2017-08-08(Tue)

広島・長崎被爆72年 原点見据え核兵器禁止を

「核なき世界」へ問われる日本の覚悟  核廃絶への行動を怠るな 

<各紙社説・主張>
朝日新聞)原爆投下72年 原点見据え核兵器禁止を (8/6)
読売新聞)原爆忌 核軍縮へ確かな道を探りたい (8/6)
毎日新聞)広島・長崎の「原爆の日」 核廃絶への行動を怠るな (8/6)
日本経済新聞)「核なき世界」へ問われる日本の覚悟  (8/6)
東京新聞)原爆忌に考える 沈黙の声は未来を語る (8/6)
しんぶん赤旗)広島・長崎被爆72年 被爆者の悲願、実現する政治に (8/6)




以下引用



朝日新聞 2017年8月6日05時00分
(社説)原爆投下72年 原点見据え核兵器禁止


 核兵器使用の犠牲者(ヒバクシャ)の「受け入れがたい苦痛と被害」を心に留める。先月、国連で採択された核兵器禁止条約の前文はこううたう。
 「母や妹を含め、たくさんの人たちの犠牲が無駄にならなかった」。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)顧問の岩佐幹三(みきそう)さん(88)は感激した。
 72年前のきょう、米国は広島原爆を投下した。立ち上るキノコ雲の下で、16歳の岩佐さんは母と妹を奪われた。
 3日後、長崎にも原爆が投下された。両被爆地でその年のうちに21万人が死亡した。生き延びた人々も放射線の後遺症に脅かされ、被爆者(ひばくしゃ)と呼ばれた。
 ■世界に響く被爆者の声
 「早(はよ)う逃げんさい」。72年前の8月6日、広島の爆心地から1・2キロ。倒壊した家の下敷きになった母の清子(きよこ)さんは、助けようと躍起になる岩佐さんに告げた。猛火が迫っていた。
 数日後、自宅の跡を掘り起こし、清子さんの遺体を見つけた。むごたらしく焼けただれ、人の姿をとどめていなかった。
 12歳の妹、好子(よしこ)さんは朝から女学校の同級生たちと屋外作業に動員されていた。どこで亡くなったのか、今もわからない。
 「原爆は人間らしく生きることも、人間として死ぬことも許さない」。その憤りが岩佐さんを被爆者運動に駆り立てた。
 多くの市民が味わわされた「苦痛と被害」はやがて、世界を動かす力になった。
 2010年以降、国際社会では「核兵器の非人道性」への関心が高まった。日本被団協は、関連の国際会議に被爆者を派遣し続けた。核兵器が人間にどんな被害をもたらすか。体験に根差した被爆者の訴えは、各国の参加者に強烈な印象を与えた。
 条約は核兵器の使用だけでなく、保有や実験、使用をちらつかせた脅しなどを、「いかなる場合も」禁じるとした。交渉に参加した各国代表は「ヒバクシャに感謝したい」と口をそろえた。被爆者の切なる願いが、国際法となって結実した。
 ■核保有国動かすには
 条約の採択には国連加盟国の6割を超す122カ国が賛成した。9月から署名が始まり、50カ国の批准で発効する。
 実効性を疑問視する声は強い。核保有国や北朝鮮は採択に加わらず、当面、署名・批准もしないとみられるためだ。
 「核兵器のない世界」と逆行するような動きも目立つ。
 今年就任したトランプ米大統領は、核戦力の増強に意欲的だ。ロシアや中国も核戦力の強化に巨費を投じているとされる。北朝鮮は公然と核開発を続け、大陸間弾道ミサイル(ICBM)を2度発射した。
 核保有国に共通するのは「核兵器は抑止力であり、安全保障の根幹だ」との思想だ。だが、抑止が破れ、核が使われた場合の被害は破滅的だ。事故やテロのリスクもある。安定的な安全保障とはとうてい言えない。
 カギを握るのは世論だ。原爆投下正当化論が根強い米国をはじめ、核保有国では核の非人道性はあまり知られていない。
 昨年5月にオバマ米大統領が訪れた広島平和記念資料館は昨年度の外国人入館者が36万人を超え、過去最多を更新した。キノコ雲の下で起きた「苦痛と被害」のむごさは、核保有国の人々の心にも響かぬはずはない。
 非人道性の認識を市民レベルで広げ、核に依存する自国の政策転換を求める世論へと変える。被爆国として、そういう働きかけを強めていきたい。
 ■「核の傘」依存脱却を
 日本政府は条約交渉をボイコットし、被爆者を失望させた。安倍政権は署名しない方針だ。
 日本は、米国の核で他国の攻撃を抑止する「核の傘」を安全保障の基軸とする。安倍首相は2月のトランプ氏との首脳会談で核の傘の提供を確認した。北朝鮮や中国の脅威を背景に、核への依存を強めている。
 だが核抑止論は、相手との軍拡競争に陥るリスクがある。現に北朝鮮は核・ミサイル開発を米国への対抗策だと主張する。
 核の傘の本質は「有事では核攻撃もありうる」との脅しだ。政府は米国が核を使う可能性を否定しないが、深刻な「苦痛と被害」の再現は確実だ。被爆国として道義的にも許されまい。
 日本政府は、核兵器禁止条約への参加を目標とし、核の傘を脱却する道筋を探るべきだ。
 米国の群を抜く通常戦力だけで北朝鮮や中国への抑止は十分との見方もある。安全保障上どこまで核兵器が必要か。役割を下げる努力を日米に求めたい。
 オバマ前政権は、相手の核攻撃がない限り核を使わない「先制不使用」を検討したという。軍事偏重の懸念があるトランプ政権への牽制(けんせい)としても、日本側から再検討を求めてはどうか。
 安倍首相は今年も広島長崎を訪れる。同行する河野太郎外相は核軍縮の問題に熱心に取り組んできた。ともに被爆国のリーダーとして、被爆者の願いを実現する決意を示してほしい。
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読売新聞 2017年08月06日 06時01分
社説:原爆忌 核軍縮へ確かな道を探りたい


 核兵器の惨禍から72年が経つ。人類史に残る悲劇が二度と繰り返されないよう、不断の努力を重ねなければなるまい。
 広島は6日、長崎は9日に原爆忌をそれぞれ迎える。
 昨年5月のオバマ米大統領の広島訪問を契機に、被爆地への世界の関心が高まっている。広島平和記念資料館を訪れた外国人は昨年度、最多の36万人に上った。
 きょうの広島平和記念公園での式典には、米英仏露など約80か国の代表が参列する予定だ。
 広島、長崎から国際社会に被爆の惨状と平和への思いを力強く発信し続けることが重要である。
 草の根の交流も広がる。
 式典には、原爆開発の地である米ロスアラモスの歴史博物館長が参加する。米国民の手による多数の折り鶴も届いている。
 記念公園内にある「原爆の子の像」のモデル、佐々木禎子さんが作った折り鶴は米国に渡る。原爆投下部隊が訓練したウェンドーバー空軍基地跡の博物館できょう、寄贈式が行われる。平和に向けた運動と連帯を拡大したい。
 広島市の松井一実市長は平和宣言で、核なき世界の実現のため、7月に国連で採択された核兵器禁止条約の締結促進を訴える。
 条約は、核兵器の生産、保有、使用、使用の威嚇などを禁止し、122か国が賛同した。「ヒバクシャの容認し難い苦しみと損害に留意する」とも明記している。
 しかし、核兵器を巡る国際政治の現実は厳しい。
 北朝鮮は昨年、2回も核実験を行った。ミサイル実験も繰り返し、7月には大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射を2回強行した。
 こうした核の脅威がある以上、日本は、同盟国である米国の「核の傘」に頼らざるを得ない。核抑止の考え方自体を否定する条約に加入するのは無理がある。
 やはり米国の核抑止力に依存するドイツなど多くの欧州諸国や韓国なども、禁止条約に関して日本と同じ主張を唱えている。
 核拡散防止条約(NPT)を順守しつつ、核軍縮や核不拡散を国際社会に粘り強く働きかけるのが日本の目指すべき道だろう。
 外務省は、「核軍縮の実質的進展のための賢人会議」を設置した。広島、長崎の関係者を含む日米露など10か国の識者16人で構成し、来年のNPT運用検討会議準備委員会に提言を行う予定だ。
 核保有国と非保有国の立場の違いを乗り越え、核軍縮を前に進める。それを主導するのが、唯一の被爆国・日本の責務である。
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毎日新聞2017年8月6日 東京朝刊
社説:広島・長崎の「原爆の日」 核廃絶への行動を怠るな


1947年8月6日、焼けつくような日差しの下、浜井信三・広島市長は初の平和宣言を読み上げた。
 恒久平和のためには「恐るべき兵器」(原爆)を廃する「思想革命」が必要だ。「原子力をもって争う世界戦争は、人類の破滅と文明の終末を意味するという真実を、世界の人々に明白に認識せしめた」というのである(浜井著「原爆市長」)。
 敗戦国の一隅から世界に呼びかける緊張感ゆえか、浜井は自分の声が自分のものでないように感じた。
 それから70年、「原爆の日」(広島6日、長崎9日)に際して思う。「思想革命」は進んだだろうか。
 70年代に発効した核拡散防止条約(NPT)は5カ国(米英仏中露)のみに核兵器の保有を認めた。だが、90年代にはインドとパキスタンが核兵器を持つに至り、イスラエルも実質的な核保有国とみられている。
「唯一の被爆国」として
 それに加えて北朝鮮だ。核・ミサイルの実験を繰り返し、日米への核兵器使用さえほのめかす。その姿は「思想革命」とNPT体制が暗礁に乗り上げたことを物語る。
 そんな折、国連では7月に約120カ国の賛成で核兵器禁止条約が採択されたが、米国など核保有国は反対し、北大西洋条約機構(NATO)の加盟国や米国の「核の傘」の中にいる日本と韓国も反対した。
 核兵器の保有や使用の禁止はもとより、核によって核をけん制する、伝統的な「核抑止論」に批判的な条約だからだろう。北朝鮮の脅威が高まる折、これでは賛成できないと日本政府は判断したようだ。
 だが、日本は昨年5月、オバマ米大統領を広島に迎え、「核兵器のない世界」への誓いを新たにしたはずだ。米国が核軍拡路線のトランプ政権になったとはいえ、「唯一の被爆国」が核廃絶への弾みにブレーキをかけるのは違和感がある。
 被爆者団体は当然ながら日本政府の対応に不満を表明した。条約交渉会議の参加者から「母国に裏切られ見捨てられたという思いを深めた」(サーロー節子さん)などの声が上がったのも無理はなかった。
 「日本政府はがんじがらめなんですよ」と「平和首長会議」の小溝泰義事務総長は言う。米国からの圧力と北朝鮮の脅威の板挟みになったのに加え、「禁止」を先行させた条約案には、核保有国や同盟国が承服しにくい部分も確かにあった。
 そこで小溝さんは国連での条約案の討議で、核保有国が重視する「検証措置」などを盛り込むよう提案し、核保有国が参加しやすいように努めた。「批判もあるが、条約ができたこと自体が大きな成果。文言も批判しにくい内容です。不参加の国々の勇気ある方針転換を望みたい」
第二の「思想革命」を
 日本政府は被爆者と米国のはざまで米国を取ったようにも見える。誤解だというなら、日本は核廃絶の意思を行動で明確に示すべきだ。NPTも禁止条約も究極の目標は核廃絶。日本は二つの条約をめぐる国際的な対立をやわらげ、足並みをそろえることに努める。そして禁止条約への対応も再考すべきである。
 北朝鮮の脅威に対して、ある人々は言うかもしれない。「だから核は核でけん制すべきなんだ」と。だが、核兵器がある限り同様の危機は起こりうる。現状での核抑止力は否定せず、核廃絶へ全力を挙げるのが現実的で誠実な態度ではなかろうか。
 私たちは禁止条約が唯一無二の道だとは思わない。だが、同条約に反発する核保有国に問いたい。NPTが定める核軍縮の責務を果たしてきたか。核軍縮が遅々として進まないから非保有国は禁止条約の採択に動いた。問われるべきは核保有国の怠慢と、危機意識の欠如である。
 大阪女学院大学大学院の黒澤満教授は、禁止条約の前文にある「全人類の安全保障」について「個々の国同士の安全保障に加え、国際的で地球規模の安全保障を考える時代になった。そのように発想を転換すべきです」と説く。誤って核を使用する危険性も含めて、第二の「思想革命」が必要な時代になったのだろう。
 「原爆市長」によると、初の平和宣言には連合国軍総司令部のマッカーサー司令官も一文を寄せた。このままだと人類を絶滅させるような手段が戦争で使われるだろう。「広島」は全ての人々への警告だと述べ「警告がないがしろにされないように」と神への祈りで結んでいる。
 「唯一の核兵器使用国」の米国もかみ締めるべき言葉である。
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日本経済新聞 2017/8/6付
社説:「核なき世界」へ問われる日本の覚悟


 広島はきょう、長崎は9日が72回目の「原爆の日」だ。
 核兵器廃絶という究極の理想を堅持しつつ、北朝鮮の大陸間弾道ミサイル(ICBM)発射や核弾頭の技術開発など現下の安全保障情勢を直視し、唯一の戦争被爆国として何をなすべきか。鎮魂の日に、改めて熟考したい。
 政府は先月、国連本部で122カ国の賛成で採択された核兵器禁止条約に参加しなかった。日本は被爆国でありながら、安全保障を米国の「核の傘」に依存する。核抑止力を直ちに否定するのは難しい、との判断だ。
 米英仏は「(条約は)北朝鮮の核開発計画という深刻な脅威に解決策を示さないばかりか、核抑止力を必要とする状況にも対応していない」と反対。核保有国と非保有国の対立が鮮明になり、条約は実効性を失った。被爆者からは失望の声があがった。
 昨年5月、現職の米大統領として初めて広島を訪れたオバマ氏と抱擁を交わした男性がいる。会社勤めを続けながら、被爆死した米兵捕虜の存在に光を当てた同市の歴史研究者、森重昭さん(80)だ。
 核兵器禁止条約に参加しない政府方針について森さんは、「被爆国として大いなる矛盾だが、日本の安全保障を考えればやむを得ないのだろう」。理想と現実のはざまで揺らぐ胸中を明かした。
 爆心地から2.5キロの橋の上で被爆し、「黒い雨」を全身に浴びた。「強烈な爆風で川に吹き飛ばされたが、九死に一生を得た。命ある限り核の恐ろしさを啓蒙し続けたい」との決意も新たにする。
 核廃絶の理念を追求しながら、差し迫る北朝鮮の核の脅威にどう対処するのか。政府は条約不参加の理由や、今後の核軍縮に向け日本が国際社会で果たすべき役割を、もっと丁寧に説明すべきだ。被爆者への責務である。
 核拡散防止条約(NPT)の運用状況を点検するため、加盟国が5年ごとに開く再検討会議が2020年にある。15年は核保有国と非保有国が対立したため、最終文書を採択できずに閉幕した。
 政府は次期会議に向け、保有国、非保有国から有識者16人を招いた「賢人会議」を設置した。双方の溝を埋める新たな取り組みだ。
 被爆者の平均年齢は81歳を超えた。その肉声を発信することのできる時代はやがて終わる。核軍縮議論をいかに前進させるのか。日本の覚悟が問われている。
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東京新聞 2017年8月6日
【社説】原爆忌に考える 沈黙の声は未来を語る


 蝉(せみ)しぐれがかき消しそうな八月の記憶と記録。「沈黙の声」は懸命に語っています。今を生きる人たちが、もう二度と、ヒバクシャにならないように。
 「三菱長崎兵器製作所大橋工場」-。長崎大学文教地区キャンパス正門前の木陰にたたずむ銘板です。
 <一九四五年(昭和二十年)八月九日、午前十一時二分、原子爆弾の炸裂(さくれつ)によって、爆心地から北約千三百メートルに位置した二十棟余の大橋工場は、一瞬にして、空洞化したコンクリートの巨塊と飴(あめ)のように折れ曲がった鉄骨の残骸に姿をかえた。原爆当時、大橋工場、茂里町工場など三菱長崎兵器製作所全体の従業員数は女子挺身(ていしん)隊、学徒報国隊を含め、一万七千七百九十三人。そのうち、原爆による死亡者は二千二百七十三人、負傷者は五千六百七十九人->
 当たり前のことですが、そこにはただ淡々と、被爆の記録が刻印されています。
 「この先が、林京子さんの小説『祭りの場』の舞台です」
 日本学術振興会特別研究員の四條知恵さんに、教わりました。
 四條さんは広島生まれ。広島平和記念資料館の学芸員を務めたあと、今は長崎大に籍を置き、“手のひらからこぼれ落ちていきそうな”被爆の記録と被爆者の記憶を集める仕事をしています。
 ことし二月に亡くなった作家の林京子さんは、大橋工場に動員された勤労学徒の一人。十四歳の時でした。その日のことを克明につづった「祭りの場」という作品で、芥川賞を受賞した。被爆からちょうど三十年後のことでした。
 正門のすぐ内側に立つ、長崎師範学校(現長崎大教育学部)の慰霊碑の周りでは、九日の慰霊祭の準備が始まっていて、ただ黙々と夏草刈りに汗をかく人の背中にも、祈りが見えるようでした。
◆「今」を描き続けた人
 長崎の街そのものがそうであるように、兵器工場跡のキャンパスも、凝縮された記憶を宿すタイムカプセルなのかもしれません。
 「歩いていると、被爆当時の光景が、立体映像のように立ち上がってくることがあるんです」。案内の足をふと止めて、四條さんが言いました。
 四條さんは一方で、被爆者個々に異なる記憶や体験が「怒りの広島」「祈りの長崎」というレッテルや、「恒久平和」「核廃絶」のスローガンへと安易に集約されてしまうことには、違和感を覚えます。林さんが「被爆作家」と呼ばれることをいやがったのと、恐らく同様に。
 <八月九日をなぜ私が書くか…>。林さんは「残照」という短編の中で、打ち明けます。
 <被爆者である私は九日の再発を怖(おそ)れ、(息子の)桂に伝わるかもしれない後遺症を怖れて、桂の父親が愛想をつかすほど不安を訴えてきた。(中略)思想にも政治にも無縁な、親と子が無事に生きていたいための、個人的な苦悩から出発した仕事なのだ>と。
 林さんは、“自ら血を流すようにして”現在進行形の不安や恐れを描き続けた人でした。過去よりも「今」を記した人でした。
 それはそのまま、平凡な日常や命の尊さを訴える、同時代への警鐘でもありました。
 <アメリカ側が取材編集した原爆記録映画のしめくくりに、美事(みごと)なセリフがある。-かくて破壊は終りました->
 「祭りの場」は、このように結ばれます。痛烈な皮肉でしょう。
 私たちは今現に、米国の核の傘の下にいて、核兵器禁止条約に署名すらできない国、隣国が打ち上げるミサイルに右往左往しながらも、長崎原爆の数千発分ともされる核物質との“共存”を続ける国で、平然と日々を送っています。
 一九四五年の八月六日と九日で、原爆の破壊が終わったわけではありません。七十二年の時を経た今もなお、原子の力はこの国を脅かし、蝕(むしば)み続けているのです。被爆地は未来を憂う預言者です。
◆平和とは何ですか?
 帰り道、涼を求めて飛び込んだ長崎市内の“スタバ”の壁に、ことしも掲示されていました。
 <長崎は戦後七十二年目の夏を迎えます。あなたにとって平和とは何ですか?>というメッセージ。この街の記憶も記録も文学も、今と未来のためにある-。預言者の言葉は、コーヒーショップの壁にも書かれているのです。
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しんぶん赤旗 2017年8月6日(日)
主張:広島・長崎被爆72年 被爆者の悲願、実現する政治に


 1945年8月、アメリカ軍が広島(6日)、長崎(9日)に人類史上初めて原子爆弾を投下しました。爆発による強烈な熱線、爆風、人体を貫く放射線は、一瞬でまちを壊滅させ多くの人々の命を奪いました。あれから72年、今年の原爆投下の日はこの「悪魔の兵器」を初めて違法とする核兵器禁止条約が国連会議で採択された歴史的な出来事を受けて迎えます。
 自らのむごたらしい体験を世界で語り、なんとしても「核兵器のない世界を」と訴え続けてきた被爆者の悲願が国際政治を動かすなかで、安倍晋三政権の姿勢がいよいよ問われます。
人間を破壊する残虐兵器
 広島で14万人、長崎で7万4000人―。原爆によってその年のうちに死亡した人の人数です。きのこ雲の下、真っ黒に焦げて炭になったしかばね、全身が焼けただれずるむけになった体、内臓が飛び出した人、無数のガラス片が体に刺さり苦しむ人。水槽で抱き合ったまま亡くなった親子、水を求めて無数の遺体が浮かぶ川…。生き残った人も後障害にさいなまれ、子どもや孫への影響という不安を抱えて生き抜いてきました。
 広島・長崎の惨状ほど、人間を破壊する核兵器の残虐性、非人道性を伝えるものはありません。日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)をはじめとする被爆者は、すさまじい被爆の体験を世界に向かって長年発信してきました。
 この活動が、ついに多くの政府の代表者を動かし、人類史上初めての核兵器禁止条約の採択に結実したのです。禁止条約は前文で2カ所にわたり「ヒバクシャ」という言葉を明記し、被爆者の苦難と未来への役割について言及しました。「私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合った」日本被団協の結成宣言(1956年)の精神が反映したことにほかなりません。「人類と核兵器は共存できない」「生きているうちに核兵器の廃絶を」。被爆者の叫びに各国政府は今こそこたえる時です。
 ところが、安倍政権の態度はあまりに情けないものです。アメリカなど核保有国に追随し国連会議をボイコットし、禁止条約の署名を拒み続けています。唯一の戦争被爆国の政府にもかかわらず、核兵器禁止の世界の流れに逆らう姿勢は失望と批判を集めています。
 日本政府はこの立場を抜本的にあらため、禁止条約への参加を真剣に検討すべきです。核兵器禁止条約にサインし、核兵器廃絶の先頭に立つ政府を被爆国・日本でつくることが痛切に求められます。
被爆者援護で政権冷たく
 被爆者援護での日本政府の対応も冷たく、被爆者援護規定を盛り込んだ核兵器禁止条約との落差は大きすぎます。原爆症新認定基準でも被爆者健康手帳の所持者約16万4600人のうち原爆症に認定されたのは約8100人、5%未満です。実態にあわない線引きを使い、被爆者が医療を受けるための援助を切り捨てることは許されません。日本被団協はすべての被爆者に被爆者手当を支給した上で、病気や障害の程度に応じた手当加算などを提言しています。国は原爆被害への国家補償に踏み切るべきです。被爆者の平均年齢は81歳を超えています。時間は残されていません。
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