそれを差別と認めず擁護したことである。政治家も国民も沖縄に対する認識や人権感覚がまひしていないか。胸に手を当て、いま一度考えたい。
 ことしは沖縄の本土復帰から45年の節目でもある。政府は、地上戦の悲惨とその後の沖縄の状況をきちんと理解した上で、丁寧に対話を重ねるべきだ。私たち国民も、「痛み」を共有する努力を忘れてはならない。
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西日本新聞 2017年06月23日 10時42分
社説:沖縄慰霊の日 大田元知事が残した問い


 6月23日は沖縄の「慰霊の日」である。沖縄戦の組織的戦闘が終結したこの日にちなみ、沖縄県糸満市の平和祈念公園できょう、沖縄全戦没者追悼式が開かれる。
 慰霊の日に先立つ今月12日、沖縄の戦争と戦後を体現する人物がこの世を去った。沖縄県知事を務めた大田昌秀さんである。
 大田さんは沖縄県久米島に生まれ、学徒でつくる「鉄血勤皇隊」に動員された。情報伝達のため戦場を駆け回り、多くの学友が命を失う中で、九死に一生を得た。
 大田さんは沖縄戦のさなか、日本兵が守るべき沖縄の住民を壕(ごう)から追い出すのを目撃したという。「(食い下がる住民を)下士官たちは、軍刀で突き飛ばさんばかりに押しのけ『うるさい、勝手にしろ』とわめき立てるのであった」(著書「沖縄のこころ」より)
 戦争の醜さ、軍への不信、そして沖縄が本土の「捨て石」にされる理不尽-。沖縄戦の経験が、大田さんの活動の原点となった。
 研究者から知事に転身し、米兵による少女暴行事件が起きると、知事権限を駆使して政府に基地縮小を迫った。国籍を問わず沖縄戦で命を落とした人々の名を刻む「平和の礎(いしじ)」建設にも尽力した。沖縄を「基地のない平和な島」にするのが大田さんの目標だった。
 残念ながら今なお沖縄には全国の米軍専用施設の約70%が集中する。政府は普天間飛行場の名護市辺野古への移設に向け、県民の反対を押し切って工事を進めている。北朝鮮のミサイルや中国の海洋進出もあり、地理的要衝の沖縄に展開する米軍の抑止力維持は重要-というのが政府の論理だ。
 しかし、基地の集中はそれだけ沖縄が相手から攻撃される可能性を高める。大田さんは辺野古移設を「政府は沖縄を捨て石にし、今日に至っている」と批判した。
 晩年の大田さんは、戦争体験のない議員が安全保障問題を議論することに懸念を抱いていた。沖縄戦から何を学び、将来にどう生かすか。大田さんが残した問いを受け止め、考え続けたい。鎮魂の日に改めてそう思う。
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山陰中央新報 ('17/06/24)
論説 : 沖縄慰霊の日/非戦を柱に外交・安保を


 太平洋戦争末期の沖縄戦の終結から72年。沖縄は「慰霊の日」を迎え、糸満市の平和祈念公園で全戦没者追悼式が営まれた。翁長雄志知事は平和宣言で「戦争の不条理と残酷さを体験した県民は、戦争のない、平和な世の中を希求する心を強く持ち続けている」と述べ、参列者は「平和の礎(いしじ)」に名前を刻まれた約24万人の戦争犠牲者を追悼し、平和を誓った。
 礎には今年も新たに判明した54人の戦没者の名前が加えられた。「平和の詩」を朗読し「癒えることのない この島の痛み 忘れてはならない 民の祈り」と訴えたのは高校3年生の上原愛音(ねね)さん。沖縄の戦争は今も続いている。
 沖縄には依然、在日米軍専用施設の約7割が集中し、政府は名護市辺野古沿岸部を埋め立て米軍基地を移設する工事を進める。中国の海洋進出や北朝鮮の核・ミサイル開発など安全保障環境の悪化が基地強化の理由に挙げられる。
 だが軍拡競争は逆に地域の緊張を増すことになる。そこに沖縄の、そして日本の未来が描けるだろうか。今の過重な基地負担につながる沖縄戦の実相と歴史に謙虚に学び、非戦を柱とする外交・安全保障戦略を構築したい。
 平和の礎には敵味方の区別なく米兵らも含む戦没者の名前が刻まれている。1995年に建立したのは県知事だった大田昌秀さんだ。6月12日に92歳で亡くなった大田さんは6月に出版した編著書「沖縄鉄血勤皇隊」で、礎は単なる慰霊の塔ではなく「反戦の誓いを込めた非戦の塔」だと書き残している。
 戦争体験者が高齢となり、大田さんのように戦争を語れる人が減る一方で、さまざまな角度から沖縄戦を研究する取り組みも続いている。沖縄県教育委員会が今年3月に発行した沖縄県史「沖縄戦」は、地上戦に至る経緯から激戦の記録、「障がい者」ら弱者の被害実態、戦後処理から記憶の継承など今に続く課題までを幅広く詳述している。
 戦争体験者の多くに心的外傷後ストレス障害(PTSD)の疑いがあるとの調査も紹介。「現在でも人々が負った大きな心の傷=トラウマは癒えない。沖縄戦はいまだ終わっていない」と記す。
 師範学校在学中に動員された大田さんは「戦争で軍隊は民間人を絶対に守らない」と訴え、96年に日米両政府が合意した宜野湾市の米軍普天間飛行場の返還でも、代替施設としての辺野古移設に反対を貫いた。かつて自民党沖縄県連の幹部として大田さんと対立した翁長知事が今、その主張を受け継ぐ。沖縄の反基地の思いと、政府との溝の深さが浮かび上がる。
 翁長知事は平和宣言で昨年末の米軍新型輸送機オスプレイ事故などを挙げて基地負担軽減とは「逆行」すると指摘、国民に「当事者」としての議論を呼び掛けた。辺野古移設に対しては「新たな基地を造らせない決意」を強調。県は辺野古での埋め立て護岸工事は違法として近く国を相手に差し止め訴訟を起こす。対立は再び法廷闘争に入る。
 政府は知事個人に損害賠償を請求する措置もちらつかせている。安倍晋三首相は式典で「基地負担軽減のため確実に結果を出していく」と述べたが、実際の行動と乖離(かいり)した言葉が沖縄の心に届くだろうか。
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山陽新聞(2017年06月24日 08時00分 更新)
社説:沖縄慰霊の日  「不戦誓い」を刻みたい


沖縄はきのう「慰霊の日」を迎えた。太平洋戦争末期に上陸してきた米軍に対し、旧日本軍が組織的な戦闘を終えたとされる日である。最後の激戦地となった糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では戦没者追悼式が行われた。
 沖縄戦では、本土防衛のために持久戦に持ち込もうとした日本軍に対し、米軍が「鉄の暴風」と呼ばれた圧倒的な艦砲射撃や爆撃で攻撃。住民を巻き込んだ壮絶な地上戦が展開され、集団自決も行われた。県民の4人に1人が犠牲になったとされる。
 平和祈念公園内にある「平和の礎(いしじ)」には24万1468人の戦没者の名前が刻まれている。軍人、民間人の区別なく、敵味方など国籍を問わず、沖縄戦などで命を落とした人々の名前である。72年前、この地で何があったのか。悲惨な戦争の記憶をしっかり語り継ぐ必要がある。
 「平和の礎」は戦後50年の1995年に完成した。今月92歳で亡くなった大田昌秀元県知事が建設した。戦没者には遺品も遺骨もなく、どこで死亡したのか分からない人も少なくない。戦火で全てを奪われた中で、刻まれた名前がその人の生存した証しになれば、との思いが大田さんにはあったという。
 大田さんは師範学校在学中に学徒隊として動員され、九死に一生を得た。沖縄戦では県内21の中等学校全てから生徒が動員され、男子は物資運搬や陣地構築に、女子は看護などに従事した。県の記録では約2千人のうち半数が短い生涯を散らしている。
 「将来を背負って立つはずの10代の生徒が、人生のつぼみのまま犠牲になったのが悔しい」。大田さんはそう語っていたという。
 「8・15」や広島、長崎の日とともに、沖縄の慰霊の日を「不戦誓い」を新たにする大切な日として継承していきたい。
 戦争は72年を経た今も、沖縄に不条理を突きつけている。昨年末、在日米軍北部訓練場のうち約4千ヘクタールが返還されたとはいえ、米軍専用施設の約70%が集中している。
 米軍普天間飛行場(宜野湾市)の移設問題は沖縄県と政府の対立が続き、4月にはついに国が移転先とする名護市辺野古で工事が始まった。米軍の新型輸送機オスプレイの危険性への不安も、昨年の不時着で募っていよう。
 そうした痛みや悔しさを、本土の側はどれだけ理解しているだろうか。
 追悼式の平和宣言で翁長雄志知事は、米軍絡みの事件や事故が相次いでいると指摘し、基地負担軽減を訴えた。政府の辺野古移設工事は「容認できない」と批判した。
 一方の安倍晋三首相は北部訓練場返還などをアピールしたが、政府として対話を進める意志はないようだ。だがそれでは対立は解消すまい。
 沖縄が歩んできた歴史と現実にどう心を寄せるかは、私たちにも問われている。
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徳島新聞 2017年6月23日付
社説:沖縄慰霊の日 本土も痛みを共有したい



 多くの犠牲者を出した太平洋戦争末期の沖縄戦が終結して72年を迎えた。
 沖縄戦では、上陸した米軍と日本軍が住民を巻き込んで激戦を展開し、日米双方で計20万人以上が死亡した。
 沖縄県民の4人に1人が亡くなるという悲惨な戦いで、日本軍は住民に対し、集団自決を強制したり、スパイ容疑をかけて虐殺したりした。この惨禍を決して忘れてはなるまい。
 きょうは沖縄慰霊の日だ。日本軍の組織的戦闘が終わった日とされる。
 最後の激戦地となった糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では「沖縄全戦没者追悼式」が開かれる。犠牲者の冥福を祈り、平和への誓いを新たにしたい。
 公園にある平和の礎(いしじ)には、国籍や軍人、民間人の区別なく沖縄戦などで亡くなった人の名が刻まれている。建立したのは、沖縄県知事を2期8年務め、米軍基地問題の解決を訴え続けた大田昌秀氏だ。
 大田氏は12日に92歳で亡くなったが、沖縄戦での体験を原点に、沖縄から平和の重要性を発信し続けた。遺志をしっかりと受け継いでいかなければならない。
 しかし、大田氏が尽力した基地問題は、いまだ解決の糸口すら見いだせない。
 沖縄では、在日米軍専用施設の約70%が集中している。普天間飛行場(宜野湾市)の名護市辺野古移設を巡り、さらなる基地負担に反発する県や住民と、それらの声に耳を貸さずに工事を進める国との対立は先鋭化している。
 沖縄県は20日、移設工事で国が県規則に定められた翁長雄志(おながたけし)知事の許可を得ずに「岩礁破砕」を行うのは違法だとして、工事の差し止め訴訟を起こすための関連議案を県議会定例会に提出した。
 「世界一危険」とされる普天間飛行場の移設は欠かせないとはいえ、移設先は沖縄しかないのか。
 反対を強く訴え続けても、聞き入れてもらえない。その不条理に県民が怒るのは当然である。
 沖縄の民意は明らかなのに犠牲と負担をいつまで強いるのか。政府は県民の声を真摯(しんし)に受け止めるべきだ。
 本土復帰から45年が経過したが、復帰後も県民が求めた「本土並み」には程遠い。それどころか、基地絡みの事件事故が続発している。
 1995年に米兵が女子小学生を集団で暴行し、2004年には沖縄国際大に米軍ヘリコプターが墜落した。
 戦争中、沖縄は本土の「捨て石」とされたが、今の状況はどうか。
 翁長氏は、きょうの式典で読み上げる平和宣言に、昨年末の米軍新型輸送機オスプレイ事故などを引き合いに米軍訓練の在り方を批判する内容や、大田氏の功績をたたえる文言を盛り込む方針だ。
 沖縄の現状を、本土で暮らす私たちの問題として深く考える必要がある。痛みを共有したい。
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熊本日日新聞2017年06月25日
社説:沖縄慰霊の日 「痛み」を共有しているか


 太平洋戦争末期に「鉄の暴風」と形容された米軍の艦砲射撃や空爆を受け、県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦終結から72年。「慰霊の日」の23日、犠牲者をしのぶ「沖縄全戦没者追悼式」が沖縄県糸満市で営まれた。
 翁長雄志知事は平和宣言で、沖縄の基地の現状や日米安全保障体制の在り方について「一人一人が自ら当事者であるとの認識を深め、議論し、真摯[しんし]に考えていただきたい」と訴えた。沖縄には依然として在日米軍専用施設の約7割が集中し、米軍絡みの事件・事故も絶えない。そうした沖縄の歴史や現実を直視し痛みを共有しているのか、改めて国民全体が問われている。
 翁長氏はまた、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に関して「辺野古に新たな基地を造らせないため、不退転の決意で取り組む」と述べた。平和宣言で辺野古移設に触れるのは就任以来3年連続だが、昨年までの「許容できない」との表現をより強めている。
 翁長氏は昨年末、辺野古の埋め立て承認取り消し処分を巡る訴訟で敗れた。国が今春着手した埋め立て護岸工事を止める決定打は見いだせないが、7月に工事差し止めを求めて国を訴える方針だ。一方、式典に参列した安倍晋三首相は「普天間飛行場の固定化は絶対に避けなければならない」と述べ、県内移設を進める姿勢を示した。
 両者の主張は依然としてかみ合わず、対立は再び法廷闘争に入る。政府は知事個人に損害賠償を請求する措置までちらつかせているが、こうした対応をとるべきではない。国と沖縄の間に横たわる大きな溝を埋めるには、誠実に対話を積み重ねていくしかない。
 犠牲者を追悼した「平和の礎[いしじ]」には、敵味方の区別なく米兵らも含む約24万人の名前が刻まれている。1995年に建立したのは県知事だった大田昌秀さんだ。師範学校在学中に動員された大田さんは「戦争で軍隊は民間人を絶対に守らない」と訴え、米軍普天間飛行場の代替施設としての名護市辺野古移設に反対を貫いた。
 その大田さんは今月12日、92歳で亡くなった。戦争体験者が高齢となり、大田さんのように戦争を語れる人は減っていく。沖縄戦の教訓をどう継承していくのかも重要な課題だ。
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南日本新聞(2017/ 6/24 付 )
社説: [沖縄慰霊の日] 「基地のない島」程遠く


 太平洋戦争の沖縄戦の全戦没者名を刻んだ「平和の礎(いしじ)」は、沖縄県糸満市の摩文仁の丘に立つ。
 被爆地の広島と長崎から運んだ火を合わせた「平和の火」を中心に放射状に並ぶ刻銘碑は、訪れる者を圧倒せずにはおかない。
 今年新たに判明した54人が加えられ、敵味方合わせて総数は24万1468人となった。鹿児島県関係者も3000人近くに上る。
 「平和の礎」は、先日亡くなった大田昌秀元沖縄県知事が建立した。「無益な殺戮(さつりく)の限りを尽す人間の愚かさを想起し、二度と同じ過ちを繰り返さないとの誓いの証(あかし)にするため」と狙いを著書に記している。
 大田氏が最終的に追求したのは「基地のない平和な島」であり、沖縄の自立的発展だった。だが、現状は程遠い。
 戦後72年、きのうは「沖縄慰霊の日」だった。
 安倍晋三首相や翁長雄志知事が出席して追悼式が営まれたが、基地負担軽減策などを巡り、政府と沖縄県の隔たりの大きさが改めて浮き彫りになった。
 知事の平和宣言は重い。
 日米安全保障体制の必要性や重要性については理解を示したものの、過重な基地負担の軽減を求めているのに、現状は逆行していると痛烈に政府を批判した。
 「日本の安全保障の負担は国民全体で」という訴えは、国民一人一人に向けたものでもあろう。
 特に米軍普天間飛行場(宜野湾市)の辺野古移設については、「民意を顧みず工事を強行しており、容認できない」と述べ、県民ぐるみで基地建設阻止に取り組むと強調した。県は近く埋め立て工事差し止めの訴訟を起こす。
 これに対し、安倍首相は昨年12月、県内の米軍施設の約2割に相当する北部訓練場の返還実現などを挙げ、「負担軽減に全力を尽くす」とあいさつした。
 しかし、辺野古移設などを強引に進める政府の姿勢に沖縄の反発は強まるばかりだ。政府は沖縄の民意に真摯(しんし)に向き合うことが求められる。
 沖縄は、1972年に日本本土に復帰するまで米国の施政権下に置かれ、いまも在日米軍専用施設の約70%が集中している。
 米軍絡みの事件や事故も絶えない。昨年4月には県内で20歳の女性が行方不明となり、米軍属の男が殺人罪などで起訴された。
 昨年12月には、普天間飛行場の新型輸送機オスプレイが名護市の浅瀬に不時着し、大破した。
 沖縄の痛みを自らの痛みとして感じられるか。重い課題が突きつけられている。
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